27 モブの自覚と苦悩
(私はアスランさまの事が本当に好きなのかしら……)
新年会は、午後からであった。
一月十五日の午前中、気がうわずって仕方ないエリーゼは、自室でピアノを弾いていた。
神聖バハムート帝国の高名な音楽家の数々の楽譜を、既に、ゲルトルートは養女のために手に入れていたし、それらは、日がな一日弾いていても飽きないほどの質と量であった。ゲルトルートは、養女がピアノを弾きこなすのを同じ部屋で黙って聞いている事が好きであった。その後、甘いスイーツを用意して、そこそこ話すようになってきた養女と他愛ない話をするのも好きだった。エリーゼはそれらを、養母の気遣いだと思って彼女なりに素直に応じるように努力していた。
そして、エリーゼは、ゲルトルートが、アスランと自分の縁が結ばれればいいのにと、あからさまに思っている事を知っていた。
(私、アスランさまが好きだけど……でも、それはどういう”好き”なんだろう……?)
それで、エリーゼはわからなくなったのである。元々、大人気マンガないとなう! のファンであった彼女。最初、自分は、アスラン達主人公とは何の関係もないモブだと思い込んで生きてきた。それが、アスラン暗殺未遂で一気に距離が縮まり、英雄である彼に声をかけられてダンスを踊ったり、そのほか様々に気を遣われて、自分は舞い上がっているのではないだろうか?
マンガのヒーローの眼中に入れてもらって、気を遣われて、エリーゼだってまだ子どものようなものなのだから、舞い上がるのは仕方ないと思う。
そこで、一番身近な養父母に、アスランと結婚してくれたら嬉しいと、はっきり態度に出されたら、理解と後押しを受けたと思って、自分がアスランを好きなのは当たり前の事のように思い込んだのかもしれない。
アスランと出会って、二週間程度。それで、こんなに彼に夢中になっているわけだが、これはどういう感情なのだろうか。
(私って、元々、お調子者だったから……アイドルやマンガの追っかけも、前世では結構していたし……といっても、真剣っていうわけじゃなくて……)
大昔の俗語でいうなら”ミーハー”だったという自覚はある。
その自分であるから、アスランの事を想う気持ちも、本当は男女の”好き”ではなくて、マンガの推しへの感情をはき違えているのではないだろうか?
突如、エリーゼはそういう疑問を持ったのだった。
だが、彼女は、高校に上がる寸前に死亡して、その後、マンガ内に転生して二回中学をやったばかりの段階。当然、異性を好きになったこともないし、何を持って異性への恋愛感情と言うのかも、わからない。だからこそ、自分の気持ちが捉えられずに困惑していた。
「エリーゼ、馬車の用意が出来たわよ」
そのとき、養母ゲルトルートが、自室に入ってきて声をかけてくれた。ピアノと自分の想いに没頭していたエリーゼは我に帰って、ピアノの椅子から立ち上がった。
ほぼ同じ時刻。
上流階級に出入りする際のよそ行きに着替えたリュウと甲、志は、それらしく格好をつけた馬車を業者からレンタルして、一緒に乗り込んでいた。
貴族の中には、流行のヴィークルでパーティに乗り付ける者もいるが、やはり、正式な乗り物は馬車であるとされている。冒険者が弾けて、そこらのヴィークルでジグマリンゲン邸に乗り込んでいけば、身の程知らずと顰蹙を買うかもしれない。そのため、新興勢力の冒険者でありながら、二人は、伝統的ないかめしいデザインと色合いの大型の馬車で、ジグマリンゲン邸へ向かった。
「えーっと……これ、どうしよう……?」
そつのない燕尾服に着替えた志だったが、どうしたわけか、ネクタイがうまく結べず戸惑っている。
「志。こちらを向け」
甲に言われて志は、義理の兄の方に向き直った。志のネクタイを、似たようなデザインの燕尾服の甲が器用に結んでしまう。
「ありがと」
志はほっとした笑顔を甲に見せた。
