〜とある令嬢の恋煩い〜
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彼との出会いは、あの夜開かれたアーレン公爵家でのダンスパーティーだった。
公爵夫妻がホストで、シャダーン国の勇者が主賓という舞踏会。そういうわけで呼ばれたゲスト達は皆一様に気合が入っていた。
私もそのひとりで、下ろしたての靴を履き意気揚々と会場入りを果たした。
ーーそこまでは良かったのだけど。
慣れない靴だったせいか、盛大に靴擦れを起こしてしまった。
もはやダンスどころではなく普通に歩くのすら苦痛という状態に。
痛む足を庇うようにヨロヨロ歩いていたら、
「きゃっ!」
「……おっと。 大丈夫ですか?」
転びそうになった私を既の所で抱きとめてくれた男性がーーシオン様だった。
「あ、ありがとうございます」
羽のように柔らかく優しく……そんな風に抱きとめられたと思ったのだけど。反面私が寄りかかってもビクともしない、厚い胸板と力強い腕。
内心そのギャップにどぎまぎしながらも顔をあげれば……しかし視線は合わなかった。
彼は私の顔よりやや下方を見ていたのだ。
きっと中々顔を上げることが出来なかったんだって今なら分かる。彼は武骨な軍人で……とてもシャイな人だから。
「あ、あの?」
「はっ!つい。すみません……お怪我は?」
そう言って目が合った彼の顔はーーこちらが恥ずかしくなるような位、真っ赤だった。
そんな彼のーー己を恥じるかのような顔を見たその瞬間、身体中に電流が走ったような錯覚に陥った。そして悟ってしまった。分かってしまったのだ。
ーー彼は私に恋をしたんだ、と。
先程顔よりやや下方に感じた視線はそれ程までに情熱的で熱かった。そこから火が吹き出してしまうんじゃないかってくらいに。
私だってそう。
これが、今度こそが運命の恋だとはっきり分かった。
周りの喧騒なんて耳に入らない、一切音のない2人だけの世界。
あとは言葉なんていらない。運命のふたりにはそんなもの必要がないーー……。
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「シオン様!」
久々の逢瀬につい気分が高揚し、出迎えてくれた彼の胸に飛び込んでしまった。
彼はギョッとして私の肩を両手で掴み引き剥がす。
そしたまた……微妙に視線を下方に向け、びしりと石のように固まってしまった。
「その、そういった胸を露出するような服は……」
「これですか?お気に入りですの」
私は胸元が開いたデザインのドレスをよく好んで着ている。
デコルテが映えるし、何より胸元を少しでも開けないと風通しが悪く窮屈な感じがするのだ。
この日はお気に入りの、私の瞳と同じ翠色のドレスだった。
ややあって彼は「ごほん」とわざとらしい咳払いをした。
「いや、その。あなたは未婚の若い女性だ。不埒な男が何か間違いを起こすことも充分にあり得る、と思うので……少し控えた方がよろしいかと」
「余計なお世話ですが」と顔を真っ赤にして言う彼を見て、私はとぅんく……と胸が高鳴るのを自覚した。
「『俺以外の男に肌を見せるのは禁止だ』と。……そうおっしゃりたいのですね?」
「んん?いや、違うけど……」
「分かりましたわ。他ならぬシオン様がそうおっしゃるのなら……」
私ったら、ふふ。何て嫉妬深い彼に愛されてしまったのかしら。
もがもがとまだ何か言いたげな彼の手を取り引いた。
「シオン様、こちらのお庭はいつ来ても大変素晴らしいですわね」
とびきりの笑顔を意識しつつ(ここで大抵の殿方はドキリとする手筈)
「散策したいですわ。是非案内をお願い出来ませんこと?」
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ふたり庭を散策する姿は仲の良い恋人同士に見えることだろう。事実その通りだけれども!
私がルンルンと歩いているその隣でシオン様といえば、「ああ。またシルヴィーにどやされる……」とか何とか、ぶつぶつ呟いていた。
やがて彼は歩みを止めその場に立ち止まる。
「ディアッカ嬢」
私を呼ぶその声に呼び止められ振り返れば、声音以上に真剣なシオン様の顔があった。
「こうしてお会いするのはこれで最後にしよう」
「え?最後って……」
こうやって『恋人として』逢瀬を交わすのが最後ーーということは。
これってこれってつまり……!?
