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3:オーガになって森の中②

 頭の高さがほぼ僕の胸あたり、体重にして500キロはあろうかという巨大な剣角牡鹿(ソードホーンバック)の魔獣が、そのまるで紅玉(ルビー)柘榴石(ガーネット)でできているかのような眼で僕を見据え、殺気を漲らせている。

 たぶん、もうあと数秒もしないうちに剣角牡鹿(ソードホーンバック)は、その名の通り剣のように鋭く尖った大きな角を僕に向けて突進してくるだろう。


 僕の今の身体……オーガの肉体は、普通の人間に比べれば遥かに頑丈にできているとは言え、さすがにあの鋭い角と巨体の直撃を受ければひとたまりもない。

 ましてや今の僕は丸腰で武器はなく、身に着けているのは粗末な布の服だけという状態だ。普通に考えればもう絶体絶命、逃げても立ち向かっても死あるのみだろう。

 だけど僕には身体能力強化のスキルがある。それに所詮相手は一匹だ。全能力を強化して、足で撹乱しつつ一撃離脱を繰り返せば十分に勝機はある。


 よし、そうと決まれば先手必勝だ。行くぞ!


「【豪腕】【金ご…………っ!?」


 ところが2つ目のスキル詠唱の途中で僕の身体は瞬時に熱を持ち、軽い目眩を起こしたように視界が歪んでがくりと膝が落ちる。

 ……そんな、まさか。たったひとつのスキル発動で魔力切れ!?


「……っおぉっ!」


 ぐにゃりと歪んだ視界の端に剣角牡鹿(ソードホーンバック)が勢いよく地面を蹴る姿が映る。

 ……ヤバい! 僕は力の入らない脚に全力を込めて地面を転がり、どうにか間一髪でその突進を躱した。


 バキャッ!!


 それまで僕が身を潜めていた、一抱えほどありそうな太い木の幹に剣角牡鹿(ソードホーンバック)の角が深々と突き刺さった。

 深く刺さりすぎてなかなか抜けないのだろう、剣角牡鹿(ソードホーンバック)は苛立たしげにブルルルと鼻を鳴らし、激しく身を捩らせる。その都度、大木がミシミシと悲鳴を上げながら大きく揺れ、何度目かでとうとう耐え切れずに折れて倒れてしまった。


 ああ…… 相手が身動きできない今が最大のチャンスだったのに。

 僕が軽い魔力切れの症状を脱して動けるようになった時には、剣角牡鹿(ソードホーンバック)もまた自由を取り戻していた。そして仕切り直しとばかりに僕の方を向いて、ぐっと頭を下げている。


「ヴモオオオォォッ!!」


 その直後、鹿と言うより牛に近い声で大きく雄叫びを上げ、剣角牡鹿(ソードホーンバック)が一直線に突っ込んできた。

 しかし今度は僕も万全の状態だ。巨大な魔獣が凄い勢いで迫ってくるのは確かに恐ろしいものだけれど、僕はそれよりももっと恐ろしい突進力と破壊力をもつミノタウロスの戦士たちとだって正面から戦って勝ってきた。

 だからこの程度なら、落ち着いて相手の動きを見てさえいれば避けるのは難しくない。


 僕は冷静に剣角牡鹿(ソードホーンバック)の突進を2度、3度と躱し続ける。

 その度に巨大な魔獣は苛立ちを募らせ、どんどん迫力が増していくけれど、それはまあ単にそれだけの事だ。

 そうしながら僕自身の身体の状態を確認してみると、どうやら最初に唱えた筋力増強スキル【豪腕】はちゃんと発動しているっぽい。できればその次に唱えようとしていた防御力上昇スキルの【金剛】も欲しかったところだけど、無理だったものは仕方がない。

 今からもう一度唱えてみてまた魔力切れを起こすのも怖いので、ここはこのままで何とかしてみよう。


 これでもう10回目近くになる剣角牡鹿(ソードホーンバック)の突進。

 もともとが草食動物のために牙も爪も持たないこの魔獣には他に特筆すべき武器もないので、攻撃方法といえば頭を低く下げた姿勢からの突進、そして剣のように刃のついた角による突き上げのワンパターンだ。とは言え、もちろん直撃を食らえば即死レベルの破壊力なので決して油断はできない。

 防御力上昇の【金剛】と自動治癒の【不屈】があれば正面からカウンターを狙ってみてもいいけれど、僕の今の状態ではそんなリスクは冒せない。


「よ……っと。ふんっ!」


 今までのように安全マージンを取って大きく避けるのではなく、小さな動きで、できるだけギリギリを狙って身を躱す。

 幾つにも枝分かれした槍の穂先のような危険な角を至近距離でやり過ごし、そこからさらに一歩を踏み込んで、魔獣の横腹に拳を突き入れた。


 ドゴッ!


