28 北方の楽器
パーティ会場では、モブの自覚がガッツリ出てきたエリーゼは、壁の花になる予定だったので、万事控えめにやり過ごし、隅っこの方に隅っこの方にと、自分から寄って行こうとしたのだが、あっさりと、ハインツやゲルトルートの知り合いのおじさまおばさま方に捕まってしまった。
何しろアンハルト侯爵の名代であるわけだから、つきあいはこなさなければならない。会場の中央から離れたくても、出来なくなった。
それにどうやら、このハインツの知り合い達は、エリーゼが正月に手柄を立てた事や、ハインツの親友クラウスの忘れ形見であることを知っているらしく、しきりにそういう話題を振ってくる。
手柄を誉められても恥ずかしい、クラウスの事を聞かれても困ってしまう、エリーゼは自分のコミュ力のなさをしみじみと思い知らされた。
その、はずだったが……。
パーティが開始されて小一時間ほど経った頃合い。
エリーゼは、なんとなくビンデバルドの女性の方を見ながら、レモンジュースをすすっていた。世間知らずで政治に疎いエリーゼだったが、ハインツからしっかり言い聞かされていた内容と、ビンデバルド宗家から名代で来たらしい女性……イレーネ・フォン・ビンデバルドの事が脳内で結びついていて、幽霊のように影の薄い姿ながら、こっそりイレーネを観察してしまったのであった。
そのイレーネが、周囲の貴族と談笑しつつも、しきりに一方を見ている。話の内容まではわからないが、彼女が強烈に意識している相手がいることはわかった。
それが、イヴ姫だった。
アスランとの縁談が浮上しっぱなしになっている、深窓の姫は、溺愛している妹のリマと何事か話し込み、笑い合っていた。少し離れたところで、ヴィー姫は若い軍人のフォンゼルとその仲間と、うなずき合いながら意見交換をしているようだ。ヴィー姫の性格から考えると、政治か軍事の事だろう。
イレーネは付き人やとりまきと話ながら、妙にイヴ姫を意識しているようである。
(どうしたのかな? あの”イレーネ姫”っていう人も、アスランさまのファン?)
今のところ、エリーゼはその程度の解釈しか出来ない。
そのとき、イレーネの視線の先のイヴ姫が、リマとはしゃいだ笑い声を立てながら、こちらの方に寄ってきた。エリーゼの方にまっすぐに。
(えっ、何!?)
驚いて後ずさりをするエリーゼ。だが、すぐに、イヴとリマが目的としている事がわかった。壁際には、エリーゼが百科事典で見た事のある、シュノーヴォルケの金属製のハープが設置されてあったのである。丁寧に手入れをされ、磨き上げられたハープだ。
音楽の姫は、会場中に、北方の楽器が賑々しく飾られているのを見て、興味を持ったのだろう。特に、ハープは彼女の最も好きな楽器である。リマと一緒に見に来たということらしい。
「あら、エリーゼじゃない」
リマが先にエリーゼの事に気がついた。エリーゼは慌てて貴族の礼を取って、リマに挨拶をした。リマとイヴはエリーゼとハインツの知り合い達に愛想のよい挨拶をすると、シュルナウでは珍しい北方の楽器の方に近づいて、よく見ようとした。
「本当だ。イヴ姉様。このハープ、弦が金属で出来ているのね。どんな音が出るの?」
「とても澄んでいて綺麗な音だというお話よ。私も、まだこのハープの音色は聞いた事がないから……」
リマの質問にイヴはおっとりとそう答えた。
イヴが音楽でハイレベルの聖獣を呼び出し、自由自在に操って敵と戦う事は、よく知られた事実である。自然と、イヴとリマの方に視線が集まっていく。皆、イヴが北方のハープを弾く事を期待しているのだ。
エリーゼも、てっきりイヴが弾くものと思って注目したが、何か圧力のようなものを感じて、イレーネの方を振り返った。イレーネは嫌そうにイヴとリマを見ていたが、何も言わなかった。しかし目に宿る光が違う。何だろうと思ってしまう。
「イヴ姫……」
そのとき、パーティの主催であるアスランが現れた。近衛府の正装である深紅の短いマントをつけた姿で。
