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21 図書館へ行こう

 次の日の朝。

 エリーゼは、いつもよりも早めに目を覚まし、ベッドから起き出した。

 エリーゼ専用の洗面所に向かい、身だしなみを整える。丁寧に、長い銀髪を櫛で梳かしつけ、ふわふわの猫っ毛が広がるのをなんとかおさえつけ、二本の三つ編みに編み上げた。以前は、自分のことなのに、全然かまけていなかったが、今は、髪には椿の精油を用い、顔や手にもゲルトルートがせっかく用意してくれていた、美容水などを使っている。

 引きこもりをなおそうと決意した時から、自然とそういう行動ができるようになっていた。


 クローゼットを開ければ、養母がメイド達と話しあってしつらえてくれた衣装がぎっしり。だが、ゲルトルートはかなりの乙女趣味で、ジェラートを思わせる色合いのどの服もひらひらしたフリルとレースとリボンがついている。エリーゼはまだ15歳、それらが似合わない訳ではないのだが、どうしても気が引けてしまうのであった。

 その中でも比較的おとなしいデザインのドレスに着替え、足下の靴も色をそろえると、エリーゼは一回、鏡の前で全身をチェックした。


 幽霊の人形のような生気のない、虚ろな娘--と思いきや、自分でも、「表情」が出ていると思った。

 頬には赤みがさし、目にはハイライトの輝きが見える。


(?? やっぱり、お養母さまの美容水とか、効き目があるのかな……。化粧品とかで、顔、変わるんだなあ)

 相変わらずの鈍感さで、エリーゼはそんなことを考えた。

 ひきこもりをなおそうと思った事で色々と行動を始めた事が、心身両面において、よい方向に出ているのである。もちろん、美容水や精油だって、効果がなかったわけではないが。


 エリーゼは階下の食堂に降りると、養父母と一緒にいつもの朝食を取った。

 黒パンに、ザウアークラウト、ゆで卵、旬のリンゴ、それに熱いコーヒーという内容だった。

 前は、半分ぐらい残す事もあったのだが、今日は妙に体の調子がよくて、完食することができた。

 エリーゼは養父母の前でテーブルマナーを気にしながら、姿勢を正して食べ終わった。


「エリーゼ、今日は何をするんだ?」

 食べ終わると、早速、ハインツがエリーゼにそう尋ねてきた。

 彼は妻とともに、エリーゼを、帝国学院の高等部に行く前にひきこもりを完治させるという目的を持っていた。

 エリーゼの方も、何も言われなくてもそれは心得ている。

「帝城の図書館に行く予定です、お義父さま」


「図書館に?」

「先日、ヴィー姫に紹介していただいた本がないか、見に行きたいんです」

「なるほど、それなら大いに結構。勉強しなさい」

 ハインツは顔をほころばせてそう言った。養女が、教養あふれるたしなみの深い女に育ってくれれば、良縁はつかまりやすいだろう。彼は、皇帝同様、年頃の娘の縁について色々考えているところであった。本来なら、アスランを推したいところなのだが、今はイヴ姫という問題がある。そのことを、エリーゼと話しあった訳ではないのだが……。

 いずれ、エリーゼが勉強がよくできて、ヴィー姫の覚えがめでたくあってくれるに越した事はない。


 養父が機嫌良く許してくれたので、エリーゼも安心し、食事を終える挨拶をすると、しとやかな態度を心がけながら食堂を後にした。

 すると素早く、養母のゲルトルートが寄ってきた。

「エリーゼ、帝城に向かうなら、ヴィークルをまた使うわよね。昨日のように、迷子になってはだめよ」

「はい、お養母さま、気をつけます」

「昨日はもう……冒険者に送り届けてもらうなんて、びっくりしたわ。だけど、英雄の(ゆき)なら話は別。あの子はとっても可愛くって礼儀正しくていい子よねえ。機会があったらよくお礼を言っておくのよ」

