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コヒナ

   1


 夏休みが目前に迫っていたある日、ノンカは消えた。


 コヒナとノンカは親友同士だった。

 コヒナは多感なお年頃。つまらないことで頭を抱えることがいっぱいあった。

 学校の授業についていけない。友達と喧嘩してしまった。部活でどちらの先輩の指示に従ったらいいのかわからない。宿題が終わらない。新しいクラスでの人間関係になじめない。

 コヒナが通う学校は全寮制のため、家族に相談することは難しかった。

 そのうえ、コヒナには相談できる友達もいなかった。相談できる友達が欲しいとは常々思っていたが、クラス替えのタイミングで友達作りを失敗してしまった。

 そのため、コヒナはどうしたらいいかわからず、一人で考え込んではうつむいてばかりいた。

 そんなコヒナの前に現れたのがノンカだった。

 その日も、コヒナは昼休み、屋上で一人でお昼ご飯を食べていた。

 一緒にお昼を食べる友達もいない、教室で一人でお昼を食べるには周りの目線が耐えられない。そんなコヒナが生徒の出入りの少ない屋上で一人でお昼を食べるようになるのは自然なことだった。

 コヒナはお昼ご飯に購買で買った焼きそばパンをもそもそとかじりながら、その日も一人で考え事をしていた。

 コヒナの考え事なんて、大人からみれば、ちっぽけなもので、他人から見ればすぐ解決できそうなものだった。しかし、本人にとってはとてもそうは思えず、お昼を食べながら答えの出ない考え事をするのが日常だった。

「どうしたの?」

「えっ」

 ノンカは、そんなコヒナの前に突然現れた。

 屋上に入る時に誰もいないのを確認したし、屋上への扉に鍵をかけたわけではないが足音なんて全然しなかった。それなのに、顔をあげたコヒナの前に突然人がいたものだから、コヒナはびっくりして体が固まってしまった。

「その焼きそばパンはおいしいし、ここは景色が素敵な場所だよね。でも、そんな下向いて食べてたら、パンにも場所にも失礼だよ」

「……」

 ノンカはリボンで一つにまとめた長い髪を垂らしながら、コヒナの顔を覗き込んだ。

 そんなノンカは、コヒナから見ると、太陽を背にしていて、なんだか後光が差してるようにも見えて、コヒナにとって希望のようにも見えた。

 ノンカは初対面の人間だから、希望だと思うなんておかしいかもしれない。

 しかし、間違いなく、コヒナはノンカのことを希望だと思ったし、ノンカのおかげでこれからの自分が変わりそうだとその時思ったのだ。

「隣、空いてる?私もお昼まだなんだ」

「うん……」

 ノンカは、コヒナの隣に座りこんだ。

 ――その日から、コヒナはいつもノンカと一緒にいるようになった。

 ノンカは不思議な子だった。控え目そうに見えて、いざというときは力強い言葉でコヒナを励ましてくれる。

 ノンカがいれば、コヒナはどんな困難もを乗り越えられる気がした。

 コヒナにはあれだけ悩みがあったというのに、ノンカが現れてからは以前のようにうつむことはなくなった。

 悩みがさっぱり消えたわけではない。いつもノンカが隣にいてくれたため、わざわざ一人で考え込む必要はなくなったのだ。ノンカに相談したり励まされたりすることで、コヒナはなんとかなるという気持ちを持つことができた。

 コヒナとノンカは本当にいつも一緒にいた。授業は一緒に受けた。休み時間も二人で過ごした。お昼は二人で屋上で食べた。放課後は一緒に部活動にいそしんだ。部活動がない日はコヒナの寮の部屋で一緒に遊んだ。二人でいろんな話をした。好きな食べ物の話、格好いいと思う芸能人の話、授業がわかりにくい先生の話、もうすぐやってくる夏休みに二人で何をするか……。普段は校舎と寮を往復する生活をしているコヒナにとって、夏休みはとても待ち遠しかった。

 コヒナは、ずっとノンカと一緒にいられると思っていた。

 しかし、夏休みが目前に迫っていたある日、ノンカは消えた。



   2


 コヒナは一人、屋上で泣いていた。

 なぜノンカが突然消えたのかわからない。あれだけ二人で夏休みで何をしようかと話し合っていたというのに、なぜ消えてしまったのか。自分はノンカに何かしてしまったのだろうか。

 ノンカが消えた理由がさっぱりわからず、コヒナは一人泣き続けるだけだった。

 もともと、コヒナにはノンカ以外に相談できる人物はいなかった。ノンカが消えてしまえば、コヒナがまた一人で悩むしかないことは、明白だった。泣いているだけ、前より状況が悪化したともいえようか、コヒナは泣いてばかりで、どうしたらいいかさっぱりわからなかった。

