~政略結婚はツライ?〜
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「オリヴィア様から見てシオン様はどういう方ですか?」
「え?」
エリーゼさんの問いかけに私は持ち上げたティーカップを口元でピタリと止めた。
急激な動作に追いつかずカップの中の紅茶がゆらりと大きく揺れる。
「わっとっと……」
波打ち暴れる液体を溢さない様にカップを両手で持ち直しエリーゼさんを見た。
「ええっと。……兄貴、のことですか?」
そんな私の慌ただしさなんてどこ吹く風で、彼女はおっとりと笑う。
「ええそう」
「どういう人……」
私が考えていると、同じ円卓の席に着いていたディアッカさんは勢いよく立ち上がる。
「エリーゼ、シオン様のことなら私が教えてあげてよ!」
鼻息荒くエリーゼさんを食い入るように見つめていた。
その熱くてキラキラした視線をエリーゼさんは片手で遮る。
少々鬱陶しそうに。
「ああ、あなたのは結構よ」
「何故!?」
「だってあなたが語る『シオン様』って気持ち悪いんだもの。まるで生身の男の人って感じがしないわ」
「どういうことよ、それ……」
「私が一番シオン様のことを分かっているのに……」とぶつぶつ呟きながらディアッカさんは不満そうだ。
そんな口を尖らせる友人などお構いもなしにエリーゼさんは私に笑顔を向けて「さあ」と。
「教えて下さらない?シオン様のこと」
******
――このおふたりに、突撃自宅訪問を受けたのが本日の午前。
そして何故か、そのままの流れでお茶会をしようという運びになり今に至る。
ちなみに兄貴は仕事。両親は国王陛下からお呼び出しがあったとかで出仕しており、執事と数人のメイドを伴い早朝家を出ている。
シルヴィアちゃんは今朝、朝食の席に来なかったからシノに聞いてみれば、何でも昨夜夜更かしをしてしまった為自室で休んでいるらしい。
美容の為に早寝を習慣とする彼女が珍しいこともあるようだ。
ルークと言えば来訪者の顔ぶれを見て部屋に引っ込んでしまった。どうやらディアッカさんのことが苦手らしい。
しかし。しかしだよ。
せめてシルヴィアちゃんがこの場にいてくれればなぁ。
兄貴の婚約者の女性と上手く話せる自信がないぞ……。
何だかモヤモヤする胸を押さえつつ視線を上げれば。にこにこと微笑むエリーゼさんと不服そうなディアッカさんの……対照的なおふたりの顔があった。
早速雲行きが怪しい。
えーと、兄貴のことについて聞きたいんだったよな。
ずずずーっと紅茶を飲みながら、さて何て答えればいいのだろう。
頭の中で彼を想い浮かべる。
婚約者であるディアッカさんの話は『キモチワルイ』……。
では彼女は一体どんなエピソードを聞きたいのだろうか。
「ええと。兄貴はちょっと怒りっぽくて、すごく朝が弱い人で……メイドや私達が毎日頑張って起こしているんですけど……」
自然と笑いが込み上げてきた。
「自分の身の回りの世話なんかは自分でやりたがる人だから。朝起きたら起きたでいいんですけど、ボタンは掛け違えているし、髪は後ろの方絶対ハネてるし……靴は左右違う物を履いて出てくる時もあるし。ふふ……毎朝毎朝、手のかかる人なんです」
結局ルリが怒って『最初から私達がお世話をした方が時間を無駄にしなくて済みますね!』と朝食の席で髪を整えている光景がアーレン家の日常風景だったりする。
ーー寝起きの彼も。
ーー毎晩素振りをする彼の横顔も。
ーー甘い物が苦手な癖に、シルヴィアちゃん主催のお茶会で無理して食べる彼も。
どうしてだろう?目の前の彼女たちに話す事が勿体ないと感じてしまうのは。
チラリと顔を上げれば、エリーゼさんは目をぱちぱちとさせていた。何故かディアッカさんも驚いた表情をしている。
「ディアッカから聞いていた『シオン様』とは随分印象が変わりますね」
「え?」
「私はてっきりソツなく何でもこなし、常にキチンとした方なのだと思っていましたわ。女性に優しくて、優雅で、何もかもが洗練されていて。貴族の鑑のような方だとばかり……」
「……」
誰デスカ、それは。
何というか某国第二王子を彷彿とさせるような……?
