~妖精の怒りを買ってツライ~
連日更新祭り第一弾。
******
髪を振り乱しながら怒り狂っていたギュリさんだったが。
やがて、怒る気力も尽きたのか。
はぁぁと細く長く息をついた。
「のう、ちんくしゃ」
そしてなぜか。
恋人に呼び掛けるような。そんな甘い声音で私に語り掛ける。
誰もがうっとりしてしまうような笑みを湛えながら。
「お主が出来の悪いペットなのは重々承知しておる」
「……ギュリさん?」
「妾たちをわざと怒らせるような事ばかりする、うつけ者。今一度機会を与えてやろうか」
「チャンス……?」
ギュリさんは「そうじゃ」と頷く。
横にいるアミンさんはちらりと訝し気にギュリさんを盗み見たが、何も言わないでいた。
「もしペットたるお主が、飼い主たる妾たちを喜ばすことができたなら。仕置きをやめにしてやろう」
「あなたたちを……喜ばす……」
その手段とは一体何なんだろうか。
私は何となく怖くて「YES」とも「NO」とも言えず。ただ黙って彼女の次の言葉を待っていた。
ギュリさんは私の耳元へそっと唇を寄せた。
内緒話をするかのように。あるいは恋人に睦ごとを囁くように。
「あの竜を、殺せ」
――吐息と共にその言葉は吐き出された。
「何を……!?」
私は驚いて彼女の胸を手で突っぱねた。
目を皿のようにして驚いている私なんて何とも思っていないかのように。
ギュリさんは嗤う。
「あの竜はお主の命なら何でも聞くはずじゃ。お主のペットじゃからの。ただ一言、『自害しろ』と命じればそれで良い。お主の手を汚せとは言わぬ」
彼女は目を細め、私の反応をひとつひとつ観察するように長らく見つめていた。
私は余りの衝撃に唖然としてしまい、何もしゃべることができなかった。
喉がカラカラに渇いてひり付いて。
何度か無理やりつばを飲み込み、ようやく、
「お断りします」
短く拒否の言葉を発することができた。
声は掠れていたかもしれないけれど。はっきりとした意志は彼女達に伝わったようだ。
ギュリさんは眉根を寄せる。
「ほう。……妾たち主人より竜を選ぶか」
「……私がルークに死ねと命じられない事が、あなた達より彼を選んでいるという事になるのならば。……そうとってもらっても構わない」
今度こそ彼女の胸を力強くどんと押す。
寝台の上で手をついたギュリさんをそのままに、ベッドから這いずり出た。
這いずり、よろめきながらも立ち上がる。
「誰かの生き死にを決定する権利など私にはないっ!仮にあったとしても断固お断る!そんなもん、クソくらえだ!!」
大よそ令嬢にしては。というよりも年頃の女性として汚い言葉を使っているが、構いはしない。
今更な話だし。
そう、本当に今の気分はこの単語でしか表現できないのだから仕方がない。
ルークは私の今後の幸せに必要な、大事な子なんだ。
私の『光を運ぶ者』、失うわけにはいかない。
でもこれが例えルークでなくとも。私は絶対同じような気分になるのが分かる。
――つまりは『クソくらえ!』だ。
ギュリさんとアミンさんは寝台に腰掛けたまま、仁王立ちしている私をじとっと見つめている。
その目には精気がない。
その昏い目のまま。
「どうしても。竜を選ぶというのねぇ?」
アミンさんは口の端を少し引き上げながら確認した。
顔は笑っているのに、悲し気な表情だ。
その顔に罪悪感を感じたのは一瞬で。すぐに思い直す。
はぁ、と息を継ぎながら「くどい!」と。
「私はギュリさんもアミンさんも好きだし。あなた達が喜ぶことなら、できる限りは叶えてあげたいと思う。だけれどそんな簡単に誰かに死ねよと言うんだね。他人の命を意のままにできると思っている傲慢なところ、そんなところは、だいっきらいだ!!」
「大嫌い」という強い拒絶。私は意識してそこを強調したつもりなのだが。
彼女達は私の必死の訴えを何故か笑う。
「ふふふふ」
「何が、可笑しいんだ?」
「だって、可笑しいんだもの。人の命を意のままに?そうよぉ。それが私達妖精の性なんだもの。傲慢になれるだけの力があるのよ?」
彼女は肩を震わせ、また笑う。
余程彼女にとって私の発言が愉快で、的外れで、滑稽なものだったのだろう。
「人の渇きを潤し恵みを与える川の水は、ある時は幼子を、家を、呑み込むもの。私達妖精は自然そのもの。矮小な人間の命など川蜻蛉。奪うも与えるも、この指ひとつ、気まぐれひとつ。……そんな私達に人間の道理を説くのね?あなた。でも私達には何も感じることはできないわぁ」
私は無邪気な少女のように嗤うアミンさんを睨む。
傲慢で気まぐれで。自由奔放。そして無垢。
彼女達の自信と強さから来るその妖精の性に。私は少し憧れにも似た好意を持っていたのかもしれない。
