015 緊張で、ボールがコートに入らなくなった。
午前中だけの授業だったため、比較的楽に学校は終わった。
広海は、入部届に『ソフトテニス部』と書き込み済みでやる気満々の幸紀に腕を引っ張られてテニスコートへと連れて来られた。
……やる気、ないんだけどなぁ……。
これでも、広海はテニス部の数少ない部員である。
「やっほー、広海」
部活着がないため体操服を着用している幸紀が、ラケットを高々と青空に向けて手を振っていた。
スポーツキャップをかぶって真っすぐにこちらに走ってくるのを見ると、いよいよ運動型の幸紀が見られるのだなと胸がどきどきしてしまう。
「……よく半袖短パンで外に出られるな……」
「寒いけど、これから動いたらあったかくなるから大丈夫だよ」
心配するなと胸を叩いているが、その腕は鳥肌が立っている。寒いのは本当であるようだ。
幸紀は、体験入部や見学も無しにいきなり入部届を担任に突き出してきたらしい。この学校の民度の悪さから、部活も同じような事になっているだろうと想定できたはずだ。なかなかの太い肝っ玉を持っている。
「……ボールだけ持って、コートの向こう側に行ってくれない?」
ソフトテニス部の先輩である女子が、新参者の幸紀に移動を命じた。初心者かどうかも確認していないのに、打ち合いを始めようとしている。
たまらず、止めに入った。
「……幸紀は初心者です。僕が教えるので、先輩は他のところで練習お願いします」
年齢が上の人にこのような口をきいたことは初めてだ。恐れていて妥協してしまうのでは、いつまでたっても人の意見に流されるがままだ。
……幸紀は初心者なんだから、打たせてもまともに打てない。
ソフトテニスの試合を見ていると簡単そうに強打をしているが、実際にラケットを手に持ってボールを打ってみるとこれが思うように飛ばないのである。正しいフォームでないと、フルスイングしてもコートに入らない。
先輩も納得してくれたらしく、大人しく隣のコートへと移ってくれた。部員が少ないので相手がいないのは気の毒だが、我慢してもらうしかない。
「……広海先生、一からよろしくお願いします!」
ペコリ、と幸紀が頭を下げた。いつから生えていたのか、アホ毛がワンテンポ遅れてふわっと追いかけていく。
幸紀を見ていると、茶化しているのか礼儀を全うしているのか分からない。
「……それじゃ、まずグリップの握り方だな」
「……打っちゃダメ?」
「入らなかったら楽しくないぞ?」
野球なら、バッティングをしたがる人が多いのは当然と言える。ボールを空高くかっ飛ばすのはとても気持ちがよく、爽快だからだ。
しかし、守備練習や走塁練習をしなければ実戦では使ってもらえない。バッティングでも、打ち方が滅茶苦茶だとホームランは打てない。
それに、ここは部活なのだ。休み時間に遊びでやるテニスとはわけが違うのだ。
打ち気のはやる幸紀を制御して、広海はフォームを叩きこんだ。地区予選で初戦敗退レベルの広海ではあるが、基本的な動作くらいは身に染みついている。
一朝一夕で習得できるものではないが、幸紀はひたすら素振りに取り組んでいた。一度やると決めたことは真剣にするタイプのようで、手を抜こうとはしない。
……幸紀だったら、もっといい学校に合格できてたんじゃないのか……?
これ程ストイックな彼女が、どうしてこんな何のとりえも無い高校に来たのだろうか。
五分、十分、十五分。ひたすら、防球ネットに球を打ち込み続ける。
「……広海、これでいいのかな……」
「もうちょっと面の位置は上かな」
少しでも疑問に思ったところは、すぐに聞く。この基本は、賢い人ほどよく身についている。勝手の分からない初心者ほど我流で解決しようとするのだが、それではいびつなフォームが身についてしまう。昔の広海である。
……単純作業なのに、よく続けてられるな……。
いつからか、幸紀の額には汗が染みだしてきていた。一切ブレることなく、一振り一振りに魂を込めているように見えた。
努力を惜しまない人は、大成する。元々の能力では絶望的でも、凄まじい量の努力でカバーできてしまうからだ。一番見習いたい人を答えろと尋ねられたら、どの歴史上の聖人君子でもなく『幸紀』と答えるだろう。
更に五分ほどが経ち、流石に幸紀の息が上がってきた。ボールも、真っすぐ綺麗に飛ぶようになってきていた。
……上達、早いな……。
男子と比べて女子は筋力が低いため、ボールを打とうとしても上手く飛ばないものだ。力を効率よく伝えられて初めて、ボールは弧線を描いてくれるのだ。
ジムにでも通っていたのなら別だが、幸紀はむしろ筋肉が衰えていたはずである。
「……打ってもいい?」
感触が良くなったのだろう。しゃがんだまま上目遣いで、もう我慢できないオーラを遠慮することなく放出していた。
部活の目的としては、二つある。一つは、その競技を上達すること。もう一つは、運動という行為を楽しむことだ。
大会のために苦しい練習を課している部活が多い中、この部員が過疎状態のソフトテニス部は例外的に向上心のある生徒が所属していない。悪い事でもあるのだが、それは逆に練習が緩いことに繋がる。
「……球出しするから、一回打ってみようか」
「うん!」
幸紀は、体を右に左に揺らしている。待ちきれなかったのだろう。
「いくぞー……」
上空にボールをセットし、幸紀は身構える。
土の地面で跳ね返されたボールは、下から潜り込んできたラケットの面から運動エネルギーを与えられ、反対側のコートへと飛んでいく。
……越えるか?
