~竜が可愛すぎてツライ③~
馬車に戻って来た私を見て、ミラとヨハンナムさんは心底安心したような顔をした。
「薔薇姫…どこに走っていったかと思えば…」
「姫君があまりにも素晴らしい瞬発力の持ち主でしたので。後を追いかけようにもどちらの方角へ行ったのか…いやはや、油断しておりましたな」
「一応付近はすぐに探していたのですがね…、俺たちが馬車を降りた時には既に影も形もないですし」
どうやらかなり心配させていたらしい。
私は「ごめん…」と謝罪をまず先にした。
私の腕で「きゅるる」と鳴いている竜を見て、ミラは「それは…?」と怪訝な顔をした。
「拾ったんだ。そこの森で。いたのはこの子だけだったんだけどさ、何の種類か分かる?」
「森で…?この竜は…」
ミラとヨハンナムさんは顔を合わせ、頷き合う。
「姫君、この竜は恐らく変種の竜かと。顔かたち、体躯は火竜の特徴そのものですが。体色がまるで違う」
「火竜…」
私は先ほどの施設にいた火竜の子供を思い出した。
そうだ、確かに。赤い身体をしていたな。あの子たちは。
一方で腕の中にいるこの竜は黒い体色をしている。
「この子は突然変異の竜ってこと?」
ヨハンナムさんは頷く。
「恐らく。それで親に捨てられたのでしょう。ここは火竜の生息地ではありません。はぐれたわけではないでしょうな。親に空から落とされたのではないでしょうか」
「ひどい…もしかして空から落ちた時にケガをしたのかな…」
だからこんなに傷だらけなのか?
木がクッションになって奇跡的に助かったのかも。
お腹には大きな傷があった。血がうっすら滲んでいて痛々しい。
「あれ?でも古い傷も多いな…?」
私は黒竜の体を持ちあげ、しげしげと眺めた。
骨とかは折ってなさそうだけど。…空から落ちたのに丈夫だな。
「仲間や親に傷つけられたのではないでしょうか。竜は群れで暮らす生き物です。結束がかなり強い生物ですが…。一方で排他的な性格をしています。その異端の竜は群れで受け入れられなかったのでしょう」
「……」
やはりこの子は捨てられたのか…。
思わず抱く腕に力を込めてしまったのだろう。腕の中の竜が「きゅうっ」と高く鳴いたので慌てて力を弱める。
「ねえ、ミラ。この子をさ、さっきの施設で預けられないかな?」
私は黒竜をミラの前に掲げて訊ねた。
ミラは眉根を寄せて、厳しそうな顔をする。
「それは…難しいです、薔薇姫。変種の竜は体も弱いことが多い。それに親の愛情を知らない幼生の竜は何より手間がかかる。…親に傷つけられ捨てられたならば尚更です。つきっきりで見てあげないと自傷行為を行うかもしれない。……あの施設には財政的にも人手的にもそんな余裕はありません」
もしかしてオーナーさんとの話が長引いたのは、そういった施設の窮状を訴えられていたのかもしれない。
でも、そんな。それじゃあ…。
「どうしよう…」
「薔薇姫…」
捨てて来いと言われるのだろうか。
「い、いやだ。そんなの。見捨てられない…」
ミラはふっと笑った。
「では、貴女が面倒を見ますか?」
「え?」
私はきょとんとした。
ミラは「おや?」と意外な顔をした。
そんな顔をしたいのはこちらである。
「王宮で面倒が見れるように俺から陛下へ取り計らいましょう。ひとりで生きていける位になるまで面倒を見て差し上げたら良い。そうしたら野生に返してあげましょう」
「…いいの?」
私は恐る恐る聞いた。こんなに甘えてしまっていいのだろうか。
「いいですよ。…その代わり、最後まできちんと面倒をみるのですよ?」
「わかった!ありがとう、ミラ!!」
私は竜を持ち上げて喜んだ。隣に立つミラもにこにこしている。
「名前を決めて差し上げたらいかがですか?」
「そうだね、うん。ええとそう……ルークだ!お前の名前はルークだな!」
「ルーク?」
「そう、木漏れ日のキラキラした光の中にいたんだ。この子が連れて来た光だ。良い名前だろう?」
「ああ、『光を運ぶ者』…なるほど」
ルークを抱えながらくるくる回った。
我ながら中々良いネーミングセンスだ。
すっかり浮かれてしまって。
……その時は気づかなかったんだ。ミラの表情に。
********
「殿下、どういうつもりです?」
「何がですか?」
王城についた途端、ミラは早速父王に1匹の滞在許可を取り付けていた。
父王は若干不思議そうな顔をしていたが、「折角のこの機会、留学生の彼女に竜の生態を知ってもらう為」という理由も作り、事なきを得たようだ。
「竜ですよ、竜。施設に預ければいいじゃないですか。あんなこと言って。殿下が拾った竜なら断れるはずもないでしょうし。何より施設はあそこだけってわけでもなし」
