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第3章 球体関節人形作家



「これ、異形さんの車ですか? すげー!」


「例の税理士が、税金対策で高い車買えって言うもんでね」


 VOLVOのXC60。大人気のSUVだ。


 色も渋いブルーで品がある。


 何より、VOLVOの安全装備と車体の頑丈さは世界一だ。


「どのくらいしたんですか?」


「フル装備にしたから、1000万くらいかな」


「インスクリプションって、一番高いグレードの奴ですね。でもBMWやベンツにしなかったのはセンス感じますね」


「それだとみんな乗ってるじゃん。特にこの業界、多いし。悠君は向こうじゃ何乗ってるの?」


「シトロエンのC4カクタスです」


「あー、あれも可愛いよね。」


 親からは黒塗りの高級国産車を買えと言われている。僕のシトロエンは真っ赤なので、お偉いさんの葬式の時とかには浮いてしまうのだ。



 今日はこれから異形氏の車で、国立の方まで出かける。駅から遠いところなので、電車だとかなり不便なのだ。


 ⅩC60は凄く快適だった。シートの感じも申し分ないし、何よりもカーステの音が凄く良い。なんでもスピーカーが15個も付いてるらしい。


「これ、運転席はマッサージシートなんだよね」


「もう、車の中に住めますね」


「それはそれで、家に帰らなくなるからヤバいよね」 




 目的地が近づいてきた。


 大御所の球体関節人形作家である荊姫さんのアトリエだ。


 郊外とは言え、とても東京だと思えないような大きな日本家屋だ。広い庭や縁側もある。


「異形さんは前に来た事あるんですか?」


「今回が2回目だね。前に荊姫さんの人形写真をカサンドラのジャケットに使わせて貰った事があって、その時に一度お邪魔した。その時は電車だったから、駅からタクシーで結構掛かったよ」


 そういえば、カサンドラのファーストアルバムのジャケットは荊姫さんの人形の写真だった。僕はその時代は直接知らないのだ。


「そもそも錦織さんが姫と昔から仲良かったんで、いつかカサンドラが音源化される時は、私の人形の写真を、って話だったみたいでね」


「それにしても、大邸宅ですね」


「荊姫さんの作品だと、一体が300~500万円はするだろうからね。予約が2年待ちで、海外の有名アーティストとかも顧客にいるみたいだしね」


 なんでも超一流の人は違うもんだ。


 荊姫さんの造る人形は、ひたすら美しい。


 眼を瞑っている人形なんて、本当に眠っているんじゃないかと思うくらいの錯覚に陥る。



 僕はイベントの時にしか荊姫さんに会った事はない。


 荊姫さんのエージェントであり、有名な人形コレクターの人形屋藤助さんが渋谷に人形のギャラリーを持っていて、たまにそこでパーティが開かれていた。


 フェティッシュ・ショップの店長、官能小説家、CGイラストレーター、装丁家、縄師、高名な漫画家、コルセット・デザイナー、ヴィジュアル系バンドマンと、いろんな妖しい人たちが集まる宴だった。


 人形屋藤助さんはおしゃべり好きなおじいちゃんで、僕の事を孫のように可愛がってくれた。


 そして薫子も。


 薫子は高校を卒業してから、一時期藤助さんの渋谷のギャラリーで働いていた。そこは、働いてる子も人形のように綺麗な子で統一していたのだ。特に薫子は、荊姫さんの造る人形に顔立ちが似ていると専らの評判だった。