「はい、お養母さま」

 そんな会話を繰り返しながら、ゲルトルートは可愛い養女の部屋までついてきてしまった。


 それから、エリーゼが図書館に行くというので、どの服にするのか選ぶのを手伝おうとした。


 帝国で一番大きな図書館は、巨大な帝城の中にある。

 門を入って東の一角を占めるその7階建ての建物は、二百万冊以上の冊数の本を所有し、専門の司書達がそれを丹念に管理しているのだ。庶民はそれなりの許可を得なければ、入れないが、貴族ならばフリーパスで、規約を守れば何でも借りられる事になっている。

 エリーゼは、ひきこもりをなおすといったって、最初の内は、自分の興味のあることについてしか行動ができない。

 エリーゼは、ヴィーの言っていた本の数々が、ここなら確実に手に入るという事しかわかっていなかった。


 だが、ゲルトルートは、その、「貴族には誰にでもフリーパス」の「知識の塔」に、養女が単独行動で行く事について、別の判断をしていた。そういう場所にも、隙のない、知的でクールで品のよい、美しい装いをさせ、どんな殿方に巡り会おうと、好印象を残させようという算段である。夕べのうちに、アスランがだめかもしれないと、夫から聞いたゲルトルートの嘆きようは、とても見てられないものだったが、朝になったら鮮やかに思考を切り替えた彼女は、とにかく、養女の魅力を引き出して、良縁を作らせる方に作戦変更したのである。


「???」

 何でそんなに美容とファッションに口出しをされるのか、わからなかったが、遠慮深いエリーゼは、言われるままに養母の着せ替え人形となり、いつの間にやら、頭の先からつま先まで、スノーホワイトのコートと帽子、それに暗い青系のロングワンピース、黒に粉雪を思わせる刺繍を入れたストッキング、などなどに装いをかえられた。さらに、バッグやアクセサリなど小物まで、すっかり着飾らされてしまった。

「女の子はいつだって冬の妖精に変身できるのよ~、だからいつだって隙を作っちゃだめ、隙があると見せかけるのはOKよ」

 などと楽しげに話しながら、ゲルトルートは、お出かけするようになったエリーゼを、エレガントな淑女に仕立て上げた。

 本当なら自分も連れて歩きたいのだろうが、そこはそれで、ゲルトルートにも距離感はあるらしい。


 オシャレについてはそんなに興味のないエリーゼには、鬱陶しい気持ちもあったが、だがありがたい話なのはよくわかったので、エリーゼはゲルトルートと一緒に、姿見を見ながら、軽く化粧もしてもらい、やっとのことで外に出かける事ができたのだった。


「ありがとうございます、お養母さま、行ってきます」

 ヴィークルのモモカに乗って、転生養女は、アンハルト邸から出発すると、モモカの上で大きく深呼吸をした。ゲルトルートが100%善意で、本人も楽しくて仕方ないのはわかっているのだが、正直、着せ替え人形ごっこは、凄く気を張るし、あっち引っ張られたりこっち引っ張られたりするのは、疲れもするのである。

(ああ……これ、いつか、お養母さまに直接言わなきゃいけなくなるかもな……だけど、お養母さまが楽しんでる事はよくわかってるし……言い方に気をつけなきゃいけないし。でも、私、自分でファッションやメイク、正直面倒くさいし、それをお養母さまがしてくれるって考えたらいいのかな……あ、でも、死ぬまでお養母さまの面倒になるわけにもいかないし、いつかは、自分でやりますって言えるようにならなきゃいけないのよね……なんだか、お養母さまに悲しい思いをさせない、いい方法見つからないかしら……)

 そういうことである。当たり前だ。既に15歳になっているんだから(本来なら30歳)、メイクやファッションぐらい自分でやれ、の世界なのだった……。

 養母は養母で気を遣っているのだろうが、養女だって、そうなのだ。



 そんな訳で、エリーゼは帝城の図書館に向かい、門のところでアンハルト侯爵の紋章を見せた。それから案内に従って、帝城図書館に行き、その広大な館いっぱいに詰まっている本に圧倒されつつ、司書に教えてもらいながら、目的の本を探し当てた。

 その後も、ありとあらゆるジャンルの本が整然と並んでいる書架と書架の間を、時間を忘れて歩き回り、好きな本を二冊ほど選んで、カウンターに向かった。司書に丁寧な手つきで本を貸し出してもらう。

 それだけで、一時間半ほどの時間がかかった。


(どうしよう、この本、すぐ読みたい!)