彼はそうですね、と笑った。目を細めつつ。
こういう表情を亡くなった彼の母、ティルダはしたことがない。
「彼女がもうしばらくこの国に留まってくれればと」
「……まだお許しが出ないのですか?」
「ええ。アヴァ王妃が反対されているそうです」
「王太子殿下の――お母君が?」
「……小国の娘と婚姻を結んでも国に益はないとか。兄より先に弟が結婚するのは世間体的にどうだとか。まぁ…薔薇姫が妖精に好かれる体質だというのをどこからか耳にしたのでしょうか。ただのやっかみですね」
「あの方もバカですねぇ。殿下が結婚し王宮を去れば王族でなくなるというのに」
ミラが王族ではなく1臣下にくだれば。
王位継承権を失うわけではないにしても、王宮でのセスの地位は確固たるものとなるだろう。
「結局目先の嫌がらせしか頭にないのでしょう。昔からそうです」
「殿下の幸せを阻止することに命かけているところがありますからねぇ。あの一族は。分かりやすくて良いですがね。いっそ清々しい」
ミラは、はあとため息をついた。
ぐったり疲労困憊といった面持ちである。
「本当に。ろくでもない…兄上の実家は未だ強い権力を持っているようですね。中々話が進まない…」
「陛下は反対されていないのでしょう?さっさと姫君と事実上の恋人関係になってしまえばよろしいのに。朝の散歩なんてしてアピールなんかしなくとも。まぁ…あれはあれで王宮では評判が良いですが。しかしまちました点数稼ぎですよ、結局は」
暗に既成事実でも作って、なし崩し的に婚約者に据えてしまえと言いたいのだろう。
「……」
「まどろっこしいですねぇ。姫君のペースに合わせていたらいつまでたっても恋人関係になんてなれませんよ。大体彼女に隠れてコソコソ動こうとするから動きに制約が出るのです。いっそ一旦国に返してさしあげて。改めて仕切り直してはいかがです?」
「それはまだ、ダメです。こちらの準備が整うまでは、彼女を国に返せません」
ヨハンナムは半眼になった。
「ははぁ。姫君の義兄上…シオンさんでしたか。彼を警戒しているのですね」
「ええ…サイラスに申し込む前に仲が進展してしまったら面倒ですから。無理やり奪っては外聞も悪い」
――何より男の嫉妬がある。
自分が離れている間に彼女の心を奪わせてなるものか、という。
「どうですかねぇ…長い間兄妹関係だったようですし。そうそう進展することもないのでは?」
ミラは別れ際の彼の様子を思い出す。
恐らく彼も自分という予想外の恋敵の登場に焦っているのではないだろうか。
「いえ、こちらの見通しが立たなければ。やはり彼女を国に返すことはできない」
「はあ。いっそアヴァ様を…」
「ヨハンナム」
「ああ、はい。すいませんねぇ。さすがにこれはマズイ」
――ああ、可哀想な姫君。
この目の前の主は、やはりどうしても貴女をタダで国に返すつもりはないようだ。
ヨハンナムは「もうすぐ帰国だ!」と家族に会えるのを心待ちにしていた、彼女の昼間の様子を思い出す。捨てられた竜にただ純粋に心を寄せる姿も。
――同情しますよ。本当に少しだけですが。
「殿下もお人が悪い。捨てられた竜の子まで使って姫君を繋ぎとめるだなんて」
「目的の為なら使えるものは何でも使いますよ、私は。おまえも知っているだろうに」
「…ギュリ様やアミン様は何とおっしゃるやら」
「反対するでしょうね。竜ですし」
ミラもこれを宥めるのはちょっと骨だな、と思うのだが。
仕方がない。必要なことなので黙らせるしか。
ヨハンナムはそっとため息をついた。
「恋をすれば男も女も馬鹿になりますねぇ…」
「何か言いましたか?」
「いいえ、何にも」
――さて、姫君。
――貴女もいつまでも愚かなままではいられませんよ。
――自分の生きる場所を自分で選びたいのならば。
*******
「ミラに甘えちゃったなぁ」
その夜。
私は客室に備えられている浴室でルークを洗っていた。
とはいっても水で洗うだけだ。泥と血を丁寧に洗い流す。
「でも捨て置けないもんな。おまえのケガが良くなるまでは私がしっかり面倒見てやるからな!」
独り言?を言いつつ私はルークの固い鱗に覆われた身体を丁寧に指で擦る。
傷があったお腹の部分にはシャワーをあてないように、慎重に。
すると。背中を向けていたルークが突如振り返り――がぶり。
「い゛っ…!? いたい!!」
手を噛まれた。飼い犬――いや竜に噛まれるとは。
「ルーク、痛いって!なんだ、傷に染みたのか!?」
私は彼の身体に当てていたシャワーをどかす。
背中の細かい傷は古いものだけだと判断したのだが。新しいのもあったのか!?
