~教育ママになれなくてツライ~
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兄貴とシルヴィアちゃんと別れてルークと父の書斎の前に来た。
父は王宮に出仕しているようなのでここにはいない。
扉を開け、インクと紙の匂いが充満している室内へ。
少々埃臭い。この部屋の掃除は父自らしているそうだ。さもありなん。
「父さんがここ出入り自由にしてくれるって言うし。おまえもたくさん本が読めるな」
横にいるルークは「うん」と返事をしつつ、手頃な本に手を伸ばす。
「僕はまだ人間社会について知識が足りないし。本が手っ取り早いかな。人の創る物って面白いし」
「おまえ読み書きできないだろ?教えてやろうか」
パラパラと本をめくるルークは笑う。
「そうだね。でもちょっとならもう読めるんだ。あとは読みながら自分で覚えていくからいいよ。その方が楽しい」
「そうか」
いつの間に……。
我が息子は頭が大変によろしい様だ。私とは大違いだ。
読めない単語や意味が分からない熟語は辞書とかで調べるのだろうか。
「そうだな。『今時の若者はすぐに答えを求めるからいかん』って先生も言っていたしな」
「先生?」
「うん。大昔の恩師だ」
前世国語の先生である。
ある意味ルークがするのは理想的な勉強方法なのかもしれないな。
「シャダーンの王宮図書館よりかは大分見劣りするけど。ここの本も私が一生かかっても読み切れないだけの量はあるな」
ここにはたくさんの本がある。
両側の壁面棚には天井までびっしり本で埋め尽くされ詰まっているし。収納しきれず床にも積んである有様だ。
父さんはこれだけの量全てに目を通したのだろうか。
ルークは床に座りながら、先ほど手に取った本をパラパラとめくる。
「あちらの王宮に唯一未練があるとしたらそれかな。僕がもっと早くヒト型になることができたら、あそこの本読めたのにって思うよ。残念」
「また遊びにいくことになるだろうし。その時に覗かせてもらえるようにミラに頼もうよ」
「遊びにって。……母上、『謝罪しに』でしょ?そんなこと言っているとまた怒られちゃうよ?」
ルークは呆れ返ったように本から顔を上げる。
白いシャツにサスペンダー付きの黒いズボン。兄貴が彼と同じ年の頃によく着ていたものだ。
床にあぐらをかいて。行儀が悪い姿勢にも関わらず。こうやってみると彼も生まれながらに貴族の子息みたいだ。何だろう?雰囲気に品があるというか。
私とはこれまた大違いだ。
「そうだなぁ。あー、何だかあちらには『謝罪しに』行ってばかりだな」
「?」
一度目は元々、ミラの身体に傷を作ったことが原因で。自分としては謝罪旅行のつもりだったのだ。
彼はそんなこと求めていなかったようだけれど。
床に積まれた本の塔を避けながら窓際へ。
あまりにも埃臭いので換気をしようと思ったのだ。
窓に手をかければ、ふと視線の先に温室が見えた。
「ミラとまともに言葉を交わしたのはあそこの温室だったんだ。懐かしいなぁ。それ程前のことじゃないんだけど。もうずっと昔からミラのことを知っているような気がするな」
1か月強もずっと一緒に過ごしていたのだ。お互いの友情を深めるには十分過ぎる時間だったのだろう。
「……会いたいの?」
ルークは何故か慎重に言葉を探すような素振りをして……結局シンプルな質問を投げかけた。
彼のその慎重姿勢の意味が良く分からずキョトンとしてしまうが。私は素直に頷く。
「? そりゃ、会いたいだろ。ずっと一緒にいたんだし。ちゃんとお別れの言葉も言えなかったしなぁ」
手紙でも書こうかと思うんだけど。
でも陛下が謝罪の文をあちらに送ったらしいし。礼儀としてそちらの返信が来てからかなぁ?うーん。
トップ同士がやり取りをしている中で、下の者が勝手な行動をしちゃいかんかな。判断が難しいところだ。
私の葛藤している様をルークは何か勘違いしたのか。
「ふーん。でも再会したら今度は離してもらえないかもよ?檻に入れられちゃうかも」
「あー……あいつ寂しがり屋だからなぁ。ウサギさんかよって感じだよな」
しかしその行為はいわゆる監禁ってやつでありまして。とどのつまり犯罪じゃなかろうか。
友人に対して、そんなヤンデレの典型例的行動は流石にしないだろうが。
勇者で腹黒でタラシな王子で。ついでにヤンデレなんてことになったら……神様はあいつに色々な設定盛り過ぎだ。ラノベか。
……ちょっと妄想。
ヤンデレについて本気出して考えてみた。~if ミラがヤンデレ王子だったら~
『ここから出ようだなんて。ふふ。足の腱でも切ってしまいましょうか?』
……。
『俺なしでは生きていけない身体になって下さいね?』
……。
………あ あれ?
