呪いのDVD
「ああ、それね。外で拾ったのよ」
こともなげに俺の恋人、真理恵は答えた。
「道で拾ったからって、こんな得体の知れないモノを部屋に持ち込むかぁ?」
と文句をつけたくなったが、言ったところで意味はない。彼女はそういう性分だと一年間の交際を経てすっかり身に染みてしまっている。
蛍光灯に照らしながら、そのディスクを弄んだ。虹色の反射光がキラキラと輝いて俺の苦笑いを映している。一部を除いて何の変哲もないDVDだ。
軽い円盤を裏返す。機械に固定するために開けられた中心の穴。
……その少し上にでかでかと「見たら死ぬ」と印字されていた。血文字でも怪文書風でもない、ゴシック体の適当な印字。誰がどう見てもセンスの悪いイタズラだった。
「まさか信じてるわけじゃないよな?」
にやにやしながら台所に問いかける。洗う手を止め、ちょっとはにかみながら彼女は答えた。
「うーん、正直なことを言うと、ちょっとだけ怖いかな」
「はは、そういうところが可愛いよな、真理恵は」
そう惚気てみせて、弄んでいたDVDを仕舞おうとしたそのとき、部屋の対角線に置かれた小さなテレビと備え付けられたDVDプレイヤーが目に入る。
ふと、イタズラ心が囁いた。
「なあ、これ再生していいか?」
えっ。と素っ頓狂な声が聞こえてくる。
「うぇえ~……。見るの? それ」
「おう。なんか面白そうだし?」
「まさか、そこのプレーヤーで再生するんじゃないでしょうね」
「そうだけど」
うあー。と力の抜けた悲鳴。
「やめてよ。せめてユー君のパソコンで再生して! 音は小さくしてねっ」
ブンブンと指さした方向には、果たしてレポートをするための俺のノーパソがあった。なんだ、じゃあノーパソ持ってこなければよかったな。大音量で部屋のテレビに再生してやりたかったが。
「わかったわかった。そうするよ」
小さく膨れている恋人を横目に、パソコンを拾い上げて電源を入れる。立ち上がったのを見計らいラックのスイッチを入れ、空いたスペースにくだんのDVDを滑り込ませた。
ブッ。と軽い動作音の後、ムービーソフトが起動する。
そこに表示されたのは、軽い音のポップだけだった。
『データが記録されていません』
これだけ。何も、その先で起こりはしなかった。
つまり、これはただの空DVD。
「なぁんだ、本当にただのイタズラか」
ため息をついて、天井を仰ぐ。
「え、どうしたの?」
なんだかんだで気になっていたらしく、真理恵がパソコンの画面が目に入らない角度で顔を覗き込んできた。
「なにもデータが入っていないんだとさ。空DVDを使ったイタズラだよ」
そう教えてあげると、わかりやすく安堵のため息をついていた。
俺はムービーソフトを閉じると、DVDを取り出してケースに仕舞い、部屋の隅に放り投げた。
手料理を平らげ、一通りいちゃついたらもう日付が変わろうという時間だった。
「なーお前さっきからスマホいじってどうしたんだよ」
「んー、ツイッター」
寝っ転がって弄っているスマホを、隣に寝転がりながら見上げる。
真理恵のアカウントはそこそこのフォロワー数を誇る大きなものだった。面白いものを尊ぶという彼女の姿勢が支持された結果である。
そこに、新たなツイートが加えられようとしていた。
写真を投稿するようで、内容も……案の定というか、馴染みのあるDVD。
「早速かい」
「早速、じゃないよぉ。私だって一週間も我慢したんだよ?」
「へえ、一週間」
面白いものを見たら即座に報告する彼女にしては、確かに珍しかった。それだけ、このDVDが怖かったのだろう。いじらしいことに。
「ほい、投稿」
とスマホをぽんと放り投げ、ベッドからむくりと起き上がる。壁に掛けられた可愛らしいデザインの時計を見た。スマホの時計ではなく、彼女はそれで時間を見ることに拘っているらしい。
「あっ、もうすぐピッタリ一週間経つね」
「これを拾ってから?」
「うん。その日はバイトの夜勤で、くたくたになって帰ってきたらアパートの前にぽんと捨てられてたの。つい拾っちゃって」
「一週間かぁ。リングの呪いのビデオテープも、一週間が呪いの効力だったよな」
「見たら死ぬ」
「そうそう、見るだけで死んじゃうって結構ひどいよなぁアレ」
「見たら死ぬ」
「……え?」
違和感を感じたのは、会話が噛み合わないからだけではなかった。真理恵の発する言葉が、まるで地の底から湧き出る恨みそのもののように、冷たく凍る音色だと気づいたからだ。
「ま、真理恵……?」
肩を掴んでこちらを向かせる。
その目は、完全に散大していた。
「え、お前」
「見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ見たら死ぬ」
ヒッ、と悲鳴をあげて、彼女から距離を取る。
悪ふざけとは到底思えない。人間が発する言葉にはとても聞こえなかった。それだけじゃない。黒目の面積はどんどん大きくなっていって、ついには全てが塗りつぶされた。口から噴き出る呪詛は、テープを早回ししたように速度を増していく。笑い声のようにも、聞こえた。とびきり邪悪な。
まるで、呪われているみたいに……。
「あは」
彼女の、最後の言葉がそれだった。プツンと糸が切れたみたいに、だらりと真理恵がうつむく。
ゆらり、と幽鬼のようにゆらめいて、ゆっくりと両手を持ち上げた。指を五本まとめてすぼめ、尖らせたそれをゆっくりと自分の顔に向ける。
「お、おい……どうしたんだよ、真理……」
魔性の速度で、彼女の腕が振られる。
止める間もなく、俺の目の前で、すぼめられた両手が躊躇なく彼女自身の両目に突き刺さった。
痛々しい流血。だけど、うめき声ひとつ、彼女は漏らさなかった。
そして、一度ビクンと震え、前のめりにくずおれた。
「な……」
なんで。その言葉が、震えで遮られ出てこない。
呪い、まさか本当に、あのDVDは「本物」だとでもいうのか。
でも真理恵は、映像を見なかった……というか、そもそも映像なんてなにも……。
『見たら死ぬ』
ぞわっ。と、背骨全てが氷になってしまったような寒気が全身を襲った。最悪の『仮定』を閃いてしまったためだ。
あのDVDに書かれていた「見たら死ぬ」とは、まさか……、
映像ではなく、DVDそのもののことなのではないか。
「きゅ、救急車……」
最悪の想像を振り切るように、もう動かなくなった彼女を医者に見せる考えが支配的になる。
だが、拾いあげたのは自分のスマホではなく、真理恵のスマホだった。
自分のおぞましい予想がもたらす最悪の結果を……見たくもないのに、手が勝手に動く。
震える手で俺の誕生日を入力し、ロックを解除して、液晶いっぱいに広がるツイッターの画面を見る。
『先週こんなん拾ったんだけど、彼氏に見てもらったら何も記録されてなかった件について』
短いツイートに挿入されているのは、『見たら死ぬ』のタイトルが踊るDVDの画像だった。
俺の手の中で、リツイートがひとつ、増えた。