 エリーゼは、借りた本のタイトルや表紙をうっとりと眺めながら、そう思い立ち、図書館内の読書スペースに向かった。

 だが、そこは、既に何人もの老若男女が選挙して、皆、真剣な面持ちで本を読んでいた。

 他の階の読書スペースも回ってみたが、どこも満席。帝城図書館は、平日でも、大変な人気であるらしい。確かに、これだけの本を収容して整備も清潔に行き届いていれば、そうなるだろう。


 すると、エリーゼは、家に帰って本を読む事になるのだが……。

(………………)

 エリーゼは、すぐには家に帰りたくなかった。

 今日は、ハインツは、兵部省に出勤しているが、ゲルトルートは一日、家刀自として屋敷にいる。今までは、部屋にこもっていて気にしなかったが、現在、養父母は俄然やる気を出して、エリーゼの引きこもりなどをなおそうとしているところだ。

 前のように快適に、自分の世界にこもっていられるわけではない。

 これは、血の繋がった実の両親でも難しい問題なのだろうが、エリーゼは、ゲルトルートと衝突を避けたかったし、親切な養母を傷つけるようなイベントを起こしたくもなかった。

 そういうわけで、意識的に、家から距離を置きたかったのである。


 といっても、心配はかけたくなかったから、正午前には帰るつもりだが、もうちょっと、図書館周りで、本を読んでいたということにしたかった。

 それで、エリーゼは、帝城図書館の外に出て、軽めの本を一冊ぐらい読める場所がないか探し回った。

 帝城図書館の周りには、冬に咲くエリカやローズマリーが丈高くこんもりと植えられていた。その近くにはベンチもしつらえられている。

 花々は、エリーゼの身長に近いほど伸びていて、花壇というより生垣のようになっている。エリーゼはベンチの目立つところで読書をするのは控えたかったので、こっそり、花の茂みをかき分けて中の方に入っていった。

 花の影で直射日光を避け、座って本を読もうと思い立ったのである。その時点で既に、お行儀のよいエレガンスな乙女とは言いがたく、ゲルトルート達としては頭が痛いのだろうが、エリーゼは、人目のない日陰で本を読む事しか頭になかった。


 綺麗でよい匂いのする花の茂みを越えて、適当な座れる場所を探していると、話し声が聞こえた。

「待って……ねぇ……」

「ここは……色……」

 花の茂みの中、樫の古木の木陰に、誰かいるらしい。どうやら女性のようだ。

 エリーゼは、自分以外に、茂みの中に入っている人間に興味を覚え、樫の古木の方に草木をかき分けてそっと回り込んだ。


 そして激しく後悔し、言葉を失った。


 そこにいたのは、二人の姫だった。

 イヴ。それにヴィー。


 二人とも、ローズマリーの花の真ん中に座り込み、スケッチブックに人物のイラストを描いている。それが、後ろから回り込んだ形になったエリーゼには丸見えだった。

 大判のスケッチブックの真ん中に描かれているのは、やたら美化されキラキラしているリュウだった。


「…………」

 もちろん、リュウが、美しくないというつもりはない。だが、そのイラストは、どこから見ても、最早「二次創作」の域で女性好みにデフォルメされ、それでいて明らかにリュウだとわかる特徴を残す、素晴らしいレベルの美化イラストだった。……いや、美化なのだろう。


 イラストを描いているのは、ヴィー。

 それを隣で見ながら、姉にここはああしてこうしてとしきりに訴えているのがイヴ。


 こんな帝城の周りの茂みの真ん中で、この二人は何をやっているんだろうか。いや、イラストを描いているのだ。それはわかる。わかるんだけど……


(なんでここにお姫様達が!? しかも、リュウ!? リュウだよね……!?!?)