 その頃には、僕らは深い仲になっていた。


 初めて会った時から僕は薫子に惹かれていたし、薫子は僕を雑誌で観た時からファンになり、意を決してお茶会にやって来たそうだ。


 お茶会に一人で来る子は珍しい。たいてい、友達と一緒だ。


 薫子には、その時そういった趣味を持った友達が周りにいなかったからなのだが、一人で来ていたからこそ、僕とゆっくり喋る事が出来たとも言える。


 二人が出会った事には、いろんな偶然や必然が絡んでたのだ。


 薫子には両親がいなく、親戚の家に預けられていたようで、それもあって早く家を出たがっていた。


 ジャックKで読者モデルに採用され、すぐに人気が出てギャラの貰える仕事が多くなり、引っ越し資金を貯めていたようだ。


 高校卒業と同時に家を出て、人形ギャラリーで働きながらモデルもやっていた。


 マンションは一応借りてたのだが、ほとんど僕のところにいた。帰るのは、着替えを取りに行く時くらいだった。


 僕たちは体型は正反対だったが、趣味嗜好は似てたし、身体の相性も抜群だった。


 いつまででもおしゃべりし、寝ないで抱き合った。


 いい加減にしないと死ぬんじゃないかと思ったくらい。お互い若かったのだ。


 薫子は生まれてからずっと孤独だった。


 綺麗過ぎる顔は、小さい頃は憎悪や欲望の対象になる。人に言えないような酷い目に合った事も何度もあったようだ。


 それもあって「死について」ずっと考えるようになったという。そこからゴシックやデカダンスな世界にハマっていったようだ。


 そしてその趣味嗜好が薫子をますます孤独にさせた。周りにそういったものを好む友達が皆無だったのだ。


 中学校にはヤンキーしかいなかったようだ。


 そしてそこでも薫子の美しい顔が災いする。


 性欲まみれの男子と嫉妬に狂った女子。毎日が地獄だったと言っていた。


 薫子が上手く立ち回れる子だったら全く違ったのだろう。毎日が楽しかったかもしれない。


 だが。


 生憎、僕らはそんなに器用ではないのだ。


 実際、出会ったばかりの頃の薫子は、何かに怯え続けて、いつも僕にしがみついてきた。


 僕はいつも薫子を抱き締め、落ち着かせなくてはならなかった。



「悠君、元気だった?」


 荊姫さんは相変わらず優雅だった。


 家の中はローラ・アシュレイで統一されていた。ロマンティックな英国風カントリー調だ。


 荊姫さんの机だけ、最新鋭の巨大なマッキントッシュとモニターが置かれていて、異質な感じだ。


 普段は工房にいるお弟子さんが紅茶を運んでくれた。器はロイヤル・コペンハーゲンのようだ。


「荊姫さん、ご無沙汰しております。急に田舎に帰っちゃったんでご挨拶も出来ず、申し訳ありませんでした」


「実家のご商売を継いだんでしょ? 成功してるって聞いてるわよ」


 荊姫さんは笑い方も優雅だ。


「異形さんもお久しぶりじゃない? いつぞやのジャケット、私はまだ納得してませんよ」


「いやあ、そこら辺は姫と錦織さんで話し合って貰わないと、私に決定権は無かったんで」


 どうやら荊姫さんと錦織さんの間で意見の相違があったようだ。


 異形氏は間に入ってたいへんだったんだろう。まあ、そういった事は表には出さない人だが。


「錦織さんは古い友人ですからね。あの人、一度言い出したら引かないし、ご自分の作品には一切の妥協はしないでしょうからね」


「私の仕事は、アーティストの方がやりたい事を実現させる事ですから」


「聞きましたよ。ピアノはベーゼンドルファーかスタインウェイじゃないと嫌だって言ったんでしょう?」


 どちらも高級ピアノメーカーだ。一台一千万円近くはする。


「スタジオ見つけるのたいへんでしたよ。そりゃあ高いスタジオならいっぱいあるんでしょうけど、予算は限られてましたからね」


「でもその次に出したアルバムはピアノは打ち込みだったんでしょう? よく錦織さんが納得しましたね」


「今は『ピアノ音源』っていう便利なものがありましてね。ベーゼンドルファーやスタインウェイ、ヤマハなんかのピアノを最高級のスタジオで最高級のマイクを使って、88鍵分、10通りのタッチで弾いてる音源がメーカー毎に出てるんですよ。それをパソコンに取り入れたら、本物と寸分違わない音が出せます」