ジグマリンゲン邸の現主人である彼は、本来、華麗な容姿を持っているので、深紅を基調とした制服はよく似合った。そして、ジグマリンゲン宗家の男子に受け継がれる銀の指輪を右手にはめている。エリーゼは、彼を見ただけで胸が高鳴る自分を感じたが、やはり、子どもの勘違いではないかと気になって、アスランに挨拶するのをためらってしまった。それに、アスランの周囲に、リュウや甲、志が彼をガードするように固まっていた。それに威圧されたのだ。
イヴとリマは、アスランに向かってしとやかに挨拶の礼をして見せた。アスランは正月の挨拶の口上を簡単に述べた後、イヴの前に進んで行き、彼女が物珍しそうに見ていたシュノーヴォルケ・ハープを紹介した。
「姫が以前に、興味があると仰っていた、俺の故郷のハープです。姫から快い返事をいただきましたので、早速用意しました。よかったら、弾いてみませんか?」
アスランの方からそんなふうに話しかけてみると、周囲の貴族達はどよめいた。イヴ姫が、アハメド二世にアスランと結婚しろと言われたら、部屋の真ん中でゴーレムを呼んで大暴れした話はもう周囲に伝わっている。そのイヴ姫に、アスランの方からそう出たものだから、乙女心を懐柔しているように取られたのだろう。
イヴはその空気を敏感に察知し、照れたように目を伏せながら、口の中でおとなしそうな事を何か言っている。
そこで、リマが、イヴ姫の手を引っ張ってハープに触れさせてみた。
「イヴ姉様はハープが一番得意でしょ。私も聞きたいな、弾いてみてよ。久しぶりに、戦いと関係ない曲が聞きたいわ」
まあ、よく出来た妹ではある。元々、アスランとイヴは同じ仲間内なのだ。彼とイヴが実父の命令のためにギクシャクしていると思ったため、溺愛されている妹の立場から、姉に甘えて見せたのだ。
「そ、そう……?」
リマを何よりも可愛がっているイヴは、妹からねだられると弱かった。
「それじゃ、少しだけ……」
元から、シュノーヴォルケ・ハープに興味があったこともあった。イヴはハープの方に進んでみせると、アスランが足の弱い彼女のためにぴったりの椅子を用意させた。気遣いに感謝しながら、イヴは、なよやかな白い指をハープの弦に滑らせた。
イヴはハープを試しに1~2回、音を出させて調整した。そうしただけで、彼女は、音楽の世界に没入し始めた。人前だという緊張は消え、北方のハープと即座に心を通わせた。リマから、戦いとは関係の無い曲とリクエストを受けた事だけは覚えていた。
イヴは、神聖バハムート帝国の音楽の巨匠、悪魔じみた天才と呼ばれた、ヴォルフガング・フォン・ミカエリスの定番の曲を選んだ。可愛い妹のリマに語りかけるように、イヴはミカエリスの”夢のワルツ”を弾き始めた。
軽快で、鮮やかで、楽しくて、それこそ夢が広がっていくようなイメージ。そのイメージ通りに、イヴは、しなやかな指をハープの金属の弦の上に自由に走らせる。
イヴは、初めてのシュノーヴォルケ・ハープを一発で弾きこなした。彼女はまさしく、音楽の天才児だった。
イヴが「夢のワルツ」を弾き終わると、パーティ会場全体から一斉に、歓呼の拍手が沸き起こった。元から、人気の高い姫であり、最近は魔王を倒した勇者とトラブルがあったと心配をかけていたが、今の流れで、イヴがアスランの件を承諾したようにも見えたのだ。執事のホフマンなどは完全にそう思い込み、涙を流してイヴに拍手を送った。
エリーゼの方は、気が気でない部分もあったが、初めて聞いたイヴ姫のハープに感動していた。本当に素晴らしい演奏だった。
さすがに、魔王を倒すだけの能力を与えられているだけはある。それで、純粋に、音楽の美しさに聞き惚れた分の拍手を彼女に送った。子どもである故に、純粋に感動してしまったのである。
一人、イレーネだけが、憮然として、隣で拍手を送っているバルバラの方をにらみつけ、さらに、イヴに睥睨の視線を送っていた。