「どうしたの?」

「えっ」

 コヒナが顔を上げると、目の前には女の子がいた。

 それも、二人。

 泣いていたせいだろうか、コヒナは二人が屋上に入ってきたことに気づかなかった。

「こんなところで一人で泣いてるなんて、変な人ぉ」

 女の子のうちの一人――ポニーテールの女の子は、なんだか変わったしゃべり方をする。コヒナはこの子を知っていた。名前はミウミだ。

 ミウミはコヒナの様子をじっと見ている。

「ミウミは本人の前で失礼なこと言いすぎよ!ね、大丈夫?なんでこんなところで一人で泣いてるの?」

 そう言ってもう一人の女の子――ショートカットの子は、コヒナの顔を覗き込んだ。コヒナは、こちらの女の子は初めて会った。

 ショートカットの女の子は、コヒナから見ると、なんだか後光が差してるようにも見えて、コヒナにとって希望のようにも見えた。

 ……ノンカと初めて会ったあの時みたいに。

 ショートカットの女の子はノンカとは全然違う。髪の長さも、しゃべり方も、雰囲気も。しかし、コヒナはこの子なら自分をなんとかしてくれると思えたのだ。

 ショートカットの女の子は、コヒナが顔を上げたのを見て、話し始めた。

「私はリヨリ。よろしくね」

 コヒナよりもミウミが先に口を挟んだ。

「じゃあ、りよりよだね」

「り、りよりよ?」

「リヨリ!りよりよなんて呼ぶのはミウミだけよ」

「えー、りよりよって可愛いじゃん。こっひーもそう思うよね?」

 ミウミはふてくされたように腕を上下させた。

 ミウミは独特の雰囲気のある子だが、リヨリはなんだか常識人といった感じだ。

 ミウミは人を変なあだ名で呼ぶ癖がある。本人曰く、早く仲良くなるためのコツらしい。最初コヒナも「こっひー」と呼ばれたときは驚いたものだが、ミウミの人柄もあり、今ではすっかり受け入れていた。

 リヨリは再びコヒナの顔を覗き込んだ。

「ね、あなたの名前は?」

「……コヒナ」

「コヒナね。いい名前ね」

 待ちきれんとばかりに、ミウミが二人の間に割り込んできた。

「自己紹介はもういいよねっ。こっひーは、なんでこんなところで泣いてるわけ?わけあり?」

「ああ、うん……。実は、親友が、いなくなっちゃって……」

「その親友ってだれ?」

「……ノンカ」

「ノンカが、いなくなった!?」

 リヨリは目を大きく開けた。

 見ればリヨリだけでなく、ミウミも驚いている。

「二人とも、ノンカの知り合い?」

「ええ、そうよ……。そんな、あんな大人しい子が……。信じられない」

「のんのん……」

 リヨリとミウミはしばらくうなだれた後、まずリヨリが顔を上げた。

「ね、探そう。ノンカを」

 リヨリにそう言ってもらえたコヒナは心が救われた気分だった。しかし、すぐ気持ちは元の暗いものに戻る。

「どうやって……?私たちだけじゃ何もできないよ」

「そんなことないわ。私、実は新聞記者を目指していて、役に立てると思う。自分たちだけでも調べればきっとなにかわかるはずよ。コヒナ、あなたはもう一人じゃないのよ」

 リヨリとは本当に初対面だ。それなのに、どうやらノンカと知り合いだったとはいえ、コヒナに手を貸してくれるという。泣いていた自分に情けをかけただけかもしれないが、コヒナにとってリヨリの言葉は非常にうれしくて、そして非常に力強く感じられた。

 コヒナだって、ノンカの行方を調べたいと思っていたのだ。しかし一人ではどうしたらいいか分からなくて泣いていた。リヨリの存在は、まさに今、コヒナが欲していたものだった。

「うん……!」

 その様子を見ていたミウミも、顔をあげ、やれやれと言いながら肩をすくめる。

「先にりよりよにとられちゃったけど、あたしもこっひーののんのん探し、手伝おうと思ってたんだぁ。手は多い方がいいよね?あたしだってりよりよに負けないくらい、のんのんの行方が気になってるんだから。もちろんこっひーのためでもあるよ」

「ありがと……」

 ミウミがあだなで話していると、なんだか変な感じが面白いなと、コヒナは心の中でくすっと笑った。


   3


 ノンカがコヒナの前から消えたのは今朝のことだった。そのため、三人は昨日までのノンカの行動やノンカの行方の手がかりを調べることとした。

 三人で話し合った結果、コヒナとリヨリ、ミウミに分かれてノンカの情報を集めることとなった。

 ミウミにの話よれば、ミウミにはコヒナにもリヨリにも内緒の独自の情報網があるらしい。ミウミは、取材源の秘密だとわけのわからないことを言って、単独行動するとのことだった。ミウミはコヒナたちの会話が終わった直後からどこかに電話をかけていたから、独自の情報網とやらは本当にあるらしい。ミウミは自分の行動予定を教えてくれなかったが、何かあったら自分の寮の部屋に来ていいよと部屋番号を二人に伝えた。

