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18 なおそう引きこもり!

 翌日。

 エリーゼはいつものように、朝七時に目を覚まし、身繕いを整えると、ピアノの前の椅子に座り、指を鍵盤の上に滑らせた。

 ピアノは貴族の子女のたしなみである。毎朝の癖で、エリーゼは、暗譜している短めの曲を2~3曲流した。そのときに、ふと疑問に思いながらも、”子犬のワルツ”そっくりの曲も弾いた。

 神聖バハムート帝国では、全く別の名前だが、エリーゼが前世で弾いた子犬のワルツと寸分たがわない曲なのである。

(なんで、違う名前になってるのかな。漫画の世界だから? 不思議……)

 戦国武将そっくりの、武将の逸話同様、エリーゼは以前から疑問に思っている事だったが、誰もそれに答えをくれないのだった。

 神聖バハムート帝国における”子犬のワルツ”の名前は”日だまり”である。言いたい事はわかるのだが、エリーゼは子犬のワルツは子犬のワルツだと思う……。


「お嬢様」

 そのとき、メイドのパウラが声をかけてきたので、エリーゼは朝の練習の手を止めた。

「奥様が、食堂でお待ちです」

「……え?」

 エリーゼはなんだろうと思ったが、既に着替えも洗顔も終えていたので、立ち上がり、パウラの言った通りに一階の食堂に降りていった。


 食堂に行くと、養母のゲルトルートが姿勢正しく椅子に座っていて、自分の方に明るい笑顔を向けてきた。やたらに生き生きとした笑顔で、エリーゼはさらに不思議に思った。何かいいニュースでもあったのだろうか。

 エリーゼはゲルトルートに促されるまま、自分の席についた。

「エリーゼ、今日から、食事は親子で取りましょうね」

「……」

 突然の言葉にエリーゼはびっくりした。今まで、彼女は食事は部屋で一人で取っていたのである。養父母も何を気にしているのか、それで許していた。

 週に一回(九日に一回)だけ、夕食をともにするだけで、ろくに顔を合わせる事もしない養女生活。

 それで、いきなりアスランとの出会いやら何やらあったわけだが、15歳らしい軽妙な会話が出来る訳でもなく、頭はいいのに「あ、はい、えっと」。

 それに関して、養父母が、いよいよてこ入れを開始するということだろう。エリーゼは即座にそれを感じ取り、退路を確認しようとした途端、背後から声がかかった。


「おはよう、ゲルトルート、エリーゼ。二人とも、何の話をしていた?」

「エリーゼは今来たばかりよ、あなた」


 ハインツが登場し、いきなり、二人の会話の内容を気にした。エリーゼは、朝っぱらから嫌な汗が頬を伝うのを感じた。

 ハインツとゲルトルートは、夫婦として今日の予定を話した。ハインツはなんでも、珍しい事に近衛府に用事があるらしい。午前中から出かけると言った。ゲルトルートはいつものように家政を取り仕切ると答えた。

「頼みましたよ、あなた」

「任せておけ」

 何の事か知らないが、そんな話をしている。


 その後、朝食が用意された。

 小さな丸パンが二個、ザウアークラフトがたくさん盛り付けられたソーセージの皿、それとコーヒーだった。

 大体いつもの朝食で、エリーゼはほとんど無意識にそれを咀嚼していたが、ハインツの前ではぼーっと焦点の合わない目で黙々と食べるということは出来ないだろう。

「食べる時は食べる事に集中しなさい!」

 と怒鳴られそうだ。


 それで、エリーゼは、食前の祈りの後に、とにかく養父母の挙動を気にしながら、まずはパンをそっとちぎって口に運んだ。


「エリーゼ、学校の勉強は進んでいるか」

 男親が、適当な話題を選んで、突っ込んできた。

 エリーゼは、ふるふると震えそうになるのをこらえながら、とにかく首を縦に振った。

「教科書を読みました、おとうさま」

「なるほど、よろしい。興味深い学科はあったか?」

「……」

 ここでまた、あの、その、と言って逃げたくなるが、なんとか目を泳がせつつ、適当な単語を探る。

「国語の教科書が、面白いです」

「国語。どういうふうに?」

「……」

 エリーゼは間髪入れずに何か言わなければならないことはわかっていたが咄嗟に言葉に詰まり、パンをちぎる手さえ止まってしまうが、それでもなんとか言葉を発した。

「テキストも面白いですが、文法が、魔法のスペリングと密接に絡んでいるところが、面白いと思いました」

「国語文法が、バハムートの魔法体型の基本と同じ仕組みになっている、その通りだ。お前はまだ若いから、魔法を日常的に使う必要はないが、今後、帝国貴族として必要な知識になる。大いに学院で研究して学びなさい」