シャワーをどかしてもルークは私の手に噛みついたままだ。
「ぐるる…」と喉を鳴らしていた。何かに怯えたように身体を震わせながら。
「んー?なんだ、寒いのか?」
私は脇に置いてあったバスタオルで彼の体を包んだ。
ふわふわの生地が気持ちよかったのか。はっとしたように目を見開く。
ルークと目が合う。何故か驚き顔をしている彼の様子が何だかおかしい。私は笑ってしまった。
「おまえ、自然界では水で身体を洗うもんだろ?違うのか?」
情けない奴め、と笑いながら彼の体を優しく拭く。
タオルごとルークの体を持ちあげ、浴室を出た。
*****
入浴で疲れてしまったのだろうか。ルークはぐったりしていた。
身体にあった大小さまざまの傷に軟膏を塗る。
一番心配していたお腹の傷は、幸いなことにほぼふさがっている。蝙蝠のような羽をパタパタと動かせるところをみると、羽も折れていないのだろう。
これならすぐに野生に帰してあげれるな、と私はお腹に包帯を巻きつつ上機嫌になった。
とその時。
「薔薇姫、いますか?」
ミラの声だ。
私は部屋の扉を開けて顔を出した。来訪者と目が合う。やはりミラだった。
「どうかした?」
「ええ。これをルークに…と思っ…て……」
私は彼が持っている果物籠を受け取る。そういえば施設で竜の子たちにリンゴあげていたな。
リンゴにバナナに…おお、パイナップルも入っている。
しかし王子自らお運びくださるとは…。
「ありがとう、ミラ。でも王子様がこんなことしなくても…ってどうした?」
ミラは私の方を見ようとしない。
「どうもこうも。目の毒です…。何ですか、その恰好」
私は自分の恰好を顧みる。
レースたっぷりのネグレジェ。…腕まくりをして長い裾をギュッと結びまくしたてて、太ももを晒していた。まぁ、確かにはしたないな。それが悪いのだろう。
私は裾の結び目をほどいて、スカートの皺を伸ばす。裾は足首まですとんと落ちる。
「ごめんごめん。ルークの身体を洗っていたもんだから」
「ああ、そうでしたか…」
彼はやっと私を見た。
しかし目の毒とはひどいな。そこまで言わんでもいいじゃないか。
そんなにひどい恰好でもなかっただろうに。人を歩く公害呼ばわりですかね。
私は様々な不満をとりあえず押し込み、ミラに頭を下げた。
色々な礼を込めて。
「ミラ、ありがとう。私はミラに色々甘えてしまってるな」
ミラは「構いませんよ」と果物籠を私から引き取り、部屋の中に入った。
重いから運んでくれたのだろう。
ベッドで「きゅるきゅる」と喉を鳴らすルークを見てミラはふっと笑う。
「竜は我が国では神聖な生き物ですから。異端の竜とはいえ無下にはできません。…貴女の為だけではありませんから、過剰な礼はいりませんよ」
私はその言葉に感動してしまった。不覚にも。
「ミラ…おまえやっぱり王子様なんだな」
尊敬のまなざしで彼を見ていたら、何故だかミラは「う…」と声を詰まらせる。
胸を押さえ、視線を微妙にずらす。
「そんなにキラキラした目で見ないでください。罪悪感が…」
「へ?」
「…何でもありません。ところでルークの寝床ですが…」
「ああ、それなら私と一緒に寝るから大丈夫だよ」
「…一緒に?」
「拾った私が面倒見なくちゃな」
私は胸をドンと叩く。
ミラは面白くなさそうな顔をしている。
何故そんな顔をするのか。
「外に小屋を作りますよ」
私の為だけにルークをこの王宮に置いてくれているわけではないと、彼は言ってくれたけど。ルークは野生に帰すつもりだし、色々用意してもらうのは何だか申し訳ない。
「いや、いいって。春とはいえ夜は冷えるし。傷に障ったら困るからな」
「しかし…」
尚も食い下がる友人の背を押して、私は退出させた。
「もー、おまえは動物にまでヤキモチを焼くのか」
彼をからかってやろうと思って言った発言だったが。
「…だってそいつ、オスでしょう?」
…だから何だ。
そしてヤキモチを否定しない友人。どんだけ心が狭いんだ。
というか。
竜はこの国で『神聖な』生き物なんだろ?