プロポー……いえ、落ち着くのよ私。
「何度も何度も何度も!あなたに言った通りなんだ、が!俺は……俺には好きな人がいる。その人にあなたとの事を誤解されたくないんだ」
「はい……」
つまり。
彼は好きな人(=家族とか?友人とか??)に私との関係を(遊びだと)誤解されたくはない、ということだろう。
「きっとこうしてあなたと2人で会えば、周りは有る事無い事面白おかしく話すだろう。それはあなたの名誉すら傷つけることになる」
「おっしゃる通りですわ」
ひと昔前より貴族の自由恋愛というものは許容されている気風がある。
でもそんなのはごく一部の人達の、特に若者の間だけだろう。
若い令嬢が足繁く恋人の屋敷に通うーーそれは大半の人々にとって眉をひそめられる行為だ。
私は恥じ入った。
目の前の恋人は私の名誉のことまで考えて行動してくれている。それなのに私ときたら。
ただ彼会いたさに、そんな優しい彼の気持ちを踏みにじっている。
「ごめんなさい、もっと早く気付くべきでした。とても言いにくいことでしたでしょう?」
あからさまに彼の表情が明るくなった。
「いえ、俺もあなたを無闇やたらと傷つけまいと遠回しな言い方ばかりしていたのが悪かった……いや違う。結局は自分が悪者になりたくなかっただけだ。こんなにズルズルと長引かせずにさっさと終わらせるべきでした」
「今考えればそうでしたわね。私も……この関係が楽しくて」
つい恋人期間を長く設定してしまった。
でも運命のふたりだもの。本来ならすぐにでも結婚してしかるべきだったのだろう。
「この曖昧な関係をこのまま続けたら、きっと傷付く人が増えるだけですわね」
「ああ……」
それは彼の大事な家族でもあり、私の家族でもある。しかし早くはなかったけど遅すぎることはなかったはず。自分の娘にふしだらな噂が流れる前で良かったと思うべきだ。
私は俯き、彼との今後のことについて考えた。やはりこうして2人で会うのははしたないことだ。真剣に将来を考えているからこそちゃんと順序を守らなければいけない。
でも……。
「でもやっぱり少し寂しいです。こうやってお会いするのが最後だなんて」
「ディアッカ嬢……」
彼は申し訳なさそうな顔をしている。
ああそんな顔をさせたかったわけじゃないのに。私は無理やり笑顔を作った。
「ううん、これが最後なんですもの。どうせですから、思い切りハメを外させて貰えませんか?」
「ハメを外す?」
私は「ええ」と言いながら手をそっと差し出した。
「腕を組ませて下さいませんか?……最後に恋人として仲睦まじく歩きたいんですの。思い出を作らせて下さいませ」
恋人時代の2人の思い出が少なさ過ぎるのだ。
でもやはりはしたないだろうか。こんなお願いを女からして。
軽蔑されたらどうしよう……そう考えたけれど。彼の顔を見たらそれは杞憂だと分かった。
「それを最後に……あなたが満足出来るのなら」
そう言って彼は私の手を取ってくれた。
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ーー馬のいななきが近くに聞こえた。
厩舎だ。
「まぁ、やはり公爵家の厩舎はとても立派だわ。それにどれも美しい馬ですわね」
横に並ぶシオン様はちょっと意外な顔をしている。
「若い女性は厩舎の臭いを気にされる方が多いでしょう。平気ですか?」
「ええ平気です。それに馬は賢い動物ですもの。好きですわ」
「そうですか」とシオン様は遠い空の彼方を見ながら相槌を打つ。
「リヴィ……俺の大事な人も馬が好きなんです」
「確か外国に留学中の妹さんでしたかしら?」
「……ええ。よくご存知で」
彼の顔がほころぶ。大切な家族を想っているのだろう。
「令嬢なのに厩舎に良く来ては、何をするわけでもなく馬をぼんやり眺めていたりした……懐かしいな」
「あら、私には妹さんの気持ちが良く分かりますわ。ほら、あそこ」
そう言って厩舎の隅を指差す。まだ赤ちゃんと言っても差し支えない仔馬と母馬が寄り添っている。
「とても心温まる光景ですもの。つい入り浸ってしまいますわね」
「ああ本当に」と微笑むように頷く彼も馬が好きなんだろう。軍人だから乗馬だって……貴族の趣味のそれ以上に決まってる。
馬の親子を前に、2人の間に和やかな空気が流れるのを感じた。
乳を与える母馬の、我が子を見る顔つきの何と優しいこと!
「シオン様は……その、子供は何人欲しいと思いますか?」
ああやだ、私ったら!
