ラッキー・ラッキー・ホリデー
やっと作業着が届いたので (頼んでから三週間ぐらい経ったのでもうすぐ四月が終わる) 、今日から現場での仕事である。因みに、それまでは事務とか資材とかの仕事を手伝っていた。
現場に出るとは言うが、まだ一人で仕事をするわけではない。先輩社員と一緒に仕事をし、まずは現場の雰囲気に慣れるのだ。
まあ、ぶっちゃけ機器以外は前の職場に居た頃とそんな変わらないのだが。
今回同行しているのは、去年の新卒である泉野 梓馬だ。現場班は結構若手が多いので、大概が年下である。現場班の先輩社員全員 (主任クラスを除く) から敬語を使われているこの状況は、オッサンばかりだった前の職場からは想像できない。
自分が敬語を使われるような人間だとは思っていないので、なかなかむず痒かった。
「ふぁ……」
午前の仕事が一段落つき、十四時から始まる午後の工事に備えコンビニに梓馬が昼食を買いに行ったので、夏海は車の中で待機している。春と初夏の境目の暖かな日差しが、眠気を誘う。
あくびを噛み殺しつつボーっと外を眺めていると、ドアが開く音とともに缶コーヒーが投げ入れられた。梓馬が戻ってきたのだ。
慌てて受け取った缶コーヒーは、夏海がいつも飲んでいるブラックコーヒー。別に好きなわけではないが、買ってもらったからにはとりあえず義理を果たそうと財布を取り出す。
と、それを梓馬が静止した。
「奢りです」
いい歳したお姉さんに缶コーヒー奢るとかこいつ生意気だなあ……とか考えつつ、夏海は躊躇う。
「え、でも……」
因みに彼に対しては完全にタメ口である。なんか駄目だった。
「……俺が入社した時は、先輩が皆奢ってくれたんですよ……。だから、俺も……というか」
生意気とか思ってごめんね……お姉さんも経験あるよそれ……。新入社員の前で小銭入れ出して得意気に言うんだよね。 「何飲む?」 って。
むしろ無言で商品だけ買って渡してきただけ彼なりに気を遣ってはいるのだろう。流石に年下に 「何飲みます?」 なんて訊かれたら恥ずかしくて死ぬ。恋人でもあるまいに。
ブラックコーヒーというチョイスも……まあ、いつも夏海がブラックコーヒーを飲んでいるからなのだろう。
※
カルピスうめえ。
土曜日、ラジオで紹介していたドーナツ屋が近場 (自動車で一時間圏内) にあったので、ひとっ走りして購入。近くの公園の自販機でカルピスを購入し、車の中でブレイクタイムと洒落込んでいた。
まあ休日にブレイクタイムもクソもない気はするが。
あま~いドーナツにあま~いカルピスという組み合わせだが、夏海は甘党なので問題ない。普段ブラックコーヒーばかり飲んでいるのは、その実ただのカッコつけである。もっと自由に、もっと素直に、強がらないでそのままの自分をさらけ出すのなら、普通に甘いものを飲む。紅茶にも砂糖を入れる。
前の車に乗っていた時はカッコつけの一環としてタバコも吸っていたのだが、新車がタバコ臭くなるのは嫌なのでやめた。元々一日に一本ぐらいしか吸っていなかったのと、吸い始めてから五年ぐらいしか経っていなかったこともあり、すぐに辞められた。と言うかそもそもタバコはあんまり好きじゃなかった。高いし。
なぜここまでしてカッコつけているかというと、それは夏海が未だに独身で彼氏すら居ないからである。
そう、それは八年前。
二人目の彼氏は、教習所で講師をしているという青年だった。夏海より少し上で、とにかく顔がいい。元々夏海が車好きだったこともあり、意気投合した。
で、初デート。
彼氏の車が車検に出ていたので、夏海が車を出すことになった。保険の関係で夏海が運転手をやっていたのだが、そこで彼氏の本性が暴かれたのだ。
なんというか……凄くうるさい。
『ちょっとミラーの角度合ってないんじゃないの!?』
とか言い出したので無視していたら今度は 『そんなんじゃ駄目だよ!』 とか言い出したので、仕方がなくミラーを動かそうとしたら 『危ないよ! ハザード出して、路肩に停めて!』 とか言い出した。まあ、わからないでもない。夏海がその通りに路肩に停めようとすると、今度は路肩との距離がどうこうとかハザードのタイミングとか終いには 『全然駄目だよ! そんなんじゃハンコ押せない!』 とか言い出したのでそのまま助手席のドアを開けて歩道に蹴り落としてやった。お互いのケータイから連絡先を消して、荷物を叩きつけ、そのまま放置して気晴らしドライブに向かったのは鮮明に覚えている。
