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読み切りモノ

身勝手な僕が決めた彼女の終焉

作者: 冥月 霜華

 出会いは極々ありきたり。

 お互いの容姿だって別に秀でているわけじゃない。

 マンガやアニメじゃ、モブになれればいいな、程度の極々平凡な顔と体。

 才能だってそうだ。

 世界を救えるわけでも、テレビやネットで騒がれるわけでもない。

 せいぜい街角インタビューで声を掛けられれば良いな、程度の……平々凡々な才能。

 会社は中小。一流でも大企業でもない。どこにでもある普通の会社。

 毎日毎日変わらない内容を繰り返して、時々起きるトラブルを必死に解決して……一円にもならないサービス残業と休日出勤ばかりの日々。

 だけど、家に帰れば「おかえり」の声と温かい食事がある。

 ちょっと焦がしたハンバーグ、大きさも太さもバラバラの千切りキャベツには、控えめに添えられたプチトマトと蒸鶏。少し硬い大根の味噌汁とホカホカの白米と冷えたビールが並んだテーブル。

 正面に座るのは、極々在り来りな出会い方をして、でも、自分の人生の中できっとこんなラッキーはないだろうと思えるほど好きでたまらない女性ひと

 お互いに「いただきます」と手を合わせて、食事を始める。

 どこにでもある、穏やかで、幸せな光景。

 

 僕は、こんな日々がいつまでも続くと信じて疑わなかった。


 彼女と結婚して数年。子供はまだいない。

 二人共、子供ができにくい体なのだと知った。

 可能性が0じゃないと、いざとなれば養子を貰おうと落ち込む彼女を励ましながら、肌を重ねて、言葉を紡いだ。

 休日には一緒に買い物に行ったり、普段彼女じゃ届かない場所を掃除したりと、楽しい時間を過ごした。

 周りが子供を持ち、色々な愚痴や悩みを聞きながら、そっと彼女の手を握る。

 伝わってくる温もりを離さないように手に力を込めれば、しっかりと握り返された。

「大丈夫」とその度に伝えて、落ちる涙を何度も拭った。


 僕は、こんな日々でも愛しいと、彼女といられることがただ幸せだった。


 それから更に数年。走り出したい衝動を抑えて、僕は病院の廊下を歩いていた。

 普段と変わらないスピードで降りてくるエレベーターが遅く感じて……扉が開くまでがもどかしくて……転がり出るように再び廊下へと出れば、目的の場所はすぐだった。


「ご家族の方ですか?」


 白衣に身を包んだ女性に頷き、「妻は?」と問えば、静かに寄せられる眉。

 ドラマで見るよりもドライな表情で唯一多くを語るそれに、僕の視界が滲んだ。

「どうぞ」と中へ入るように促され、進む。

 そこには、冷たい機械音と幾つもの管があり、ベッドの上には固く瞳を閉じた彼女が居た。

 いつも浮かべられている笑みは其処に無く、「おかえり」と嬉しそうな声も「どうしたの?」と驚く声も無い。

 そっと彼女の傍によれば、僕が来たことで呼ばれたらしい太った医者が部屋へに来た。

 説明される言葉は右から左へと流れていき、分かったのは彼女はもう二度と僕の名を呼んではくれないということだった。


「……よく、お考え下さい」


 医者はそう言うと、看護師とともに部屋を出て行く。

 選択肢として用意されたのは、このまま彼女を管で繋げて生かしていくか、スイッチを切って殺すかというモノ。


「嘘だ」


 思わず漏れた言葉は、自分のモノとは思えないほどに濡れていた。

 仕事先で、彼女が事故にあったと聞いた。

 信号無視をした車が彼女にぶつかったのだと……相手は足の骨を折っただけらしい。

 けれど、彼女は……彼女は……彼女はなにもしていないのに……。


「……起きて。なぁ、病院は嫌いなんだろ? 起きて……家に帰ろう? 暫く、仕事休むからさ、一緒に……水族館行きたいって言ってたろ? 行こうよ。何処か泊まりがけで……行こう、行こうって言って行けなかったとこにも……行こうよ。だから……起きて……起きてくれよ……頼むから……なぁ……起きて……」


 彼女の、温かい手を握る。

 僕のものより小さな手を、離すものかと強く握る。

 起きてくれと何度も言う。

 彼女の名前を呼んで、何度も何度も起きて、と。


 けれど、彼女は目覚めない


 手を握っても、握り返してはくれない。

 起きてと言っても、その目が僕を映してはくれない。

 名前を呼んでも、僕の名前を呼んではくれない。


 毎日、毎日、彼女の元へと通い続けた。

 今日こそは起きてるんじゃないかと期待して、現実に絶望する。

 もう「おかえり」も「ただいま」も言い合うことはできないのだと。

 もうお互いの名前を呼ぶことも、笑い合うこともできないのだと。

 涙がゆっくりと枯れていく。

 代わりに、ある思いが心に、頭に浮かんだ。

 そして――


 機械音が、止まる。

 彼女の呼吸が、心臓が止まる。

 医者が何かを告げ、看護師が慌ただしく動き出す。


*****


 彼女の骨を海へと撒く。

 大好きだと言っていた海に。


 船は、静かに進む。

 時計も、世界も、僕の為になんて止まってはくれない。


「身勝手な夫でごめん……」


 最後の彼女の骨を海へと撒き、僕がしていた結婚指輪を海へと投げる。

 少しでも、彼女の傍にいられるように。

 また、彼女と出会えるように。


「愛してる」


 彼女の指輪を握りしめ、僕はただただ滲む景色を見つめていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 寂しさはあり。それでも愛しきる姿が静かに強くて、それを身勝手だなんて決して言えません。 他愛もない、とは言えないふたりの日常は悲しみも含んではいても寄り添う姿が愛しくて、これが幸せのカタ…
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