 対してコヒナは一人ではあてがあるわけでもなく、リヨリについていくことになったのだ。 

 そうして、コヒナとリヨリは、まずはノンカの寮の部屋に行くことにした。

 ノンカの部屋に、何か書き置きなどがないか探すためだ。

「といっても、私とノンカの部屋は同じなんだけどね。相部屋なの」

「そうなんだ。じゃあ合鍵を借りに行ったりしなくて済むわね」

 この学校の寮の部屋は二人一部屋なのだが、コヒナとノンカの寮の部屋は同じだった。

 二人はコヒナの案内でノンカの部屋へ――コヒナの部屋でもあるのだが――向かった。

 コヒナは普段通りに自分の部屋の扉を開けた。

「コヒナ。ノンカが失踪してから、何かノンカの私物に触ったりした?」

「ううん。リヨリたちが現れるまで、私、何したらいいかわからなくて、漁ったり探したりもしてない」

「そう……」

 部屋の中は、扉を背にして左側がコヒナのスペース、右側がノンカのスペースとなっていた。

 寮の部屋にはそれぞれベッドと机が備えられており、それ以外の家具や私物はそれぞれが持ち込んでよいこととなっている。

 もっとも、ノンカのスペースには備えつけのベッドと机しかなく、きれいな状態だった。

「まるで使ってないみたいにきれいね」

「ここまできれいにするのって、引っ越すときくらいかな」

「そうね……」

 リヨリは顎に手を当ててしばらく考え始めた。

 コヒナにはノンカがいなくなったショックがあるから、リヨリは自分がコヒナを導く役目だと思い、考える。

「コヒナ、ノンカが荷物をまとめてたり掃除をしてたことはあった?」

「ううん。埃をちょっとはらうとか日常的な掃除はしてたかもしれないけど、いつも通りだったと思う。荷物をまとめてるところなんて見てないよ」

 リヨリはコヒナの言葉ではまだ納得できないようだ。リヨリが声を漏らした。

「ノンカの私物がどれだけあったかはさておいても、これだけきれいってことは計画的に失踪したのかしら」

 その言葉にコヒナはびくっと体を震わせる。

 リヨリははっとしてコヒナの方を見た。

「ごめんなさい。早計だったわ……。まだ結論を出すのは早いわね。次の場所に行きましょうか」


 次に、コヒナとリヨリは校舎に向かった。

 コヒナたち以外にノンカの行方を知らない人がいるか尋ねるためだ。

 ただ、ここでひとつ問題が起きた。

「ノンカってクラスどこ……?」

「コヒナも知らないの?私、ノンカとはすれ違ったときに挨拶や世間話をする程度だったから、クラスまで覚えてないの」

「いつもノンカと一緒にいたから、クラス聞いてないや」

「じゃあ手当たり次第に聞くしかないわね」

 コヒナとリヨリは、学校内を歩きつつ、すれ違った生徒に話を聞いて回った。

 リヨリは新聞記者を目指してるから、こういう聞き込みが得意だとコヒナは思っていたのたが、その役目はコヒナがすることとなった。

 リヨリによれば、こういう聞き込みはノンカと仲が良かったコヒナが行う方が、相手が親身になってくれ、有力な情報を得られるらしい。

 コヒナはリヨリにコツを教えてもらいつつ、すれ違った生徒に聞き込みをした。

「ねぇ、ノンカって子、知らない?」

「ごめん、知らない」

「そう……」

 ここはそこそこ大きい学校だ。その上、今日は授業がなく、校舎内にいる生徒は限られている。ノンカと同じクラスの人と都合よくすれ違えるとは限らなかった。

 コヒナは何人にも声をかけたが、なかなかノンカを知る人は会えなかった。めげそうになるが、リヨリに励まされると、コヒナは頑張ることができた。

 コヒナとリヨリが渡り廊下で声をかけられそうな生徒を探していると、テニスラケットをもった女子生徒が近づいてきた。

「コヒナさん、こんにちは。最近は元気そうだなって思ってたけど、今日は元気なさそうね。大丈夫?」

 彼女はコヒナと同じクラスの女子生徒だった。学級委員長で、責任感がある子で、教室で一人でいたコヒナにも時折声をかけてくれていた。

 コヒナはチャンスだと思い、尋ねる。

「ノンカって子、知らないかな?いつも私と一緒にいた子なんだけど、髪の毛が長くて、いつもリボンでひとつにまとめてて……」

「思い当たる人はいないかな。でも、ちょっと変わった名前ね。その人がどうかしたの?」

「実は今朝からいなくて。今、ノンカのことを知ってる人がいないか、リヨリと聞き込みをしてるところなの」

 女子生徒は少し不思議そうな顔をした。

「リヨリ?……まぁ、いいか。何かわかったら教えてあげる」

「ありがとう……!」

 女子生徒はコヒナにぺこりとお辞儀をしながら去っていった。

 聞き込みにより情報は得られなかったものの、協力の言葉が得られたことは大きい。

 日頃、一人で考え込むばかりのコヒナにとっては、大きな一歩だったといえよう。

「よかったね、コヒナ」

「うん……!」


「ね、改めてミウミに話聞いてみない?」

 校舎内を歩き回った後、リヨリはそう提案した。

「結局ノンカの部屋には何もなかったし、ノンカの知り合いも見つからなかったけど、ある意味『なかった』ということも重要な情報よね。私たちの持つ情報を三人で総合する必要があると思うの。もしかしたら、それぞれお互いに不要だと思って言ってないだけで、大事な情報があるかもしれないわ」

