【閑話】~とある妹の思い出~
実妹が義兄に向かって毒舌になってきた…
有休を使い、姉の様子を見に隣国に旅立って数日。
そんな義兄が帰って来た。
妙にほくほくした様子で帰って来るものだから、おや、これは……?と思った。
何か進展があったのか? とこちらも思わず緩んでしまいそうな笑顔だ。
「お兄さま!何か良いことがありましたの?」
「なにが…?」
慌てて綻んでいた頬を持ち上げるようにして、しかめ面を作っていた。
大げさに眉根を寄せる。
……分かりやすい。
「お姉さまにお会いしましたでしょう?」
「ああ、まあそりゃ……」
その為に行ったんだからな、と義兄は憮然として言う。
「お姉さまにお会いして……それで?」
「? あいつは元気そうだったが……それがどうかしたのか?」
特に顔を赤らめることなく、平然としたその様子に。
「……いえ、何でもありませんわ」
ああ、これは……本当に何にもなかったんだな、と妙に納得できてしまった。
大仰にため息をつく自分の姿を見て、義兄は「何なんだ、おまえは一体……」と疑問顔である。
こちらが言いたい。
「何なんだ、あんたは一体……」と。言わないけれど。
恐らくこの義兄のことだ。姉に会えただけで嬉しかったのだろう。
先ほどの上機嫌の理由はただそれだけの話だ。何ともおめでたい人である。
まぁこの様子だと、隣国の王子との関係もさほど進んでいなかったのだとも思えるが……。
「何なんでしょうね、お兄さまは一体……」
どこまでも純情すぎる。女性を知らない初心な少年のようだ。
姉にちょっと会えただけで尻尾振って帰って来てしまう……。
「駄犬ですわ……」
「は?」
ああ、言わないつもりがつい、口に出ていたらしい。色々と。
義兄が訝しむ様子でこちらを見ていた。
「いえ、何でもありませんわ。数日姿を見せなかった知り合いの飼い犬が帰って来たらしいんですの。主人に会えて喜んでいたらしいですわ」
「ああそう…」と義兄はそれ以上気にした素振りはなく、自室に戻っていった。
やはりその後ろ姿に、ブンブンと横に振れた犬の尻尾を見た気がする。
「お兄さま。情けないですわ……」
姉に対する目標設定値がどんどん低くなっている気がする。
大体が!
姿を見て、会って、言葉を交わす。――久々にそれらができただけで嬉しいだなんて。
「そんなの。元の生活と何ら変わりはありませんわ……」
こんな様子だといつまで経っても姉をモノにできないのではないだろうか。
隣国の王子の方がきっと色々と……積極的だと思うのだ。
姉がそんな王子の言動に慣れてしまったら……ますますこの義兄のハードルは上がる気がする。
いっそ棒高跳びである。
ああ、ほんとうに。
「もっと男を見せてくださいませ、お兄さま……」
兄の自室に向かってそう呟いた。勿論拾ってくれる人物なんていやしないけれども。
姉に会いに行く、といつも以上のやる気と積極性を見せて旅立ったのだから、ちょっとは期待したのに。
「そのまま王子から掻っ攫ってくればよろしいですのに……」
手紙に書いてあった件の竜の子を野生に戻すまでは帰れない、という姉の意思を尊重したらしいが。
シルヴィアははぁ、とため息をつくことしかできなかったのだった。
勿論、身内とはいえ他国の客人となっている姉だ。
そんなことできるわけがないのは重々分かっているつもりだ。
でも。
義兄はどうにも彼女の意思を尊重しすぎて。
自分の気持ちを押し殺そうとするきらいがあるように思えて仕方がない。
「そういうお優しいところは……おにいさまの良いところですけれど」
あの王子の強引さをもうちょっと見習ってほしい、と応援している立場としては微妙な気持ちになるのだった。
******
夜も更けて。
姉から届く手紙をこの時間に読むことが最近の日課になっている。
何となく朝のぼーっとした時間に読むのは勿体なくて。
ここ数日姉から届く近況報告は竜の子の話ばかりだ。
今日届いた手紙もそう。どうやら狩りに連れて行ったらしい。
詳細は書いていなかったが、その竜の子が大活躍したとか。
『シルヴィアちゃんにも叶うなら会わせてあげたいな』と書かれた一文に微笑ましい気持ちになる。
「おねえさま。……私は竜の子よりもおねえさまに早くお会いしたいですわ」
大好きな姉の、女性にしてはちょっと豪快な字を指でなぞり、ため息をついた。
ふと見上げれば月。
窓から見えるその大きな月につかの間心奪われる。
「ああ、今にも落ちて来てしまいそうですわね…」
