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令嬢は生きるのがツライ  作者: 今谷香菜
~シャダーン編Ⅲ 竜との約束~
49/85

~ホームシックはツライ~

********


――幾久しく、遠き世の果てまで。


『わたくしはあなたをお慕いしております。あなたの愛したもの全てを。……この命尽きるまで見届けます』


彼女はそう言って頭を垂れた。


私は彼女と約束を取り付けることができた――その事実に安堵し、満足してしまった。

頭を垂れた彼女の表情をちゃんと見ようとはしなかった。




――割れんばかりの拍手、拍手、拍手。喝采の渦。


地には花吹雪。赤、青、黄……乱れ舞い狂う。


目に飛び込んでくる色彩のあまりの鮮やかさにめまいがした。


風に乗ってバルコニーにまで花弁が。はらはらと。


隣にいた妻が、王冠に張りついた1枚をそっと手で摘む。

赤の花弁よりもっと赤いその唇で。触れるようなキスをしてまた空に返す。


宙に放り出された花片はひらり、と弄ばれ戯れるかのように風に溶けて消えて行った。


その光景を見た人々がワッとひときわ大きな歓声を上げる。


人々の祈りがひしめき合い空を埋め尽くす。その重みで今にも天が落ちてきてしまいそう。



――ああ、自分は随分遠くまで来てしまったな、と。



眼前に広がる民草の波を見下ろしながら、ふとそんな面持ちになってしまった。





✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎


意識が浮上する。


ふいに頬を優しく撫でられたように感じたからだ。

現実世界へ戻ってこいと優しく催促されているかのよう。


母のように。姉のように。羽で撫でているかのよう。

自分をこんな風に触れる者は限られている。


ゆるゆると目を覚まし、そっと傍らに寄り添う者を見遣る。


「……おまえか」


「ああ、起こしてしまいましたか。申し訳ありません」


「いや…今、懐かしい夢を……おまえも出てきた」


「左様ですか」と彼女は控えめに微笑みながら首を傾げた。


その美しくも痛々しい笑顔に顔をしかめる。


頬には涙の乾いた痕。

この妻は自分が病に倒れた後、比例するかのごとくみるみる痩せ細っていった。


「おまえは昔からそう。存外泣き虫だ」


そっと彼女の頬に手をあてる。


一度泣き止んでから自分を見舞ったに違いないのに。

彼女の紅玉の瞳にまた涙がぶわわっと盛り上がり、夢で見たものと寸分違わぬ赤い唇が、そっと震えた。


やがてほとほとと、涙がこぼれ落ち、痩せてガリガリの腕を伝う。


力があまり入らないながらも、なんとかそっと指でその涙を拭うことができた。


「申し訳も……」


「良いよ。ただ、おまえはちゃんとお食べ。余より……私よりも病人の顔をしている…」


愛しい妻はしかし首を横に振った。

少し驚く。彼女が自分の言葉を否定することは滅多にないことだった。


「良いのです。わたくしは…わたくしも……」


続く言葉は赦さない。


「ダメだよ。私と約束をしただろう?」


彼女はやはりブンブンと首を横に振る。


頑是がんぜない…まるで子供のよう。……私との約束を破る気?」


「守りたいと。果たしたいと思っておりました…、でもわたくしもお傍にいたいのです。どうしてもいたいのです…」


妻が流す涙のそれ全てを拭う力さえもう自分には残っていない。


――この約束で。


妻を気の遠くなるような、苦しみの時の中に1人放り込まなくてはいけないのだと。

彼女を縛っているのはそう、紛れもない自分なのだ。


――自嘲にも似た想いがこみ上げる。


「もう少し一緒にいれると思ったのだけどね…。でも私と一緒におまえも死んだところで。…すぐにあちらで会えまいよ。……私にはあの人との約束があるのだから」



そうだ、約束を果たさねば……そう思っていた。




――この時までは。




*********************

**********



「ふあ……」


今朝から何度目かの欠伸を噛み殺した。


「薔薇姫。今朝はいつになくぼうっとしていますね。…珍しい」


向かいに座って食後のコーヒーをいただいている王子兼友人である。

本日も大変イケメンです。朝っぱらから神々しい。


「ああ、うん。ごめん。朝の散歩も寝過ごしちゃってさ…」


「それはいいのですが。どこか体調が悪いのですか?」


「いや」と私は否定しつつ、そっと朝食の席を降りた。


「単純に二度寝しちゃっただけだよ。心配いらない。明け方起きて…そのままもう一度寝たらいつの間にか寝過ごしちゃったんだ」


疲れてるのかなー?

