9:オークの小さな村②
「俺の名前はケインだ。そっちが妻のハンナで、さっきお前の傍にいたのが娘のローザ、そしてこいつが息子のアルゴ」
僕を助けてくれたオークの男性、ケインさんが、居間で朝食の準備をしている女性とさっきの女の子、そして椅子に座った3歳くらいの男の子を順に指して紹介してくれた。
当たり前と言えば当たり前なのかも知れないんだけれど、その全員がオークだ。
「僕の名前は蒼真です。あの、今回は本当にご迷惑を……」
「いいのいいの。それよりまだ本調子じゃないんでしょうから、早く座って。……って、椅子のサイズ、大丈夫かしら?」
「いきだおれさん、おおきいねぇー!」
「そりゃまぁ、うちにオーガの客が来るなんて考えもしなかったからな。少し窮屈かもしれんが、何とか座ってくれよ、ソーマ」
そう。今まで実感はしてなかったけれど、僕のこの身体は大きい。
もちろん、オーガという種族は人間より遥かに大きくて身長2メートル近くあるのが普通、ということは知っているし、これまで実際にそれを目にもしてきた。
でも昨日……いや、昨日は一日中寝てたみたいだからもう一昨日か。その日はオーガと比べてさえ大柄なミノタウロスとしか出会っていなかったから、自分の大きさに気付かなかったんだ。
そのオーガやミノタウロスに比べれば、オークは小柄だ。と言っても身長は人間と大差ないし、体重では数割増しのガチムチなんだけど。
とにかく、そんなオークより僕は頭一つ以上背が高い。だからおそらく僕の身長は2メートルを少し超えたくらいだろう。
それでもヴィルマと並んで歩いていたときには彼女をそれほど小柄だとは思わなかったから、実は彼女も相当に高身長だったんだな。
オークから見ればかなり痩せ気味な体型のオーガだけど、さすがに2メートルもの身長があればそれなりの体重になる。たぶん100キロは下らないだろう。
ハンナさんが心配するように、オークに合わせたサイズの椅子は、僕にはまるで子供用みたいに感じるほど小さい。
最初は座ったら壊れてしまうんじゃないかと思ったけど、意外に作りはしっかりしていて、完全に体重を預けても軋みもしなかった。
「はいどうぞ。ありきたりなスープだけど、肉も野菜も柔らかく煮込んであるから消化にはいいはずよ。ゆっくり食べてね」
「ありがとうございます」
そうして席につくとハンナさんが、大きな深皿によそった朝食を僕の前に置いてくれた。
澄んだスープに、一口大の肉と何種類かの野菜がゴロゴロと入っている。食欲をそそるとてもいい香りがして、野菜の色合いもいい。
率直に言ってめちゃくちゃ美味しそうだ。これはケインさんが自慢するのも頷ける。
だけど…………
「どうしたソーマ? まだ食欲は出ないか?」
「いえ、スープはすごく美味しそうなんですが……」
…………この肉は、何の肉なんだ?
「えぇっと、オークは…… ケインさんたちは普段、どんな肉を食べてるんですか?」
「うん? そうだなぁ、よく食べるのは野うさぎや鶏とか、猪だな。このスープに入ってるのも野うさぎの肉だ。あとは狩り次第だけど鹿とか熊とか。まあそんなに珍しいもんはないぞ」
「ローザ、うさぎさん大好きー! かわいいしおいしいよ!」
「こらローザ、椅子の上に立つな。行儀が悪い。……俺はオーガの風習には詳しくないが、何か特別な好みでもあるのか? そいつがこの辺でも狩れるようなもんなら、猟師に頼んでみるが」
「……そうですね。それじゃ、…………人間の肉、とかは?」
意を決してその言葉を口に出すと、一瞬で食卓の空気が固まった。
ローザはきょとんとした目で僕を見つめ、ケインさんとハンナさんは信じられないものを見るように目を見張り、小さなアルゴもそんな家族の様子を見て不安そうに口元を歪める。
そして数秒の重苦しい沈黙のあと、ケインさんが……
……吹き出した。
「……ぷふふっ。わははははははっ! ……っそ、それはアレだ、『人間を食べたオーガ』のお話のことだろ? ソーマがあんまり真顔で言うもんだから、一瞬本気にしかけちまったよ。まさかオーガ当人がそれを言うとはな。いや参った、完全にやられたよ」
「おとーさん、オーガさんはにんげん食べちゃうの? おなか痛くならない?」
「違うぞローザ、今のはソーマお兄さんの冗談だ。『人間を食べたオーガ』って言うのは、どんなに困っていてもやっちゃいけないことがあるんだよってお話だ。ちょっと怖いお話だけど、今度聞かせてあげような」
「やー! こわいのいらないっ!」
「ははっ、そうだな。まあとにかく、確かに人間は俺たちを脅かす敵で、もうずっと長いこと戦争をしているがな。オーガもミノタウロスもリザードマンもサイクロプスも、そしてもちろんオークだって、人間を食べたりなんかしない。俺たちはそんなに野蛮じゃないし、第一そんなものを食わなくたって、他にもっと美味いものがいくらでもあるんだからな」
「そうねぇ。たとえ他に何も食べるものがなくなったとしても、人間の肉はちょっと遠慮したいわね。お話のオーガみたいにオバケに食べられちゃうのも嫌だしね」
ケインさんは目の端に涙を浮かべるほど大笑いし、ハンナさんも苦笑している。
えっ、なに? 僕の冗談? なんだかよく分からないけど、おとぎ話の類い?
つまり僕は、「早く寝ないとオバケが来るよ!」っていうのと同レベルの嘘を信じ込まされていたってこと?
魔族は人間とは相容れない存在で、見境なく人間を襲い、苦しめ、奴隷や食糧とするために幼い子供すら容赦なく拐って行く、憎むべき敵。
僕はそれを、勇者としてこの世界に召喚された2年前からことあるごとに繰り返し繰り返し聞かされてきた。
そんなのも全部嘘だったのか! この世界の人間たちは、そんなそもそもの始めから僕を騙し続けていたのか!
そして僕を利用して魔族の強敵を殺させ、魔王を倒し、全てが終わって利用価値がなくなれば騙し討ちで僕も殺した。奴らにとってそれは裏切りなんかじゃない。なぜなら、奴らは最初っから僕を仲間として扱ってなかったんだから。
もう必要のなくなった道具を捨てることを、裏切りとは呼ばないのと同じことだ。
…………クソッ、人間め!
「ソーマおにーさん、食べないの? うさぎさんのスープ、おいしいよ?」
「あ、冷めちゃったかしら。温め直しましょうか、ソーマくん?」
「いえ、大丈夫です。いただきます」
ハンナさんのスープは見た目や香りを裏切らない味で、ぶっちゃけこの世界に来てから一番美味しい食事だとすら思えた。
大きな深皿に入ったスープはあっという間になくなり、「お代わりあるわよ」というハンナさんの言葉に甘えて、結局3回もお代わりをさせてもらった。
「あうごにもおかわい、ちょーだい!」
なぜだか小さなアルゴがそんな僕に対抗して同じだけお代わりを食べ、食後にはかなり苦しそうにしていた。
……なんか、ごめん。