 褒めているのか叱咤激励しているのかわからない声でハインツがそう言い、コーヒーを一口飲んだ。

 エリーゼはつられてコーヒーを飲み、むせそうになるのをこらえながら、養父母が、ソフトながらも突如教育方針を変えた理由を考えた。


 理由はいくつかあるが……


(お姫様のグループに入れたいのか……な?)

 エリーゼはいきなりそんな素っ頓狂な事を考えてしまった。そして続いて、自分のような引きこもり養女が、お姫様達に釣り合うわけがないと気がついて、学院に行く前に、養女の自分がろくろく話も出来ない陰気キャラでは可哀相だと思ったのかと気がついた。

 それもあるだろう。

 だが、エリーゼはこの時点ではまだ気がついていない事があった。


「国語のほかに好きな科目は?」

「……グリフィニア語が面白いです」

 グリフィニア語。神聖バハムート帝国の隣にあるグリフィン王国の言語だ。要するに、高校で習う第一外国語である。帝国学院では第二外国語は自由に選べるが、第一外国語は必ずグリフィニア語と決まっていた。

「文法を分解するのが面白いのか?」

「はい、おとうさま」

「エリーゼは語学が好きなの?」

 ゲルトルートが口を挟んできた。

「語学……はい。面白いです」

 言われてみて気がついたが、現代日本で言うなら国語と英語が好き、国語は文法が好きと返事したようなものである。自然とそう思われるのだが、本人は、魔法のスペルを気にしていたので、変な反応になってしまった。

 ゲルトルートはそれに気がついているのか、満面の笑みである。

「私も、語学や文学は好きだったのよ。帝国学院の大学部でね、国文学を勉強する気になったのは、高校の時に面白さに気がついたからなの。エリーゼも生涯愛せる学問が出来ればいいわね!」

「……はい」

 エリーゼの興味の方面は魔法と科学で、語学や文学は、嫌いな訳は全然ないのだが、ゲルトルートに押し切られてなぜか頷いてしまっている。この調子では前途多難だが、日頃部屋から出てこない養女の好きなことや好きなものは、養父母にはさっぱりわからないのであった。


 そういうわけで、普段はもそもそと適当な朝食が、非常に緊張感にあふれたものになった。

 朝食を終えると、ハインツは、近衛府に出かける準備をするとゲルトルートに声をかけ、ゲルトルートが何時頃の帰宅になるか聞いていた。

 ハインツは、昼食は外で取ると言ったあと、エリーゼに向かっていった。

「エリーゼは今日は何をするんだ?」

「……」

 今までそんなことを聞かれた事がないので、エリーゼは固まってしまった。

 それでもなんとかこう言った。

「ピアノの練習をします、おとうさま」

「ピアノか。それは淑女のたしなみだからな。だが一日中、弾いている訳にもいかないだろう」

「……」

 またしても沈黙してしまう、エリーゼだった。


「ゲルトルート、冬の庭を春にイメージチェンジしたいと言っていただろう。エリーゼにつきあってもらいなさい」

「もちろんよ。まかせて、あなた!」

 養父で館の主がさっさとそういう取り決めをしてしまい、養女で控えめな立場のエリーゼは口を挟むヒマもなかった。あっという間にハインツは自室に戻っていった……。

 エリーゼは呆然としたが、ゲルトルートがるんるんと鼻歌を歌いながら、早速、メイドに命じて庭のカタログを持ってこさせたので、それにつきあうしかなかった。


 小一時間程度、エリーゼはゲルトルートと、様々な庭のモデルを収録したカタログを見ていた。

 ゲルトルートは何しろ陽気なおしゃべりの性質であるから、あれやこれやとひっきりなしに庭のモデルの写真を見比べて話し続けている。エリーゼは、最初はおどおどと緊張気味だったが、モデルの写真を見るのは結構面白く、黙ってゲルトルートの隣に座っていた。