「帝城に比べれば堅苦しくはないだろうが、あまり羽目を外すんじゃないぞ」
甲は、志に言い聞かせた。
「うん! アスランは優しいから、大丈夫だと思うけど」
「そうは言っても、周りの貴族達は外面菩薩の内面夜叉だ。特に今年は正月が正月だったから、貴族の内面の百鬼夜行に巻き込まれないように、気をつけるべきだ」
リュウが慎重そうな声でそう言った。
「……そういうもんだろうね」
なんだかんだで、貴族の館に配達任務や護衛任務で近づく事が多い志は、華やかで美しい彼らの中身がどんなものかは知っている。
「無論、どこにでも人の善意はあるし、世の中は勧善懲悪で割り切れるものではない。俺たちも、貴族達から回ってきた任務で食べて行っているんだ。そのことも、忘れてはいけない」
リュウの言葉に、甲でさえが頷いていた。リュウも、甲や志の氏素性を知っている訳ではない。だが、齢百歳の最長老として、彼らに言うべきを言っているだけなのだ。
そんなこんなで、エリーゼがアンハルト侯爵家の紋章を背負った馬車から降り、ジグマリンゲン邸のパーティ会場へ行こうとした時、甲達の乗っている馬車が駐車場に入り込んできた。三人の英雄はすぐに、馬車から降りてきた。
「リュウさまだわ!!」
馬車の周りでまだもたついていた貴族の令嬢達が黄色い声を上げ始めた。
最初、驚いた様子のリュウだったが、甲や志も、周りの若い男女から好意的な声を寄せられ、中には歓声をあげて走り寄っていく者もいる。
魔大戦で、魔王を倒した栄誉というのはそれぐらい、強いらしい。
(やっぱり、あの人達は英雄なんだ……)
エリーゼは、マンガの中の出来事とはいえ、それを現実の事と感じ取り、今更ながら、彼らとモブである自分の落差について考えてみた。さらに、魔王の首級をあげた近衛中将であるアスランと、まだ帝国学院に入学してもいない自分の立場について、考えてみた。
(頑張りたいけど……頑張っていいのかな……)
きゃあきゃあという少女達の歓声と、それにもみくちゃにされそうなリュウや甲、志。
エリーゼは、ないとなう! の世界に転生する前の自分を考えてみた。まだ中学生だったから、本当の意味ではアイドルの追っかけもしたことはなかったし、マンガのヒーローに憧れた事ぐらいしかなかった。ないとなう! の映画やイベントには、大学生の姉ののばらに連れて行ってもらったことがある程度。まだ海のものとも山のものともつかぬうちに、死んでしまった自分。そして転生したらモブだった。
なんだか少し笑ってしまう。
自分がアスランを本当に好きになったとして、相手にされる訳がないではないか。
(何だったんだろう、今年に入ってから……)
エリーゼは黙って踵を返し、パーティ会場に一人向かおうとした。そのとき、リュウがエリーゼに気がついて、声をかけようと口を開けた。
まさにそのとき。荒々しい運転で、リュウ達のものよりも大きな、真っ白に塗られた馬車が、駐車場に入り込んできたので、彼らもそちらを振り返った。
馬車から、従者に手を取られて、二人の女性が降りてきた。片方は、黒髪の威風堂々とした大人っぽい美女である。もう片方は、露出は少ないが、エレガントなドレスを着た赤毛の女性で、どうやら大人っぽい美女の付き人であるらしい。
(おい、まさか、嘘だろ……イレーネ姫じゃないか)
(ジグマリンゲン家が、ビンデバルド家まで、呼んだのかよ……)
リュウ達英雄を見てはしゃいでいた周囲の貴族達がヒソヒソと会話し始めたので、エリーゼはなんだろうと思って、威風堂々とした美女の方をそっと見やった。
(ビンデバルド……?)
前世の友原のゆりの知識では、ないとなう! では、1,2回、名前が出てきた程度である。
(確か、皇家に逆らう勢力とか言ってなかった……?)
そのことを思いだし、エリーゼは、その「ビンデバルドの女性」に強い警戒心を抱いた。