 息を止めて完全硬直していたのも数秒、エリーゼは慌ててその場から逃げようとした。

 無意識レベルで危険を察知し、身を翻して逃げようとした。


 逃げようとしながら、思い出した。二人の姫の本当の特技を。

 イヴは、聖獣召喚に音楽を使う。歌でも楽器でもなんでもござれ、彼女は音楽の姫なのだ。


 それに対して、手先が器用なヴィーは、持ち前のセンスの良さを存分に発揮できる絵画の姫。

 水彩画からポップなイラストまで、何でも綺麗に仕上げられる、美術が大好きな姫なのである。


 何でここでリュウのイラストを描いているのかはわからないが、ヴィーが元々、美術や絵画に関しては、プロレベルの姫であることを思いだし、そこだけは納得した。

 納得しつつも大慌てで逃げようとするエリーゼ。だがそこは花の茂みの真ん中、粗忽なことに長い三つ編みがローズマリーの枝にひっからまり、バランスを崩して転びそうになり、思わず悲鳴を上げてしまった。

「痛ッ……」


「誰!?」

 鋭いヴィーの声が飛んだ。

 エリーゼは逃げたくても、三つ編みが花の枝に絡まっているために動けない。ジタバタしているうちに、ヴィーとイヴにあっさり見つかってしまった。

「……何してるの、エリーゼ?」

 ヴィーにそう尋ねられた頃、ようやく、エリーゼは三つ編みを枝からほどくことができた。

 しかし、何ともいえない感情がこみあがってきて、すぐには返事ができない。神聖バハムート帝国が誇るしとやかな美姫二人が、こんな茂みの真ん中で何をやっているんだ。しかもそれを見つけた自分はなんなんだ。


 とにかく、無言でバタバタと逃げようとするが、茂みの中にロングワンピースでは、思うように行動できない。

 それを見て、ヴィー達は噴き出した。


「こっちにいらっしゃい、エリーゼ。何も、取って食ったりはしないから」

「は、はい……」


 笑われてしまった。そのことに敏感になりつつも、まさかお姫様に逆らう事はできず、エリーゼはすごすごと、イヴとヴィーの前に出て行った。イヴ達は、膝を優雅に崩して、イラストを色鉛筆や色ペンで描いてい遊んでいるところだったようだ。


「……」

 改めて見ると、それは誰がどう見たって、リュウだとわかる、完成直前のイラストだった。

 長い金髪も、凜々しい美貌も、何もかも彼そのものである。女性向けにデフォルメはされているけれど。


「今、見たもの、誰にも言っちゃだめよ?」

 ヴィーはまず、自分の唇に指を当てて、はっきりとそう言った。

 見ちゃったものはしょうがないと思ったらしい。


 エリーゼは素直に頷いた。こんなところに、女性が二人で隠れて、実在の身近な殿方のイラスト(キラキラ系)を描いている。その理由……誰が考えたって、一つしかないだろう。


 真剣に、素直な面持ちで頷いて、エリーゼは、視線に力をこめ、イヴとヴィーを見比べた。

 とにかく、今見たものを、誰にも言う気はしないし、言ったらどんな厳罰が来るかはわかっているけれど、言っちゃだめなものは言っちゃだめなんだろうけれど、それで……どっちだ?

 姫は二人いる。

 それとも、両方の姫にとってのアイドルが、リュウなのだろうか??

 普通に考えればイヴ……だが、もしかしたらヴィー……?


 先日の茶話会での全員の動きを脳内で再現しながら、エリーゼは固唾をのんだ。


 それを見て、イヴは頬を赤らめて両手でおさえ、ヴィーはそのイヴを見てくすくすと笑い出した。


(あ、やっぱり!?)