「いいわ。もっと聞かせてもらえるかしら?」
「え、でも……」
これ以上はガッカリさせてしまうのでは。
先ほどのエピソードも驚いていたようですし。
私の戸惑いを見透かすようにエリーゼさんは目を細める。
「いいの。ふふ。何だか新鮮だわ、若い男の人ってそんな感じなのね」
「エリーゼさん兄弟は……」
「うちは女系なの。兄弟はおろか身近に歳の近い異性の親戚もいなくて」
「おまけに……」とエリーゼさんはふと視線を下に……ティーカップに移す。
「私も婚約をしたのですけど。相手は20も年上の方なの。一度で良いから恋をしてみたかったわ」
「勿論、同年代の男の人とよ?」なんて冗談めかして言う彼女。でもその笑顔は心の底から幸せに溢れたものだった……のだが。
バンッ!というテーブルを叩く音がそのほのぼのした空気を一変させた。
「やっぱり信じられないわ!エリーゼが政略結婚だなんて。酷すぎるわ!」
あからさまに不機嫌になってしまったディアッカさんを、エリーゼさんはたしなめるように、
「貴族の義務だもの。それに何度も言うようだけど、彼の事は昔から信頼しているし……私実は今、結構幸せなのよ」
「でも恋してないわ!そんな、好きでもない男性との結婚だなんて……」
エリーゼさんは私を見遣りながら困ったように首を傾げる。
「ディアッカとはこの話でいつもこう……平行線だわ。オリヴィアさんはどう思うかしら?」
「え?」
突然話を振られぎょっとする私。
そんな私をやはり、エリーゼさんはおっとりと眺めるのだった。
「ディアッカの言う『好き』はイコール『恋』なのよね。でも私は婚約者に恋をしていないけど『好き』だわ。でも彼女は私のこの『好き』が理解出来ないんですって」
「ええと。『恋』をしていなくてもお相手の事が『好き』で、結婚できる……」
「そうよ。今後の結婚生活に希望が持てる位には彼に好意を持っているのよ」
「ええと……」
結婚生活に希望を持てるくらいに婚約者の事が『好き』。……それって結構すごいことなのでは?
貴族の政略結婚の話は良く聞くけど。周りでよく聞くものは、聞いているこちらの胸が痛くなるような。そのどれも冷めたものばかりだった。
ちなみに情報源は社交界で幅をきかせている母や妹からのものだが。
あのふたりは存在自体がワイドなショーである。
「エリーゼさんの言う『好き』は……それは一体どういった感情なんだろう?」
「え?」
ぽっと頭に浮かんだ疑問がそのままするっと言葉になって出てしまったらしい。
ハッとして見ればお二人ともキョトン顔で私を見ていた。
「あ、ええと。いや、私も実は絶賛婚活中でして。参考までに聞きたいなぁーなんて。わ、私、恋愛ごとに疎くて、初恋もまだで……その、えーと」
いくら間が持たないからって。余計な事を言っている自信があるぞ、自分。
思わぬ注目を浴びてあたふたとしてしまう。
「エ、エリーゼさんの気持ちに名前をつけるとしたら何になるのかなって思って……!」
ん?あれ??
自分で言っててこの言葉はデジャヴだぞ。
今と逆の立場で。昔誰かにこの言葉をそっくりそのまま投げかけられたことがあるような……
ーーこの疑問を私に投げたのは誰だった?
それは私の、誰に対する『気持ち』でどういう状況だっただろうか。
私がその時の事を思い出そうとしている横で、エリーゼさんも「気持ちに名前……」と少し考え込む仕草だ。
やがて彼女からふと笑みがこぼれた。
明るい笑顔と言うよりは、苦笑いと言ったような。眉をハの字にして「何で今まで気づかなかったのかしら」と。
「やっぱり私、今日オリヴィアさんとお話出来て良かったわ」
「エリーゼ?」
訝しげな顔をするディアッカさんに、彼女は優しく微笑みかける。「愛なんだわ」と。
「え?」っと聞き返す友人の手を取り、そっと自分の胸に当てた。まるでそこに内緒の宝物があるかのように。
「きっと、きっとね。この感情、気持ちは『愛』って言っても良いんじゃないかしらって。……そう思えたの」
「愛……?」
「そう。情熱的で燃え上がるような、そんな激しい感情を彼に抱いた事はやっぱり無いのよ。でも……信頼してる。一緒にいると安心するわ。昆虫の話をしながら笑う彼の顔は純粋で屈託が無くて。そんな笑顔を見て温かい気持ちになっていたわ。いつからかしら?私、ずっとずっと前から彼の事を愛してるんだわ」
そう語る彼女はどこまでも穏やかで。
そしてやっぱり幸せそうだった。
「彼にも幸せになって貰いたいわ。相手の幸せを願えるって素敵なことなのね」
『私はとても幸運だわ』と、嬉しいような切ないような顔をする女性が、私にはとても眩しく感じられたのだった。
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午後の風が少し冷たく感じられるようになった頃。
女子会もといお茶会もお開きになった。
ディアッカさんは身支度を整えつつ、付き添いのメイドと話している。馬車を呼ぶよう指示しているのだろうか。
