~令嬢はダンスをしたくてツライ③~
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月も高い位置に来て、煌々と周りを照らしている。
月を愛でるこの本能は、日本人の感性が俺の魂に深く刻まれているからかもしれないな。
そう主張したいくらい、今夜の満月は本当にきれいだ。
月光浴をしているようで気持ちがいい。
俺は何だか無性にムズムズした。
すくっと立ち上がり、上機嫌にくるんとその場で回る。ヒール靴も脱いでしまう。芝生を裸足で踏んでみたい気分になったのだ。
なんだかとても気分がいい。
さっきまで一人で練習していたステップを踏んでいると、座って見ていた兄貴が笑った。
「まるで月の精だな」
俺はそんな兄貴が可笑しくなった。
「なんだそれ。ガラじゃないよ!」
「じゃあウサギだな」
「うさぎ?!」
そうだ、と言いながら彼は立ち上がり、俺の頭をポンポンと撫でる。
「満月に気分を良くして飛び跳ねる、子ウサギだ」
月の精といわれるよりかは、まぁいいか。
兄貴はすっと手を差し出す。
「踊っていただけませんか?」
やけに畏まって、どこかの紳士か王子様のように礼をとる。
「喜んで?」
俺も笑いをこらえつつ、兄貴のオフザケに全力で乗っかる。
どこかのお姫様のようなフリをちゃんとして、その手を取った。
可笑しくて吹き出しそうだ。ふたりともさっきからテンションがおかしい気がする。
これも満月のせいかなぁ。なんだかとても楽しいんだ。
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兄貴のリードで踊っていた俺だったが、特に失敗することはなく順調にステップを踏めていた。
ターンをする。薄青のドレスが月明りに照らされて翻る。
さながら月をここに切り取ったかのよう。
噴水から出る水の音はサラサラと耳に心地よい。
風が吹けば芝生の青い匂いがそれに乗って鼻をくすぐった。
噴水の水音、芝生の匂い、衣擦れの音――ふたりの息遣い。
月明りに照らされた彼を見た。彼は少し照れたように微笑む。
夜を閉じ込めたような彼の瞳には私が映る…私しか映っていない。それが何だか嬉しい。
まるで世界には自分たちしかいないよう。この夜を支配している気持ちになった。
これも満月のせい?
ふわふわ気持ちいいような、切ないような、それでいて嬉しくて落ち着かない――変な感じ。
そうだ。全て、月のせいなんだ。
*********
(いつ気づくのかしら?)
オリヴィア・アーレンは考える。
鈴木勇太という前世の記憶を持った彼女とは別人格として形成された自分は、
オリヴィア・アーレンの潜在意識とも、彼女の女性性の象徴ともいえるのだろう。
彼――というか彼女は気づいただろうか。色々な矛盾を。自分の変化を。
まぁ、気づいてはいないのだろう。
(さっきは…変な方向に将来設計をし始めていたしね…)
オリヴィア・アーレンは考える。
潜在意識の自分が気づいた変化を、表層意識の彼女が気づくのはいつになるのかと。
きっと教えてあげるのは簡単だ。でも現時点の彼女が納得できるかは別だ。
彼女が納得して自覚をしなければ仕方がない。
もうひとりのオリヴィア・アーレンは静かに目を閉じまどろみ始める。
人間の内には色々な面と心があるものだ。
ひとつの「個」だけが己を支配しているわけではないのだ、と。
ああ、なんだか無性に眠い。
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踊り疲れてクタクタになった俺は芝生にゴロンと寝ころんだ。
――怒られるだろうから。もちろん、兄貴の上着の上で、だ。
胸元から懐中時計を取り出した。
時刻は深夜2時。
時計蓋の竜をなぞりつつ俺はふと不思議に思った。
「そう言えばシルヴィアちゃんが前に言っていたけど。勇者って国王から認められた人だけに与えられる称号なんだろ?この国にも勇者っている?」
「そうだな。この国にも数人くらいいるんじゃないか。国に対して何か大きな貢献をした人に与えられるものだからな」
ふうむ。つまり人間国宝って感じ?
「今度来るシャダーン国の勇者ってどんな人なんだろ?若いのかな?」
「さあ。あちらの国に何人の勇者がいるかは分からんが。竜退治をするくらいだ、相応には若いんじゃないか?」
ああそういえば――と兄貴は続けた。
「隣国の王子が勇者のひとりだったな。しかも彼は国民から”竜殺し”と呼ばれているらしいな」
えええええ?!
王子サマが勇者サマで?勇者サマが王子サマで!?