「ウォォォォ―――イ!!」
「母上!?」
「な、なんでもないっ!!」
思わず叫んで思考を中断させてしまった。
おい、ヤバいぞこれは。
何か生き生きとした表情のあいつが簡単に想像できたぞ。
大体のヤンデレは対象を監禁して、逃げられないように足に重傷を負わす傾向があるよな……。
そして手には手錠を持っていた。何故か軍服で。
そんなセリフも当たり前だが言われたことなんて一度もない。(つか言われていたら即帰国するだろう)
しかしフルボイスで容易に脳内再生ができてしまうミステリー。
「ちょっと……いや。かなりハマってるぞ、どハマり役だな!?あいつ」
「は、母上……?」
「……イヤ。ナンデモナイ」
おう、考えただけで恐ろしい。胃もたれするぜ。
奴がそんなアレな感じだったらあれだ。未来の奥さんは苦労するぞ、マジで。
浮気はおろか、ちょっとでもよそ見できないというか……。
……って違う違う。
勝手に私が妄想して遊んでいただけで。あいつは別にヤンデレ属性でも何でもないはずだ。
すまん、ミラ。おまえは良いマイホームパパになるぞ、うん。きっとそうだ。そうに違いない。そうであってくれ。
近い未来、お互い家族を持ったならば。私とミラ一家で夏には河原でBBQでもしよう。『他人の子供は大きくなるのが早いですねぇ~HAHA』等々の会話で盛り上がりたい。
なんて妄想していたところで、だ。
――しかし。
ふと目を閉じれば。
私の帰国を拗ねて寂しがる彼の顔が思い浮かんだ。
彼は今、どうしているんだろう。
「あいつが寂しがり屋なのを知っているの、今んとこ私だけなんだよなぁ……。こう考えてみるとあいつ、王子としてはともかく。人としてはてんでダメダメだよな。『だめんず』って奴か」
だからだろう。
『放っておけない』と思ってしまうのは。
彼の孤独を知って支えてあげたいと思ってくれる優しい女性。そんな女性が早く現れるといいなぁ。
「あいつええかっこしいだし。中々自分の弱さを人に見せようとしないから。ちょっと心配だなぁ」
ルークは私同様、薔薇園のある温室をぼんやりと眺めつつ。
「保護者はどっちなんだろうね」と笑いながら呟いた。
*********
***
ルークの。パラ、パラ…と本のページをめくる音がするだけの静かな室内。
彼の読書の時間を邪魔しちゃいけないよな。と思いつつ。
私も何か読んでみようと静かに立ち上がる。本棚に沿って興味が惹かれそうなタイトルを探す。
前世の彼と違い、私だって多少は本を読む。性に合わないといえば合わないが。彼ほど苦手意識はない。
うろうろと室を徘徊する私にルークは顔を上げる。
「母上、暇なら僕に無理して付き合わなくてもいいよ?」
「あ、いや。そういうわけじゃないけど……」
結局邪魔をしてしまったらしい。
彼は本をパタンと閉じ立ち上がる。
「数冊借りていっていいかな?夜の方が涼しくてはかどりそうだし」
「……イイと思うヨ」
どうやら気を遣わせてしまった。
本を物色する彼の後ろ姿を見つめながら。
『ああ。本当に彼はこの国にいて、私の家族になったんだな』という変な実感が沸いてきた。今更ながらに。
実はここ一週間聞きたくても聞けないことがあったのだった。
「なあ、ルーク」
彼の背中に向かって声を掛ける。
「なあに。母上」
ルークは振り返らずそのまま返事をする。
「後悔してない?私について、こっちに来ちゃって」
彼は驚いたようにぱっと振り返る。
純粋に「そんなこと聞かれると思わなかった」と言いたげな顔を見て。……不謹慎ながらも少し安心してしまった。
「なんでそう思うの?」
「……だって」
私は少し視線を外す。
「少し、嫌な思いをさせている気がする。兄貴や両親はともかく。シルヴィアちゃんが……」
彼を歓迎していない気がするんだ。
私の立ち回りが下手なせいだ。きっと。両方に嫌な思いをさせちゃっているんじゃないだろうか。
どちらに対しても申し訳ない。
「ああ……あの子ね」とルークは苦笑したように頷いた。
やはり彼にも感じるものがあるのだろう。
「別に気にしてないよ。僕はこんなんだしさ」
「そうか?」
「自分の箱庭が他人に荒らされたら嫌な気になるのは仕方ないよ。それにあの子の嫉妬はカワイイもんだ。いっそ微笑ましいくらい」
「嫉妬?」
私はちょっと首を傾げる。
シルヴィアちゃんが嫉妬?何に対して??
