邑×智恵―甘い夢とその続き。:立成17年3月
カーテンの隙間から指した光で、目が覚める。抱き合った体は、惜しげも無く真っ白な肌を晒す。ゆうべの夢見たいに濃くて甘い時間が、真実だったと告げるかのように。
……ようやく、愛せたんだな、私。その事実は、智恵に抱かれて、甘い夢を見させられたときと同じくらい、心臓を高鳴らせる。私の体の動き一つで、高く啼かせた声も、快楽の波に悶えて、とろりとした甘酸っぱい匂いの蜜をとめどなく溢れさせた姿も。今思い出しても、私まで快感が背中を走り抜けていく。
愛は、使い方を間違えてしまえば、簡単に心を壊す凶器になってしまう。その事は、私が痛いほど味わった。智恵に愛されたときはよかった。はじめから、私を大事にしてくれるのも、優しいことも、わかってたから。でも、私がするとなったら?……そのとき、どうなってしまうのか、わからなかった。私がしてもらったときだって、全部奪われてしまいたいという欲望が熱を持って、とめどなく溢れていたのだから。まして、無防備になった恋人を好きにしていいってなったら、……何をしでかしてしまうか、わからなくなってしまう。だから、無事に智恵が気持ちよくなって、何よりほっとしたのは私のほう。
寝転がったまま、長い黒髪を軽く漉く。するりと指を通る感触に、几帳面さを感じる。私のことを好きでいてくれて、いつも一番の姿でいようといてくれる智恵が好き。面と向かっては言えないけれど、ずっと、胸の中で思ってる。
「んん……、ゆう、さん?」
「智恵?まだ、寝てていいからな?」
「そうですか?……ゆうべは、遅かったですからね」
「ああ、そうだな。まだ7時だし、もう少し大丈夫だから」
起こしてしまったかな。罪悪感が胸をよぎって、それすらもかき消される。背中に回された智恵の腕が、きつくなって、顔を寄せられる。本当に、甘えんぼになっちゃってるな。軽く唇を寄せてしまう私も、同じようなものか。
何のためらいもなく重なった唇に、自然に笑みがこぼれる。少し気だるげな朝、布団をかけてなかったせいか、少しだけ肌寒い。
「いいですよ、もう少しこうしてたいし、……ちょっとだけ、話したいことがあるから」
「それで、何だ?」
「昨日は、邑さんから初めてしてくれましたよね」
「そうだな、それがどうかしたか?」
昨日のことは、同じ時間を分かち合ったのだから、そんなの聞く意味なんてないじゃないか。怪訝に思う私をよそに、智恵の唇は言葉を紡ぐ。目線を逸らされるだけ、
「ずっと、自分から触りたくないって言ってたのに、どうしてゆうべは触ってくれたんですか?」
「え、それは、だな……」
壊してしまうのが怖かった。だから、私からは智恵のことを深く繋がれなかった。それなら、昨日はどうして、自分から触れたいなんて思ったのだろう。頭を巡らせて、あの時のはじまりになった言葉を思い出す。
好き。もっと繋がりたい。目をそむけたくなるほどに気恥ずかしくて、真っ直ぐすぎる感情。あの瞬間は、別に私からって決まったわけじゃない。でも、頭がかけてたブレーキで止まれなくなるほど、胸の中で湧いた感情は熱くて重かった。
たったそれだけ、なのかもしれない。恋人になってから、もうずいぶんと経ったけれど、はじめは何故智恵のことを受け入れられたのかわからなかった。誰も、愛せなくなったはずで、それどころか、もう誰も愛さないはずだった。
それなのに、いつの間にか心の扉はこじ開けられていた。忘れていた、封じ込めていたはずの感情が、溢れていて、何をどうすればいいのかもわからなかった。
「知りたいです、邑さんの気持ち」
「そう言われたって、私だってあんまりつかめてなくて……」
もやもやした気持ちの整理をつけてくれたのだって智恵からで、いつだって受け身だな、私は。自分から行動することはそこまでないけれど、ことに智恵との関係は、いつだって手を引っ張られてたな。
だから、私から一歩踏み出したことには、私も少し驚いている。それと同時に、安心した。私の中にあった呪いじみた束縛は、もうほどけて消えてしまったんだ。
「ゆっくりでいいですよ、私だって、ちゃんとしたことはあんまり言えないですから」
「いい、ちょっとだけ、わかってきたから」
「そう、なんですか?」
控えめだけれど、目の奥の光が急に強くなったような。期待の目線がまぶしい、それだけ、私の気持ちを知りたがってくれてるんだな。わかってる。だからこそ、……怖かったんだ。
「触れたくないわけじゃなかったけど、怖かったんだよ、傷つけることだってあるのは、わかってるし」
「わかってますよ、……私がしたときは、どうだったんですか?」
「智恵だったら、いいって思ってた、……怖くなかったって言ったら、嘘になるけどな」
智恵のことを受け入れられたのも、今思えば不思議だ。私が呪いをかけられたときと、同じことをされたのに。口づけも愛情も、心ごと繋がることも、怖かったけれど、その瞬間は何もわからなくなるほどに。
「ごめんなさい、あのときは」
「別に、謝らなくてもいい、昨日の私も、似たようなものだから」
もっと、知りたくなったんだ、智恵のことを、もっと。そうでなかったら、こうやって、もっと愛したいなんて思えないから。……だから、私も、同じだ。似てるなんて言葉で濁せないほどに。
今はただ、愛したい。私の全部で、智恵の全部を。十年も前の私なら、拒絶してたはずの感情は、今ならすっと心に沁みる。
「邑さんも、変わりましたね」
「そうか?……まあ、そうかもしれないな」
「そうですよ、笑ってくれるようになったし、最近は、私に甘えてくれるようにもなってくれてますし」
そうしてくれたのは、目の前で優しく微笑むあなただっていうのに。自分が変えたんじゃなくて、私が変わってくれたと思ってるんだ。手を引っ張ってくれなかったら、きっと私は暗闇に取り残されたままだったのに。
「それなら、……智恵のおかげだから」
「そんな……っ、私はただ、そばにいただけですから」
「そんなことないから、……私だけじゃ、こんな風に変われなかった」
軽く頭を撫でると、力が抜けたように目を閉じる。私も、ただもらうだけじゃなくて。
私もちゃんと、愛せるんだ、愛したい人のこと。
「……でも、変われたのは、邑さんの力なんですよ」
「……ありがとう」
真っ暗だった私の世界に、光を照らしてくれたことも。
冷えていることが当たり前だった心に寄り添って、温めてくれたことも。
感謝しようにも、しきれないな。一生掛けたとしても、きっと。
甘い贅沢だな、こんなの。苦笑いが、思わずこぼれた。