 だが、アスランとイヴの縁談もある。エリーゼは、少なからず驚いた。

 もちろん、イヴがよりにもよって皇帝陛下を、部屋からゴーレムで追い出した事は知っている。だから、必ずしもその縁談が実るものと決まった事ではないと思っていたが……これは一体どう解釈すればいいのだ。


 イラストを描いていたのはヴィーだが、どうやら、イヴがヴィーに描いてもらっているというのが正解らしい。


 愕然として、エリーゼはその場に立ち尽くした。ないとなう! 原作では、リュウとイヴの間に確かにフラグはあった。だが、実際にはアスランとイヴの縁談を皇帝陛下が持ち上げて……それでどうする??


「あ、あの……それは、リュウさまの……絵ですよね?」

 とりあえず、何を見た事を、黙っていなければならないか、確かめなければならない。

(ここで見たものを話してはだめ)というのはわかるけど、それは、リュウのイラストのことでいいのか。


「そうよ。私が、イヴのために描いてあげていたの」

 ヴィーは、恥ずかしがって声も出ない様子のイヴの隣でそう答えた。

 ……確かに、エリーゼも、先ほどまで、イヴが、ヴィーにイラストをああしてこうしてと言っていたのは聞こえていた。イヴが、ヴィーにねだりたおしてキラキラリュウを描いてもらっていたのは本当の事なのだろう。


「だから、このことを話しちゃだめよ」

 ヴィーは、イヴの赤面している様子を視線で示しながらそう言った。

「リュウは確かに英雄だけど、神聖バハムート帝国の人間じゃない。シャン大陸の華帝国の庶民出身なのよ。人気も実力もあるけどね。エリーゼも、皇帝陛下の話は知っているでしょう。今このタイミングで、イヴが、リュウのイラストを私に描いてもらっていたことを、周囲に知られるのは得策じゃないわ。これは誰にでも黙っていて、協力してちょうだいね?」

 そういうふうにヴィーが説明してくれたので、エリーゼは前後の脈絡をよく理解し、改めて、深く頷いた。

 なるほど、そういうことか。イヴが、皇帝の持ってきた縁談をそこまで拒絶したのは、”アスラン以外に好きな男がいるから”なのだ……。

 そしてそれが、アスランの親友のリュウ。エリーゼにとっては、漫画原作の伏線がどういうふうに処理されている状態なのか、混乱してくる。


「わかりました、このことは、誰にも言いません」

 エリーゼはきっぱりそう言った。このことを周りに知られたら、悲しむのは、一人二人じゃないだろう。

 絶対に、誰にも言えないと思った。


「ありがとう、エリーゼ」

 恥ずかしがっていたイヴはやっと顔を上げて、彼女に向かって微笑みを見せた。

 相変わらず、可憐で優しげな風情だ。


「いえ……はい。誰にも言いませんから」

 エリーゼは、優しい声で彼女を気遣った。

 イヴはほっとして、胸をなで下ろしている様子だった。


「だけど、なぜ、こんなところで。……他の誰かに見られたらどうするんですか?」

「そんなことを言われてもね。この子の部屋か、私の部屋で、イラストを描いていたら、侍女達にどうしたって見つかるわ。侍女を口止めしてもいいんだけど、秘密を知る人間は少ないに越した事ないじゃない」

 ヴィーはイラストを描く手を止めずにそんなふうに言っていた。


「ああ、なるほど……」

 それで、ひとけのない花の茂みの中に隠れて、せっせとイラストを描いていたということになるらしい。


 エリーゼは、本を胸に抱いたまま、前世の人間関係の事などを思い出した。実家の製薬会社が炎上したときほど、人の口に戸は立てられない事を恨んだ事はなかった。だから、自分は、そうはなるまい。イヴ姫が、大好きな男性は、リュウであることを、配慮することはいいが、誰にも知られないようにしよう。