「うん。そうだね。もう一度集合しよっか」

 二人は、先ほど教えてもらったミウミの寮の部屋に行くことにした。


 ミウミの部屋をノックすると、すぐに中から「はーい」と声が聞こえた。

「あらら。思ったより早く来たねぇ。早くもお手上げ状態になって、このミウミさまにすがりに来たってわけ?」

「もう、そんなんじゃないわよ。ただ情報を共有しようってだけ」

「わかったわかった。ミウミさまがあつめた情報をどーんと提供しようじゃないか」

「はいはい」

「ふふっ……」

 ミウミがからかってるのか、リヨリがたしなめているのかわからないリヨリとミウミの関係は奇妙な感じがしたが、コヒナにとって新鮮で、面白かった。

 コヒナとリヨリが室内に入り、カーペットがひかれた床に座ると、ミウミはベッドに腰かけて話し始めた。

「この部屋の相方は今はまだ帰ってこないから安心してちょ」

「あ、ちょっといいかな?」

 コヒナはこっそり気になっていたことをこの際聞くことにした。

「どうして二人は知り合ったの?」

「ん?んーと……。実は、今日、あたしもふらっと屋上に行ったら、そこにりよりよがいたんだよねぇ」

「そうね。私もコヒナに声をかけようか悩んでいたら、その前にミウミに声をかけられたの。だから、ミウミに会ったのはコヒナに会う直前だったわ」 

「そうだったんだ……」

 コヒナから見れば二人は非常に親しげなのだが、実は出会ったばかりだということは意外だった。 

 ミウミが話を本題に戻す。

「それはいいとして、私が集めた情報だよね。ノンカがいなくなったことについていろんな人に聞いてみたんだけど、ノンカについて知ってる人がだれもいなくてさぁ。これでも結構聞いたつもりだったんだけど」

 リヨリが不満そうに唇をとがらせた。

「さっき大口叩いてたくせにそれ?私たちと同じじゃない」

「虚勢はるのも大事っていうかぁ。りよりよたちも同じだったんだね」

「ええ。ノンカの寮の部屋には何も残されていなかったわ」

「校舎ですれ違った人に聞き込みもしたんだけどね。結局ノンカのクラスもわからなかったよ」

「ふーむ。三人よっても情報なし、と」

 その言葉を聞いたコヒナがしょぼんとしてまったので、リヨリはコヒナを励ますようにして話し始めた。

「でもこれで少なくとも、ノンカの失踪についてみんなよく知らないってことは判明したわね。じゃあもう一個の目的の方」

「もう一個の目的?」

 ミウミは首をかしげた。

「ミウミの部屋に来たのはみんなが知らない情報を共有するため。でも、私たちそれぞれお互いに、知ってるけどまだ知らないことがあるかもしれないとも思ってるの」

「はーん。調べた上での情報だけじゃなくて、元々知ってた情報の共有もしようってことねぇ」

「そういうわけ。といっても、私はほとんど知らないわ。ノンカに最後に会ったのも割りと前だし、そのときは挨拶くらいで終わっちゃったから会話の内容もあまり覚えてないし。ちなみにノンカの噂も特に聞いてないわ。コヒナは?例えば昨日は何してたの?」

 コヒナは急に話をふられて驚きつつも、記憶を手繰り寄せて昨日の出来事を思い出した。

「えっと、昨日はいつも通りだったかなぁ。朝起きて挨拶して、一緒に朝ご飯食べて、それから試験うけて、お昼も屋上で一緒にいて、放課後は昨日は部活がなかったから寮の部屋で二人でおしゃべりしてたよ。あ、夕飯も一緒に食べた」

「それがいつも通りならこっひーとのんのんは本当にいつも一緒にいるんだねぇ」

 ミウミは一人でうんうんと納得したように頷いていた。

 リヨリは話の詳細を促した。

「ね、ね、コヒナはノンカとどういう話をしたの?」

「それもいつも通りだよ。他愛ない話ばっかり。昨日は、昨日でちょうど期末試験が終わったから、もうすぐ夏休みだねーって話が特に多かったかも。町に行って買い物したいなとか、どこか旅行したいなとか、旅館で二人で一日中のんびりしたいなとか」