確かに私としては珍しいことである。

バイトも辞めた無職プーの私が。何を疲れることがあるというのだ。


手持ち無沙汰に床に寝そべるルークの体を撫でた。

固い鱗に覆われた黒い身体は光を反射しぬらぬらと妖しく光っている。


それにしても、だ。


「おまえ、大きくなったよなぁ…。もう私くらいなら乗れそうだな…」


今朝ベッドで一緒に寝ていてふと思ったのだが。


とにかく、でかい。

ものすごい圧迫感であった。


彼の尻尾は既にベッドからはみ出ていて、私の方が縮こまって寝ている始末だ。


「えー…いつの間にこんなにでかくなったんだろ?」


彼を引き取って何週間だ?と私は記憶をたどってみる。


そっと私の隣でかがみ込んだミラも、まじまじとルークの体を見つめていた。


「竜はもう少し成長速度が遅い種ですが…。ルークが変種なのと何か関係があるのかもしれませんね」


「もう抱きかかえることはできないなぁ…」


可愛かった彼の姿を思い出し、惜しむ気持ちは勿論、なくはない。


しかし。


「カッコいいなぁ~、ルーク」


ほう、と感嘆のため息が出てしまう。


黒い鱗に覆われた固くもしなやかな肢体。

蝙蝠のような大きな翼。

ピジョンブラッドがはめ込まれているような大きな赤い瞳には、時々細くて黒い瞳孔が縦に差し込まれる。

お腹の傷はやはり残ってしまったようだけど。それさえも彼を魅力的に見せている気がしてならない。


長い尻尾をぶんぶんと振っていた。……喜んでいるのだろうか?