「ほら、できたわよ。イヴ。このイラストを、自分だけの引き出しの中にでも隠しておきなさいよ。見つからないようにするのよ」

「ありがとう、ヴィー! 本当に嬉しいわ。私、当分、リュウに逢えそうもないんですもの!!」


 イヴは跳ね上がらんばかりに喜んで、ヴィーの描いてくれたイラストを手に取り、大きく掲げて見つめ直している。感激のあまり、また頬が紅潮し、目は潤んで輝いていた。


「全くもう、咄嗟に、お養父さまを部屋からつまみ出したりするからよ。それじゃお養父さまだって怒り狂うし、評判にもなってしまう。リュウにあえなくなるのも当然よ」

 ヴィーは呆れてそう言った。

「そうなんですか?」

 エリーゼは思わずそう問い直した。

「ま、そういう話にはなるわね。イヴは元から部屋から出ないんだけど、お養父さまは、当分の間、イヴが帝城の門の外に出る事を禁じているの。本当なら皇女宮から一歩も外に出てはならないってぐらいだって仰ってるのよ」

「凄い……」

 やはり、皇帝陛下は皇帝陛下なのだ、と、エリーゼはまた納得した。

 そうなると、当然、養女の交友関係にも厳しく査定を入れてくるだろうし、バハムート帝国の皇族や貴族ではないというだけで、リュウが弾き出されてしまう可能性はあるのだ。ここはイヴはどんなに好きでもこらえきるしかない。

 そういうときに、従姉がこういう配慮をしてくれたのだから、嬉しくない訳がないだろう。


 人に見つからないように、声には出さないが、イラストに負けずにキラキラした目で、リュウの絵を見上げるイヴは、本当に愛らしく、彼の事が好きな様子が伝わってきた。


 ヴィーも姉役らしいことができて満足そうである。

 エリーゼは、緊張して腹痛をかすかに感じた。この秘密は絶対に誰にも言わないと決めたけれど、事があまりに重大だということが、だんだんわかってきたのである。エリーゼがうかつな言動を取ったりすれば、リュウとイヴが二度と会えなくなったりするかもしれないのだ。


 緊張のあまり顔が引きつってくる。そのことに気がついたのか、ヴィーは、まるで取引するように、エリーゼに尋ねた。

「エリーゼは、好きな人はいるの?」

「えっ」

 エリーゼは思わず声を裏返らせ、肩も跳ね上がらせた。


 そこでイヴも振り返り、年頃の女らしく、エリーゼの方をじっと見つめて聞き耳を立てている。尖ったエルフ耳が、さらにピンと立っているようだ。


 エリーゼはエルフ耳の先をふるふると震わせながら、慌てて首を左右に振った。それじゃなんのことだか、イヴにもヴィーにもわからないだろうが、とにかく緊張して、声が出なかった。


「……いるの、いないの?」

 イヴは、不思議そうに首をかしげてヴィーの方を見る。

「さあ、わからないけど、いるんじゃないの?」

 ヴィーの方は余裕をもって、なんだか笑っているようだ。

 イヴ達が自分の方を注目してくるので、今度はエリーゼが真っ赤になって、身振り手振りで、「聞かないでください!」ということを示そうとした。なんだか、一人で手旗信号を振っているようでもある。旗ではなく本を持っているのだが。


「……もしかして、アスラン?」

 そこでイヴが、突如、そんなことを言い出した。

 エリーゼは手旗信号のように動き回るのをやめて、完全にとまって、硬直してしまった。

 もう本当に声なんか、出ない。


 そうは言っても、イヴ達とは、この間の茶話会で一緒になっただけである。そのとき、エリーゼは、急遽、アスランに伴われて現れたのだ。エリーゼの知り合いについては、アスランしか知らないのだから、そういうのは当たり前だろう。


「アスランなの?」

 ヴィーがエリーゼにそう尋ねた。エリーゼは、真っ赤になってあうあうと妙な声を立てた後、やがてうなだれるようにして頷いた。自分が、不可抗力とは言え、イヴの大事な秘密を知ってしまった以上、自分の秘密も共有した方が、卑怯ではないと思えたのだ。異常に恥ずかしかったけど。