こんな月夜は昔を思い出す……。
シルヴィアはそっと引き出しを開けて、ネックレスを取り出した。
ゆらゆらと揺れる丸い真珠の一粒ネックレス。
自分の一番古い記憶と言っても差し支えのない、印象的な思い出にそっと心を馳せた。
******
あれは10年位前のことだったか。
今夜のようにまん丸満月がいつもより近く見えたその夜。
子供たち3人は両親に内緒で屋敷を抜け出して、庭を散歩していた。
言い出しっぺは姉だった。
「月がきれいだから散歩をしよう」と。
「オリヴィア……、寝ているところを叩き起こしに来るなんて。心臓に悪い。月見がしたいなら昼のうちにそう言え」
「だって。今夜の月がこんなにキレイだとは知らなかったんだもん」
義兄は文句を言いつつ、姉とふたり前を歩いていた。
「それにシオンが中々起きないから悪いんだよ」
「だからってあんなに叩くことないだろ。しかもあれで起きなかったらおまえ……、濡れ布巾を顔に被せようとしていただろ」
姉は邪気のない顔で「うん」と頷く。
「冷たくて起きるかなって思って。水をかけたら後片付けが大変だから……」
頭いーでしょー?と得意げに胸を張る姉に。「このバカ!」と義兄は怒鳴った。
「言っておくけどな、二度とするな。下手をすれば永遠に眠ることになるからな」
オリヴィアはブー垂れつつ返事をした。
その態度が気に入らなかったのだろう。
「大体オリヴィアは……」
と義兄がまたお説教を続けようとしたところで。
「おにいさま、おねえさま!!」
私は唐突に声を上げた。
前を歩いていたふたりが何事かと振り返る。
「あ、あの。わ、わたし……」
呼び止めたものの何と言えば良いのだろう。
「……あのお月さまがほしいです」
ぱっと目に付いた……宙に浮く月を指差してねだった。
ふたりはポカンとした様子で月を一瞥し、そうしてしばらく顔を合わせ……、そしてそして……盛大な困り顔をしたのだった。
******
「シルヴィ―、なんで月が欲しいんだ?」
義兄は私の前に膝をつき、視線を合わせた。
横で姉が義兄の肩をぽんと叩く。
「うんうん、わかるわかる」といった訳知った様子で自分の方を見た。親指をビッと立てる。何故かドヤ顔で。
「お月さまっておいしそうだもんね。クッキーみたいで。私もかじってみたくなっちゃった」
義兄は「アホか」と呆れたように姉を見て言った。
「私も、の『も』は何だ……。シルヴィ―の気持ちをおまえが勝手に代弁するな。今はシルヴィ―に質問してるんだぞ」
もう一度義兄は私の方を見て、「どうして?」と聞いた。
その優しい声音と。自分を真っすぐ見てくれる眼差しが嬉しくて。
何となく姉と同じ理由じゃダメだ、と思った。
「ネ……ネックレスにしたいの……」
と咄嗟に理由を作った。
義兄は「ほらな」と姉の方を見た。「おまえと違って食欲一番じゃないんだ、シルヴィ―は」と言いながら。
「わたしと同じ気持ちじゃないのかぁ…」と姉はちょっと残念そうな顔をしていたが。
すぐに気持ちを切り替えたようだ。
「ねえ、シオン。お月さまはどうすれば手に入るかなぁ?」
「おまえまで……」
今度は彼のみ、盛大な困り顔をする羽目になったのだった。
*********
しばらく待ってろ、と彼に言われて待つこと数十分。
義兄は手にグラスを持って戻って来た。
「シオン、それなあに?」
「まだちょっと熱いから触るな。……オリヴィアは後だ」
「? うん」
彼はそっと私の前にかがみ込み、何かを首にかける仕草をした。
冷たいものが首に当たる。
「これは……?」
首にかけられたものを手に取って眺めた。
一粒の真珠がついたネックレスだった。
「お月さまのネックレスだ」
それを見た姉は「あ……」と声を失う。
「シオン、それお母さまの……?」
彼女が言う「お母さま」は私達の「お母さま」じゃない。
彼の亡き母の……形見なのだ。
当時幼かった私はこのネックレスの大切さがわからなかった。
「くれるの?」
ただ喜んだ。無邪気に。
彼は「ああ…」と頷く。
「このお月さまも、相応しい場所で輝いていた方が幸せだから」
その少しだけ切なそうな顔に、私は何故か胸が痛んだのを覚えている。
「なあ、シルヴィ―。あのお月さまをおまえの首に飾ったら、おまえの細い首は折れてしまうぞ」
「わたしの首が……?」
ぶるり、と震えた。
想像したら怖くなった。
「ああ、今のおまえの首には重たすぎるし……似合わないと思うぞ」