でも今は。その傲慢さも気まぐれさも。自由奔放なところも。
全て嫌な方に裏目に出てしまっている。ただただ厄介だ。
「……あなた達のその性を。人間の私がいくら説いたところで無駄なのか。……だがあなた達は私に『お願い』をした。お願いというか『命令』か。わざわざ私に彼を殺せと言うのはつまり、あなた達に竜を殺すことができないからなんだろ?」
例えば仮に。
私がルークに『死ね』と命じて彼はそれに従うのだろうか。
ぼんやりと考えてみるが、「まさか」という信じられない思いがその大半を占めている。
彼が私に好意と愛情を持ってくれているのは肌で感じでいるが。
自分の命を捨てるような真似するわけがない、と。
……そんなこと知ることもできないけれど。命じるはずもないのだから。
でも。
その一方で、もしかしたらそういうこともあるかもしれないという気持ちもあった。彼ら竜はそれ程までに一途だ。
――『ルークは君のいう事なら何でも聞いてしまうだろうから……だから君がちゃんと良いことと悪いことを判断しなくちゃいけないんだよ』
セスもそう言っていた。
もし彼らが思っているようにルークが私のいう事を何でも聞いてしまうようならば。
まるでじゃんけんのようだ。
私がパーで、彼女達がチョキで、ルークはグー。
なんてこの場に似つかわしくない想像で笑ってしまった。
「あなた達が妖精・精霊の性をもって私に命令を下しても。私は人間の性でもって断固あなた達の命令を拒否する構えだ。従う道理なんてないだろう?私は人間なんだから。私があなた達を説得できないのと一緒だね。なるほど、お互い話は平行線になるわけだ」
人間のわたしに、精霊の性を前提にして話されても困る。
そう交わることはない。
彼女達妖精と人間の私の考え方、常識、倫理。全て違うのだから。
「従う道理がないなどと。ペットのくせに生意気を申すのぅ、ちんくしゃ」
「……飼い犬にちょっとは噛まれたらいいんだ、あなた達も」
私はムスッとして。半ばやけになって返した。
ギュリさんは「はぁ~、やれやれじゃな」と言った様子で両の手の平を天に向ける。
そのジェスチャーは妙に人間くさい。
「……犬の方がまだ忠実で。賢いかのぅ。……ほんにダメなペットじゃ」
彼女はトン、と地面を蹴り私との距離を一気に縮める。
目の前に立った彼女との近さに反射的に身体を反らそうとした。
しかし彼女はそれを阻むかのように私の顎を掴む。
「阿呆なペットもそれはそれで可愛げがあるものかと思ったものじゃが……」
彼女は顎を掴んだまま、私の体に鼻を寄せた。
「竜の匂いが濃いの。ああ、気に食わぬ。まこと面白くないのぅ、面白くない……」
そうぶつぶつ呟く。表情を見ることは叶わなかったが、声音が低く。
「ギュリさ……」
「妾たちのかわゆいペット。主人の顔を忘れた愚か者には躾が必要じゃ」
顎を掴んだままぐっと腰を引き寄せられ、私の体は仰け反る。
ギュリさんはそのまま体重を乗せるものだから彼女に押し倒される形で床に倒れ込んだ。
「さあ、どのように躾けようか。妾たちが主人だと骨の髄まで分からせてやらねばいかんの」
私に馬乗りになったギュリさんは。
今日は友達と何をして遊ぼうか?と思案しているような楽しそうな顔で。
そっと私の頬を、首筋を、撫でる。
「妾たち主人を嫌いなどと憎いことを申す……その喉を潰してしまおうか」
ビクついている私の反応を面白がるように彼女は笑いながら、「それとも……」と続ける。
「竜の元へ走って行くその足を切ってしまおうかの?」
指の腹でつつつ……と足を撫でられる。
太ももを一周する様に撫でられたそれは、まるでキリトリ線のようだ。
アミンさんも横で楽しそうに同意する。
「そうしたら私が一日中抱いてあげるわぁ」
「やめ……っ!」
赤ちゃんや人形を抱くような仕草でこちらをうっとり眺める彼女に寒気を感じた。
足をばたつかせても上に乗っているギュリさんはビクともしない。
私の必死な抵抗をあざ笑う。
――ああ、私は今。
妖精達に命を握られ、弄ばれている。
理不尽はいつだって唐突だ。こちらが身構える暇もなく急な夕立のように突然降って来る。
ふつふつと怒りが湧いてきた。
「……あなた達はやっぱり人間じゃないんだね」
怯える様を見せたくなくて、彼女達をきつく睨みつける。
彼女達は「何を今更?」といったように白けた顔をしている。
「ルークを殺せと言う。それができぬ私に今度は残酷なことをする――その想像だけで楽しく遊んでる。吐き気がするよ、ほんと!」
恐怖はあった、勿論。だが最初は虚勢のつもりで放った言葉が、私の心に火をつけた。
――何故、何故、この私が!こんな風に虐げられ弄ばれなければならない!?
