~お留守番はツライ②~
ミラはふぅと重い息を吐き、肩を揉んでいた。
ひと段落ついたと思っていたが。最近また忙しくなり、仕事が溜まって来たのだ。
どこもかしこも積み上げられた書類の山、山、山……である。
父王は早々と代替わりに備え、物心ついた頃から異母兄にそれなりの教育と公務の代理を。
対して自分には将来王となった異母兄のサポート及び領地の管理・運営ができるよう徹底的に学ばせてきた。
異母兄が不慮の事故で亡くならない限りは。
身分の低い母を持つ自分が、彼を押し退けて王位に就くことなど到底ありえないだろうから。
それが順当な考えでもって即された対応であったろうが……。
しかしだ。
その経緯もあって成人してからというものこっち、本格的な公務やら仕事が日々、舞い込むようになったのである。
ここまで来ると代替わりの為の備えというより、父王が自分の負担を減らしたかっただけではないかとさえ疑ってしまう。……父王の公務を肩代わりしているのは主に異母兄ではあるが。
今回の多忙は『彼女』との狩りの為に無理やり時間を作ったのも、少なからず響いているのだろうとは思うのだが……。
(その時間を捻出する為に、仕事は粗方片付けておいたはずなんですがね……)
だが不思議なこともあるもので。
何故か自分は今身動きも取れない程、仕事に追われている。
お陰で昨晩も執務机から離れられず、一睡もしていない。気が付いたら朝だった。
昔はまとまった睡眠がなくとも平気だったのだが、ここ最近は自分でも疲れやすくなっているのを自覚していた。
成人しているとはいえ、まだ一応10代なのだが。年を取ったと言うところか。
(俺も兄上のことを馬鹿にできませんね……)
しかしあの異母兄と同列に自分を語るのだけは断固拒否する構えだ。天地がひっくり返っても。
ふと思いつき、執務机の引き出しをそっと開けて、中から紙片を取り出す。
その紙には『肩たたき券! ~無期限有効!~』と女性にしては豪快な字で書かれていた。
彼女がくれた物だ。それを眺めつつ、顔がほころぶ。
期限を定めていないと書かれている所為か。
どんなに疲れていても、これを使うのは勿体ない気がして。
やはり今回もそっと引き出しの中に戻そうとして、ふと。
その肩たたき券の下に重なるようにして仕舞ってあった小さな姿絵。
その姿絵の中に佇む見知らぬ女性と目が合った。
「……」
これも一緒に贈られたものだったが。
何故これを贈られたのか、彼女の真意は不明だ。
一度それについて尋ねてみたら、『男の部屋とトラック運転席には、アイドルのポスターがないとな!』とやはりイマイチ良く分からない理論でもって返された。
……無いと何なんだろう。何がいけないのだろうか。
それでもまぁ、他でもない彼女が自分の為に選んでくれたものだ。大切に保管はしておくが。
この姿絵についてはちょっと……いや大分かなり持て余し気味ではあるな、と、かたんと引き出しを閉めた。
その僅かな振動で、書類が一枚床にひらりと落ちてしまった。
それを拾い上げて元あった山に戻す。
机の隅に置かれた書類の山。各領地の領主から送られた嘆願書だ。
自分達の領地位、己で徹底管理しろと言いたいが、そうも言えまい。これも仕事だ。
片付けていっている筈なのに一向に減らない、どころかどんどん増えていくばかりの紙束にため息を落とす。
ふと壁時計を見上げれば。
そろそろ彼女との散歩の時間。それと朝食だ。つかぬ間の癒し時間というべきか。
その後にこのひと山全て目を通し終わったら、少し仮眠を取ろうか。
そんなことを思案している時だった。
扉の外から、「でんかぁ~、起きてますか?起きてますよねぇ?」とヨハンナムの声を聞いたのは。
彼も昨晩自分に付き合って徹夜だったはずだが。声は元気そうである。
「起きていますよ、入りなさい」
許しを得た彼は、扉を開けてひょっこり顔を出した。
また次の仕事を持って来たのか、と彼が悪いわけではないのに少々うんざりする気持ちで応じたのだったが。
