~自分が誰か分からなくてツライ②~
連日更新祭り第3弾
シリアスが重くてスミマセン。もう少しお付き合いください……。
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「ルーク、ルーク!」
私はルークに必死に縋りついた。
彼だって同様、因果をその血肉に濃く受け継いでいるのに。自分を失わず強く持っている。
そんなルークを拠り所にしないと私は『私』を保てなくなるような気がして。
この腰を超えてまで浸かっている黒い水から、這い出すこともできない。
黒い水が腕のように私の頬を、髪を引っ張って。水に引きずり込もうとする。
「いやだ、私はだれ……?誰かがいるんだ!どうして?私の体なのに知らない誰かが……!」
彼は優しく「うん……」と私の背をさする。
「落ち着いて。大丈夫、母上は母上だよ」
「~~ッ!私はおまえなんか知らない!!私が知っているのは勇太だけ!彼だけなんだ、後は知らない!!」
頭をブンブンと振りながら、そうやって誰かを追い出そうとした。
ルークは私の背に手を回し、トントンと肩甲骨の間あたりを軽く叩く。
親が幼子を寝かしつけるような一定のリズムで。トントン……と。
「母上。さっきはちょっと柄にもなくテンション上がっちゃった結果、若干絡みづらい人になっただけだって。よくあることだよ」
「違う!!そんな、飲み会での失敗あるあるみたいじゃ……なか……っ」
頭痛がした。
ツキンツキンとつつくような痛みだったそれが。
「う……ううあ」
激しい痛みとなって立っていられなくなるのは数秒とかからなかった。
思わず頭を押さえながらその場にへたり込む。
「薔薇姫!?大丈夫ですか、医者を……」
ミラが心配そうに私を覗き込むのが分かったけれど、それに応える余裕は既になかった。
「王子、無駄だから。医者はイイ。むしろ呼ばれたら邪魔」
「ルークこれは一体……」
ルークは私を抱え込みながら「はあ」と短く息をつく。
「ねえ。どういうことさ?『箱』はできているんじゃなかったの!?」
――『箱』ってなんだ……?
私は「はっ、はっ」と息を吸い込みながら、抱えてくれているルークを見上げる。
彼は何故か。私でもなく、ミラでもなく。
……私の頭上を睨みつけていた。
「ルーク……?」
やがて。
彼は「ああもう」と苛立ちをあらわに髪をくしゃりと揉むような仕草を見せた。
「どいつもこいつも役立たずばかりだ!」
吐き捨てるようなその怒声にビクついた。
「ルーク、怒って、る……?」
彼が感情的なのは知っていたけれど。
今、怒りの色濃いその紅玉の瞳が怖かった。とても。
はっとしたように彼は私を見る。
「しまった」という顔をしているのがありありと見てとれた。
「違う、怒ってない。あなたに怒っているわけじゃない」
嫌な汗が背中をじっとりと濡らす。
ヒューヒューと音がする。
どこから聞こえる?これは私の呼吸の音?
「い、いやだ……こわい。ごめんなさい」
「母上、落ち着いて。深呼吸しよう。ね?」
彼が何とか私を宥めようとする。
声は聞こえていたけれど、言葉として聞こえていないというか。
その意味を認識できていないというか。
とにかく早く彼の腕から逃れたくて仕方がない。
「母上」
ジタバタと暴れる私を彼は抑えようとする。
抑えつけられた、寝台で、その竜の手が、爪が、牙が。
悲し気に。でも怒っている。狂っている。――そんな紅玉の瞳が。
あの時私を……
「い、いやだ!怒らないでお願い。……私を食べ、ない……で……食べないで……!!」
「食べるわけないじゃん。腹壊すよ」
口調は軽いものだったが。
その瞳が彼の困惑した様を物語っていた。
無意識だろうか。抱きしめる腕の力がぎゅっと強くなる。
でも今はその些細な変化さえも恐怖にしかならない。
「いやぁぁぁぁ!!!」
悲鳴が出るのを堪えることが……できなかった。
どうしようもなく、怖くて。
私は泣き叫び、もがき、彼の胸板をダンダンと叩く。
怖い。このままじゃ危ない。危険だ。
本能が私の体の何処からか訴えている。警鐘を鳴らしていた。
――逃げろ、これは裏切りだ。
自分は裏切られ、そしてまた誰かを裏切る。その過程に組み込まれているんだ。またしても。
今度こそは、と。抱かれている胸を渾身の力を込めて強く押す。
華奢で体重が軽い彼はその衝撃に耐えられず尻もちをついた。怯んだ隙に這うようにして彼の腕から逃れる。
みっともなく尻もちをつきながら後ずさって。十分な距離を取る。
「う、嘘だ。おまえは嘘つきだ!どうして約束をしたのに私を食べた!?殺したんだ!!」
「それは僕じゃないって。あーもう、大分持ってかれているな……」
頭を掻きながら、彼は途方に暮れたような表情で。
でもそんな顔をしたって今の私は騙されない。
魂に刻まれている痛みが。裏切りを覚えている。知っているのだから。
「……薔薇姫、心を静めて下さい。ルークは貴女を害することはしない。そちらは割れたガラスの破片があります。危険ですからこちらへ……」
そう言う誰かはそっとこちらに近づき、空色の瞳を優しく和ませた。
私は今気づいたようにその彼を見つめる。
――これは、これは。誰だっけ。
私は確かに知っているはずなのに。知っている、はずなのに。
さっきまで彼の名前を呼んでいた気がするのだ。
「誰、あなたは……誰だ?」
思い出せない自分にどこか愕然としながら、泣きそうになる。
必死に答えを求めて彼を見つめた。
蜂蜜を溶かしたようなフワフワの髪の彼は。
私の問いに気分を害す様子もなく。
ふっと柔らかい微笑みを浮かべる。
「貴女の、婚約者ですよ」
!?
