26 マリカからの手紙
アスランの住むジグマリンゲン邸は旧市街の中でもかなりの威容を誇る。
エリーゼが見れば、まさしく西洋の白亜の城、それも巨大な……と思うだろう。建物としては、旧市街の中でも古い方には入るだろう。ジグマリンゲン一族の本拠地は、北方シュノーヴォルケの要港ノイゼンだが、帝都シュルナウに進出をしたのは割合に早かった。元々騎士の家柄ではあるが、商売が嫌いではないジグマリンゲン家は、シュルナウ港とノイゼン港を結ぶ最短の海路を早速作り、ノイゼンの毛皮や木材や水産物などを、シュルナウで売りさばき、シュルナウの美麗な装飾品や珍品などを、ノイゼンで同じ事をしたのである。そういうことをじっくりするためには、屋敷がいる。そのために建てたもので、北方建築の特徴的である頑丈な石造りだが、広間や客間などは広く、隅々まで清潔感を保っていた。
アスランは近衛中将で、騎士業が専門であるから、商売の方には特に関心はなかったが、そういうつきあいを断った事はなかったし、交流はシュルナウに来た時から広く浅く持っていた。今回、自分が暗殺された時も、早速そのネットワークを動かした見たのだが、結果ははかばかしくなかったものの、それなりに助言や”匂わせ”は得られた。それはアスランの最初の見解とは違ったが、二番目に想定したこととは一致していた。
冒険者や新手の商売をやる輩や、「帝国譜代ではなく北方の雄の血筋」やらを、殺したいほど嫌うのはどこのどいつかという事である。
エリーゼがバカの子ではないように、アスランだってバカではない。そのことはすぐに気がついたしわかっていた。
(さて、新年パーティで網を張る訳だが……アンハルト侯爵が捜査本部にいることはばれているだろう。順当に考えて。あまり捜査関係者が目立つようにしないでくれと身振りでお願いしたら、娘のエリーゼをよこすと言ってくれた。さすがに話のわかる方だ)
アスランは、書斎のデスクで走り書きをしながら、今回のパーティでするべきことを頭の中で練り直していた。そこで、書斎のドアがノックされ、執事から控えめな声がかけられた。
「入れ」
入ってきた初老の執事はホフマンと言い、髪に白髪が目立ついかにも紳士然とした男である。一矢乱さず執事服を着こなして、手には手紙の束を持っていた。
「なんだ」
「ノイゼンの母君からの手紙と、それと今回のパーティについての連絡でございます」
「わかった」
ホフマンから差し出された手紙を受け取って、アスランはその場で、母マリカからの手紙を開けて見た。
オノゴロ島出身の母からの手紙は、案の定、オノゴロ島独特の仮名文字と漢字で書かれていた。マリカは、バハムート帝国の言語も理解しているので、通常は、東洋訛りのとても強いバハムート語を話すし、読み書きも出来るが、息子との手紙は大体オノゴロ文字で行われていた。それは、兄レナートスとの間でも同様である。その理由は簡単だ。
「何と書かれているのです?」
ホフマンは、ジグマリンゲンの女主人であるマリカが、オノゴロ文字を使いこなす事はよく知っていたが、内容は全然理解出来ないのだ。言語体系がまるで違うし、バハムート帝国ではオノゴロ文字など見た事がないという人間も多くいるからである。
「ああ、母上は息災なようだ。後、俺の事を心配してくれている……随分と」
「でしょうな」
アスランは、母の文面から、全くもって無難なあたりを、執事ホフマンに伝えた。母の手紙の文面からは、信じられないという悲しみが強く、アスランの方に寄せられていた。それも当たり前のことだった。前回の手紙で、アスランは、今回の暗殺の件で、レナートスが「何と言っているか」を細かく教えてくれと書いたのである。……書いてしまったのである。
アスランが17歳の時に、家督相続争いで家臣団が真っ二つ、もう少しで領地で血を見る争いが起きる寸前の騒動を起こしたレナートス。
そのことをマリカとて忘れている訳ではない。そのマリカは、アスランに、聞かれた通りに、暗殺未遂を聞いた時のレナートスの反応を書いて送ってくれていた。
レナートスは、執務中だったが、アスランの暗殺未遂の報告を受けると真っ青になって硬直したということである。その後、執務室から出て自分の部屋に引きこもり、一時間弱、出てこなかった。部屋から出てきた後も、しんどそうだったが、気付けがわりにワインを一杯だけ飲んで、執務に当たったということである。生来、病弱だが、真面目で、弱音を吐かない彼らしいといえば彼らしい。アスランの事はひどく気にしているようで、マリカにも、父ウィンフリートにも様子を何回か聞き、シュルナウの屋敷の警備の様子も聞きたがっているということであった。
……レニ(レナートスのこと)はあなたの命の無事を心配し、祈っています、私もですよ、アスラン……
母マリカは、手紙をそう締めくくっていた。
このレナートスの反応を、どう読み取るかは、空想でなら自由自在に出来る訳なのだが。だが、聡明ではあるが心優しい普通の女性であるマリカは、息子達の間に騒動の種などなくなったと信じたいという気持ちがないとは言い切れないだろう。そこはさておいて、アスランは、マリカがこういう手紙を送ってこられる程度に、父ウィンフリートは健在なのだと判断した。異国の血を引いて、上流階級では苦労してきたマリカはともかく、ウィンフリートは盆暗ではあり得ない。相当に頭が切れる、ジグマリンゲン一族の当主として相応しい男である。
レナートスか、レナートス派の家臣に動きがあったら、ウィンフリートは速攻で手を回すだろうし、その際はマリカも父に従うだろうことは間違いがなかった。と、いうことは、今回の件はレナートスではない。
(なんだ、そういうことか。兄上だったら、母上を悲しませないためにも色々あるが、そうでないなら話はこっちだ。さっさと片付けてしまおう)
アスランはあっさりとそう決め込んでしまい、後はさっぱりとした気持ちで、新年会についての挨拶やら出欠やらの手紙を裁いてしまった。その上で、執事のホフマンに、命じるべきをいくつか命じた。そして、最後に言った。
「パーティにはイヴ姫が来る」
「は……」
アハメド二世の木の回し方を知っているホフマンは顔を引き締めてアスランに向かった。
「姫が音楽の名手であられる。前に、シュノーヴォルケにはどんな楽器があるか、俺に聞いてきた事があるのだが、この屋敷には向こうのハープはあるか?」
「はい、若様。もちろん、この屋敷にシュノーヴォルケのハープは置いてあります。弦が金属のものです。イヴ姫は、若様の故郷に関心をお持ちなので……?」
ホフマンは当然それを聞きたがった。彼としてみても、イヴ姫との縁談はまとまるにしてもまとまらないにしても、最大の悩みの種なのである。
「俺の事はどうかわからん。だが、音楽の姫であるイヴ姫が、北方のハープに興味を持って、俺に聞いて下さったのだ。新年会でハープや、実家の他の楽器をお見せ出来るように手はずを整えてくれ」
「はい、もちろんです。若様!」
ホフマンは躍り上がらんばかりに喜んだ。アスランのリュウに対する友情を知らないホフマンにしてみれば、魔王の首級をあげたご褒美に、新年に、皇帝がイヴ姫を下賜してくれると仰ったのだと思い込んでいるのである。それを何故、アスランが拒もうとしているのかが、わからない。だが、これで縁談が一歩進むと思ったホフマンは、スキップでも踏みそうな足取りで、アスランの書斎を出て、早速使用人に楽器を蔵出しするように言いつけた。