「……そう、大変ね」

 イヴは、心配そうにエリーゼの方を見てそう言った。人気絶頂ゆえに、暗殺されかかるほどの危機に陥っている男だ。その彼を愛する女性は数多いだろうが……。


「いえ……その……あの……好きっていうか……」

 しどろもどろになってしまいながら、やがてエリーゼは、ぼそっと言った。

「アスランさまが幸せに生きて行ける、力になれたらと思います……」

 私なんかが……と言いそうになって、それは踏みとどまった。そういう台詞を、二人の姫は、多分好きではないだろう。きっとアスランも。


「アスランは自分で勝手に幸せになる力を持っている男よ。英雄だもの。だけど、エリーゼが力になってくれるなら、心強いでしょうね」

 ヴィーは頷きながらそう言った。

「私もそう思う。アスランは、今誰が好きなのか、私も知らないけど……でも、エリーゼの事は気にしていると思うわ」

 イヴの方は静かに考え込んでいる。それから、小さく息をついた。

「リュウも、誰か好きな人がいるのかしら……」

「もう、イヴはそればっかり。そんなの、本人に聞いてみればいいじゃないの」

 ヴィーはずばっとそう言った。

「それが聞けたら、苦労なんかしないわよ!」

 イヴは従姉に食ってかかっている。じゃれているようにも見える。エリーゼは、そこはイヴに深々と同意した。アスランの周りの女性が気にならない訳ではないし、それに、アスランに好きな女性がいるかどうか、どういう女性が好きかどうかは、凄く気になる。だが、それを、本人に聞くなんて、考えただけでコワイのだ。


 そうこうしているうちに、帝城の鐘が鳴った。

 正午の鐘だ。

 昼時なので、三人の娘達は解散し、エリーゼは、ヴィークルに乗って、アンハルト邸に帰ることにした。

 ヴィークルに乗りながら、エリーゼは、様々な事に疑問を覚えた。それは、確認しようのないことばかりだったが、どうしても気になるのだった。


(ここ、ないとなう! の世界よね……)

 そのことなのだ。

(私は原作を中途半端にしか読んでいないから、わからないけど……アスランのラブコメになるはずのターンで、イヴ姫がリュウを好きってどういうこと? そうすると、アスランの相手の女性はヴィーさまか、リマになる。だけど、少年漫画のヒロインとして、お二人はちょっとズレるっていうか……王道のお姫様はイヴのような気がするんだけど、ないとなう! 原作ってどんな筋になっていたんだろう?)


 エリーゼは中学生ながらに、漫画はよく読んでいる方だったので、筋書きが非常に気になったのだ。


(もちろん、今更、ないとなう! が読める訳じゃないんだし、どんなターンが来るのかはわからない……。だけど、もしかして……)

 エリーゼは眉間に縦皺を寄せて、唇を軽く噛んだ。

(私のせい……かな。異世界転生ものには、よくあることだけど……。私が世界に転生した事によって、運命線に介入したことになって、ないとなう! 本編と違うシナリオが開始されているのかもしれない……そうだとしたら、どうしよう……)

 エリーゼ……友原のゆりは、どうやっても確かめる事の出来ない不安を胸に抱え、また暗く落ち込みそうになっている自分を感じた。


(私……。ここにいていいんだろうか……いるしかないんだけど……私のせいだったら……イヴさまの本当の気持ちや、アスランさまの本当の縁談は……どうなっちゃったんだろう…………)

 エリーゼはアスランの事が好きだ。だが同時に、今日話しあった、イヴやヴィーの事も、決して嫌いになれないのだった。だからこそ、本来は漫画のキャラの彼らの、本当のストーリーを、自分が壊したのだとしたら……それはやってはいけないことのように思えた。

 そして、自分がここにいる意味がわからなくなった。

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