~令嬢はダンスをしたくてツライ②~
***
俺はルリに作ってもらったサンドイッチをもぐもぐ食べながら歩いていた。
(ほんとあなたったらお行儀が悪いわねぇ)
おっしゃる通りで。
淑女は歩き食いなんてしないんでしょうけども。
俺はまだまだ前世――鈴木勇太の意識が強いんでね。
しかし…と俺は考える。
「うーダンスパーティかぁ~。どうやら俺も踊れるっぽいから踊ってはみたいんだけど。やっぱ気乗りしないなぁ」
(どうして?)
「そりゃ、身内だけにならこの口調と態度でも許されるだろうけどさ。来客に対してはNGだろ」
しかも国賓である。ちょーVIPな人達なわけで。
ダンスで失敗こくよりか、俺の態度の方が目に付いたらやばい。
赤っ恥どころかひょっとしたらひょっとして…下手したら一家断絶もありえちゃう?
オリヴィアはちょっと考え込む仕草を見せた。
(そうねぇ。確かに気を付けなければだけど…)
「だけど?」
(よっぽどのことがない限りって感じかしら?つまり最低限のマナーさえあればいいわよ)
一応前世は社会に出て働いていた俺だから、最低限のマナーくらいはある…と思いたい。
(ただにこにこ笑って微笑んでればいいのよ。時々相づちを打つくらいで)
「そんなもんかなぁ?」
(相手の自慢話、人の悪口、退屈な話題…全部笑顔で煙に巻いてしまいなさいな)
――それが淑女のたしなみよ、と彼女は言った。
そうだな、と俺は自分の頬をぱんと叩いた。
やる前から弱気になってどうする。
俺はオリヴィア・アーレンとして立派にこの生を生きていくことを決意したんだから。
これがある意味俺の、「オリヴィア・アーレン」の社交界デビューってやつだ。遅まきながらの、な。
それに。
(――せいぜい身の丈にあったレベルでお頑張んなさいな)
ひとりじゃないって思えるのはやっぱり心強いな。
俺は彼女に思考を読まれないよう、そっとその思いに蓋をした。
****
せっかくの月夜だ。
サンドイッチを食べ終えた俺は、腹ごなしも兼ねて庭を歩くことにした。
今夜は満月か。
冬の澄んだ空気に青白い月が浮かぶ。ああ、なんてきれいなんだろう。
冷たい空気を吸ったら鼻がつんと痛んだ。うーん、もうちょっと厚着をしてくるべきか。
戻ってストールでも取ってこようかなと思案していたその時――なにかの、音が聞こえた。
びゅんびゅんと。
静寂な夜の空気を切り裂くようなその音は一定のリズムで刻まれている。
なんだろう?
俺はその音を頼りに芝生の庭園を縦断し、庭の中央に設置された大きな噴水の影からそっと辺りを伺う。
あー…なるほど。
噴水の影に身を隠してしまったせいで、さっき聞こえた音は水音で聞こえなくなってしまったが。
音の正体を目視確認することができたのだった。
そんで納得。
(シー兄さまね)
そこにいたのは、木製の刀を素振りする兄貴の姿だ。
自主練てやつだろう。
いつからやっていたのかは分からないが、兄貴の額はこの時期に関わらずうっすらと汗が浮かんでいた。
普段の軍服では暑くなったのだろうか。上着は脱いでシャツにスラックスというラフな服装だ。
邪魔しちゃ悪いな。
俺はそう思い、そっと引き返そうとしたのだ…が。
「誰だ?」
思いがけず気取られていたらしい。
兄貴の声が俺の背を追った。
俺は若干気まずい思いをしつつも、噴水からひょっこり顔を出した。
「オリヴィアか?」
「ごめん。邪魔しちゃ悪いと思ったんだけど」
「いや…別に構わないが」
兄貴は汗をタオルで拭いながら噴水の縁に座った。
「お前こそ何やってんだ?」
隣に座るよう仕草で促されたので、俺も兄貴の隣に腰掛ける。
「別に。俺はただの散歩だよ」
「こんな夜更けにか?」
「うーん。その前にちょっとダンスの練習しててさ。身体は疲れたはずなんだけど、今度は何故か神経が高ぶって眠れなくて」
「ダンス?」
「今度の。舞踏会の練習だよ」
兄貴は「ふーん」と聞いているんだかいないんだかって反応を見せたと思ったら、ぼそっと。
「気合入ってんだな」
「え。なんだって?」
背後の水音に相まってぼそっと言ったから何も聞こえなかった。
「いーや?別に」
俺はすぐに聞き返したのだが、兄貴はこの話は終わりだとばかり立ち上がる。
な、なんだ?
