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5:ミノタウロスの少女①

 ぼんやりと考え事をしながら暮れかけた深い森の中を歩いていると、突然目の前の茂みから巨大な熊の魔獣と亜麻色の髪の女の子が現れた。


「えっ、こんなところに人が!? 危険です、早く逃げてください!」


 驚いた表情でこちらを振り向いたその女の子を見て、一瞬「人間か?」と思ったけど、そうじゃなかった。

 姿形はほとんど人間と変わらないけれど、髪の毛と同じ亜麻色の短い毛に覆われた長い耳、そしてその耳の少し上あたりの側頭部から生えた二本の短い角は、紛れもなくミノタウロスの特徴だ。


 そのミノタウロスの女の子は、立ち上がれば体高3メートルはありそうな巨大な熊の魔獣の攻撃を身軽な動きで躱しながら、一定の距離を保っている。

 身に付けているのは要所要所に金属の補強が入った革鎧、ただそれだけだ。剣などの武器や盾は持っていない。

 それでもあの巨大な魔獣に襲われて恐慌状態に陥らず、背を向けて逃げ出すことも偶然出くわした僕に助けを求めたりもしないところを見ると、剣以外に何か戦う手段を持っているんだろう。


 幸い、熊の魔獣はミノタウロスを追うことに夢中で、僕に気付いた様子はない。気配を殺してそっとこの場から立ち去れば、やり過ごすことは可能だろう。

 それにあのミノタウロスも「逃げろ」と言っていることだし、敢えてここに留まって彼女の邪魔をすることもない。

 パッと見には普通の女の子に見えるけれども、なにしろ彼女は魔族、それも身体能力では魔族中でも最強を誇る種族であるミノタウロスだ。わざわざ僕が心配することなんてない。


「何してるんですか、早く…… きゃっ!?」


 動こうとしない僕に気を取られたのか、ミノタウロスが深い下生えに足を取られてバランスを崩した。

 そこを狙って熊の魔獣が、普通の人間の胴回りほどもありそうな太い腕を振り回す。革鎧どころかフルプレートアーマーですら簡単に切り裂きそうな大きく鋭い爪がミノタウロスに襲い掛かり、彼女は自分から地面に倒れて転がることでそれを躱した。

 文字通り間一髪で魔獣の爪から逃れたミノタウロスは素早く立ち上がるが、それを見透かしたように繰り出された追撃の爪が、もう既に彼女の目前にまで迫っていた。


「……【金剛】っ」


 ガシッ!


 僕はその熊の魔獣の爪を目掛けて走りながら防御力強化のスキルを発動し、寸前のところでその攻撃を受け止めることに成功した。

 こいつはさっきの剣角牡鹿(ソードホーンバック)の時とはわけが違う。あれはそもそも元が草食動物だったけど、この魔獣は雑食だ。人間だって魔族だって、この魔獣にとっては捕食対象に違いない。

 確実に獲物を仕留めるための鋭い爪と大きな牙、圧倒的な巨躯に備わった膂力。まともに考えて、到底一体一で勝ち目のある相手じゃない。それに対してナイフ一本持たない丸腰で立ち向かうなんて、自分でも無謀どころか自殺行為以外の何ものでもないって思う。


 だけど僕の身体は、あれこれ考える前に勝手に動いていた。


 ……どうして僕は、自分の身を危険に晒してまで魔族を助けようとしてるんだ?

 

 このミノタウロスが、僕に対して明確な敵対行動を取っていなかったから?

 僕がこの森から無事に抜け出すために、彼女が役に立つと考えたから?

 それとも、僕自身がもう既に本能レベルで魔族になってしまっているから?


 ……たぶん、そうじゃない。これはきっともっと単純なことなんだ。


 そう。ヒトを助けるのに、理由なんか必要ない。

 それがたとえ人間でも、魔族であっても。




「ゴァアガアアアアァァッ!!」


「……つっ!」


 さっきの一撃でミノタウロスを仕留めたと確信したところを邪魔されて怒ったのか、魔獣の攻撃目標が僕に移ったみたいだ。

 2回、3回と襲いかかってくる爪の攻撃を、僕は【金剛】で強化された腕で受け止める。できれば同時に【豪腕】も欲しかったところだけど、この身体では二つ同時のスキル発動はできないんだから、それは言っても仕方がない。

 でもさすがにオーガの体力は凄いな。今の僕の身体と比べても体重にして5倍以上あるだろう熊の魔獣の攻撃を受け止めても、ちょっとふらつく程度で済んでいる。これが普通の人間なら、一撃で文字通りバラバラに吹き飛ばされているところだろう。