 黙っているのは、庭の知識がそれほどないからである。色とりどりの花や美しい噴水の写真を見ていると、心が浮き立つが、庭をデザインする専門知識が自分にあるわけではないので、ゲルトルートがはしゃぎながら話しているのを静かに聞いていた。


「ねえ、エリーゼ、どういうお庭にしたい?」

 ついに、ゲルトルートはその話をし始めた。

「あ、……おかあさまの好きなお庭は……?」

「私は、春なら春らしい庭がいいわ。桜とかどうかしら」

「桜」

 エリーゼは、一つ頷いた。神聖バハムート帝国でも、桜は特に愛される花なのである。桜、それも染井吉野そっくりに見える。そうはいっても、その桜の花を、地球と同じ花と言っていいかはわからない。なぜなら、その花は、薄紅色とは限らず、白い桜や紫色の桜も存在するからだ。

 エリーゼは、現代日本の桜を思い出させるその花が、大好きだったので、もう一度頷いた。


「後は何を植えようかしらねえ……桜がいいなら、こっちのページの写真はどう……?」

 しきりに話しかけてくるゲルトルート。エリーゼは、桜の写真を見ながら、真面目にどれがいいか悩んだが、ゲルトルートのやりたい庭がどんな感じなのかわからないのでまた黙った。

「エリーゼは桜は何色が好きなの?」

「色」

 エリーゼは目をぱちくりさせてしまった。実は、何色だって好きなのである。いきなり聞かれたので戸惑った。

「あ、あの……白……とか?」

 結局、女親の前では「あの……」「とか……」が出てしまうエリーゼ。


「白い桜もいいわねえ! 他には好きな花はあるの?」

 エリーゼは頭の中でまたしても百万語渦巻かせ始めた。エリーゼの中には何人ものエリーゼが登場し、ゲルトルートの顔色をうかがえと言うものや、白い桜に合わせるなら何の花がいいとか、そういう複雑な事を言い出した。エリーゼは、ゲルトルートの前で滑りたくなかったのだ。

「遠慮せずに言いなさいよ」

 にっこり笑ってゲルトルートが言う。エリーゼはなんだか怖くなったが、言わない訳にもいかなかった。

「さ、桜草……」

 咄嗟に口から滑り出たのがそれだった。桜の話をしていた直後に、桜草。言ってしまってから、自分の話術スキルのなさに死にたくなる。


「桜草。プリムローズね。あれも可愛くていいわねえ。だけど、桜とは時期が合わせられないし、どうしようかしら」

 無口な養女が、珍しく、好きなものの話をしたので、ゲルトルートは話の継ぐ穂を作ろうと、どうしようかしらと水を向ける。エリーゼの方は、桜と桜草と変な取り合わせを言ってしまった自分の事が気になって、嫌な汗ばかりかいている。


「あ、あの……おかあさま……の好きな花……でいいのでは……」

 既に失敗が恥ずかしくて部屋に帰りたいエリーゼ。

 だがもちろん、ゲルトルートが逃す訳がなかった。



 なぜといっても、ゲルトルートにとって、エリーゼは養女であった。

 子どもが出来なかった自分にとっては、夢のような事に、お人形さんのように可愛らしい少女が出来た。

 元から、女の子が欲しくて仕方なかったゲルトルートは、それだけでも盛り上がっているのだが。

 彼女は、アンハルト侯爵夫人なのである。

 つまり、侯爵であるハインツの血筋は残せなくても、アンハルトの家名を残すのは彼女の仕事の一つであった。

 次期アンハルト侯爵夫人となるエリーゼの教育に力を入れるのも仕事だが。

 ゲルトルートはハインツとともに、次期アンハルト侯爵に、ジグマリンゲン家の次男に白羽の矢を立てたのである。


 アスランが、エリーゼの方に声をかけてきたのを、不思議に思っていたのだが、おそらくうちの娘に命を救われたことで意識し始めたのだろうと、わざわざ茶話会に連れて行ってくれたりした様子で、養父母達はポジティブシンキングに突入していったのである。