月を飾るのにこの細い首では『重たすぎる』。
その理由には納得ができたのだが、『似合わない』という言葉にちょっとだけムッとしたのだった。
「そう。もしおまえがあの月を飾るに相応しい大人のレディになれば……」
義兄はあえて『レディ』という単語を強調し使った。普段の彼からならこんな言葉出ないだろう。
背伸びをしたい年頃だったわたしが、その言葉に過剰に反応するのがわかっていたから。だからだ。
「じゃあレディになったわたしが、その時お月さまが欲しいっていったら取って来てくれるのね!?」
続く言葉を勝手に予想解釈して、私はそう言った。
――今は似合わないというのなら。
いつか月のネックレスが似合う、そんなレディになってやろう。
そんなやけっぱちな怒りが手伝ってキイッと彼を睨んだ。
でも彼の口から出た言葉は、私の想像していたそれとは違った。
「言わないよ」と彼ははっきり言ったのだ。
ちょっと困ったような笑みで。
「え?」
「おまえがレディになったらきっともう……そんなこと言わない。……月を欲しがらない」
どうして?と訊ねた。
「自分の首に飾るより空に浮かんでいる方が綺麗だと。おまえならきっと気づくはずだから」
「……?」
「わからなければいい。もしまた本当に……月が欲しいとそう願うなら。その時一緒に考えてやる」
彼は「それまではその小さなお月さまで我慢しろ」と。
「それがおまえの月なんだと思え」と。私の頭をぽんぽん叩いた。
私がまじまじと貰ったネックレスを見つめ、そうして「うん」と頷いたのを見てほっと安心した彼は。
次に姉の方を振り返る。
「オリヴィア、ちょっと来い」
「なあに、シオン」
「これを持って、腕を上げろ」
そう言って彼は先ほど屋敷から持ってきた水入りのグラスを姉に手渡す。
「こう?」
「ああ、違う違う……」
姉のグラスに手を添え、高く掲げる。
――月が映るように。
グラス越しに見える月にしばし見入るようにして姉は黙った。
「なにやってるの?」
私が不思議そうに尋ねるのに、彼はちょっと苦笑した。
「月の成分を水に溶かしているんだ……もういいだろう。ほら、飲め」
彼に促されるままグラスに口をつけた姉は、瞬間驚いた顔をする。
「! スースーする!!」
私もぺろりとその水を飲ませてもらう。
確かに舌がぴりぴりとするような……鼻を突き抜けていくような爽快感があった。
「これは……」
「それが、月の味だ」
義兄はそう言って、月をバックにからっと笑った。
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ゆらゆらと揺れる一粒の月を見て、シルヴィアは苦笑した。
あれからというもの。
姉と私は義兄の真似をして、満月の日には必ずと言っていい程、グラスに水を入れて月にかざしていた。
二人揃ってちょびちょび飲んでは「まだ溶けていない」「まだ早かったんだ」と腕が痺れるまで、だ。
ミントかレモンか……持ってきた水にあらかじめ何かを入れていたんだろう。恐らく。
何も味がしない水では、姉が納得できないから。
――あの時。義兄と姉に相手にされていないようで悲しくて。寂しくて。
つい我儘を言って構ってもらいたかったのだ。
別段、月が本当に欲しかったわけでもないだろう。
ただ困らせて、ふたりの興味・関心をこちらに惹きつけたかったのだ。
「ふふ。私もお子様でしたわね……」
落っこちてきそうな。それでも手の届かない月に手をかざす。
姉も見ているだろうか。遠い異国でこの月を。
月に例えるには生命力に溢れて…溢れ過ぎな彼女。
大切な自身の月をくれた彼。
大好きなふたり。
「そう、手が届かない方が美しいですわ……」
その方が月にとっても幸せで。
自分はもう、置いて行かれて拗ねる子供じゃないのだから。
――この手元に落ちて来なくても。遠くで美しく輝いているのさえ分かればそれでいい。
この手に抱えたら。きっとその姿形を変え、輝きを失ってしまうだろうから。
そうなったら……もはやそれは自分の愛した月ではないのだ。
この同じ屋敷内にいるだろう義兄に向かって問う。
「おにいさま。私は月が似合うようなレディになれたかしら?」
対する答えはない。当たり前だけど。
「でも。もう月の愛し方を……」
―――私は知っている。切ないほどに。
2話連続本編進んでなくてスイマセン。
次話より本編になるかと。
そしてこの閑話、ちょいちょい修正するかもです。(大幅修正はしないです…)