「どういうこと?竜ばっか殺して歩く王子様なの?」
「隣国とはいえ他国のことだから、俺もあまり詳しくはないんだがな。何でもその王子はシャダーン国の第二王子で、文武共優れた人物らしい。悪竜を退治して国に貢献していることから「勇者」の称号を得ていて、噂じゃ国民からは結構な人気があるらしいぞ」
ひええええ
お国が違えば事情も全然違うわけですね。
俺はふと予感があった。
「今度来る勇者って…その王子様の可能性あるんじゃ…?」
兄貴は首をひねる。
「どうだろうな…シャダーン国王の親書を持ってくる位だし、第二王子の身分なら確かに可能性も高いが…しかしなぁ?」
「う、うん…」
俺と兄貴は多分同じ母の発言を思い出していたのだろう。
――『私たち、その勇者さま一行とお土産屋でばったり会ってね!意気投合しちゃったわ!』
土産屋に勇者ってのもアレですが。
土産屋に第二王子ってのも違和感半端ない。イヤ、違和感しかない。
「明日義父上と義母上に聞いてみるか」
「…だね」
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「うむ。その通りだな」
父の回答はあっさりと得られた。
母とぼけた感じに頬に手を添えた。
「あらぁ?やだ、言ってなかったかしら?」
翌朝朝食の席、クロワッサンに噛り付きながら俺は反射的に母にツッコミをいれる。
「言ってないし!聞いてないよ!?」
「ということは、やはりその勇者は…第二王子なのか…」
兄貴は少し惚けたように呟いた。
「そうよぉ」
「まぁ!向こうのお国では王子といえどそんな危険なことをなさるのね。いくら悪竜の被害があるといえど…そんな尊い方まで…」
シルヴィアちゃんも驚きを隠せない。
全てこの母と父の情報伝達能力の欠陥が招いたことである。
社会人鉄則ルール、「ホウ・レン・ソウ」はどうした。報告・連絡・相談は!
「あら、でも私ちゃんとお行儀良くしていてね、とお願いしたはずよ?勇者様だろうと王子様だろうと、あなた達の対応は何も変わらないわ」
いやいや、心構えとかが違うでしょーに。
あんたは何言ってんだ。
と俺は心の中でツッコミを入れた。心の中で、だ。
母はちらりと俺を見て(激甘)コーヒーを口に含んだ。
目が笑っていない。
「心構えしたところで。あなたの態度はそんなに劇的に良い方向に変わるかしらぁ?逆に萎縮しておかしな事になってしまうでしょう?」
シオンやシルヴィーはともかく、と彼女は付け足すことを忘れない。
どうやら俺の心の中でのツッコミを母は的確に拾ったらしい。さすが母最強説。
父も同意する。
「そうだな。この前もお客人が来た時におまえときたら…」
父に促され、その客人にご挨拶しようとしたのだが、緊張のあまり何もない床につまづき花瓶を割り、転ぶ瞬間客人をアイアンクローしたのは記憶に新しい。しかも客人のズラがずれてしまった。
客人にケガはなかったけど。毛がなかったんだよな。
なんてアホなダジャレが頭をよぎってしまった。馬鹿か俺は。
しかし以前旅行から帰った際に父は「お転婆くらい元気があった方が良い」と言っていたのに。
お転婆さ加減を間違えたらしい。
少々げっそりしている。老けたな、父。いや俺のせいだけど。
「オリーも昔は今みたいに元気が有り余っていたわねぇ。最近はちょっとおとなしくしているかと思ったら。全然、そんなことなかったんだわ」
「あ、あれ。そうだっけ?」
――オリヴィア!おいオリヴィア!オリヴィアさーん!オリヴィアさーん!!
俺は心の中でオリヴィアを呼ぶ。
最近はオリヴィア・アーレンの記憶や知識を引き出すのに、もっぱら彼女と会話している。
けど彼女は出てこない。寝てんのか?そういや昨日眠い眠いって言ってたっけな。
まあいいや起きたら聞こう。
「ともかく」と父は渋い顔をして仕切り直した。
「緊張しているからといって変に委縮したりしないように。第二王子にアイアンクローをブチかますんじゃないよ?」
ううう…そんなこといわれても。
アレだってわざとアイアンクローしたわけじゃないのに。
プ、プレッシャーが…怖い。怖いよぉ。
というか…。
「王子ってヅラかなぁ…?」
「…おねえさま。そこの問題じゃないですわ」
シルヴィアちゃんのツッコミに返答を返す余裕はない。
正直舞踏会なんぞバックれたい衝動しかないのだ。
そんな俺の様子を横で見ていた兄貴が短くため息をついた。
「俺が見てますから、そんなヘマさせませんよ」
シルヴィアちゃんも「はーい」と元気に手を挙げる。
「私もですわ!おねえさまのフォローならちゃんとできますわ!」
兄貴だけでなく妹にまで助け舟を出され、俺はますます当日バックれ衝動が強くなった。
いいや、挨拶だけしたらさっさと部屋に引きこもろう…。それに限る。
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朝食を食べた後、俺は庭の隅に設置されている温室に入った。
最近はここでもっぱら読書をするのが俺の日課だ。
(何を読んでいるの?)
