肆
7月12日修正しました。
「そう分かったわ。面会を許可します。
男性も同席するのです私が表に出ますので用意と返答をお願いします」
重厚な執務机の上の膨大な書類から目も上げず、専属文官に指示を出す。
上司が多忙故に無駄を嫌う質であることは承知であるが、規則に厳しい彼女が思永門から上がって来た時間外の面会希望に承諾するとは想定外だった。業務終了の報告も兼ねての返答が判り切った面会希望だったので、まさかと愕然とした。これで残業が決まったことにも衝撃を受けていた。
気力で部屋をしずしずと辞去すると、半ば八つ当たり気味に上司が表と指示した外部の人間と面会するための棟へと足音高く向かっていた。
「全く、こんな時間になってから面会なんて、女官長様はどうなされたのかしら」
表の面会室に供えられている給湯室で人数分の茶菓の準備をしながらぼやく専属文官は元は上司の子飼いの女官だった。女官長の実家である伯爵家の寄子である男爵家の娘で、女官長が現在の役職になる前に入宮した。結婚相手を探すための初期の期待は、諦めからの女官としての出世へと入れ替わり、厳しくとも引き上げてくれた女官長の為に働く毎日だった。
そんな彼女にしても、女官長のこの言動には首を傾げる事しかできなった。
女官長の職分を私化することも無く粛々と皇家に仕えてきた人だ。規則や法に抵触する行動には厳しく対処し、時には皇帝陛下にさえ意見し、それゆえに陛下からは2代続けて信頼と絶大なる支持を得ている方だ。
そんな女官長が自ら規則を破ることはかつてない珍事とも言えた。
自分が良く考えもせずに持ち込んだ面会希望がもしかしたらとんでもない事の前触れなのかもしれない、などと想像する癖は無い専属文官だったが、前代未聞であることは間違いなかった。
「ここまできたら覗いてみたいけど駄目よね。我が身が可愛いし君子危うきに近寄らず!よね、うん」
最近覚えたばかりの格言をここだとばかりに呟いて、そろそろ頃合いと面会室の扉前に立った。
「失礼いたします。
お茶の用意が御座います。入っても宜しいでしょうか?」
既に移動し待機していた上司の応えがあり入室する。と同時に、対面の扉から面会希望を出した3名が入室の許可を願い出る声がした。
「時間外にお手を煩わせることとなり申し訳ございません」
美しい礼をとり後宮でも女官や侍女たちをざわつかせる女衛士が女官長に謝罪する。女官長は鷹揚にそれを許し面会希望者へと視線を向けた。
「やむを得ない事態の為に面会を希望しました門の守護を封じられております上級衛士の流風と申します。
女官長に在られましてはお忙しい身を我らの為に「時間が惜しいですわ。要件をお伺いいたしましょう」・・・感謝いたします。
お言葉に甘えまして・・これなる御方を私が守る門にて保護いたしました。
これはこちら様の領分では御座いますが、余りにも問題ありな状況下で相見えまして」
噂には聞いていた切れ味の良い女官長に臆することなく流風は淡々と事情を説明しだした。
これには側に控えていた女衛士も持て成しの準備をしていた専属文官も同時に息を呑む。
相手となる女官長は欠片も動じずそのまま流風に先を促す。
「御方は遥か辺境の草原の国の姫、名を蓮歌さまと申されます。国の大事業である皇帝陛下の側妃候補として占が下され、遠路はるばる草原の国より一人で皇都迄お出でになられたそうです」
何を言っているのか分からないと専属文官は思わず手を止めた。女衛士は二度目でも理解できないと頭を振っている。流風は女官長の反応をじっと見ていた。
女官長は手慰みに持っていた扇を握り無表情のまま続けるようにと机を突いた。
「側妃候補を迎えに参った使者は貞家の白公子。世話人は後宮士官の希世。
ご存知の通り白公子は皇位継承第5位の御方。草原の国の王へ敬意を以っての人選という触れ込みで赴かれましたが、草原の国に於いては皇国の威信も潰えかねない程の非礼な振舞や言動をなされた上に、皇家から受け賜わった役目を放棄し帰都されたよし。確認致しましたが確かに側妃候補を伴わずに帰都されておりました」
衛士の報告した内容に、そのあってはならない話を理解して今度こそ専属文官は小さく悲鳴を上げて後ずさった。
「・・・世話人はどうしたのです」
硬質な声で女官長は問い掛ける。握った扇が微かにしなっている。
「草原の国までの道中での気苦労の上に草原の国でのあってはならない騒動、その上側妃候補を迎えるための行列まで連れ帰ってしまった使者の尻拭いに奔走して、胃の腑が捩じれて倒れてしまったそうです。
御方は世話人を宿場に残して一人で皇都迄・・という流れで」
なぜそこで一人でという話になるのか、と意外に冷静に専属文官は思った。
勿論、草原の国の姫を側妃候補に迎えるという事自体が後宮始まって以来の珍事であることは、女官長に侍る彼女には承知の裏事情だ。白公子がヤラカシタと言う件がいち側妃候補に対する非礼に収まるとは到底思われない。聞いた以上はもしかしたら一蓮托生になるのかもしれないが、この時から後宮が荒れる事は確実であると呑み込んだ。
それにしても、主役である筈の草原の国の姫である少女だ。
どう飾っても田舎の農家の娘にしか見えない。
上背は14.5歳の成人年齢の平均より小柄で、民族衣装なのか赤い絹地に様々な意匠の刺繍が施されており美しいが寒冷地の物だからか全体的にやぼったい。それも良く日に焼けた面も旅の埃に煤け、姫どころか側妃候補にすら危うい見た目になっている。
髪は平原の民である皇都の人間の黒茶ではなく、真黒と言っていい程の黒髪で丁寧に梳ればたちまち輝く黒絹の髪であることは間違いないが、如何せん今は白っぽく埃臭い。
その瞳は夜の帳を思わせる紫紺。思わず吸い込まれそうになりドキリとするが、本人の人柄かすぐにその魅了からは解き放たれる。つまり人を誘惑できる程の魅力的な少女では無かった。その上に何処か抜けていて頼りなく思えた。
この少女が賊の跋扈する街道を一人で来たと言うのだからその正気を疑ってしまう。
「分かりました。報告書にある通り、証言者に嘘が無ければ真実という事なのでしょう。
上級衛士殿にはご苦労でありました。これ以降は後宮がお預かりすることとなります。閉門の時刻も過ぎておりますので裏門よりお出になって下さい」
淡々と過ぎるくらいに平坦な声で女官長が流風に退室を促す。流石にそれは無いと思うくらいのそっけなさけんもほろろだが、流風は軽く眉を上げはしたが口に出すことなく引くようだった。
「それでは、蓮歌姫。
短き間ではありましたが見えましたこと身の光栄でございました。
これよりのご健勝をお祈り申し上げます」
上背のある身を折り少女に別れの挨拶をする流風。
少女は流風をじっと見上げ、にひゃりと笑うとこう答えた。
「流の子よ。これよりは西ではなく東を見守るがいい。
今世の皇帝の御世は災は南より禍は東より来る。
流の役目だ努々忘るるな」
『占』だ。少女は占をする姫だったのか。
室内の全員が身を強張らせる。草原の民の姫であるだけでも異例であるのに、後宮に『占』が入ることがどのような意味を持つのか。話は急を告げる。