ワーカー・キャリア・ホリック
御幸 夏海、三十二歳独身。彼氏居ない歴八年。
会社の上司をセクハラで訴えたらいろいろあって会社ごと潰れたので、新たな仕事を探すことになったのが去年の六月。
紆余曲折を経ていい感じの起業を見つけ、トントン拍子で良待遇を勝ち取ったのが今年の二月。どうやら女で電工二種を持っていることが大受けしたらしい。
研修を終えて部署に配属されたのが、今――今年の四月だ。
人生で二回目の転職。
中途採用なのだが、新卒と同時期の配属となった。尤も、夏海の配属される部署には新卒が来ないのだが。
そんなわけで、今日は部署のメンバーと初顔合わせだ。うまくやっていくるといいのだが。
正直、不安ではある。今までずっとオフィスが狭い中小でやってきていたので、部署ごとに一部屋貰えるような会社ではどのようなコミュニケーションを取ればいいのか上手く想像できない。
まあ、とりあえず適度に八方美人しておけば悪印象は持たれないだろうが。
※
なんやかんや事務処理があったが、割愛。
ただし文句はたらたらである。
大企業の癖に通勤手当が今まで務めていたところより少なくなりそうだとか、文章からやたらと公共交通機関 (自動車通勤の二倍の時間がかかるゴミ) 推しが読み取れたりとか、保険の制限があったりとか、まあそれぐらいならいいのだが……。そもそも研修中はマイカー使わせて貰えなかったし。
だが、社員駐車場で駐車料金が月六千円も取られるのは許せない。
どうやらどこかの駐車場をまるごと借りているらしいのだが……駐車料金は通勤手当に含まれないのだろうか。ふざけるな、死ね。
ただし、不満に感じても口には出さない。これが社会人というものだ。まあ気が付いたらトイレで 「いつかころす」 と呟いていたのだが。
他人に聞かれなければ言ったことにはならないしいいよね!
事務処理が終わってしばらく待機していたら、終礼が始まった。何人かはまだ外回りから戻ってきていないのだが、居るメンバーには夏海の紹介が行われる。
昼間、事務員しか居なかった時にした自己紹介と同じようなことを言って、終了。自己紹介なんて何度もやってきたことだし、慣れている。
仕事仲間の名前は全然これっぽっちも覚えていないのだが、これにて一日目は終了である。
いや、この後にもう少しだけイベントがあった。
今日だけ特例で使わせてもらっている (説明の時に執拗に使わせてあげるアピールをしていたあの人事のクソ上司は死ね) 社用車の駐車場で、三年ぐらい乗り回したムーヴカスタムに寄りかかって缶コーヒー (ブラック) を飲んでいると、不意に後ろから声をかけられた。
「やっぱり御幸先輩ですよね」
この会社の人間は全員夏海の先輩だ。敬語を使われる理由が思い当たらない――そう思いながら振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。
がっしりとした体躯に、額が丸見えなぐらいまで刈り落とされた前髪。着ている作業着とベルトに掛けられた工具類は、彼が夏海と同じ部署であることを示している。そういえば、終礼にも出ていた。これから残業なのだろう。
いや、だが、終礼以前に見覚えがある。
それは確か夏海がまだ二十代だった頃、それも大学生だった頃……。
思い出した。
旅行サークルの後輩だ。
確か名前は、早川 剣児だったと思う。二つぐらい下で、まあ特に絡みとかはなかった。人数の少ないサークルだったので、結構仲良かった気はするのだが。
「早川……久しぶりだな」
なかなかの衝撃だった。ただ苦いだけの缶コーヒーの苦味を忘れるぐらいには驚いた。
「まさか先輩がここに来るとは思いませんでしたよー」
だが、それ以上に違和感を覚えた。
「私にもいろいろあってね……」
うーん?
なんで自分はこの人にタメ口を利いているのだろうか?
立場で言えば、この男は夏海の先輩に当たる。過去がどうあれ、これは変わらない事実だ。
「……まあ、条件もいいので、ここに来たんですよ」
求人票に示されていた条件自体は、良い……というか、まあ、妥当なものだった。その上、ボーナスの倍率は破格の数字である。プラマイで、二か三ぐらいは行ってたと思う。
……実際は隠れた部分が色々と真っ黒だったのだが、まあそれはそれ。求人票自体は真っ白だった。まあ新卒たくさん辞めてたから怪しいとは思っていたのだが。
それでも、普通の中途採用よりは良い条件を勝ち取れたと思う。性別のおかげで。
突然敬語になった夏海に、剣児は微妙に驚く。
「あ、いや……別に敬語じゃなくてもいいですよ。なんかむず痒いです」
「いや……でもそれだと体面が悪いじゃないですか……」
そう言いつつ、夏海もやたらと違和感に襲われていた。大学を出てから一度も会っていなかったはずなのだが、同じサークルで過ごしたあの三年間は、思ったよりも記憶の深いところに残っていたらしい。
困ったなあ……。
新たな職場で早速悩みの種を抱えてしまった。それもすっごくくだらない類のものを。
初日からこんな調子では、今回の職場でもまた一波乱ニ波乱はありそうである。