エピローグ これからも、君と歩んでいきたい。
ゲームセンターを後にした広海たちは、手ぶらで元のショッピングモール裏の石段にまた二人で座り込んでいた。
つけてきた腕時計の長針と短針は、ピッタリと重なっている。正午だ。
「……結局、ここに戻ってきちゃったね」
当初の予定ならば、どこかのファミレスなり飲食店なりの座席にどっしりと着席しているはずだった。が、店を出るのが遅れたせいでどこも満員で入れなかったのだ。泣く泣く、ショッピングモール外の飲食店を探そうということになったのである。
幸紀には、まだ真実を告げられていない。
……どこか、苦しそう。
髪を触ったり手を組みだしたりと、ソワソワして落ち着きが無い幸紀。それでも広海に対してほぼ無言だったのは、忠実に約束を守ろうとしているからだ。
彼女は、ホームレス暮らしでも法律を遵守していた。野外更衣くらいはしないとやっていけなくなるので見逃してもらうとして、それ以外の違反はびた一文しなかった。
……一回、考えてみよう。幸紀と俺が出会ったあの日から……。
気持ちを整理して、現状の打開を試みようとする。
「幸紀、今は擬似デートなんて忘れて、いつものようにしてくれ」
耳に入っているかどうかが分かりづらかったが、幸紀は歯並びの整ったにこやかな笑顔を向けてくれた。
「……なに?」
「……俺たち、よく出会えたよな」
広海の家出と、幸紀の遠征。どちらかの要素が欠けていれば、彼女は野垂れ死んでいた。
たまたま幸紀は落下寸前で防球ネットに引っ掛かったが、世界中にはあえなく地面に打ち付けられる同い年の子がどれくらいいるだろうか。
「……うん。……広海、泣きごと言ってもいいかな?」
ぐっと手を太ももに押し付けた。はやる気持ちを表に出さないようにしているのか、あまった力が外に漏れだしている。
幸紀が弱音を吐くということは、それほどおかしなことなのだろうか。人の百倍以上も頑張ってきて、しかし弱みを見せるような事は無かった。
広海など、ことあるごとに愚痴を呟いている。人に聞かれたくも無い、ゴミ捨て場にへばりついたグチャグチャのものだ。
「……炊き出しに並んでる間、とっても寒かった。一杯の汁を飲むために長蛇の列に並んで、仲間だと思える人もいなくて……」
幸紀ほどの会話力があればいつでもどこでも人脈を作れそうなものだが、いやはや自身を見つめる余裕すらなくなる放浪生活というものは恐ろしい。生きる以外の全ての気力を奪ってしまうのだから。
炊き出しで出されたものも、腹の足しになるものではなかっただろう。慈善事業で行われているのであろうが、お腹をいっぱいにさせて新たなステージへの思考を発生させるほどの量はない。
あくまで命を一時的につなぐための配給で、幸紀は生き延び続けていたのだ。
「……たまに、大きなおじさんに詰めよられて取られた。お腹はすいてるのに、何も食べられない。……烏みたいにゴミ箱の残り物を漁ろうと思ったけど、出来なかった……」
食糧難では、どうしようもない。人からは忌避されること間違いなしだが、食べ物が不足しているのならば仕方のない措置だ。
幸紀も、人間的な最低限の生活を捨てようとした。しかし、それには踏み切れなかった。不衛生で却って寿命を縮めると判断したのか、ただプライドが邪魔したのか……。生死にかかわることに、広海が今更口出しをすることでは無い。
「……もう歩けなくて、どうなってもいいって思った。……そしたらだよ、黒いコートを着た男の子がそばに寄って来たのは……」
幸紀は、目の淵をぬぐっていた。一か月前のことをまるで昨日のことのように嘆き、青い涙が頬を滑り落ちていく。
広海に、救世主になってやろうという気はなかった。意気投合したら儲けものと、家出同盟を結成するために行き場の無かったホームレスの女の子に声をかけた。
その言葉は、彼女にとっての救いの言葉となった。はるか昔に宗教のトップが民衆相手に演説した名言より、自身へ興味を持ってくれている声が救済になったのだ。
「……広海がどんな目的だったっていい。私は、広海がいたからここにいるんだよ……」
涙をすくいとる速度が追い付かなくなり、乾いた石段に水滴となって溜まり始めた。細かい穴が一切開いていない一枚岩は、水分を跳ね返すのだ。
広海が家に住まわせようと思い切って説得に入らなければ、幸紀は今頃十字架の下で腕を組んでいたかもしれない。とりあえず幸紀を保護しただけで自己満足してしまっていれば、また追い出されて元の木阿弥になっていたかもしれない。
熱いのか冷たいのか分からない涙が、小池を作っていた。魚も住めなさそうな純度の高い水だ。底の方まで、澄んでいる。