「あら。でも打ち込みってすぐ分かるんじゃない?」


「今の打ち込みは凄いですよ。実際、姫だってカサンドラの『天上の音楽』のピアノが全部打ち込みだって気付かなかったでしょ?」


 そうだったのか! 僕も気付かなかった。


 という事は、みっちゃんの同級生は最初のアルバムのレコーディングだけやって留学してしまったのか。


「そう言えばそうねえ。凄い世の中なのね」


「姫だってMac駆使してるじゃないですか」


「今は立体のものを造る時に便利なソフトがいっぱいありますからね。一度慣れてしまえば後が楽ですし」


「楽器と一緒ですね」


「デジタルは創作を変えましたものね」


 確かに、10年前とはまったく違う。ウチでも印刷やHP作成を請け負っているので、PCが無ければ何も出来ない。


「変わらないのは我々くらいですかねえ」


「確かに異形さんは変わりませんね。あの頃よりはお金は潤ってるみたいですけれど」


「姫に言われたくないなあ」


 異形氏も荊姫さんに負けないくらい優雅に笑った。



「今日は薫子ちゃんの事を訊きに来たのよね?」


 いよいよ本題だ。荊姫さんは遠くをみつめるような瞳で語り出した。


「初めて藤助さんのところで会った時はびっくりしたわよ。自分の造った人形が動き出したのかと思ったくらい」


 作者本人がそう思ってたというのも凄い話だ。


「彼女、しばらくウチの工房で働いてたの。2009年から10年に掛けてだから、8~9年前になるかしら」


 僕が田舎に帰った翌年からの事だ。


 その時には既に僕は薫子とは連絡を取り合っていなかった。薫子は全てのSNSを止めてしまったので、近況も分からなかった。


「何か、憑かれたように人形造りにハマってたわね。どういう心境だったかは分からないけど」


「荊姫さんのところで働きながら、自分の人形も造ってたんですね?」


「ウチで働いてる人はみんなそうね。内弟子みたいなものよ」


 そこまで言って、荊姫さんは少し眉間に皺を作った。


「ただ、薫子ちゃんののめり込み方が半端じゃなくてね。食事も睡眠も摂らずに造り続けて、倒れちゃった事もあったし。なんというか、鬼気迫るものを感じてたのよね」


 昔から、好きなものには夢中になる性格だった。しかし、そこまで極端にのめり込んだものを僕は知らない。


「特に2年目のゴールデンウィークくらいからが酷くてね。何かあったんじゃないかと思っていろいろ訊いたんだけど、本人は何もないって言い張るし」


 何かあった事は確かだろう。ただ、薫子はそういった悩みを他人には相談出来ない子だ。


 それが例えお世話になっている荊姫さんでも。否、荊姫さんだからこそ言えない悩みだったのかもしれない。


「その時の作品があるけど、観てみる?」


「是非、お願いします」


 荊姫さんは工房に内線を掛けた。


 お弟子さんの持って来た人形は、明らかに病んでいた。


 包帯でぐるぐる巻きにされ、四肢が無かった。最初から造らなかったのではない。造った後に切断したのが断面で分かった。


「この人形を観て、もうこの子はここにいない方が良いと思ったのよね」


「賢明な判断だったと思います」異形氏の言葉に、僕も頷いた。



 薫子は17歳の時と23歳の時にかなり病んでたという事だ。


 17歳の時は僕が傍にいた。それが少しでも薫子のやすらぎになっていたのなら本望だ。


 そして23歳の時、薫子には誰も寄り添う人間がいなかった。荊姫さんみたいに尊敬する人はいたんだろうが、同じ目線で接してくれる友達はいなかったんだろう。


 僕らが別れた時、薫子は21歳だった。


 独占欲の強かった薫子は、僕がファンの女の子たちにチヤホヤされるのが耐えられなかったのだ。


 それは、ようやく手に入れた宝物を他の誰かに取られたくないという子どもじみた考えだったのかもしれない。


 若かった僕は、束縛を嫌った。


 何よりも、自由である事を選んだのだ。



 僕は薫子に恨まれていたのだろうか?



 帰りの車の中、荊姫さんから「悠君が持ってた方が良いと思う」と渡された薫子の人形を観ていると、巻いている包帯の中に何かのメモが挟まってるのに気付いた。


 


「2001年 → 2016年 29歳


 2004年 → 2026年 39歳


 2010年 → 永遠        」


     


 これはいったいなんだろう?


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