「そう。特に変わったところはなかったのね」

「うん」

 リヨリは少し悩んでからコヒナに尋ねた。

「じゃあ今度は、辛いとは思うけど、ノンカがいないことに気づいたときのことを教えてもらえる?」

「……うん。今朝、いつも通りに起きたらノンカがいなかったの。いつもなら起きたときに『おはよう』って声をかけてもらえるんだけど、今日は聞こえなくて」

「その時既に部屋はさっき見たような状態だったの?」

「うん」

「そっか。ありがとう」

 リヨリはコヒナからミウミへと振りかえる。

「ミウミは?ノンカと最近話した?」

「あー……。うーん……。実は、三日前くらいのんのんと話してて。いや、隠してたわけじゃないんだけど」

 ミウミにしては珍しく歯切れが悪い。今まで黙ってたことを悪いと感じているのか、言葉を選びながら話し始めた。

「三日前、のんのんと会ったんだ。それは完全に偶然。授業の間の休み時間だったかな。だから長い時間話したわけじゃないんだけど、その時のんのんが変わったこと言ってて」

「変わったこと?」

「なんかその、もうすぐ夏休みだね、もうすぐ私は消えるんだとかなんとか……」

「え!?」

 コヒナは思わず大きな声を出した。

 ノンカがそんなことを言っていたなんて。私には何も言ってなかった……。

「その、その時は何言ってるかよくわからなかったんだけど、今思い返せばこのことだったのかなーって……」

 リヨリがむっとつっかかった。

「どうしてそんな大事なこと最初に言わないのよ」

「ごめん。変に不安させたくなくて。でも誰に聞いても分からなかったから黙ってるのも悪いなって思ったんだ……。あんまり詳しく聞くのも悪いかなと思って、これ以上はノンカから聞いてないよ。だからあたしも詳しくはよく分からないんだぁ」

「……」

 ここにきてミウミから衝撃的な情報がわかった。

 コヒナとリヨリは改めて考え込む。

 口を開いたのはリヨリだ。

「ミウミが聞いた言葉を素直に受けとるなら、少なくともノンカは三日前からいなくなるつもりだったってわけよね。何も残されてなかった寮の部屋の状態もあわせて考えれば、ノンカの失踪は計画的なもの、その上ノンカの意思によるものだと考えられそうね。ノンカがどうして失踪しようと思ったのか、どこに行ったのかの手がかりはないからわからないけれど、とりあえず無理やり連れ去られたとかはなさそう。それについては安心していいかもしれない。もっとも、やっぱりノンカは黙っていなくなるような、そんな子じゃないとは思うけど」

「うん……」

 リヨリは冷静に物事を整理して考えることが得意なのだろう。結局ノンカはどこに行ったのかはまだわからないものの、コヒナはリヨリのおかげで、現時点でわかっていることまでで推測できることを整理できた。コヒナはリヨリの頭の回転の早さが心強く感じられた。

「……いや、どこかに行ったのとも確定できないわ。自殺とかも考えられるかも」

「じ、自殺!?」

 コヒナは考えてもなかったリヨリの言葉に大きく体を震わせた。

「りよりよ、配慮が足りんよ」

「ごめんなさい。ただ、今考えられる選択肢を並べているだけなの。私だって、自殺とか本気で考えてる訳じゃない。まだ結論を出すには早すぎるわ。でも、ごめんなさい、コヒナ」

「ううん。大丈夫……」

 コヒナはそう言いながら、ノンカが物理的に遠くに行ったとは限らず、別の可能性もあるのだと気づき始めていた。


 コヒナとリヨリはミウミの部屋を出て、また校舎内をぶらぶらと歩いていた。

 先ほど一周はしたものの、何か見逃しがあるかもしれない。他にできることもなさそうだ。今は少しでも手がかりが欲しい。

 歩きながらリヨリが慎重そうに口を開く。

「ね、さっきコヒナが言ってた話なんだけど。昨日はノンカと夏休み何しようか話し合ってたのよね」

「うん」

「その時のノンカの様子はどうだった?」

「うーんと、さっき言った通りいつも通りだったよ。むしろ、夏休みがもう近いから、いつもより楽しそうだった」

「それなら、自殺はないわね。これから自殺しようとする人が夏休みの予定の話を楽しそうにするわけがないもの」

 先ほどの失言をリヨリは気にしていたのか、論理的に考えつつも最悪の可能性は消去できるとの考えを述べた。

 その言葉を聞いたコヒナは少し安心した。

「……うん。確かに」

 リヨリは再び言葉に気を付けながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

「でもね、そうするとノンカがコヒナに嘘をついてたって考えられるの。だってミウミの言葉を信じるなら、ノンカは三日前から失踪するつもりだったのよ。失踪すれば、ノンカは夏休み、コヒナといられないんだから」

「……」

 現在のところ、リヨリの頭をもってしても、納得できる説明はできなそうだった。


 少ない材料で考えてこんでもしょうがないので、休憩がてらお昼でも食べようというリヨリの提案で、コヒナとリヨリはお昼を食べることにした。

 購買に行き、コヒナはいつもの癖で焼きそばパンを買い、屋上に向かった。

 屋上にはいつも通り誰もおらず、二人は安心した。お昼はフェンスのそばで座って食べることにした。

 コヒナは水筒に入れた緑茶を飲み、ふぅと一息ついた。

「リヨリはお昼いらないの?さっき購買でもパンとか買ってなかったよね」

「私は大丈夫。気にしないで」

「そっか」

 コヒナが焼きそばパンに一口かじりついたところで、リヨリは口を開く。

「ね、コヒナにとってノンカはどういう子なの?」

「親友だよ」

 コヒナはきっぱりと答えた。

「ノンカが現れる前の私は全然駄目だった。いつもこうして屋上で一人でお昼食べながら、ずっと一人で考え込んでいるだけで何もできなかったの。でもノンカが現れてからは、ノンカといつも一緒にいて、ノンカに色々なことを相談して、励ましてくれて、一人で考え込むことはなくなったの」