感じるのは憤りだ。理不尽に対する純粋な怒りが恐怖を凌駕した。
アミンさんは吐き捨てるように言う私にぴくっと反応し身体が跳ねた。
すうっと冷たい空気が彼女の周りを覆った。
「……あなたは自分だけ綺麗でいるつもりね?そしてこの仕打ちを理不尽だと言うの」
「なにを」
「さっきも言ったわ。『人間の性』がどうとか。ねえ、『人間の性』をもってしてこのあたくしに人を殺させたのはだあれ?」
「!?」
またこの目だ。
妖精達は私の向こう側を透かして見るような、昏い目をしている。イヤな目だ。
『私』という存在を無視するような……。
「たくさんたくさん殺してきた。あなた様がそう私に刃になれとおっしゃったから。そうしてあたくしの魂を汚しておいて。ほら、ご自身は何もかもを忘れて綺麗な言の葉を吐きなさる」
つらつらと恨み言を言う彼女。
そっと髪を撫でられた。今の状況を忘れてしまいそうになる位、優しく。慈しむように。
「……」
切ない色を湛えて覗き込むその瞳に光はなく。
私じゃない誰かを渇望する声なき声に、その『誰か』が。
私の内側からどんどんと扉を叩いて外へ出ようとしているのを感じた。
「あなたを愛し、その意のままに人を殺めたあたくし。神位を得たにも関わらず意志と感情を持って殺める人を、生かす人を。……選んで来たあたくしは自然の性である無垢を失ってしまった。だってそうでしょう?自然はひとりの人間を殺そうと執拗に追いかけはせぬ。ひとりの人間を生かそうと力を尽くしたりはせぬ。生殺与奪の権は無垢だから成り得たものだった」
「ア、ミンさん……」
違う、彼女はアミンさんじゃない。
「殺す価値、生かす価値。人間の命に価値を見出したあたくしは神として清浄な霊ではなくなってしまった。位を得たにも関わらず、すっかり穢れてしまった」
今私に話しかけているのは『彼女』だ。
彼女の悲しみが痛いほど伝わって胸を抉られる。
抉られた穴から冷たい水がひたひたと滑り込むように侵入してきて心が冷えた。
「だのにあなた様はあたくしのこの仕打ちを理不尽とおっしゃる!あなたと天に見放され、巡りを許されぬ千々に千切れた魂の。怒りも嘆きも……恋着も消えもせで。だのにあなたはこの責め苦をただただ理不尽だ、我が身に降りかかった不運だとおっしゃる!」
堰を切ったように溢れ出した彼女の想いが濁流のように入り込んで来た。
――ああ、だめだ。引っ張られる!
彼女は私の寝衣にそっと手をかける。
襟がつまっているデザインの、蝶結びになっているリボンをしゅるりと解き、ひとつボタンを外し、もうひとつ外そうと手をかけ…、面倒になったのか。ビリッと勢いよく破かれた。
ボタンが弾け飛んだのが見え、肌が外気に晒されたのを感じ身震いをする。
ピリリとした痛みが走る。彼女が服を破く際、勢いあまって爪で傷付けたのかもしれない。
「なに……を。メへ……ら」
彼女はある一か所にふっと目を留めた。
「ほら見つけた」と悲しそうに笑って。
「このようなもので妖精除けをして。あたくしを遠ざけようとして」
彼女がそれを人差し指で軽く持ち上げた途端、私の首も浮く。
光に反射されたそれを見て、ぎょっとした。
一瞬黒い水が引いたのを感じ自らを取り戻す。
鎖……ミラから貰った妖精除けの銀のネックレスだ。
「やめて。それは借り物なんだ。大事なモノなの……」
中途半端に浮いた顎のまま、首を横に振ろうとした。
必死に懇願した。手でアミンさんの腕を掴もうとして払われる。
「それはあなた達を避けようとしたわけじゃな……」
「でもあたくしはまた置いていかれるのでしょう?竜だけ連れて……っ!」
続く否定の言葉を彼女は許してくれなかった。
微妙にかみ合わない会話に、焦りと苛立ちが募る。
「ちが……」
「何も違わないわ!!」
鎖にかけた指が持ち上げられ。ぐぐっと力を込められる。
ばつん、という音と共に銀の欠片がキラキラと飛び散った。
「……あ、」
ネックレスが壊された!!