「ねえ、オリヴィアさん」
名前を呼ばれ肩を叩かれたので振り返ると、そこにはエリーゼさんがいた。
「私ね、やっぱりちょっと焦っていたみたい。恋多き親友の語る理想の結婚と私の結婚……共通点が全く無くて。彼女の、未来の旦那様への気持ちなんてモノにも全っ然、共感出来なかったから」
落ち着いていておっとりしている印象の強いエリーゼさんだったが、そんな彼女でもこと自分の結婚に関しては、不安だったのだろうか。
「彼の事、好きだって思っているのに。好きって気持ちが漠然とし過ぎてて迷子になっていたの。それで不安だったのかもしれない。でもあなたにとても良いヒントを貰ったわ」
「そんなこと……」
私は彼女が感謝するような大それた事はしていない。エリーゼさんがほぼ自力で出した答えのように思えるのだが。
「この感情に名前を付けることが出来た。そうしたら少し自信が出てきたのよ。ああ私は政略結婚だけど、『愛』のある結婚をするんだわって。そう思えたの」
「少しの自信」なんて言うけれど。その過小な表現に反して、彼女の顔は満ち足りていた。
まるで、この結婚は不幸では無いのだーーそう確信しているようだった。
「だからお礼に。私からもあなたにヒントを差し上げようと思ったのよ」
「え?」
彼女はこれからイタズラを仕掛けるような、子供のような顔で。
「あなたは初恋もまだって言うけどね。あなたがシオン様のことをお話しされている時ね……」
そっと耳打ちした。
「ディアッカと同じ顔をしているわ」
「へ?」
「恋をしている顔よ。私には結局出来なかったけれど……でも親友が何回も何回も恋をするたびに私はその話を横で聞いていたの。そんな私が言うのだから間違いないわ」
私は言われた言葉の情報処理が間に合わない。
「こい……?」
「……きっと。もしこのままあなたの、その気持ちに名前が付かないまま。……迷子のまま終わってしまったら可哀想だと思ったの。全て終わった後に知れば後悔するともね。……余計なお世話かもしれないけど」
私はまじまじとエリーゼさんを見つめ返す。そうすることしか出来なかった。
彼女は「あら?」と何かに気づいたように私の瞳を覗く。
「困ったわ〜」と全く困った様子も無く呟いた。
「これ、ヒントじゃなかったわ。ヒントどころか答えをあげてしまったわ」
コロコロと笑いながら。
「あなたの恋敵予定の方にモリモリ塩を送りつけてしまったわ。ごめんなさいねぇ〜ディアッカ」
ディアッカさんの背に向かって手を合わせ謝罪をしている彼女には、やっぱり悪びれた様子が無かったのだったーー。
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ーー風がいよいよ冷たくなる頃。
客人達を見送った後も、その場から動けず私は呆然と立ち尽くしていた。
「恋……?」
ぽつんと呟いた単語。
その呟きは、心なしか風通しが良くなった庭に霧散した。
あれからどれくらい時間が経っただろう。
姿の見えない私を、もしかしたら家の者が探しに来るかもしれない。正確には分からないがそれくらいの時間は経過している気がする。
でも私の心は今日のゲストのひとりが去り際に残していった大きな爆弾を抱えたままだ。
あまりの衝撃に頭が上手く働かない。
「わたし、が……恋……?」
ーー『その気持ちの名前が何なのか、あなたは答えを出さなければ』
そうやって諭した誰かの声。
あれは誰だっただろうか。
恐る恐ると言った体で。
もう一度言葉を唇に、風に、乗せる。まるで誰かに憚れるように、小さな声で。
「私が、兄貴に……恋?」
誰に聞かれる訳でもなく。その呟きも一陣の風に吹かれ、夕闇の中へと溶けていった。
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ーーサイラス王宮のとある一室。
「政略結婚ですか?うちの娘が??」
「そうだ」
短い肯定と共に、サイラス国王は胸元から紙片を取り出し公爵夫妻の前で広げてみせた。
「あちらの国王と、あれ以来何度か文を行き来させている……のだが。今回そう言った話の運びと相成った」
「……」
あからさまに動揺しているアーレン夫妻だったが、サイラス国王は意に返す様子もない。
「あちらからの正式な申し入れも直ぐに来よう。承知していると思うがこちらに拒否権は無い」
拒否どころかむしろ歓迎すべき話だ、とも国王は付け加える。
「彼らの年齢に釣り合う王女がいなかったのだが……ははは。一時はヒヤリとしたものだが、かような形で彼の国と縁が結べるとは思ってもみなかったな」
「陛下、しかしそれは……」
「これは王命である」
ーーアーレン公爵家の娘をひとり、シャダーン国王子と婚姻させよ
評価、ブクマ頂きありがとうございます。
励みになります。
物語の転換期に差し掛かかりました。
もう少し整理したい部分、練りたい部分が出て来たので次話間が空くかもしれません。申し訳ありません。
気長にお待ち頂ければ嬉しいです^_^