ゆらゆらして失速し始めたボールは。
「……惜しいなぁ……。いいところに当たった気はしたんだけど……」
幸紀が残像を追いかけるように、ブンブンとラケットを振る。
ボールは、ネットの上部にかかってしまっていた。
……そんな簡単にステップアップできるなら、誰でも全国大会優勝できちゃうからな……。仕方ない、仕方ない。
「……広海、お手本見せてくれないかな……?」
「参考になるなら……」
弱小である広海でも、幸紀よりはフォームがしっかりしている。自分で球出ししたボールくらいなら、コート内に沈めることはできる。
打つ前にボールをラケットでつつくのが、ルーティンだ。ちょっと慣れれば簡単にできる事なのだが、手取り足取り教えられている幸紀には新鮮だったのだろう。うっとりと目が上下に動き、ボールを追っていた。
……失敗したくない……。
落とす位置を慎重に確認し、重心を前に押し出して腰を回転させる。遠心力で、ラケットスピードが急加速される。
『パァーーーーン!』
広海の打球は、乾いた音を立てて大きくネットを揺らした。強烈なゴールインだ。
……そういう競技じゃないんだよ……。
サッカーのPKで守備をかいくぐりゴールしたのなら素晴らしい結果だが、これではただの失点だ。
「……もう一回」
緊張すると、どうしても力んでしまう。余分な力が入ると、体のしなやかさが失われてしまう。ひじの角度が固定されて、まともな球を打てるわけが無かった。
それからは、公開処刑だった。当てるだけのストロークでは見本にならないので、強制的にフルスイング縛りなのである。しかしフルスイングすれば、ネットに引っ掛かる。
結果は散々だった。五球打って、コートに入ったのは何とゼロ。ネットを越しすらしなかった。
「……冬休みに練習サボったからじゃないのー?」
隣のコートで一人サーブを打ち込んでいる先輩から、鋭い矢が放たれた。
「……サボってた……?」
何も知らなかった幸紀が、ロボットのように首を回転させた。責める気は微塵も無さそうだが、それが逆に良心を突いてくる。
弁解させてもらうと、この部活はまともに統制がとれていない。顧問は大会前日と当日くらいしかテニスコートに出てくる事は無く、活動日はお飾りだ。忠実に毎回出てきている部員は、広海を含めて一人もいない。
冬休みも活動日は変わらなかったはずだが、正月にまで入っている予定を誰が守るだろうか。『部活は行くも行かないも個人の自由』という暗黙の了解もある。
「……そういう先輩は、来てたんですか?」
「一日だけね!」
それは、来ていないのと同義ではないだろうか。
広海は、この部活の治安が良いと言った。それは部員が極端に少なく、週に一回以上顔を出すのが広海と今日来ている先輩の二人しかいなかったからだ。
「……もう一回、打ってみて? 緊張して、ガチガチになってるのが見てるだけでも分かるよ?」
幸紀はそう言うと、固くなっていた広海の二の腕を揉み始めた。
「もっと、力抜いてー」
彼女は、マネージャーなどではない。マッサージの方法など知りもしないだろうし、筋肉が固まっていることがどのようにテニスに影響するのかも分からないはずだ。
それでも、緊張を解こうとしてくれている。落ち着かせて、広海が次こそ成功できるようにしようとしてくれている。
強くも無く、かと言って決して弱くも無く、肩の方へと手が昇っていく。
……そんなに上手い訳じゃないけど……。なんだか、温かくなってくる。
太陽の日差しが強くなってきたわけではない。相変わらず、ニートで熱を送ることをサボっている。
血流が良くなると、温かくなるというのは広海も知っている。冷え性になるのは血流が上手く流れていないからであって、しっかり毛細血管まで送ってやれば治る。
しかしながら、それとは違う感じがするのだ。生暖かく、それでいて安心感を与えるようなものである。
……幸紀の思いが、手のひらから注入されてる。
幸紀の方を見ると、目を軽く閉じてもむことにのみ集中している。菩薩をもっと感情的にさせたような微笑を浮かべていて、もどかしくなる。
「……ついでに、肩たたきもしてあげよっか?」
「いや、遠慮しとく。……揉んでくれたところ、あったかくなってきた」
パソコンの目のまえに長時間座ってデスクワークをしているわけではないのだ。四十肩になるのは、文字通り四十歳のおじさんになってからでいい。
ラケットを持ったまま、肩を回す。一回しする度に、疲労成分が排出されていくような気がした。服越しではあるが、幸紀の温かみも十分に残っている。
改めて、気合を入れなおした。バウンドするボールを捉えて、水平にラケットを打ち付ける。
……行け!
今度こそ、決まった。白帯の上空を通過し、ライン上へとボールは着地した。
※毎日二話連載です。内部進行完結済みです。
『面白い』、『続きが読みたい』などと感じた方、ブックマーク、評価、いいねをよろしくお願いします!(モチベーションが大幅に上がります)
また、よろしければ感想も書いてくださると嬉しいです!