「シルヴィアちゃんは若い男の子とひとつ屋根の下で暮らすのが嫌なんじゃないのか?」
ルークはちょっと目を瞬かせる。
「そうか。母上はそういう風に捉えちゃってんだ。あなたって人間の醜い感情とか悪意に疎いよね。好意もそうだけど。そこはあなたの良い所でもあるし悪い所でもあるね」
「?」
「奥の奥のドロドロした感情。その本質は人も竜も変わんない。普段はみんな隠すから忘れがちだけど。無くなったりするわけじゃないから。気づかないフリだけならいいけど、忘れたり目を逸らすのはいけないよ」
目の前にいる息子は。竜なのに人間の感情が私より分かっているようだ。
それは彼が人として生きようとしているから、その中で身に着けたものなのか。
それとも元々持って生まれたものなのか。
「シルヴィアちゃんは……おまえのことをどんな風に考えているんだ?」
ルークは悪戯っこのような顔をした。
唇に人差し指をそっと当て、首をかしげる。
「正解をすぐに求めるのは今時の若者の悪い癖なんでしょう?あなたがあの子と向き合って見つけなくちゃね。それに僕があの子の感情を勝手に代弁したら、きっと嫌がるんじゃないかな」
「……ごもっともだな」
『子供が親を親にする』って言葉を聞いたことがあるけれど。
私の方がルークに教わっていることが多い気がしてならない。
「じゃあ、まずはおまえと向き合おうと思う」
「? 僕と?」
ルークは首を傾げた。
「そう。さっきも聞いたよな。おまえは私とこちらに来て後悔していない?シルヴィアちゃんのこと、悪く思ってないか?」
彼は笑った。
「母上は本当に単刀直入だよね。僕はあなたに嘘をつかないけど。あの子にそんな風にストレートに質問しても本当の答えは得られないかもよ」
「う゛……。いいんだ。今は、私と己に嘘をつかない息子に投げかけている質問なんだから。聞き方はこれで正解なの」
「確かにね」と彼は天井を仰ぎ、ふうと嘆息した。
何て言ったらいいのか考えているのだろうか。
「僕はさっきも言ったように。あの子のことは『別に気にしていない』だよ。それで何だっけ?あなたについてこちらの国に渡ったことに後悔?だっけ。そんなの微塵も感じてないよ」
「そうか」
私は短く返事をした。
目の前の彼は私に嘘をつかない。
何でかそれが分かるのだ。
「前も言ったでしょ?僕はあなたがいればそれで幸せだって」
「うん……」
そっと彼に歩み寄り、ぎゅっと抱きしめた。
頬には触れるだけのキス。
「私もおまえのことが大好きだ。これからもずっと一緒に居てくれ。でもシルヴィアちゃんも同じくらい大事で大好きなんだ。だから……」
彼は私の髪を手で梳かしながら、抱擁を返す。「わかってるよ」と。
「あなたの大事なものは僕も大事にするつもりだよ。一応ね。あと守りたいモノも。……僕はあの嫉妬深~い、心の貧しい誰かさんとは違うからさ」
「? それもシルヴィアちゃんのこと?」
「違う違う!あの子の嫉妬なんて。やっぱりあいつに比べれば全然!可愛いものだね」
「?」
他に彼と私の共通の知人はいただろうかと考えてみる。
心の貧しい誰かさん……って誰だろう。
ルークはポンポンと背中を叩く。
「あなたの前世が教えてくれたはず。……人の深淵を」
「ルーク……?」
「忘れちゃダメ。それが結局、自分を守ることに繋がるかもしれない」
そろそろと彼の胸から顔を離す。
目が合った彼は苦笑していた。
紅玉の瞳は細められ、骨ばった少年の手が私の頭を撫でた。
「難しいね。あなたにそのままでいて欲しい気持ちは大いにあれど。その一方で人を疑うこともその醜さも少しは覚えて欲しいと願ってしまう」
息子のその困ったような笑みに。
――保護者はどっちなんだろうな、と私はつい情けない気持ちになってしまったのだった。