 こうして口に出すと、ノンカが現れる前の自分の駄目さや、ノンカがいかに自分にとって大事な存在だったのか気づく。

 少し思い返してみれば、ノンカが消え、リヨリとミウミが声をかけてくれるまでのコヒナは、泣いていただけで、まさに以前の自分だった。

 コヒナにとって、ノンカのように一緒にいてくれる人物は必要なのだ。

 リヨリは「いいなぁ」とうらやましそうに声をもらした。

「コヒナにとっての恩人なのね」

「うん。でもノンカはそんなの親友として当然だからお礼なんていらないって言ってた。だからノンカは親友なの」

「ふーん……。じゃあ、ノンカと普段どんな話をしてたの?」

「他愛のない話ばかりだよ」

「それを聞いてるのよ。いつも屋上でこうしてお昼食べてたんでしょ?その時は?」

「うーん。ふと思い出したのは、パンの話かな。ノンカも購買のこの焼きそばパンが好きだったんだ。私とノンカは食べ物の好みも結構合ってて」

「へぇ。ノンカも焼きそばパンが大好物なのね。コヒナはお昼に毎日購買で焼きそばパンしか買わないから、さぞ焼きそばパンが好きなんだろうと思ってたけど。実は、結構ソースとかこだわってるらしいからかしら」

「うん、そうそう。甘いパンはあまり好きじゃなくて、あの購買は甘いパンばかりなのもあるんだ」

「二人とも大変なのね。ね、他にはどんな話をしていたの?」

「うーんと、コーヒーが飲めない話とかかな。ノンカにしかわかってもらえないから、二人でよく話したっけ。砂糖もミルクもいっぱいいれなきゃコーヒー飲めないんだけど、砂糖もミルクもいっぱい入れたらコーヒーに失礼な気がするからいつも大変なんだ、とか」

「へぇ。確かにコヒナって、いつもコーヒーに砂糖はシュガースティックで2本入れるのが癖よね」

「うんうん、そうなんだ」

 そんな話をしながら焼きそばパンを食べていると、いつもと同じパンのはずなのに、コヒナはよりおいしく感じた。

 しかし、同時に、理由はわからないが、コヒナにはリヨリの言葉が少しひっかかった。


   4


 お昼を食べた後も、二人は屋上にいた。

 お昼を食べる前はまた校舎内を散策するつもりではいたが、そろそろ行くあてもなくなっており、無理に行動することもなかろうとリヨリが提言したためであった。

 しかし、コヒナには焦りがあった。

 現在のところ、ノンカの足取りは全くつかめていない。先ほどリヨリは否定していたものの、ノンカが思わぬ形で消えることとなった――例えば誘拐された可能性なども、コヒナはまだ捨てきれなかった。そうなると、今こうして何もせずに屋上にいるのが、コヒナは耐え難かった。

 とはいえ、確かにもうあてはない。

 そこで、コヒナは、自分から、改めて現時点での情報を整理しようとリヨリに提案した。

「いいよ。私、考え事してると、整理せずにとりあえず口に出しちゃうのが癖なの。そのせいで、コヒナにはわかりにくい部分があったかもしれないよね。整理してみよう」

 コヒナは片手に収まるサイズのメモ帳をポケットから取り出し、リヨリの考えを書いていくことにした。

「じゃあ、時系列順に行くわね。まず、ノンカがコヒナの前に現れたのは、いつのことだったの?」

「え、そこから?」

「こういうときは前提になってることこそ、確定させるのが大事なの」

「ふーん……。えっと、クラス替えがあってしばらくした後で、珍しく30度を超えていた日だった。でも、長期休暇の手前くらいかな」

「なるほど。そうなると今から3か月くらい前?」

「うん」

 コヒナはメモ帳に「3か月前 ノンカ、登場」と書いた。

「それから今日まで、コヒナとノンカはどうしてたの?」

「いつも一緒にいたよ。ノンカといるととても楽しかったの。ノンカもいつも笑ってて、二人で笑ってることが多かったかも」

「いつもお昼は屋上で?二人きり?」

「だいたいは。でも、実は、たまにミウミも屋上に来てたんだ。その時は三人でお昼食べてたりしてたよ。ある時ふらっとミウミが屋上でお昼を食べてた私たちの前に現れたんだ」

「え、そうなの?」

「大事じゃないかと思って今まで話してなかったんだ。ごめん」

「聞かなかった私も悪いわ。ともかく、コヒナとノンカはいつも一緒にいたけど、たまにお昼はミウミも一緒だったって認識でいいのね」

「うん」

 コヒナはメモ帳の次の行に「いつもノンカと一緒、たまにミウミも一緒」と書いた。

 リヨリの思考はまだ続く。

「そうすると次は三日前か。ミウミが聞いた言葉ね。もうすぐ私はいなくなるとかなんとか。ミウミの聞き間違いじゃなければ、この時点でノンカは失踪を考えていたことになっちゃうんだけどね」