なんか兄貴機嫌が悪いような…?
き、気のせいか?
****
びゅんびゅん。びゅんびゅん。
兄貴が自主練を再開したのを俺は見学していた。
せっかくの機会だしな。兄貴も構わないみたいだし。
月光に照らされた兄貴の横顔をとくと眺めつつ、
やがて俺の視線は――兄貴の胸板や力こぶ、汗と月明りで透けたシャツからうっすらと浮かぶ腹筋。
そして飛び散る汗に…釘づけになっていた。
う――ん。やっぱり男の筋肉はイイ。誰になんと言われようとも、美しいのだ。
しかし兄貴は再開した練習をすぐに中断する。
「…おい」
「は、はえ?」
「そんな風に見られるとやりづらい…」
「え?え?」
「よだれ出てんぞ」
俺は慌てて口からあふれ出た汁を拭いた。お口が緩くてすんません。
「ご、ごめん。邪魔するつもりはなかったんだけど」
「いや。見られていただけで気が散る俺がまだ未熟なだけだ」
いやぁ、よだれ垂らしながら見られたら、そりゃ気が散るってもんですよね。ほんと申し訳ない。
兄貴は首を鳴らし、ぐーっと大きく伸びをした。
はわわわわ
シャツから腹筋が!腹筋が!!
「…おい」
「は!」
俺は緩んだ口元を慌ててつぐんだ。また汁が…令嬢汁がでるところだった…。ほんと面目ない。
「ご、ごめん。兄貴(の腹筋)がそのっ…魅力的過ぎてっ」
「…あ、ああそう。そりゃどうも」
兄貴はなんて言ったらいいか分からないっていう微妙な反応だ。。
俺はこのほとぼしる熱い思いを何とか彼に伝えたくて必死に言葉を紡いだ。
「そ、その。今まで知っている男の中で兄貴(の筋肉と身体)が一番カッコいいというか…」
今までというのは前世含めだ。
それ位兄貴の身体は素晴らしい。それもそのはずだよな。軍の訓練だけでなく自主練もして鍛錬されているのだから。もう尊敬の念を込めて脱帽だ、脱帽。
「え、えーと」
兄貴は俺の告白になんて反応していいのか迷っているようだ。
心なしか顔が赤い。頬をポリポリと掻きながら、視線は宙を彷徨っている。
よし、もう一息だ!
俺の純粋な筋肉愛よちゃんと伝われ!敬愛する兄貴には分かってもらいたいのだ!
俺は兄貴に掴みかかる勢いで彼のシャツをつかむ。
「だからっ!…だから俺っ!」
「う、うん?」
「――兄貴のカラダが欲しいんだ!!!」
…一拍。
兄貴は思わずっといったように後ずさる。
「お、おま…何言って…!?」
月明りの下でもはっきりわかる位、顔は真っ赤だ。
こんな動揺している兄貴は初めて見た。
予想外の反応に俺はちょっとショックだ。うぅ。
「そう、だよな。こんなこと言われても困るよな…」
「あ、いや。別に困っているわけでは…」
「ほんとうか!?」
俺は嬉しくて兄貴につい抱きついた。
感謝の意と嬉しさを体で表現したハグである。
「あ、ああ…まあそのなんだ…」
兄貴はおずおずと俺の腰に手を回そうとして…
「じゃあトレーニング方法そろそろ教えてくれるんだな!?」
「――は?」
「俺も兄貴のような身体が欲しいんだ!素振りだけじゃないよな?他にどんなトレーニングしているか教えてください!」
俺はもう満面の笑顔なわけよ。
以前教えてほしいって頼んだことあるけど「おまえが筋肉をつける必要はない」って言われて断られた覚えがある。
そこから腹筋・背筋・握力運動に有酸素運動…自分でメニューを組んで自主トレをしているのだが、自己流だとやっぱり限界があるんだよな。女子の身体って筋肉つきにくいし。
兄貴は俺の腰に回そうとした手を引っ込め、すぅっと俺の両頬にあてがう。
「?」
あれ?親愛のハグは…
と疑問に思った瞬間、みょ――――んと頬を上に引っ張られつねられた。
「な、なひ!?いひゃい!」
「う・る・さ・い!勘違いさせやがって!」
な、なんだなんだ。俺がなにをしたっていうんだ。!?