「珍しいお客さんが来ているそうですよ。外で面会をお待ちしております」
「客?」
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――ミラとの面会を済ませたルークは飛んでいた。
無論。空を、だ。
ポカポカとした夏の気配を感じる日差しが自分に真っ直ぐ注がれる。
風が気持ち良い。
あの月夜に彼女を乗せて初めて飛んだ時に比べれば、その感動も若干薄まってしまうけれど。
昼間に飛ぶのも良いものだと思いながら、上機嫌に羽を動かしていれば。
――目的の街を眼下に確認した。
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手頃な森に着地し、気配がないことを確認したらさっとヒト型を取る。
竜から人へ。人から竜へ――変化するところを人間に見られるのは極力避けたい。
『化蛇』であると知られるのは、色々と面倒なことになりそうだからだ。
パンパンと肩の埃を払う仕草をして。
一応ヒト型の出来栄えというか。身なりをざっと確認していると。
背後から声がかかった。
「やあやあこれはこれは。懐かしい気配がすると思ったら」
人の気配がないことは確認した筈なのに。
振り返り、ほぼ反射的に声がある方を睨みつける。
手をブラブラさせつつ、人の良い笑顔を見せる中年男性――の姿を取ったモノ。
それが草をかき分け、木と木の間から現れた。
「……あんたも竜か」
疑問形を取ったつもりはない。
確認の為に聞いたことだが、回答を待たなくとも答えは分かり切っていた。お互いに。
「そうだよ。あんちゃんはえらく美形だなぁ。神力が凄まじく高いんだろうけれどさ。あらら、しかしまだ年若いのか。寝起きの竜かい?」
「まあね」
『寝起き』というのは目覚めたばかりなのか、という意味だろう。
つまり人に化けられるようになってまだ日が浅いのか、と。
中年男性の姿を取った『化蛇』は「へえ」と。
「そんな寝坊助が、このカダの街にどのようなご用件で?」
警戒をしているというよりかは、純粋な興味から来ている質問のようだった。
声音に何も含むところがない。
「別に。この街がどうやら自分のルーツだろうと思ったから。この国を近々離れる予定だし。一度ひとりで来てみたかっただけ」
男は納得したように頷いた。
「そうさね。あんちゃん程、目覚ましく輝かしい神力を持つ竜ならな。きっとこの街が血と魂の生まれ故郷なんだろうよ」
中年男性――もう面倒なのでマチビトAとでもしておこうか。
この、名前を聞いてもすぐに忘れてしまうような没個性。わざとだろう。
上手く人間社会に溶け込んでいる『化蛇』だ。
それ故『マチビトA』という呼称が彼にしっくりきて。かつピッタリと当てはまる。
マチビトAはしげしげと自分を全身見渡し。鼻をひくつかせた。
「懐かしい匂いが2つ。ひとつは恐らくあんちゃんのルーツに関わるお方の気配。もうひとつは……つい最近出会った嬢ちゃんの気配だな?へえぇ、あの子と一緒に居るのかい?あんちゃん」
「嬢ちゃん?」
その言葉に当てはまるような人物はひとりしか思いつかない。
「そ。この街の酒場で少しの時間だったが。一緒に酒を酌み交わしたものよ」
ここはサイラスとの国境に位置する街だ。
彼女はシャダーン入りした際にこの街を訪れたのだろうか。
マチビトAはその時のことを思い出したのか。カラカラと笑った。
「とても『ちぐはぐ』な子だったから、よく覚えてんだよなぁ。魂は真っ黒で穢れきっているのに、なかなかどうして。あのお嬢ちゃん自身は光り輝いていて。そのアンバランスな危うさとパワーについ引き寄せられちまった。ほんと、眩しいくらい強烈だったな」
そう。『ちぐはぐ』――彼女を表すのに言い得て妙な言葉だとルークも思った。
一方で彼は『あれは前の使用者の使い方が相当悪かったんだろうなぁ』と独りごちている。
不精髭を生やした顎を手でさすりながら、過去を懐かしむようにどこか遠くを見つめる。