何も言わず、幸紀はもたれかかって来た。分厚い毛の生えた服の表面は保温されていて温かい。
……幸紀、ほんとにさ……。
クラス内では頼りがいのある委員長格のお姉ちゃんは、その小さな体に大きな想いを抱く真っ只中の少女になっていた。
陰りの無い、まばゆい光を放つ幸紀の心の塊。どれだけ鉱山を掘りつくしても見つけられない、ダイヤの原石。磨けば磨くほど、その輝きはさらに増していくのだ。
広海には、やり遂げなくてはいけないことがある。
「……広海に好きな人がいるのに、こんなこと話して……。気にしないでね」
「幸紀」
これ以上関わっては誘っているようだと上体を起こしかけた幸紀を、広海は腕を回して逃げないように保持した。つやつやの腕は、触り心地が良い。
これまで、変化を怖がって自分を変えられなかった。強引に相手の言い分を通されたとしても、反論はしなった。
いい訳を隠れ蓑にして、表立った主張はしてこなかった。自己の発言に責任を持つことから逃れたかったからだ。苦労は他人に任せて、甘い蜜だけを狙っていたのだ。
幸紀は、そんないい所取りに躍起になって目を光らせている人間ではなかった。自分が正しいと信念を曲げず、自己主張も激しい。それでいて、トゲがない。花はバラ、茎は野草だった。
……自分のダメなところを、全部優しく指摘されてるような気がして……。
厳しい所は厳しく、そうでないところは甘く。飴と鞭がはっきりしていた。まるで、広海の欠点を埋め合わせしていくように。
幸紀がいなかったとして、自発的に計画を立案するようなことはあっただろうか。部活を一度でも精力的に取り組めたことがあっただろうか。
幸紀の真っ黒なキャンバスに豪快な世界を描いたのは広海だが、モノクロトーンの味気なかった広海の絵を色塗りしてくれたのは幸紀だ。
後回しにして解決しないことを、後回しにしようとするな。
「……擬似デートだなんて、嘘なんだ。……幸紀といたかっただけ」
時が止まった。冷たい風に吹かれていく木の葉も、ざわめいていた人の通りも、全て。
「……幸紀、これ」
先刻ショッピングモールで買った水色のプラスチック指輪を、ポケットから取り出した。
幸紀は、肖像画に残したいいつもの笑顔だった。控えめにちょこんと乗った舌が、小粒な可愛さをイメージさせる。
「……好きな人って言うのは……」
「野暮だなぁ。幸紀に決まってるだろ?」
広海は、こんなにも明るい奴だったか。いや、そうではない。グラウンドに出ず読書に耽り、持久走では常に最下位集団。女子に話しかけられても碌に返事も出来ない、敬遠されやすいタイプだ。
「……」
おもむろに、幸紀は左手の指をピンと立てて広海の指輪を持つ手へと寄せてきた。
……この姿が見たかったんだ。幸紀の、この嬉しそうにに照れてる姿が……。
結婚式ではないし、見送り人が拍手しているわけでもない。正式に結婚できる年齢まではあと二年も先で、そもそも恋人になってもいない。
だが、それは事実でしかない。未来は、自分の手で作っていくのだ。人が決めたストーリーを歩むのではなく、壁をぶち破っていくのだ。
透明な水色のリングが、幸紀の左薬指に嵌まった。宝石も何もついていない台座だが、指輪が宝石の価値だけで決まるというものではない。
「……付き合ってください」
順序が逆になってしまったが、そんなことをいちいち気にする者はいなかった。想いが届いていれば、それでいいのだ。
ほんのりと赤みがかった幸紀が、広海の手を取った。
「……私の方こそだよ……。バカぁ……」
足取りがおぼつかずに、倒れ込みそうになった。収まりきらなかったものが一気に爆散し、緊張の糸が切れてしまったようだ。
力が入らずに姿勢を保てない彼女を支えるように、広海は顔が正面に来るようにして抱擁した。豊かな幸紀の唇が、すぐそこまで迫っていた。
「……」
初めての、恋。中々踏み込めずに寸前まで渋って、好きでたまらない人を振り回した男の恋。街で拾った女の子を大切に思ううちに開花した、純粋な恋心。
……やっと、踏み出せた。
未来永劫、幸紀を離さない。もう、怖い思いをさせてなるものか。
ホームレスの少女と形だけ家出少年の、奇妙な出会い。無数にあるバッドエンドの中から、数少ない未来への道筋が開拓された。
幸紀の積極性と自由気ままな生き方は、固定概念に縛られていた広海を変化させてしまった。そしてまた幸紀も、死にゆく運命を広海によって捻じ曲げられた。
雲の切れ目から差し込んだ光が、二人の薬指のリングをスカイブルーに染め上げていた。
最後まで読んで下さり、誠にありがとうございました!
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