なんてことを……!!
その一瞬の出来事に茫然として。
ネックレスに支えられ浮いていた頭が頼りを失くし、抵抗なく床に落ちた。
ゴンという鈍い音と衝撃を感じた。目の前がチカチカする。でも今はそれどころではない。
千切れたネックレスの破片があるだろう首に手を置く。
――壊されてしまった。預かっていた、彼の心を。
怒りのせいか眩暈がした。
どくどくと大きな音を立てて流れる私の血潮が。沸騰したように熱い。
ずくんずくんと頭痛がした。脈打つリズムに合わせ黒い思考が一緒になだれ込む。
このネックレスは形見で。大切なモノだった。大切な……
……あれ?誰の大切なんだっけ?
そうだ、ミラだ。ミラの……母親だかの形見だっけ。
――ああ、でももうそんなこと。どうでもいい。
今大事なことは、妖精達が借り物とはいえ私の所有物を壊した事実だ。
――そう妖精が!主の物を!壊したのだ!!
カアッと顔に熱が一気に上がるのを感じた。
「随分と余裕があるの、ちんくしゃ」
私がネックレスに気を取られていたのが気に食わなかったのか。
ギュリさんは眉をひそめる。
目元にふぅっと吐息をかけ、
「やはりよそ見ばかりして主人を見ぬ、その両の目玉をくり抜いてやろうかの?」
どうやら私の意識が他所へいくのが嫌らしい。
その拗ねた余裕のない表情で。
子供が母親の関心をこちらに向けたいが為のポーズなんだと何となく分かってしまう。
「……ふ」
千切れたネックレスを首の上でぐっと握り締めながら、可笑しくなってしまった。
「ふふふ……あははっ!!」
「……何が可笑しい?」
ギュリさんの問いかけも無視して私はくくくと喉を震わせる。
仕方がない。笑えるのだから。
突然、悟ったのだ。
――この妖精たちの子供じみた独占欲に何を怯える必要があるのだろう?と。
今許しを乞わねばならぬのは彼女達の方だ。私の物を壊したのだから。
身じろぎし床に手をついた瞬間。ぱしゃんと水が跳ねたように感じた。
でももう別に気にならない。
どころか。
身体を浸している水を手ですくう動作さえしてみせる。
ぬめり気のある水が肌にまとわりつく。
まとわりついた黒がずんずんと私の毛穴から侵入し、私の血液と共に巡るような錯覚に陥った。
どうして私はこの黒い水が恐ろしかったのだろう?
――オリヴィア、ダメよ。
――抑えて。ダメ……
声が聞こえた。
「うるさい。今、いい気分なんだ」
「何を……」
ギュリさんとアミンさんは訝し気にこちらを見る。
アミンさんの表情を見れば、どうやら正気に戻ったらしい。『彼女』が引っ込んでしまったのが分かった。
私は馬乗りになっているギュリさんを見つめて微笑んで見せる。
「そこを退け」
「は、何を。ちんくしゃが……」
私の瞳に射止められ、彼女は一瞬呼吸を忘れたかのように目を見開く。
「退けと言っているんだ。今退いたなら許してあげる」
どこか茫然として。でも食い入るように私に見入る彼女の胸をとんと押す。
体に力を入れていなかったのか。容易くバランスを崩したギュリさんはそのまま床にへたり込んだ。
それを見下ろしながら、フンと立ち上がる。
埃を払いながら。
「ちんくしゃなどと。主人を忘れたのはどちらだ?ほんとうに。しょうのない愚か者め」
――黒い水が肩まで来ていた。ひたひたと私はその水に浸かってしまって身動きが取れない。
けれどもう何も気にならない。
気にならない?……いいや。気に食わない、の間違いだ。
「妖精が。この玉体を傷つけようなどと。戯れでも言ってはいけない……」
――ひそやかなるもの現りて。我こそは福音の到来となるべき者。
頭の片隅で鐘が鳴る。祝福の鐘が。
褒め讃えなさい。主は来ませり。
――もろびとこぞりて。迎えまつれ。久しく待ちにし主は来ませり。
「それなのに。この出迎えは一体なに?」
本当に。何もかもが気に入らない。
――この私は。今、とても不機嫌である。
『諸人こぞりて』讃美歌112番の歌詞を一部引用しております。
シリアス色濃くなってきたので、コメディな新章に入るまで4,5話連日更新します。
投稿前に一応誤字脱字チェックするので時間はバラバラになるかもしれませんが……。
良かったらお付き合いください。
*『舞台裏』の更新はこちらの更新祭り後に……少々お待ちください。