「あの子からもとても懐かしい気配を感じたものさ。一族の珠玉とも呼ぶべき総領姫を誑かし、我ら朋輩をこの地に縛り付けた人間の男の気配をさ。どうしてだかあの子に見出しちまったよ」
「おいらの中の姫さんの血が騒いだのかな。なぁ、あんちゃん?」と同意を求められるように彼はこちらを見た。「あんちゃんも分かってんだろ?」と。
ルークはだがしかし。先の彼の発言に眉をひそめていた。
「その言い方は気に入らない。不愉快だ。あの人は『あの男』とは違う、全くの別人だよ。何より僕の母でもある。……それ以上、わたしのアレを悪く言うなら容赦せぬぞ」
ルークはさっと片腕を竜化させ、炎鞭をその腕に巻き付かせた。
マチビトAは「おいおい。ちょっ……短気だなぁ、あんちゃんは」と呆れた様子を見せた。
「別に嬢ちゃん自身のことを悪く言うつもりはないさ。気持ちの良い娘だったしな」
そして肩を竦めながら、
「ほらなぁ。化蛇ってやつぁ、何でかことごとく人間に骨抜きにされやがる。すっかりヤラレちまうんだよなぁ」
嘆かわしい、とか言いつつもどこか面白がっている素振りである。
ルークは目を細める。炎鞭をふつりと消しながら、口をへの字にする。
「それさ、順序が逆でしょ」
竜はそう簡単に人を愛したりしない。
どれほど力が強くても、それは変わらない事実だ。
化蛇だから人を愛するわけではなくて。
人を愛したから化蛇に――人に化けて姿を現すのだ。
マチビトAは、それを聞いてニヤニヤしている。
ルークはその様子に少しげんなりとした。何となくこれから発せられる言葉が分かるような気がしたからだ。
「あのお嬢ちゃんにイカレちまっているのは否定しないんだな、あんちゃん」
予想通りだった。別にどうでもいいけど。
「そんなのは否定しないよ。でも『化蛇はことごとく』でしょ?あんたはさっきそう言った」
今度はマチビトAがうんざりする番だ。
「……まあ確かにな。おいらも他人のことは言えねえけど」
頭をボリボリ掻きながら、どこか途方に暮れたような様子だ。
「あー死んだカミさんに出会ってなければなぁ、おいらも」などとぼやくものだから。
ほれみたことか。
勝ち誇ったようにルークはマチビトAを見遣る。
――果たして何に勝利したのかは知らないけれど。
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黒い海が私の目の前にただ広がっていた。
夢なのだろうか。
こんな夜のような黒い水を湛えた海を。シャダーンでもサイラスでも見たことがない。
その波打ち際に立っていれば、ざあんと寄せてくる波に足が濡れた。
黒い波はしかし、波であったはずなのに引いてくれない。
ひたひたと、その黒が水嵩を増して私の足の甲をすっぽり覆う。
ぬめり気のあるその水がまとわりつけば、身体が重くなって。
動くのも何かを考えるのも億劫になって仕方がない。
でも本能的にこの水に囚われてはいけない、と感じた。
ああでも……もう。どうしよう。
――既にふくらはぎにまで達している。
反射的に助けを求めて手を伸ばせば、ぺちんと何かにぶつかった。
ぎゅっとその触れた何かを掴み握れば。確かな質量を感じる。
思わず縋りつくように引っ張ってしまったのだが、そのリアルな感触に思わずはっと目を覚ます。
掴んでいたのは白い布。
硬直したように強く握りしめられたその手を、ゆっくりゆっくり開いて、やっとの思いで手放せば。
その一枚布のような衣装に皺が寄ってしまっていた。
ぜひ、と息を漏らしながら。
「ごめん、なさい。夢を見ていて。無意識に……」
その皺を作ってしまった一枚布を纏う女性に謝罪した。
何故彼女達が、自分の寝台にいるのだろうという思いが頭をかすめたが。
妖精なのだから、と思い直した。好きな時に好きな場所へ彼女達は姿を現すものだ。
しかししばらく沈黙が下りる。
彼女達からは何の反応も得られない。
「ギュリさん、アミンさん……?」
先ほど頭の中にあった黒い水よりも昏い、2つの目が。
――私をただ真っすぐに見つめていた。