「うん……」

 コヒナはメモ帳の次の行に「三日前 ノンカ→ミウミ『もうすぐ私はいなくなる』と言った」と書いた。

「結局、ミウミ以外は誰もノンカのことはわからなかったのよね。それも大事かも」

 リヨリはメモ帳の次の行に「ミウミ以外にノンカの様子を知る者なし」と書いた。

「それで、昨日のことなんだけど、ちょうど期末試験が終わったのよね。確認になるけど、それ以外に何かあった?」

「さっきも言ったけど別に変わったことはなかったよ。夏休みに何するかって話を特に多くしてたくらいで」

「そう。でも昨日の出来事は大事かもしれない。何せ直前だからね」

 コヒナは一応メモ帳の次の行に「昨日 期末試験おわり。ノンカと夏休みのこと話す」と書いた。

「それで、今朝、ノンカが失踪したのよね。あと今日の時点で寮の部屋が片付けられてたのも確認した」

「……」

 コヒナはメモ帳の次の行に「今朝 ノンカ失踪。寮の部屋キレイ」と書いた。

「事実を整理する作業は終わったわね。次はこれから考える作業だわ」

 リヨリは指を1本立てた。

「まず、ノンカは事前には失踪するんだと分かっていたんだわ。これはミウミの話や寮の部屋がきれいに片付けられていたことから考えることができる」

 リヨリは指をもう1本立てた。

「次に、ノンカは少なくともコヒナに対しては変な様子はなかったことね。これはコヒナ自身の経験からわかるわ」

 リヨリはさらに指を1本立てた。

「それから、ノンカ自身はコヒナと夏休みに何かするつもりだったってこと。だって昨日、その話をしてたんでしょう?夏休み中も失踪するつもりだったなら、そんな話するわけがないわ。ノンカがコヒナをだます人間だとも思えないし、私はノンカは楽しそうだったってコヒナの言葉を信じるわ」

「うん。そうするとどうなるのかな」

 そこでリヨリは少し悩みこみ、慎重に言葉を紡ぐ。

「私の考えだと大きく分けて、2つ考えられる。でも一つは到底ありえないことだわ。だから先にそっちを言うわね」

「うん」

「じゃあひとつめ。ミウミが犯人」

「えっ」

 コヒナは、ありえないことだと予告されていたにもかかわらず、思ってもいなかった言葉に思わず声を出してしまった。

「だって、ノンカがおかしな様子だったっていうのはミウミの言葉からしかわからないんだもの。ミウミが嘘をついて、ノンカをどこかに閉じ込めてると考えていれば、すべて説明はつくわ。この場合、『ノンカは事前には失踪するんだと分かっていた』というのはミウミによる嘘になるわね。寮の部屋がきれいだったのは、昨晩コヒナが寝ている最中にミウミがノンカに部屋を開けさせたとか考えたらいいわ」

 確かに筋は通っていた。

 コヒナはメモ帳を持つ手を震わせながら反論する。

「ミウミはそんな子じゃないよ……。ミウミは前から知ってるけど、絶対そんなことをする子じゃない。それに、いくらなんでも、夜中に人が入ってきたら、私だってノンカと同じ部屋で寝てるわけで、私も気づくはずだよ」

「私もそう思うわ。だからこれは、理論上あり得るだけで、到底あり得ない可能性なの。ミウミを疑うこと自体、私もおかしいと思う」

「そうだよね……」

 コヒナはほっと一息ついた。

「じゃあ、ふたつめ。私がこれが本命だと考えてる」

 コヒナはごくりとつばを飲み込んだ。

 リヨリの推理は理路整然としていて信用できる。そんなリヨリはどう考えているのだろうか。

「ミウミは自分の意思で失踪したの。でもそんな物騒な話じゃなくて、ここでの生活が嫌になったとかその程度よ。寮と校舎を往復する生活が息苦しくなったのかしら。リフレッシュしたら、きっと何事もなかったかのように戻ってくる。ノンカ自身は夏休み中には戻ってくる予定なんじゃないかしら。コヒナと夏休みの話をしていたんだものね。そもそも、夏休み中は寮から出て帰省してもいいわけで、ノンカがちょっと早い帰省をしているようなものよ」

「……」

「事実を総合するとこんな感じかしら。だから、ね、コヒナ。不安がらなくていいの。ノンカが戻ってくるまで、私が一緒にいてあげる」

「……」

 リヨリの推理は筋が通っているはずなのに、コヒナはなぜだか急にリヨリの言葉が信じられなくなった。


 コヒナは、自分でこれまでのことを思い返してみた。

 リヨリと会ったのは今日屋上で会ったのが初めてだ。だからリヨリのことはあまり知らない。

 でも、この短時間のノンカについての情報集めを通して、コヒナにとってリヨリは信頼に足る人物になっていた。

 それなのに、なぜ急に信じられなくなったのだろう。

 ……会ったのは今日が初めて。屋上で泣いてた時に現れた。

「ねぇ、リヨリ。私たち、今日初めて会ったのよね」

「何を急に。そうに決まってるじゃない」

「じゃあなんで、私がお昼に毎日購買で焼きそばパンしか買わないことを知ってるの?」

「……」

「コーヒーのこともそう。なんで私が癖でシュガースティックを2本入れることを知っているの?私、今日はコーヒー飲んでないよ」

「……」

 コヒナが先ほど感じていた違和感はこれだったのか。

 リヨリは何も話さない。

 口に出すと、コヒナの考えは止まらなくなった。

「焼きそばパンのこととか、コーヒーのこととか、細かすぎる話だよね。そんな話は人から聞くことなんてないはず。ましてや今日初めて会ったんだから。リヨリと会ってからはずっとリヨリと一緒にいたし……。ねぇ、なんでそんな細かいことを知ってるの?ノンカとも挨拶や世間話をする程度なんだよね。どこから私の情報を仕入れたの?」

