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プロローグ



 悲報はいつも突然飛び込んでくる。



 今回もそれは例外ではなく、朝の日課として開いたFacebookで知らされた。


 もう10年以上会ってない、かつて私の恋人だった薫子。


 今年31歳。


 私と9歳違いだったのだから間違いない。まだ東京で暮らしてたはずだ。



 私は30歳の時に東京を離れ、故郷である九州の人口10万人程の小さな市に戻って来た。


 親の会社を手伝い、社長に就任してからは東京時代に培ったノウハウを取り入れて事業を拡大した。


 親族5人で細々とやっていた小さな印刷会社が、今ではイベント・プロデュースやHPの制作等も手掛け、社員も20人ほどに増えた。


 JC(青年会議所)という2世社長が多い団体にも入り、今年は40歳定年のそこを卒業してYEG(商工会議所青年部)入りが決まっている。


 ここの地域のYEGの定年は50歳だ。JCと違って地域によって定年の歳は違うらしいが、どこも概ねそれくらいらしい。


 どこが「青年」なんだろう? と思わないでもない。


 この10年、しっかり地域に根を下ろして経済活動をしてきたつもりだ。学校の評議員や観光協会、ボランティア団体の理事を初め、いろいろな地域の役職にもついた。


 肩書は名刺に収まらないくらい増えた。


 東京時代をおぼろげながら知ってる両親はすっかり安心したみたいで「あとは結婚して落ち着いて、そのうち孫を…」なんて言ってる。



 平凡だが安定した暮らし。


 毎朝7時に起きて0時には寝る毎日。


 どちらも東京時代は無縁だった。


 かつては、毎日が目まぐるしく、朝方寝て、昼過ぎに起きる生活だった。


 まさか私がこんな真っ当な人生を送れるようになるなんて!



 詳細が知りたくて、Facebookで今も繋がっている東京時代の知り合い何人かにメッセージを送る。他にもTwitter、mixi、Instagram、LINEと、とにかくあらゆるSNSを駆使して情報を集めた。



 結局、一番詳細が分かってるのは最初にFacebookに情報を揚げてた、かつての私の師匠筋の人だった。


 まだ学生で、何も知らなかった私に東京のアンダーグラウンドの世界やイベントのノウハウを教えてくれた人。



 私はすぐに東京に行く事を決めた。


 幸い、仕事は大きなイベントが一段落したばかりで、急ぎのものは無い。


 旅行用のキャリーバッグに洋服を詰め込み、飛行場へ向かう。



 今はいろいろな社会的、地位的な制約も多くて一人称は「私」を使っているが、東京在住中は昔に戻り、「僕」で語る事を許してほしい。


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