私は彼の体に頬を寄せた。

体重を預けて彼に寄りかかってみたが、特に嫌がる素振りも見せない。

すりすりとそのまま頬ずりをする。


「ああ、これぞファンタジー。ラノベの竜が今ここに……ッ!」


ミラは「らのべ?」と不思議そうな顔をしつつも、ちょっと考え込む仕草だ。


「もう少し時間が稼げると思ったのですが…」


何かぶつぶつおっしゃっている。


「ミラ?何か言った?」


「いいえ、何でも。もう薔薇姫と一緒に寝るのは厳しいのではないかと思って」


「うーん。確かに。流石にベッドは厳しくなったなぁ」


ミラは「そうでしょう?」とこちらに微笑みかけた。

その微笑みはさながら天使である。


「外に小屋を作りましょう。やはりそれが良いですね」


「い、いや。いいって。野生に帰すまでは一緒に床で寝るよ」


「床に…一緒に…?」


彼は驚愕の表情を浮かべている。


そ、そうか…この世界の、この国の人は床で寝る文化はないよな……。


靴で室内も出入りしているしな…。確かに無理があるかな。


「ええと、一緒じゃなくても。とにかく…ルークは部屋の床に寝かせるよ」


本当なら。ルークの為にも外で寝かせた方がいいのは分かっているんだけど。

野生に帰すためには甘やかしちゃいけないってことも。


でも…。


「離れ難いんだよなぁ~私が」


親バカだよなあぁ。子離れができない悪い例だ。


「薔薇姫?」


「ひとりで寝るのは何だか寂しくなってしまったな…」


でもルークをいよいよ野生に帰すとなったら。

ひとり寝どころか。ひとりで国に帰らなければいけないのだ。


――このままじゃいけない。


手放さなければ。彼を。早く、早く……。


そうは思っていても。やはり別れがたくて、離れ難い。


「そう……最低でもあと2.3回は狩りに連れて行かなきゃ……。安心して野生に帰せない……よな?」


ミラはにっこり笑って。


「ええ、そうですね」と同意してくれた。


きっと彼には見透かされている。


甘やかされているのだ、私は。


けれど……。

そう。本当にどうしようもなく私は私自身を甘やかしている。そんな実感が嫌という程あった。


――彼を手放して幸せを祈ってやらなければ、という思いがある。


早く早く、今度は手遅れになる前に手放してあげなければ、という気持ちと。


しかし一方で。――今度は彼を手放してはいけない、という相反する気持ちも膨らんでいく。


私はその気持ちが何なのかよく分からない。どこから湧いてくるものなのかもよく知らない。


ただ掬っても掬っても……泉のようにどんどん溢れ湧き出てくるのだ。


そんな感情を持て余していた。


どうしたら良いのかよく分からないまま、ずるずるとモラトリアムを得ようとしている私。


本当に。

優柔不断なのは前世からちっとも変わっていない。



*******


その夜。


ルークと一緒に夜の王城内を散歩した。


一応ミラには夜の王城内を出歩く許可を取ってある。


初夏の匂いを感じる庭園が気持ちいい。


「ああ、月が綺麗だ」


ルークは私の見ている方へ視線を移す。


ふたりで何ともなしに月を眺めた。


私はふふっと笑った。


「こんな月夜にな、私は故郷の兄とダンスを踊ったんだ。おまえもこの前会っただろう?あの人と、こんな夜にダンスを踊った」


はにかむ彼の笑顔を思い出す。


ルークは月ではなくて私を見ていた。

夜目が利く方ではないけれど、なんとなく彼からの視線を感じた。


「今夜は手を伸ばせば届きそうだなあ」


目を細める。落っこちてきてしまいそうな大きな月。手を伸ばせば届きそうなくらい、近くて。


故郷の妹が浮かんだ。


「私には妹がいるんだけどな……」


私は手をかざす。月を掴むかのように。


「月が欲しいと昔ねだられたことがあったんだ」


そっと目を瞑る。


――おにいさま。おねえさま。わたしおつき様がほしい。


舌足らずでしゃべる妹の無茶なお願いに、私と兄貴は困ったものだった。


もっとも。


「私はバカだったんだよな。兄貴はどうやって諦めさせようかと考えていたんだけど。私はどうやったら妹の為に月が手に入るのだろうかと考えていたんだ」


そう、自分も望めばあの月が手に入るかと思っていた。

幼かったから。妹と一緒で。

傲慢で無知で無邪気だった。


「私は今まで一度だって月がほしいと思ったことはなかったけれど。妹の為に欲しいな、とその時初めて思った。それでお月さまってかじったらどんな味がするんだろうな、なんて俄然がぜん興味も湧いて……。手に入ったら妹に頼んで少し齧らせてもらおうと思ってさ。…もっともその頃から女子力が高かった妹は、その月をネックレスにしたかったらしいんだけど」