いひゃい。
兄貴は「はぁぁぁ」と長い溜息をついた後、その場にどかっと座り込んだ。
頬はまだじんじんした。俺も隣に座ろうとして、兄貴に止められた。
「そのまま座るな。ドレスが汚れるだろうが。俺の上着を敷いておけ」
脱いであった上着を芝生の上に敷いてくれたのでお言葉に甘えることにした。
「…なんかどっと疲れた」
兄貴は膝の上で組んだ手に顎を乗せて、また、「はぁぁぁ」とため息をついた。
俺は痛む頬をさすりながらちらりと見た。確かにお疲れのご様子。
「えと。トレーニングのしすぎ?」
「いや。そこの問題じゃない」
「ああ、そう…デスカ」
なんだか本当にぐったりしているので、素直に相づちを打つことにした。
本当はよくわかっていない状況なんだけど。これが淑女のたしなみってやつだよな?
顎を手に乗せながら、兄貴は視線だけ寄越す。
「おまえはな、なんでそんなに筋トレがしたいんだ?」
「え?えーと…」
この世界で唯一、そして無二の女ヴィルダーになる為でっす!
とはまだ言えない。絶対反対されるに決まっているからな。
俺の答えに窮している様子を見て、ふう、と短く兄貴は息をついた。
「健康や体力づくりの為にほどほどにやるんなら賛成だけどな。…おまえは何か…ガチでやろうとしているから反対だ」
「えぇーどうして?」
何事もガチに一生懸命。俺はそんな風に今世を駆け抜けたいんですが。
兄貴は「やっぱりな」と渋い顔をしていた。
「ダメなもんはダメだ」
「だから、どうしてさ?」
なんでガチ筋トレはダメなのか。俺はその理由が知りたい。
「抱き心地が悪くなるだろうが」
兄貴はぽつりと漏らした。
抱き心地?
俺は一瞬ぽかんとしてしまったが。
うーん?抱き心地…抱き心地…
すぐさま思案する。
俺は前世男だった。しかも童貞の妄想力はすさまじい。女性の豊かな胸の中で死にたいと常々願っていたくらいだ。
実際はトラック運転手の厚い胸板の中で生涯を閉じたわけですが。
まぁ、つまり。兄貴の言う、女性の体に柔らかさ、抱き心地を求める気持ちはひっじょーによく分かるつもりだが。
でもなぁ。俺は今世女性の肉体を持っているわけですが。
俺の身体はお世辞にも、筋肉がついていない現時点においてさえも。抱き心地はあんまり良くなさそうだ。
特に胸とか?まぁ全体的に痩せすぎなんだよな?
そのうえ毎日筋トレ、有酸素運動しちゃってるし。あまつさえ食事管理も徹底しているし。
これ以上太る要素もない毎日を送っちゃったりしているわけでして。
それに。
抱き心地を求められるのも。正直言って困ってしまう状況だ。
女の俺に抱き心地を求めるのは男の人だ。
でも俺はまだ前世――鈴木勇太の意識が強いのであって。
男の人はまだ、「同性」という風に見てしまうわけ。ちょっと拒否感ハンパないっすよね?
でもなぁぁぁ?
貴族の令嬢なんだし、結婚とかしないとやっぱいけないんだよなぁぁ?
俺はぐるぐる考える。
女ヴィルダーになったとするじゃん?その後の人生…設計は…うーん。
「修道女になるとか?」
「は?」
「あ、ごめん。こっちの話」
つい独り言を漏らしてしまったらしい。
俺はまた思考の坩堝の中へ。
ぱっとその場で閃いただけのアイディアだったんだけど。
修道女か、うん。中々いいかもしれないな。
女ヴィルダーなんかになったら、多分、嫁の貰い手なんてなさそうだし。
嫁き遅れのまま家でニート生活するのは家族に悪いしな。
敬虔な修道女として家を出れば世間体もそんな悪くないかな?
家はシルヴィアちゃんに任せておけば――。
彼女は多分、結婚願望もちゃんとありそうだし、女子力も高いし。
ちゃんとした家柄の次男・三男とか婿にとって家を継いでくれるんじゃないかな~?
俺は楽観的に構えていた。
うん、今世のこの人生。このプランでいこう。
ま。俺の中のオリヴィアと、将来的にちゃんと融合したらまたプランや考えも変わるかもしれないけど。
その時はその時で考えればいいか!いくらでも軌道修正できる余地はあるだろうしな、多分。
そんな俺の様子を、横で兄貴はじっと注意深く観察していたのを、その時の俺は全然気づきもしなかったのである。
彼は不憫であればあるほど、イイ。