「あの、大丈夫ですか!?」


 背後からミノタウロスが慌てたような声で尋ねてくる。

 そう言えばさっきもだけど、ちゃんと魔族の言葉を聞き取れてるな。これはやっぱり、僕が魔族になっちゃったからなのか。

 それならたぶん、普通に喋れば僕も魔族の言葉を話せるんじゃないだろうか。このまま黙っていても埒が明かないし、試してみよう。


「……大丈夫と言いたいところだけど、そんなに長くは持ちそうにない。できるだけ時間を稼ぐから、この魔獣を倒せる手段があるなら頼む!」


「はいっ、それでは30秒……いえ、15秒だけお願いします!」


「分かった。何とかする!」


 よかった、やっぱり言葉は通じた。そしてどうやら僕の見込み通り、彼女はこの魔獣を倒す手立てを持っているらしい。

 もしそうでなかったら、二人ともここで熊の魔獣に食われて死ぬか、最悪彼女だけ逃げて僕が犠牲にさせられてしまったところだ。

 僕は魔獣の気を引きつつ攻撃を受け止めることで精一杯で、振り向いて確認している余裕なんてないけれど、わざわざ見るまでもなく背後にいるはずのミノタウロスの周囲に魔力の高まりを感じる。


 なるほど、魔法使いか。人間の常識で考えれば魔法使いが前衛も連れずに単独行動をしているなんてちょっと考え難いことだけど、そこはそれ、魔族には魔族の常識ってのがあるんだろう。

 そんなことを頭の隅で考えつつ、僕は目の前の魔獣の相手に専念する。おそらくはそれなりの大魔法を発動させるために集中しているだろうミノタウロスに注意が向かないよう、時々はこちらからも突きや蹴りを出してみるけど、当たっても全然効いている感じはない。

 やっぱり丸腰じゃダメだな、この世界で生きていくなら早めにどこかでこの身体の体格に合った剣を手に入れなきゃ。


 それはそうとそろそろ15秒近くは経ったと思うんだけど、ミノタウロスはどんな魔法を使うつもりなんだろう。

 ちゃんと発動前には合図とかしてくれるよね? まさか僕もろとも吹き飛ばすようなことはしないと思いたいけど……


「お待たせしました! 行きます、【炎虎】!」


「……っ!!」


 ミノタウロスが魔法発動のトリガーを叫んでくれたので、それに合わせて僕は横っ飛びに熊の魔獣の前から退避する。……けれど、どうやらそんなに慌てて避難することはなかったみたいだ。

 跳び退きながら僕が見たのは、全身が燃え盛るオレンジ色の炎で作られた一頭の巨大な虎。

 熊の魔獣とほぼ遜色ない大きさをもったその炎の虎が、まるで生命ある本物の獣のような自然でしなやかな動きで魔獣に飛び掛かって行った。しかも、ちゃんとさっきまで僕がいた場所を迂回してくれている。


 その魔法、【炎虎】が、突然逃げた僕に気を取られている熊の魔獣の喉元に食らいついた。炎でできた牙がじゅうっと音を立てて魔獣の肉にくい込み、辺りに毛や肉の焦げた臭いが漂う。

 魔獣は苦悶の咆哮を上げ、太い腕を振り回して強引に【炎虎】を引き剥がすことに成功するが、代わりに首の付け根あたりの肉をごっそりと食いちぎられた。

 その傷口から大量の血を流す熊の魔獣を、さらに【炎虎】の牙や爪が襲う。その都度じゅうじゅうと肉の焦げる音と煙が立ち上り、魔獣の勢いが目に見えて衰えていった。


「凄い……」


 まるで本物の巨獣同士の闘いを見ているみたいだ。生き物のように自然に、自分の意思を持っているかのように動いて敵に襲い掛かる魔法生物。

 その生成にはどれほど高度で緻密な魔力制御が必要とされるのか。しかもそれをたったの15秒で…… って、それじゃあもっと単純な攻撃魔法を使えば、そんなに時間をかけなくてもあの魔獣を倒せたんじゃないの?

 いや、まあ結果的には無事に倒せたからいいんだけどね。でもなんかちょっとだけ腑に落ちないなぁ。


 そんな僕の思いを他所に、やがて全身の至るところを焼け焦げさせた熊の魔獣は、地面に横倒しになって動かなくなった。

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