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スポーツマン・パニック

 脳筋という中傷が存在する。まるで脳ミソまで筋肉で出来ているような体育会系の思想を揶揄する単語だ。差別的なニュアンスが多分に含まれているが、体育会系はいわゆる強者に分類される存在なので、あまり取り沙汰されて非難されるような表現ではない。少なくとも、現代では。

 あまり誹謗中傷はしたくないし、そもそも見えていないだけで大抵の人間は脳裏に深い思慮を隠しているのだが、到底そうは思えないような人物がいるのもまた事実だ。

 決して悪い奴ではないのだが、この鹿野川 勇二(かのかわ ゆうじ)という男にも、そのきらいがあった。

「ああ、生理でしたか。すいません」

 少なくとも、こんなこと言う奴が深い考えを持っているとは思えない。いや、彼に悪意が無いことはわかっているのだが、それがなおタチの悪いことであるのは言うに及ばず。

 ことの発端は、夏海のミスだった。

 入社してからここ数ヶ月の不摂生が祟ってか、実に数年ぶりに重いのが来た。こんな歳でキツいのが来るとは思っていなかったので油断していた夏海は、まあ大丈夫だろうと普通に出勤した。因みに生理休暇は都市伝説ではなく実在する。まあ、有給扱いになる会社とそうでない会社が混在するのは事実だが。この会社は多分出ない。

 そんなわけで会社に来たのだが、これが思いの外辛い。午後から時間休を取得することも考えたが、予定表を見るに今日は急な仕事が多く忙しいのでそれは憚られた。一度来てしまった手前、生理だから帰りますというのも褒められた話ではないだろう。

 というわけで苦しいのを我慢して働いていたのだが、しかし我慢していればどこかに歪みが生じるのが道理。ちょーっとばかし下腹部の痛みに気を取られていた隙に、普段なら絶対にやらかさないようなチョンボをしてしまった。

 あまり致命的なものではなく、かつ直後に確認の入る作業だったので、幸いにもミスが後々に響くことはなかった。

 しかしその確認を行ったのが、勇二だったのだ。

 彼はいわゆる体育会系。見た目は爽やかなスポーツマンなのだが、その頭の根底に流れているのは紛れも無く根性論。自分が今までそうだったからかは知らないが、やってやれないことはないと本気で思っているらしい。

 なので、真面目にやればこんなミスは絶対にやらかさないと思っている。

 いや確かに普段なら絶対にやらかさないが、今は普段ではないのだ。下痢ではないがお腹がいたいのだ。ポンポンペインなのだ。

 ……そもそも気合があれば体調も崩れない? 真面目な生活をしていれば致命的な体調不良には陥らない? 確かにそうかもしれないが、そういうことは健康的な生活を送ることができる職場にしてから言ってもらいたい! それと自分に厳しく清廉潔白だったが死ぬときは悪性新生物でポックリだったおじいちゃんに謝れ!

 そういうわけでいろいろ濁しながら反論したところ、どうやら彼にもその辺りへの理解はあったらしく、納得してくれた。

 その時のセリフがアレである。

 事実だし求めた理解であることは間違いないのだが、同性でも公共の場では控えるようなことを異性が堂々と言わないで欲しい。オブラートに包んだ表現に努めて欲しい。

 言うまでもなく無言の抗議は通じなかったが、この場で角を立てるのも本意では無いので、その話はそこで終わりにした。

 いや、彼の名誉のために何度でも言うが、少しばかり配慮にかけるだけで、決して悪い奴ではないのだ。問題さえ起きなければ見た目通りの爽やかなスポーツマンだし、体育会系のわりに気合の押し付けはそこまで多くない。

 ただ、要所要所で本性……というか、持論は滲み出るものだ。それは意図的に隠していても表層するぐらいには、その人その人の行動原理に根付いている。

 まあ、前の職場の取引先に居た人の心がわからないストレス製造機に比べれば億倍も兆倍もマシだ。それでも、もう少し配慮がほしいところである。



 一日の仕事を終えた夏海は、会社裏の自販機で、今日も缶コーヒーを買っていた。これだけ飲んでいれば普通は美味しさがわかってくるはずなのだが、これの愛飲家が何を気に入っているのか、夏海には未だに理解できない。

 と、少し離れたゴミ倉庫の影に、剣児と勇二の姿を見つけた。

 ゴミ倉庫の影は、喫煙所のないこの会社におけるもっぱらの喫煙スペースと化している。全部署共通で、灰皿は持参。近くに自販機があるため、コーヒーの缶を灰皿代わりにしてそのままゴミ箱に捨てるのが慣習化している。実は会社的にはそれをやられると困るらしい。分別の面だろうか。

 彼らはまだ夏海の存在に気づいていないらしく、何やら話し込んでいた。あまり趣味の良い行為ではないが、こっそり盗み聞きしてみる。

「羨ましいですよー先輩の家は風呂広いじゃないですかー」

 剣児が三十で、勇二が二十六だったか。後輩に当たる勇二は、当然の事ながら敬語を使う。

 え、ていうかなに、なんで風呂事情なんて知ってるの。

「アレはアレで洗うのがめんどくさいんだよ」

 剣児が灰を落としながら言う。確かに彼は昔から面倒臭がりだった……気が……する。何分そこまで深く関わり合いになったことがない上に、入社するまでしばらく連絡を取っていなかったため、彼のイメージはうろ覚えだ。どちらかと言えば、入社してからのイメージのほうが濃いぐらいに。

 少なくとも仕事中の彼は、横着こいて工程を飛ばしたり確認を怠ったりするタイプではなかった。公私をハッキリと分けるタイプなのだろうか。あるいは、物臭でもやるべきことはしっかりやり通す、というタイプも、まあ居るには居る。

 二本目のタバコを取り出しながら、勇二が一歩近づく。

「そういうのやってくれる人とか居ないんですかー?」

 なんか近くない……?

 さり気なく彼女の有無を聞き出そうとしているし、距離が近いし、何なんだこいつ。シガーキスでもするつもりなのだろうか。

「居たらいいんだけどなあ」

 ……流石にそんなことはなく、剣児が答えると勇二は一歩離れ、自分でライターを取り出した。

 どうやら今の剣児はフリーらしい。彼ももういい歳なので、そろそろ身を固めていてもおかしくないのだが、そこまではまだ遠いようだ。まあそう簡単にできれば苦労しないし、それを夏海が指摘するのはブーメランも真っ青の自爆である。くわばら、くわばら。

「お前は居ないの?」

 揉み消した吸い殻を灰皿に捨てながら、剣児が問う。

「居ないですよー」

 男も彼女の有無情報を共有するなんて、今の今まで知らなかった。

 というか何、男って話す時こんなに近いの。それとも体育会系が特別なの。

 どうにも恥ずかしくなった夏海は、気づかれないようにその場を逃げ出すのだった。

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