1.25.違う混餓物の地
一人の男が大きな紙を広げていた。それをクルクルとまわしながら周囲を確認し、また回しては周囲を確認する。
周囲を確認するといっても、見ている方向は一つの方向だけだ。何故か。それは男が見ている風景の半分が海だからだ。
立ち止まって紙を回しているが、浜には障害物が全くと言っていい程なく、強い風が男を容赦なく叩きつける。手に持っている紙が容易に吹き飛ばされるほどの強い風だが、男は風などないかのように紙を綺麗に広げてにらめっこをしていた。
「……何処なんだ。ここは何処なんだ」
そう呟いて歩きだす。止まっていても何も始まらないのだから。
しかしその思考を引き止めるかのように、足は砂に埋もれて歩む速度を遅くする。だがやはり止まるわけにもいかない。埋もれた足を少しだけ大げさに上げ、また一歩、また一歩と踏みしめて進んでいく。
今見ている視界の半分は海だ。もう半分は浜と気持ち程度の松のような木。後は乾燥に強そうな植物が周囲に生えているくらいである。
手に持っている紙……地図を見て海辺を睨んでみるが、自分がどこから来たかもわかっていない状況で、現在地を特定するのは非常に困難だ。
ましてやこの男は旅のプロでもなければ、一人旅をしているわけでもなかった。まずは仲間と合流しなければならない。一人であればぶらぶらと歩きまわることもできるのだが、仲間がいる以上そうは言っていられない。
来た道を戻ろうか。いや、向かうべきところに向かうべきか。とは言ってもここがどこだかわからない為、何処に進めばいいのすらもわかっていない。今は完全に手詰まりな状態にあった。
どうしようかと考えるまでもなく、とりあえず動く。来た道を戻ればよかったのかもしれないが、すでに来た道など覚えていない。この男はそれほど物覚えのいい方ではなく、直感で進むタイプだった。その結果がこれだ。正直に言ってしまえば迷子である。
この年になって迷っている子と書かれる字に相対することになるとは思ってもいなかっただろう。恐らくそれは仲間達にも思われていることだ。自分の不甲斐なさが身に染みてくる。
男はおもむろに懐から瓢箪を取り出し、やけになったように中に入っている液体を煽る。ふうと一息ついた時、周囲には酒の匂いが漂った。
中に入っているのは酒だ。このような状況下で飲んでいいものではないと思うが、それでも飲まなければやっていられなかった。
迷ってから三日。仲間達の追跡もなければ人の声が聞こえることもなく、ただただ自分の現在地を探り当てようとしていた。無駄なことであるかもしれないが、それでも何かしていなければ本当に帰れないような気がしていたのだ。だから歩き、その地形を把握し続けた。
瓢箪をしまうと今度は濃いベージュ色のタバコを取り出して火をつける。だが強風のせいで思うように火がつかない。なので服の中に手とライター、そしてタバコを突っ込んでその中で火をつけた。多少危ないやり方ではあるが、それも一瞬のことだ。すぐに終わった。
口の中一杯に煙を入れてから肺の中に落としていく。男の深いため息と共にその煙は肺の外へと放出されていった。
男は煙草をくわえたままスッパスッパと遊ぶようにして煙を吸い込み、そして吐き出す。この三日間、この動作を幾度となく繰り返してきたが、流石に飽きてきた。
とはいってもこれ以外にやることと言えば地形を見て回ることくらいだ。時間はかかるし腹も減る。それに加えて──。
ズザァアアアアア……。
突然、目の前の砂が持ち上がったかと思えば、その中から驚くほど巨大な虫が現れた。茶色の甲殻を外殻に用いており、口には黒い牙が付いていた。見た目はセミに近いかもしれない。そして何処からか伸びてきた緑色の植物。その植物には所々に紫色の棘のようなものが付いており、明らかに毒と思われる液体がその棘から滴り落ちていた。
普通であればこのような化け物を見れば驚き腰を抜かしてしまうだろう。しかし、この男はそうではなかった。