 強烈な手応えがあり、剣角牡鹿(ソードホーンバック)の巨体が大きく横に流れてたたらを踏む。魔獣は苦悶の呻きを漏らすが、ゆっくりと方向を変えるとまた襲いかかってきた。

 さすがにさっきの一撃で倒せるとは思ってなかったけど、これは思った以上にタフだな。剣か、できれば槍があればもっと楽に倒せるのに、と思うけれど、ないものを頼ってみてもしょうがない。

 僕はそこから何度も同じように剣角牡鹿(ソードホーンバック)の突進をギリギリで躱しては殴り、躱しては殴りを繰り返し、何度目かでとうとう巨大な魔獣を地面に横倒しにすることに成功した。


 ……っても、文字通りただ倒れただけでまだ生きてるし。

 横倒しになった魔獣は再び立ち上がろうともがき、でたらめに暴れ回っている。ある意味、これまでで一番近寄り難くやりにくい状態だ。

 うーん、今なら少しくらい時間の余裕はあるかな。もしまた魔力切れを起こしたとしても、剣角牡鹿(ソードホーンバック)が立ち上がるまでの間に回復できるだろう。ちょっとだけ冒険してスキルを切り換えてみるか。


「【豪腕】を解除。……【刹那】」


 僕の身体能力強化のスキルは、発動している間じゅうずっと魔力を消費し続けている。

 今のこのオーガの身体では、同時に2つのスキルを発動させようとすると魔力切れを起こす、というところまではさっきので経験済みだ。

 それなら、今発動しているスキルをいったん解除してから別のスキルを発動させれば問題ないのでは? ……とは考えてみたものの、いざやってみて万が一思い通りの結果にならなかった場合には万事休すとなるので、戦闘中には試してみることができなかったんだ。


 そして結果としては僕の思惑通り、一つずつであればスキルの切り換えは可能なようだ。【豪腕】の解除によって全身に漲っていた力がふっと途切れ、入れ替わりに集中力を高めるスキル【刹那】が無事に発動したことで、周囲の物の動きがゆっくりに感じられるほどに思考が加速されていく。

 その極限まで高められた集中力をもって観察すれば、無我夢中で暴れ回っている魔獣などもはや隙だらけの良い的にしか見えない。あんな風にただデタラメに振り回しているだけの角や手足になんか、どうして当たったりするものか。

 ……いや、そうは言っても俊敏性を高めるスキルの【閃光】と併用しなければ、見えていて、来るのが分かっているのに避けきれず当たる、って状況になっちゃうこともあるんだけどね。


 ともあれ、危険な魔獣が再び立ち上がる前に、僕は地面に落ちている手頃なサイズの枝切れを拾ってゆっくりと歩く。

 凶悪な鋭い角を伴ってグルグルと振り回される剣角牡鹿(ソードホーンバック)の頭は、加速された感覚で見ると酷くゆっくりで、どことなく滑稽にも思える。……だけど油断は禁物。僕は緩みかけた口許を引き締めつつ、タイミングを合わせてその紅玉(ルビー)のような眼の片方に枝切れを突き刺した。

 その枝切れは自分でも驚くほど深くまで差し込まれ、魔獣の巨躯が大きくビクンっと痙攣する。確かな手応えを感じて急いで手を離し跳び退くと、剣角牡鹿(ソードホーンバック)の魔獣はまた一段と激しくのたうち回り、そこから数秒でまるで急に電池が切れたかのようにピタリと止まって、四肢を硬直させたまま動かなくなった。


「……ふぅっ。なんとか無傷で倒せたな」


 魔獣が完全に絶命したことを確認し、僕はスキルを解除する。

 魔獣の眼……魔晶石はどうしよう? 人間界ならそこそこの値段で買い取ってくれる価値のあるものだけど、魔界ではどういう扱いなのか分からない。

 でもまあ持っていて邪魔になるものでもないし、抜き取っておくか。


 なんだかちょっと疲れたな。僕が勇者だった頃には、この程度の魔獣にこんなに手こずることなんかなかった。たとえ武器なんかなくたって、最初の一撃であっさりと倒していただろう。

 原因はどうあれ、こうしてオーガの身体に転生してしまったからには、スキルの使い方も含めてこの身体での戦い方に慣れておく必要があるな。




 僕はもう元の世界には還れないどころか、人間界にすら戻れない。

 だからと言って、果たしてこの先ずっと魔族として生きていけるのか。

 あるいは最悪の場合、人間からも魔族からも逐われる立場になるんじゃないか?


 ……考えれば考えるほど先行きは不安だらけだけど、とりあえず今は、こうして生きていられるだけでも儲けものだと思うことにしよう。

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