 エリーゼは、15歳としてはそこそこだが、貴族の娘としては色々と教育しがいのあるところがある。そして我々は養父母だ。

 アスランを、見事アンハルト侯爵家に入れるためには、まずはエリーゼを、華麗でエレガントな貴婦人に仕立て上げる(しごきあげる)必要がある。


「エリーゼ、あのね?」

 逃げ腰のエリーゼに対してゲルトルートは珍しく、真顔になった。

「好きなもののことは、もっと言っていいのよ」

 真剣にそう言われたので、エリーゼは、咄嗟に言葉に詰まった。

「好きなものや好きなことを、上手に表現出来るようになるといいわ。そこから会話が広がるんだから」

「……好きなもの……」

「好きなものや好きなこと、好きな人のことだって、エリーゼは色々話してみたいでしょう?」


 瞬間的に真っ赤になってしまうエリーゼだった。

 ゲルトルートが、自分の内心の事を知っているのではないかと気になった。

 そんなことは一目瞭然である。アスランに手の甲にキスされただけで失神しかかっている15歳、養父母と言っても親を舐めてる場合ではない。


「エリーゼの好きな人……好きになってくれる人だって、エリーゼと好きなものの話をしたいわよ。だから、そういうことは遠慮しなくて言っていいのよ」

「あ……う……」

 そのとき、エリーゼの脳裏にひらめいたのは、ウエディングドレスという薔薇の花の事だった。

 エリーゼは、桜の次ぐらいに薔薇の花が好きだった。

 ゲルトルートの怒濤のトークで、エリーゼは、アスランと好きな花の前で会話したときの自分を思い出したのだ。そのときに、ハインツが、何か勘違いしていると思ったのだが、これは……。

 エリーゼもまるっきりのバカではない。

 養父母が、どうやら、アスランの事を意識しているか、もしくは、「自分の縁談」のことを意識して、自分が貴族らしい大人の会話が出来るようにしごこうとしていることに、ようやく気がついたのだった。


「お、おかあさま、私っ……」

「なあに、エリーゼ」

 そこはにっこり笑って養女を受け止めようとするゲルトルート。

 エリーゼは顔を赤くしたまま、視線をふらつかせ、必死に、逃げ場を探していた。だが、どうすればいいかわからず、結局こう言った。

「す、好きとか……人とか……わかんないですっ……」

 それだけ言ってエリーゼは椅子から立ち上がり、脱兎のごとく、食堂を飛び出て二階への階段を駆け上がっていった。

「エリーゼ!?」

 突然の娘の逃亡に、ゲルトルートだってびっくりしてしまう。だが、エリーゼが、どうやら、自分たちが色々勘づいている事に勘づいたのではということに気がついて、その場は追いかける事はやめておいた。


 

 近衛府に向かったハインツ。

 彼は兵部省の軍人であるが、他の衛府にも顔が広い。

 帝城の南側の郊外にある近衛府につくと、見慣れた衛兵が彼に向かって敬礼をした。

 近衛府の近所の厩舎の方にずかずかと、勝手知ったる顔でハインツは入っていった。


 名馬と呼ばれそうな軍馬が勢揃いする厩舎、そこで、ハインツは立ち止まって、帝国陸軍の機動力の基本達を眺めた。

 エリーゼが不思議がっている事の一つには、この世界には自動車がまだ登場していない。社会の成熟度としては、それこそ、自動車やバイクがあってもおかしくないはずなのに、未だに馬や馬車が、平気で使われている。

 なぜ、馬車があるのに、自動車が発明されなかったかは、漫画を読んでいるだけではわからなかったのだが、どうも、魔法と魔法の道具、それに魔法生物に偏った文明の発達をしたため、機械関係の科学が逆に、マイナーになってしまったのではないかと言うことだった。

 帝国の軍馬は、実際のところは、馬の形態をした魔道具であることが多い。中には、エリーゼが前世、本の中でだけ知っている、スレイプニールや、ペガサスなどの聖獣もいるが。

 魔法で馬に似せ、クロリスを動力源とした鉄の馬が、帝国の軍馬なのだ。それを、なぜバイクといわず、なぜ駐輪場ではなく厩舎と呼ぶのかといえば、現代日本で「下駄箱」「筆箱」という言葉が残っているようなものらしい。


 ハインツは、新型の軍馬を見かけて、足を止めた。


 鉄製の馬である。頭部も馬の顔をしており、鬣までも酷似させている。足はスレイプニール型ではなく四本。

 鉄で出来た馬の重量は相当なものであろうが、その動力となる、小型のクロリス……ジェムと呼ばれる魔法の宝石は、ちょうど心臓に当たる胸のあたりに搭載されているはずだ。そのジェムを砕けば、動力源が潰されて軍馬は動けなくなる。だから、その部分はわからないように、ごく自然な馬の体に似せてあった。