驚くことはおろか声も出さず、心底面倒くさそうな表情でその化け物を睨みつけていた。またか。男はそう呟いて煙と共にまた大きくため息を漏らす。
その瞬間、男の目線は化け物から外れた。
それを見逃さなかった巨大なセミ。一気に緑色の植物を男めがけて飛ばしてくる。
「……ニコ」
途端、植物が細切れになった。勢いは残しているため、その植物は男の周囲に飛び散るように散らばっていく。事態を把握したセミは驚くように一度だけ瞬きをした。一度だけだ。しかし、もう目を開けることはできなかった。
◆
男は細切れになったセミの死骸から肉を頂戴していた。
この生物は植操ザゾリという混餓物で、植物を肥大化させ、それを操って獲物を捕縛する。サソリと名前が付けられているのは、昔この混餓物が操る植物が体の一部ではないかと言う仮説から付けられてしまったものだ。
実際はただのセミの成虫のような姿をしているだけだ。地面に足を埋めていれば周囲の植物は操れるらしいのだが、この混餓物は好んで砂浜に生息したがる。理由は定かではないが、仮説では地球で確保した遺伝子が砂地にいる生物だったのが原因だと考えられている。
しかしこの混餓物の肉は美味だ。過酷な環境下で食料も少ない場所ではあるのだが、そのせいか肉は引き締まっており、巨大なカニを食べているような気持ちになれる。
身は柔らかいし、そのままでも普通に食べれる。水分もミネラルも豊富な素晴らしい食材である。このような過酷な環境では重宝される混餓物であるのは間違いはない。危険であることに変わりはないが。
男はからっぽの腹に植操ザゾリの肉をどんどん突っ込んでいく。その体のどこに入っていくのか不思議ではあったが、足を三本食べ終えた頃にようやく手を止めた。
「……飽きるな」
この男、実はこの三日間この肉しか食べていないのである。今までに倒してきた植操ザゾリは四匹。はじめは珍味に心を躍らせていたが、三匹目を食べ終えた時には、すでにこの味に飽きていた。塩でもあれば変わるのかもしれないが、今持っているのは残り少なくなった酒だけである。後タバコ。勿論試してみたがおつまみを齧っている気分にしかなれないので、この肉と一緒に酒を飲むのは二日目でやめた。
男が漏らしたため息は、ただまた同じ食材を食べなければいけないのか、と言う呆れからだったのだ。
だがそうは言ってもこれは大事な食料だ。すぐに他の足を解体して風呂敷の中に包み込む。包み込んだはずの肉はいつ間にか質量をなくして消え去っているが、男はそれを無視してまた歩き始めた。
「おーーーーい。封弥ーー。水野ーー。どこだくそったれーーーー」
届くはずのない仲間の名前を虚空に向かって叫ぶ。山びこすら帰ってこない。それもそうだ。ここは障害物が何も何のだから音すらも帰ってこないのが普通なのだ。
そう。普通であれば。
『あれー!? やーっと届くところまで来たんですねー!』
「ちっ……おせぇんだよクソが! 俺がどれだけ彷徨ったと思っていやがる!」
『ひ、ひえー! 勘弁してくださいよ! 僕達だってがんばったですよー!? もとはと言えば水野のせいですけども……』
「そんなことはどうでもいい! お前ら今何処に居やがる! さっさと俺を回収しろ!」
『ひー! わ、わかりましたよう! そこから東に向かってください!』
「東ってどっちだよ!」
『海と反対の方向ですー!』
やっと進むべき方向が定まった男は、海を背にして松のような木が生えている方へを足を運んだ。近づくにつれて足場がだんだんと良くなっていることを確認しながら、常にぐちぐちと悪態をついていた。恐らくこの悪態も聞こえているのだろうが、あえて聞かせているのだ。何も問題はない。
「ったく。日本でもスパイやって、片付いたと思ったらこっち側のスパイかよ。まったく、人使い……風使いが荒いんだよな。あの人は」
それから少し強く地面を蹴って歩く速度を上げていった。