「……私とは大違いだな」と、何故か今更ながらに愕然と来た。


この幼き時から決まっていたのか。女子力。


なんてこったい、前世の記憶とかもはや関係がないわ。


ルークはそれからどうしたの?と聞いているようだった。

静かに話の続きを待っているような雰囲気がした。


「聞きたい?ルーク。……お月さまをネックレスにしたい妹と、お月さまを齧ってみたい私にせがまれて、兄貴はすごく困っていて……」


その時の兄貴の狼狽っぷりはよく覚えている。


義妹たちに服を引っ張られギャースカ喚かれて……。


思い出して無性におかしくなった。


「兄貴は妹には、『あのお月さまはおまえの首に飾るのは大きすぎる』って真面目に答えたんだ」


――『おまえの細い首が折れてしまうぞ』と怖い顔で兄貴に諭された妹は怯えた。

怯えてしまった彼女を宥めるかのように。


『おまえが、あの月を首に飾るに相応しいレディになったら。その時に一緒に考えてやろう』


そう、兄貴はあえてその時、『レディ』という単語を使ったのだった。

幼いながらも女子力の高い妹は、その言葉にぴくんと反応した。


兄貴は笑った。


『きっとおまえが立派なレディになったら……もうそんなこと言わないだろうけど』


『どうして!?』


『おまえの首に飾るより、あの空に浮かんでた方が月がキレイだと……気づくからだ』


――その方が月の為だとわかる日が来る、と意味が分からないことを言って妹を混乱させていた。


それまでは……。


『それがおまえの月だ』



「そう言ってね、兄貴はお母さんの形見のネックレスを妹にあげたんだ」


ちらりとルークを見た。


暗闇でそっと彼の目を見つめて、視線を合わすようにしゃがみこむ。


「妹は立派なレディなるものを目指せば月が手に入る、と。ますます女子力を磨いたというわけだ」


目的の為の手段だったはずが。

いつしかその手段が目的になってしまったわけだけど。


――それとも何かお月さまに替わる欲しいものができたのかもしれない。


幸せな結婚とか。物語のような情熱的な恋。そんなところだろう。


彼女はいつもお話のような綺麗な恋を……夢見ているから。アイサと似ているな、とふと思った。

アイサも物語や詩のようなきれいなお話が大好きだ。


兄貴がシルヴィアちゃんにあげたお月さま――パールのネックレス。

妹がつけているところをまだ、一度も見たことがないけれど。

大切に引き出しの中にしまっていることを知っていた。


いつか彼女が。その月に見合うレディになれたと思った時、身に付けるのかもしれないな。



ぱたぱたと彼の尾が振れた。どうやら退屈な話ではなかったらしい。

……理解できているかはわからないんだけど。


続きを促されているような気がしたので、私はぽつぽつと話をつづけた。


「それでお月さまを齧ってみたいと言った私には……」


兄貴は水の入ったグラスをそっと私に手渡したのだ。


グラスを持った私の手に手を添えて、そっと月にかざす。


『なにやってるの?』


『……今、月の成分を水に溶かしているんだ』


彼は苦笑しつつそう呟いた。


グラスの水に月が映るのを、私は黙って見つめていた。


やがて「飲んでみろ」と彼に促されるまま私はグラスの水を空けた。


『! スースーする!』


『……それがお月さまの味だ』


私は単純に「これが……」とすごく感動したのを覚えている。


「その後も何度か妹と私で実践したんだけど。あの時の味にならないんだ」


ルークは不思議そうな顔をして首を傾げていた。

私はふふっと笑う。


「兄貴が、水に薄荷ミントを入れていたんだと思うよ、恐らく」


月を映したグラスの水を飲ませたところで、何の味もしない。

私を騙せないと思ったのだろう。


ふたりで実践してもできないお月さまの水。

結局毎回最後には兄貴を叩き起こして月の水――もとい薄荷水を作らせた。


「お月さまは薄荷味なのか!と私は感動したんだよなぁ、その時」


私はその頃たらふく飲んだ薄荷水の影響で、後々ミントティーがちょっと苦手になったり。

妹は逆にミントティーが好きになったり……っていうのはまた別の話。


兄貴は覚えているだろうか。


「帰ったら聞いてみたいなぁ……」


ぼんやりと月を、見る。


なぜかその輪郭が滲む。おかしいな。


ルークはばっと顔をあげた。

ぎょっとしたように、目を真ん丸にして私の顔を覗き込むように。


唐突に起き上がるから私も反射的に立ち上がった。


「? ルーク?どうした……って、わわわ!?」


彼は背に回り込む。

身体を低くし、後ろから私の足と足の間をすり抜けるような仕草をした。


ドレスのトンネルを抜けてひょっこり顔を出す。


「ルーク?」


そのまま彼は立ち上がった。

私が跨がっている首を後方にしならせるように。


「ええ!?わぁっ!」


バランスを崩しつつ、転ぶまいと必死になって。

いつの間にかルークの背にしがみ付くような格好になっていた。


「おおう…おまえも母を背負うくらいに成長したんだな…」


やっぱでかくなったよなぁ……、じんと感動してしまう。


と、その時。後方からバサバサと羽音。


「? なぜ」


羽ばたくんだ……?


瞬間、それまで地面についていた足が、すかっと空を蹴った。つまりは空振りした。


「あ、あれ?」


な、なんで?と思った時にはぐぐぐぅーっと下に押し付けられるような圧力。


慌ててルークの首にしがみついた。


目も開けられない状態だったのだけど、その中で耳は周りの音を拾っていた。


ゴオッと風の斬る音。


バサバサと私が乗る背より後方の――彼の翼がはためく音。


「ひゃう!?」


内臓がひっくり返る様な浮遊感を一瞬だけ感じた後、私は恐る恐る目を開けた。


「うえええええ!!?」


眼下に広がるのはポツポツとした明かり。


人々の営みの上に……私たちは今いるのだ。


そうつまりは。飛んでいた、のである。


――ルークの背に乗って。空を。



******




次話も本日投稿予定です

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