 新型の軍馬とわかったのは、他の軍馬と同じように、胸の辺りに銃口を持っていたからである。


「魔法動力か……最近はみんなこれだな。もっとメカニックにこだわってもいいようなものだが……」

 ハインツは独り言をつぶやきながら無遠慮に、銃口の方を触って確かめようとした。至極単純な魔力を注いで、反応を見れば、どんな魔法を銃口から発動させるかわかる。

 スタンダードなところでは、火か雷撃だろうが、ハインツの知っている限りでは、水や氷、岩の弾丸を放つタイプもあるのだ。そうした攻撃力を持つ軍馬は、軍部だけが持っていて、民間人には全く手が出ないものであった。

 民間人が持つ馬は、本当に生物の馬か、もしくは銃口を持たない魔法性の木馬、鉄の馬に限られている。魔法で起動する馬の事を機動馬、軍馬に限っては機動軍馬と言う。


 ハインツが銃口に自分の魔力を通そうとした時、笑い声が聞こえた。

「ハインツ、それは俺の最近の気に入りだ。よくわかったな」

「ベネディクト!」

 ベネディクト……通称ベン。近衛府の大将である。ハインツの同期の中では、際だった出世頭で、実際に気さくだが頭の切れる男であった。


「そいつは、アイブリンガー製の特製で、相反する属性の魔法銃を撃てるんだ。お前なら大丈夫だろうが、ちょっと雑に力を入れて暴発でもさせたら、命が危険だぞ」

「アイブリンガー製! そりゃたいしたもんだ」

 ハインツは笑いながら、士官学校の同期と挨拶をし、握手をかわした。


 陸軍士官学校で、同じクラスでしのぎを削り合った男同士である。卒業式の答辞はベンに取られてしまったが、クラス委員長はハインツだった。他にも、士官学校時代はあくまで正攻法で成績の優秀さを競い合い、未だに、その意地の張り合いは続いている。それとは別に仲の良さは何年たっても変わらない。


「相反する属性というと、炎の次に水を出せるとか、そういうことか?」

「全くその通りだ。今までそのへんの魔法攻撃開発は、城の学者連中に任せきりだったが、最近は民間の商売人もやるようになったんだ。魔大戦の功罪だな。大戦なんてなくてよかったが、おかげさまで、平和に寝とぼけていた民間の商人が、”使える”武器や防具を片っ端から開発している。民間がこれなら、軍部の研究者は黙ってられない。開発の波が高まっているな」

「その波なら兵部省でも評判だ」


 出世はやや遅れを取っているものの、相手がベネディクト・フォン・ベッカーなら致し方ない。

 ハインツは、一目置いている同期に、話せる範囲で、兵部省の最近の武器商人とのつきあいを話した。あくまで話せる範囲内でだ。

 それを聞いて、ベンはピンと来た顔をして、ハインツに、軍馬に乗ってみるか聞いてみた。

「衛府の周りを回ってみないか。一月だが今日はいい天気だ」

 ハインツはもちろん、二つ返事で首を縦に振った。


 一月にしては暖かい日だった。

 ハインツとベンは連れだって、機動軍馬に乗り、ゆっくりと近衛府の周りを乗り回し始めた。郊外のその箇所は、街道から外れた場所にあり、周辺はのどかな畑が続いている。休耕地の何も生えていない畑の隣を、のんびりと馬で乗り回しているが、畑の手入れをするものもいず、他の軍人の姿も見えなかった。

 話を切り出したのはベンだった。

「魔大戦の時は、兵部省が先頭切ってくれてありがたかった。俺のような常人(オルディナ)もいるが、近衛府のほとんどは貴族の坊ちゃんだからな、皇帝陛下の命令も話半分に聞くような柔な連中が多い。まあその中でもアスランはやってくれたが……」

 そう。ベンは、ハインツのような銀髪と色素の薄い体、長い耳を持つ風精人(ウィンディ)ではない。帝国貴族ではない、一般庶民の常人(オルディナ)出身であった。バハムートの貴族はそろいもそろって風精人(ウィンディ)で、中には常人(オルディナ)との混血もいるが、それは例外中の例外である。