その差し出された手と。
小首を傾げながら「ん?」と微笑む胡散臭い笑顔の胡散臭さに。
一拍。
「「嘘つけぇぇぇぇぇ!!!!!」」
――竜の彼と、ハモった。
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バシーンッと差し出された手を払い落とし。
大声を出し切った私は、肩で息をしていた。
ぜぇーぜぇーと。
「はっ!わ、私はなにを……!?」
一瞬だけ私の中の何かが。誰かの感情が爆ぜて一気に押し寄せた。
そしてソレが色々な葛藤や想いを凌駕したのだが。
はっとして我に?返る。
とりあえず目の前の彼が言っていることに突っ込まざるを得なかったのだが。
もうほぼ脊髄反射だった。うん。
よくよく考えれば覚えてもいないのにどうして嘘だと分かるのだろう。
未だに頭は霞がかかったようにモヤモヤとしている。
「この思い出せそうで思い出せない。喉元まで出かかっている感じ……くっ……ツライな!?」
私が歯ぎしりをして悔しがる傍ら。
黒髪の少年は「うん」と妙に感心したようにひとつ頷いた。
「流石は母上。どんな状態にあってもツッコミは忘れないんだね」
「殿下、わたしめも流石に……。あの場面でのアレはちょっとどうかと思いますよ」
「……錯乱状態でも。まさかそこだけはきっぱり否定されるとは……」
三者三様の感想を抱いている。
表情もそれぞれだ。
私はそっと彼らから距離を取る。
唇を引き結んで彼らを睨む。
動物だったら毛を逆立てフーフーッと警戒しているところだ。そんな私の様子に少年は。
「もーあんたってホントサイテー。ほら、ますます警戒させちゃったじゃないか」
「………」
金髪の彼はジト目で睨む紅玉の瞳から目を反らす。
それを尻目に嘆息をついた熊のような男が。
「姫君、殿下が先ほど言った通り。そこはガラスの破片が散らばっていて危険ですよ。さ、こちらへ……」
その大きな図体に似合わず、慎重な足取りでこちらへ歩み寄ろうとした。
私を『姫君』と呼ぶその人。
「あ、あなたは……」
――この人も知っているはずだ。
知っているはずなのに。今記憶をさらっても上手く思い出せない。
意識と記憶が混濁している。その自覚が自分にはあった。
どうして。
彼らを思い出せば、自分という存在のその不安定さが解消されるような気がした。
ぐっと神経を集中させ、彼らのことを思い出そうと試みる。
でも流れ込んだのは。期待していた記憶ではなかった。
どろり、と黒い何かが流れ込んでしまう感覚に。
私は慌てて思考を停止しようとしたが、すでに遅かった。
――ああ、また混ざってしまう!
なだれ込んで来た様々な情報の渦に私は翻弄される。頭をぐちゃぐちゃにかき混ぜたような頭痛に吐き気。
ひゅーひゅーという呼吸音と心臓の音が嫌に耳によく届く。
針一本位の隙間しか空気が入って来ないように。苦しい。
酸欠も手伝ってか、目の前が真っ黒になった。
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――まず初めに見えたのは白い紙。
涙のシミがたくさんできた白い紙。
これは知ってる。遺書だ。
『私』は彼女が亡くなってから、警察が持ってきたその紙を何度も何度も読み返した。何度も何度も何度も。
お陰で内容は全て覚えている。
日記もそう。最初こそ読むことを躊躇われたのに。
彼女が日頃感じたこと。色々なことが書き殴られており、気が付けば夢中になって読み進めていた。
暗い部屋で浮かび上がる『私』。
黒いランドセルを背負っている。手紙を読んで、日記を読んで泣いている。
その白い横顔から黒い水が。涙だ。
黒い涙が溢れて足元に小さな……真っ黒な水溜りを作った。
泣いて泣いて泣いて。涙が枯れるまで泣いて。
それは『私』が突然の事故で死ぬ――その最後の瞬間まで続いて。
この時代の『私』は多くを恨み過ぎた。あまりにも恨み憎み過ぎて。
――最初小さかった水溜りは大きくなっていた。
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――場面は変わる。今度はその前の『私』。
赤い上等な革張りの椅子。宝石がたくさん散りばめられた王冠を戴き。
その重さに心で苦く笑って。何もない宙をぼんやりと眺めていた。
この時の『私』は。
ただただ目の前の日常を永遠の物にしたくて。
自ら非日常に飛び込んだ。
ただのボケーっとした村人Aだったのに。ちょっとばかし、正義感が強いだけの。
何が正義なのか分からないこの時代に。自分の中には確固たる信念があると、それを貫いてやろうと。
そんな青臭いことを考える若者だった。
たくさんの宝石が欲しかったわけでも。
上等な衣を纏い贅沢をしたかったわけでもなかった。
多くの人の平凡な幸せを、次代の子供たちが笑って暮らしていける生活を。そんな未来を。国を。
ただそれだけを願っていたつもりだった。
そうして願って願って。……だから多くの『誰かの子供』を殺した。
この犠牲の上に成り立つ幸せは永遠に続くモノなんだと。痛みは一瞬なんだと。
尊ぶべき命に心で涙しながら、神か何かになったつもりで。
そこに一切の慈悲も寛恕も与えることはしなかった。
――誰かの息子を殺し、誰かの兄を殺し、弟を殺した。
もしかしたら誰かの夫であって、父親であった人かもしれない。
この時代の『私』は多くに恨まれ過ぎた。あまりにも恨まれ憎まれ過ぎて。
――その屍の穴から溢れた黒い水が。その誰か達に強いた痛みが。大きな澱みとなった。