「……」

「思い返してみれば、今日リヨリが現れたタイミング、リヨリにとってすごい都合がいいと思わない?屋上で泣いてた私の前にいきなり現れて――」

「それはミウミも一緒よ」

 リヨリが急に口を挟む。

 しかし、コヒナはその反論も予想していた。

「ミウミはふらっと屋上に来ることがあるの。それに、ミウミとは以前から一緒に屋上でお昼を食べていたことがあったんだもの。ミウミが屋上に来ても何もおかしくない。でも、リヨリは屋上で見たことなんか一度もない」

「……」

 リヨリはまた黙ってしまった。

 コヒナの口から出る言葉はリヨリを責め立てるよう。しかし、一度生じた疑惑は、膨れ上がるばかりだった。

「ねぇ、なんでリヨリは私のことを知っているの?なんで、今日、あのタイミングで現れたの?もしかして、今までずっと私を監視してたの?理由はわからないけど、ノンカが邪魔だったの?ノンカを消したから、リヨリが私の前に現れたの?私がリヨリのことを信頼してしまう一番いいタイミングで、リヨリは現れたの?私の変な妄想だったらそう否定して」

「……」

 リヨリは特に表情を変えなかった。

 そのうち、リヨリは一度大きく深呼吸をした。

 そして、改めてコヒナに向かって、言った。

「うん。私が犯人だよ」


  5


 屋上には、コヒナとリヨリの他に誰もいなかった。

 夏休みが近づいているある夏の日。時折吹く風が気持ちいいとはいえ、何もしなくても汗をかいてしまう暑さだ。

 しかし、コヒナは暑さを感じなかった。もっとも、違う理由で汗はかいていた。

 メモ帳の紙が、手の汗で湿る。

 顔から汗がしたたり落ちる。

 しかし、目の前のリヨリは汗一つかいていなかった。

 それが余計、コヒナにはリヨリが別世界にいる人物のように思えた。

 リヨリは、今度はコヒナの方を向かずに、独り言のように話し始めた。

「私ね、コヒナと仲が良かったノンカが妬ましかったんだ。ノンカがいなくなったときは本当に嬉しかったの。これからコヒナに近づけるのは自分だけだってね。ノンカが消えた時は、本当にびっくりしたわ」

 コヒナは、リヨリの話す内容の意味が分からなかったし、リヨリの言葉の抑揚からリヨリの感情を読み取ることもできなかった。

 それが一層コヒナを怯えさせた。

 しかし、さっき、リヨリは自分が犯人だと言ったのだ。

 ならば、ノンカのためにもリヨリから話を聞かなければならない。

 コヒナは意を決して口を開いた。

「何を言ってるの?ノンカをどこにやったの?」

「ノンカは消えたのよ。確かに私が犯人だけど、ノンカが消えたことは、私にとって奇跡だったの。だって、私は、ノンカでもあるのよ」

 コヒナはますます理解できなくなった。

 リヨリがノンカを連れ去ったのではないのか?

 奇跡って何?

 リヨリがノンカ……?

「あ、あなたが何を言ってるかわからないけど、リヨリがノンカなら、リヨリが現れたときに、ノンカと仲のいい私が気づかないはずがない!ミウミだって!」

「ううん。コヒナは絶対に気づかない。ね、自分で考えてみて。寮の部屋はどうなっていたの?ノンカを知ってる人は誰がいた?ノンカが現れたのはいつ?コヒナはノンカといつもどうしてたの?昨日は何があったの?」

「え……え……?」

「ミウミのことは分からないけど、私はコヒナのことだったらなんでも分かるの。私は、名前さえ変えれば、コヒナの前で別人になれるの。私はノンカ。でも、今はリヨリ。私はコヒナとこうして会えて本当に嬉しい。それこそ奇跡よ。私はあなたでもあるんだから」

 コヒナには、リヨリの言う意味がまったく分からなかった。

 分からなかったが、何かが割れる音がしたような気がした。

 リヨリは何を言ってるんだろう……。さっきは何が割れたんだろう……。でも何かが分かった気がする……。食べ物の好み……。物理的に遠くに行った以外の可能性……。頭でぐるぐる考えていくうちに、コヒナの意識は遠のいていった。


 静かになった屋上に、足音が響く。

 コヒナを探して、ミウミが屋上にやってきたのだった。

 倒れているコヒナを発見したミウミは、急いでコヒナに駆け寄った。

 屋上には自分を含めて二人しかいないため、自分がどうにかしなければならないと思ったのだ。

 しかし、近づいてみれば、コヒナは気を失っているだけだった。

 ミウミは安心して、コヒナの頭をやさしく抱きしめた。

「こっひーは一人で遊ぶのが本当に得意だね」


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