それを『そいつ』呼ばわりか。…いいけどさ。
*****
夜も更けて。
私はルークとベッドに入り、セスから貰った詩集を読みつつごろごろとする。
彼は身体を拭いたタオルを巻きつけたままベッドの隅で丸くなっている。
やがて、「みゃぁぁ」と鳴きはじめる。小刻みに身体を震わせているのに気付いた。
「ルーク?」
私はそっと彼の身体に触れる。触れた瞬間、びくっと身体をわななかせる。
と同時に。
「いてっ!」
がぶり、とまた私の腕に噛みついた。
けれど先ほどより随分弱々しい。噛みつきながら私を見る紅玉も、やはり力がない。
「ルーク…おまえ…」
小刻みに震える彼の身体をぽんぽんと叩く。
「そんなに寒いのか!?」
ルークは私の発言を聞いて、ズッコケた。それと同時に噛んでいた口を離す。
「こいつ、アホか」みたいな顔で私を見ているような…気のせいか。うん。
「うーん、温石を用意してもらうにもこの時間だし悪いなぁ。竜って爬虫類?変温動物って寒さに弱いんだっけか…?」
私はうろ覚え~な前世の理科知識を掘り起こす。
「明日の夜は温石を用意してもらおうか。まぁ、今日はこうやって寝よう」
そう言ってルークの身体を抱きしめる。
恒温動物であるヒト科の私と一緒に寝れば多少は温かいだろう。
毛布を引き寄せて彼にかける。
腕の中で彼はじぃぃ…と一挙一動を見逃さん!とばかりに私を見つめていた。
赤い瞳に私の姿が影のように映っていた。
「おまえの瞳はキレイだな、ルーク。ルビーみたいだ」
ルークは目を見開く。
ほう。こちらの言っていることが分かるみたいだ。不思議。
私は何だか気分が良くなった。
「おまえのつやつやの黒い身体もカッコいいぞ。あの石の名前は…なんだっけな」
兄貴と同じ色。アイサと街にお忍びにいった時に見た石の名前を思い出す。
「そう、オニキスみたいだ。…お前の体は全部宝石でできてるんだな」
あんぐりと口を開けたままこちらを見ている彼の、その白い牙を人差し指でつつく。
「牙は真珠だな」と言いながら。
「おまえがもし、親や仲間に捨てられてあそこにいたんだったら。おまえのいた群れの連中は馬鹿ばかりだな。こんなキレイなおまえを捨てるなんて」
いじめ…ふと前世の『彼』の姉を思い出した。
分厚いメガネの下の、神経質そうな瞳でこちらを見ていた彼女。
――ねえちゃん。ほんと、どこの世界の。どんな生物も。
――バカはどこにでもいるな。
「違うな。これは私の痛みじゃない。…『彼』の痛みまで横取りしたらいけないな」
『彼』の人生の痛みは、『彼』のものだけのはずだから。
私はふっと自嘲気味に呟く。「きゅう」と彼が何故か寂し気に鳴くので、頭をぽんぽんと叩きながら。
「他の皆と違うからってそれが何なんだろうな。『唯一の価値』を分からないバカな奴らめ。…それともキレイなおまえに皆嫉妬したのかな」
――色男はツライな、ルーク。
何を言っているのか、思考が上手くまとまらないのは、既に半分寝ぼけているからなんだろう。
私はそう自覚したと同時に、ルークを抱いたまま意識を手放したのだった。