「オリヴィア、起きたんだ」
(ええ。ふぁ…まだ眠いけど)
「そっか。まだ眠いなら寝ててもいいけど」
(いいの。それより、何を読んでいるの?)
「ああ、これ。この国の宗教史だよ。あと神話とか」
俺は父の書斎から拝借した分厚い本をペラペラめくって見せる。
ルリに頼んで取り寄せてもらったものもベンチに置き重ねる。
(どうしてそんなもの…)
「いや、将来もしかしたら修道女になるかもしれないじゃん?今から予習を兼ねて」
(…本気で考えていたのね)
前世の俺はこんな文字ばっかで分厚い本なんてめくりもしなかったんだけど。
人間変わるもんだなぁ。いや…まぁ確かに別人にはなっているんだけどさ。
(最近、温室によく来るのね)
「あたたかいからね。それに花もいい匂いだし」
(そうね、冬薔薇が見事だわ)
周りを見渡すと今が盛りとばかりに薔薇が咲いていた。
赤や黄、白。色とりどりの薔薇が目を喜ばせてくれた。
以前シルヴィアちゃんから貰った菫もここに植えたのだった。
俺はまた読み途中だったページに戻って読み返した。
「なあ、ここの国って。この『ルドゥーダ神』ていう神が一番偉い神様?」
この本によると全ての始まりと終わりの神と書かれている。
(一番偉いって…まぁそうね。唯一神ですもの)
「ふぅん」
(あなたそんなのでよく修道女になろうとしてたわね…)
全然信じてないじゃない、とあきれたようにオリヴィアは言った。
「う…しょうがないだろ。前世の俺が暮らしていた国は宗教とかに熱心な人はあまりいなかったんだから」
熱心というよりか…まぁ無節操ではあったけど。
ちなみに前世の俺もほぼ無宗教に近いような家系だったな。クリスマスケーキは食べたけど。
「この国は?この国のひとはやっぱり敬虔なルドゥーダ神徒?」
(どうかしらねぇ。そりゃ熱心な人は熱心な人でしょうけど。よく言うじゃない?困ったときの神頼みって)
つまりは大部分の人は俺と同じような感じなんだろう。
あとこの口ぶりだとアーレン家の人間も、その大部分に入る人種なんだろうな。
「他国の宗教はどうだろ?」
(ルドゥーダ神を祀るところもあるわ。色々よ?今度来る勇者サマのお国は龍神を祀っているもの)
ふうん。どこの世界もそんなもんですかね。
そんなものよ、とオリヴィアはあくびを殺しつつ頷いた。
そういえば…と思い出す。オリヴィアが起きたら聞こうとしていたことがあったんだ。
「なぁ、さっき朝ごはんの時に話していたんだけど。俺たちって子供の頃相当やんちゃだったのか?」
オリヴィアは「う…」と固まる。
(そう、そうね…多少はね)
なんか怪しい。これは多少の「多」の方だろう。
つまり相当のお転婆だったのだ。
「あんた…俺に接するとき自分は淑女、って感じの顔と態度だったじゃないか」
初めて会った時を思い出す。夢の中だけど。
(何を言っているの。私たちは同じ魂なのよ。1回死んだくらいで根本が変われるわけないじゃない)
あくまで開き直りである。
「じゃあ最近は猫をかぶっていたのか?」
(本音と建て前を分けることを覚えただけよ)
オリヴィアはつんとして答えた。
ふーん?
「で、子供の頃はどんな武勇伝があったんだ?」
(あなた…自分でもう思い出せるでしょう?私に聞かなくとも)
「まぁ前やっていたみたいにやればいいんだろうけど。億劫なんだよね。聞いた方が楽というか」
大体俺たちが会話することで融合への第一歩になるじゃなかったでしたっけ?
(ふぅん。じゃあまだちょっと時間がかかるのかしら?)