多分蹴り落とした時にスカートの中を見られたが、そんなことを気にしている心の余裕はなかった。
そんな悲しい出来事を経て、無事に彼氏なしに舞い戻る。
一人目の彼氏にアレな理由でフラれていることもあり、その後軽い男性不信を患わってしまった。もうしばらく恋愛はいいやと、半分ぐらい諦めていた。
しかし、彼氏も作らず自堕落な生活を送っているというのは、なかなか周囲からの視線が痛くなる。男の影もなく甘党でスイーツが好物とか、ただの痛い女子 (笑) だ (偏見)
それなりに体面を気にする方でもあるため、痛々しいオバサン扱いされるのは御免被りたかった。
そこで夏海は、表面上はカッコつけて 『格好良すぎて男のほうが気後れしてしまって彼氏ができないお姉さん』 を気取った。今にしてみればなかなか頭の悪い対策だが、それが今でもやめられていない。半ば習慣として身体に染み付いている。周囲からどう思われていたかは、知らない。
まあ、その時はスポーツカー (中古だけど) に乗っていたりしたので、それなりに格好良くは見えただろう。多分。
カッコつけの成果かどうかはわからないが、ここ数年は実家に帰っても彼氏は居ないのかとか訊かれなくなった。アレを訊かれると例え大切な両親であっても平手打ちをしたくなるので、助かる。
ただ諦められただけな気もするが、考えてはいけない。感じるんだ、気遣いを。……駄目じゃん。
しかしまあ、二十代後半な頃は焦りに焦っていたのだが、最近はそうでもない。三十代に突入したところで、焦りと同時に謎の余裕が現れたのだ。
それはなぜか? そう、気づいてしまったのだ。
三十代ならまだまだ独身な人多いじゃん! ということに。
この間久々に再開した高校時代の友人は未だに弟妹と仲良く暮らしているらしく、一生結婚する気はないとのこと。なんかやけにソックリな子供連れてたけど。
他にも、未だに会社員をやっている知り合いの半数以上が未婚であることに気づいてしまった (彼氏が居ないとは言っていない) こともある。仕事さえしていれば、三十代などまだまだ独身でやっていけるのだ。
因みに、それを前の職場の上司 (独身) に話したら 「そうやって油断しているとあっという間に四十代後半になって取り返しの付かないことになる」 と忠告された。本人の経験から来ているであろうその忠告は非常にリアリティと生々しさがあって背筋に寒いものが走ったのだが、それから三日後ぐらいにはまた余裕が生まれてしまった。喉元過ぎれば熱さ忘れる、というやつだ。
ドーナツ完食。今ラジオで紹介している場所は……ここから、高速に乗っても三時間ぐらい掛かりそうな場所だった。ちょっとした散歩ならぬ散ドライブぐらいの気持ちで来ているので、流石に一時間以上も運転する気にはなれない。
ウェットティッシュで手を拭いてから、車を公園から出す。駐車場のペイントが剥げかけで見えにくかったが、流れに身を任せていたら案外すんなりと抜けられた。
明日は天気が崩れるらしいので、久々に家で映画でも見ようかと、帰り際にレンタルビデオ店に寄り道。そういえば気になる洋画があったことを思い出して洋画コーナーに向かうと、近くの暖簾の奥から見知った顔が現れた。店のロゴが入った黒い手提げを持っているのは、梓馬だった。
夏海はあの暖簾の奥を見たことがないのだが、暖簾にデカデカと書かれた 「R18」 という文字列から、その奥がいったいどのような空間になっているのかはある程度察していた。
つまり、まあ……アレだ。おっぱいだ。それとゴニョゴニョ。
で、そこから現れた梓馬の持っている手提げに何が入っているのかは、大体予想がつく。中身の分からない袋は、よく考えれば当たり前の配慮だろう。
と、いろいろと察したのはいいのだが、とっさに隠れるのを忘れてしまっていた。当然、梓馬もこちらに気づく。気づいて、 「げっ」 と漏らして再び暖簾の中に戻る。戻るのか……。
それにしても。
「へ~、あんな若い子が……いや、若いからこそ、だよね……」
やっぱり子供って純粋なイメージあるよなー。いや、社会に出てる以上子供扱いするのも失礼なんだが、やはり年齢上は……。など、いらぬ思考がぐるぐる回る。
まあ、なんだ。
目当ての洋画の他に、濡れ場が多いことで有名な洋画も借りて帰ることにした。