こんな質問こそ、はしたないのでは??
馬の母子を自分に重ねてしまったのだろうか。
雰囲気に流されてついこんな事聞いてしまって。私はひとり顔を赤らめていたのだけれども。
「こども……?」とこちらを気にする事も無く、シオン様はぼんやりと反芻していた。
「具体的にはまだ……そこまで考えたことはないな……」
やはり地平線の向こうに視線を固定したままだ。遠い国に何かを探しているような面持ちで。
どこか上の空のように見える。
私も彼につられて視線を移す。
遠い国と言えば、あちらに見える地平線はシャダーンかしら。方角的に。
彼は気怠い雰囲気そのままに続ける。
「子供はいれば……楽しいし可愛いんだろうが。でもまだしばらくは2人の生活を楽しみたいというか……」
「!そうですわよね、私もそう思います」
恋人期間が物足りないと思っていたのだ。結婚してもしばらくは2人の時間を満喫したい。そう思っているのは自分だけではなかったのかと嬉しくなった。
彼はすぅっと息を吸い込んで深呼吸した。まるで遠い国に飛ばしていた魂を戻すように。描いていた未来から現実に引き戻されらるように。
「いや。子供とか、その前に……」
「ズバリ結婚ですわね」
「えっ?あ、ああ……いやまずは自分を磨かなければと思うのですが。このままじゃ色々と釣り合いが取れないので」
何気ない彼の発言は、いつも私のことを大事に考えてくれていると分かる。
いつでも心で繋がっているのだとも。
それがとても嬉しいのだ。
「釣り合いだなんて。そんなことおっしゃらないで。私が好きになったあなたですもの。充分素敵な人だわ」
「ディアッカ嬢……ありがとうございます」
私は組んでいた腕をそっと離した。
名残惜しいがそろそろ頃合いだろう。
「お互い頑張りましょう、シオン様。次お会いする時は、また今とはちょっと違う関係の私達ですわ」
「ん?ええまぁ……ソウデスネ?」
「最初はお互い戸惑うかもしれません。けれど……でも、きっと。良い関係を2人なら育めると思うのです」
若いふたりはこれから夫婦へとステップアップするのだ。初めての事だ、最初から上手く行く事の方が少ないだろう。
シオン様は感極まったように。大きく頷く。
「ディアッカ嬢……そうですね、あなたとはこんな形になってしまいましたが。……互いに前に進みましょう」
「ええ前向きに」
私はにこりと微笑んだ。彼も微笑みを返してくれる。
「私、手紙を沢山書きますわ」
彼は「ん?」と微笑みながら、こてんと首を傾げた。
「……手紙を?」
「ええ。これからのお話を詰めていくのに主な連絡手段となりますでしょう?」
「んんん?」とますます彼は首を傾げる。
「これからのお話……?」
「はい。ここではお話しきれませんから、詳しくは追ってご連絡差し上げますわ。うふふ焦らないで下さいませね?女家には何かと準備が多いんですわ」
彼はやはりよく分かっていないような顔をしてそのまま固まってしまった。
仕方がない、娘を嫁に出す家の事情なんて。男の人にはピンと来ないものだろう。
「ではシオン様。2人の明るい未来に幸あれ、ですわ!」
私はそう言って未来の夫に手を振り、その場を後にした。
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「何だったんだ……?」
後に残されたシオンは呆然とそのご令嬢の背中を見送った。
所々よく分からない部分はあったが。
総括すれば随分と元気で前向きなお別れであった。
何だか怖いくらいだ。
「坊ちゃん……」
厩舎の陰からひょっこり顔を出す人物がいた。昔からアーレン家に仕える御者だ。
その横には懇意にしている装蹄師の姿も。どうやら馬蹄のケアの最中だったようだ。
心配そうにこちらを伺う様子で、どうやらやり取りの一部始終を見ていたらしい。
「大丈夫ですか?今のお嬢さん、何も分かってなさそうでしたが」
シオンは厩舎にたどり着く前に交わした会話を思い出し、ぶんぶんと首を横に振る。
「いやそんなはずは。ちゃんとお断れたはず……」
「なら良いのですが……」
ーーそんなやりとりの数日後。
何故か『婚約者』にグレードアップされた、かの令嬢が差出人の手紙が届く事になるのだった。
ーーでもこの時はそんな事知る由もなかった。
デカメロンお嬢様視点終了。
次話より主人公視点へ戻ります。