「?」
(まぁ…元々ゆっくりするつもりであったからいいけど。…でもこのままじゃ変な将来設計を突き進みそうだわね…)
もうひとりの俺はしきりにため息をつく。なんだ、なんなんだ。
俺の頭が「?」マークでいっぱいになっていたとき、予想外の方向から声がかかった。自分の心の声じゃない、現実の声である。
「オリヴィア」
「兄貴?」
兄貴の声だ。彼が温室に入って来る気配がした。
彼の姿を認識した俺は、おや、と思った。
「兄貴、いつものカーキの軍服じゃないんだね?」
今日の兄貴は裾の長い藍色の軍服を着ている。おそろいの軍帽もかぶっていた。
「ああ、いつものは訓練用のものだ。これは騎士団の正式な制服。今週は俺たちの騎士団が王宮警備の任に就いているからな」
じゃあ今から仕事に出かけるところなんだろう。
胸には金色の鷲をかたどったバッジがキラキラしている。
彼の所属する騎士団は鷲がシンボルマークなのだろうか。
腰のところで大きめのベルトをしていて、そのベルトにもさりげなく鷲のマークが刺繍されていた。
なんだか…
「すごいカッコいいね。兄貴の髪と瞳の色によく似合っている。素敵だ」
素直に感動したのでそのまんま口に出すことにした、
のに。
何故か彼は苦い顔をした。
「もう騙されんぞ。男の純情弄びやがって――…おまえの”カッコいい”にはもれなく!筋肉とか筋肉とか、あと筋肉とかが後ろにつくんだからな!」
えーそれだって兄貴の魅力でカッコいいところではなかろうか。
大体俺がいつ彼の純情を弄んだというのだ。人聞きが悪いし意味不明だ。
不平の声をあげようとしたがそれを堪えつつ、なんとか言葉を探した。
ここで不満の声をあげたら兄貴が不機嫌になる気がするんですよね。
何で不機嫌になるかは知らんけど。対ブラザーの処世術だけは学んでます、自分。
兄貴の軍服の袖をつんつん引っ張る。ここは素直に。素直に思ったこと感じたことを言えばいいんだ。
「兄貴は全部がカッコいいと思うよ?小さい頃から私の自慢だもん、全部ステキだ」
ぐっ…と兄貴は口を一文字に結び押し黙る。心なしか顔が上気している。
「ところで、仕事前にどうしたの?私に何か用だった?」
兄貴の機嫌が何となく上昇したのを感じて、私は話を切り替えた。
「あ、ああ…義母上とシルヴィ―が呼んでいる。舞踏会のドレスを作らせるそうだ」
ええーめんどくさ-い。
心情が顔に如実に出ていたのだろう。兄貴は苦笑した。
「俺もおまえのドレスを楽しみにしているよ」
「ドレス姿ならいつも見ているでしょ?」
口をとがらせる。
兄貴は「それでも」と笑う。わたしの頭を撫でながら。
「楽しみにしているよ」
その飾り気のない笑顔に不覚にもドキリとした。
イケメンは罪だ。老若男女問わず、その笑顔の破壊力は抜群だ。卑怯だ。
知らず顔に熱があつまっていたのを、手でパタパタ仰ぐ。
温室の出口まで一緒に向かう途中で、兄貴はふと聞いた。
「ところで最近ここによくいるようだが、おまえこそ何やったんだ?」
「読書だよ。ここだとはかどる気がして」
兄貴は、ベンチに置いてある読みかけのタイトル――『修道女の生活~神との近づき方~』をチラリと一瞥する。
そして「ふうん?」と片眉をあげる。
「おまえそんな信心深かったっけ?」
「ま、まあね。わりと最近?」
なんとなくバツが悪くて笑ってごまかした。
未だ問うような彼からの視線を感じた。ので…私は話題を慌てて変えた。
「と、ところで兄貴昨日は遅くまで起きてたけど大丈夫?これから仕事なのに」
「俺は平気だ。寝起きは超絶眠かったが。おまえの方こそ大丈夫か?」
私は心配かけさせまいとへらっと笑う。
「私は若いから平気だ」
「待て。人を年寄り扱いするな。俺はまだ21だぞ」
あー、うん。そうでした、そうでしたね。
兄貴はベビーフェイスだと思うんだけど、言動が落ち着いているからなぁ。少し上にみえてしまうんだよね。かといって年寄り扱いする意図はなかったんだけど。
ベンチの上の本をガザゴソと片付けている私の様子を、後ろで兄貴はじっと注意深く観察していたのを、その時も私は全然気づきもしなかったのである。
まとめて更新できた安堵感と達成感…。