 常人(オルディナ)のベンが、なぜ、貴族で固めた近衛府の大将をしていられるかというと、実力が申し分なかっただけではなく、非常に複雑な形で貴族の縁者ではあるからだった。その複雑で陰惨な家庭の形は、ハインツも知っているが、彼は決してそのことを口外にしなかった。

「アスランが魔王を討ってくれたから今の帝国の平和がある。そのことについては、礼をいくらいっても足りんよ」

 誰も聞く者はいない--。

 近衛府の建物の中の方が、壁に耳あり障子に目ありということがある。それはベンのような立場の人間にとっては当たり前であった。ハインツが武器商人のめぼしいところの話をしてくれた礼に、ベンはハインツを外に連れ出してくれたのである。


「アスランのファンは多いな、本当に。近衛府に配属されたばかりのころは生意気なばかりでしょうがなかったが、最近本当にいい面構えになった」

「ファンが多いのは仕方ない、俺の娘もそうだ」

 ハインツはごく自然な調子でそう言った。

「へえ? ハルデンブルグの令嬢が……アスランとは、そりゃ災難だ」

「災難?」

 ベンは知っているのか、というようにハインツの方に視線を投げた。ハインツは首を左右に振った。


 のんびりと、軍馬を乗り回し、ベンはすっとぼけた顔で話し始めた。夕べの、イヴ姫と皇帝アハメド二世の騒ぎを。

 近衛大将である彼には、近衛兵らしい情報網がある。夕べの騒ぎがそれに引っかからない訳がない。ハインツは口をあんぐり開けて、おとなしいと評判のイヴ姫の所業を聞いていた。

 一通り話し終わった後、ベンは言った。


「この話をアスランが知っているかといったら、今日来たあいつに聞いてみたら、どうも、違うようなんだ」

「違う……?」

「皇帝陛下はどうやら、娘のイヴ姫に、それとなく、アスランはどうかとすすめたような感じなんだな。アスランの方に正式に縁談を差し向ける前に、娘の気持ちを確かめようとしたらしい」

「ああ、なるほど」

「ところが肝心のイヴ姫が、どうしてもアスランとは結婚出来ないというんで、問い詰めたところ、好きな野郎がいるという、誰だと聞いたら答えられない、そりゃ、陛下だって父親だ。親にいえないような馬の骨とよろしくやっているのかと想像して、聞いてしまった。そうしたら、イヴ姫が怒るやら泣くやら、ゴーレムを召喚するやらという大騒ぎになった……というのが本当のところらしい」

「……参考になるな」


 自分も養女を引き取っているハインツは、男親としてやるせない溜息をついてからそう言った。

 自分がアスランに白羽の矢を立てたのと同じように、よりにもよって、皇帝陛下がアスランとイヴ姫という組み合わせを考えついたらしい。それがどんな効果を発揮するかなど、ハインツだって貴族である。よくわかっている。これは勝ち目がないだろう……と思いたいが。


「イヴ姫の意中の彼のことは知っているのか?」

「さあ?」

 ベンは器用に馬上で、たばこに火をつけて気持ちよさそうに吸っていた。生き物の馬と違って、操縦はかなり楽なのである。


「どうもこれがはっきりしないんで、うちの間者達が勝手に騒いでいるんだが、イヴ姫は元々、走る事も出来ないお体の深窓の令嬢だ。何かあるとしたら、魔大戦中に警備が薄手になった時に不意打ちがあったのか」

「おい、君。不意打ちとは何事だね」

 ハインツはさすがに、ベンの庶民らしい口調をたしなめた。ベンは、すまんすまんと笑っている。

「あるいは……魔大戦中に魔王城攻略している間に、姫の心を射止める働きをしたラッキーマンがいたんだろうさ。だが、それだと俺が解せないのは、そこでなんで、魔王の首級をあげたうちのアスランじゃないのかということだ。おそらく、皇帝陛下も同じ事を考えられたんじゃ……と思うんだがね」

「そりゃそうだな」

 ハインツは機動軍馬の上で、また、男親として切なくなって溜息をついた。養女のエリーゼにそんなことがあったら、亡くなったハルデンブルグ伯爵に申し分けなくて仕方ない。


 要するに、魔王の首級をあげるアスランの後ろで、イヴ姫は、異性とかなり確定的なイベントをこなしてしまったんじゃないかと、皇帝はそこを怒って、養女を尼にするぞと脅したんじゃないかと言う事である……。

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