~竜が可愛すぎてツライ②~
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ミラはまだ帰って来ない。向こうでとんでもない接待をされているのだろうか。
私とヨハンナムさんは木陰で休み、彼を待つことにした。ずっと立っていたら疲れてしまったのだ。
ドレスが汚れないように、ヨハンナムさんは上着を敷いてくれる。
遠くで飼育員が竜にリンゴを与えていた。
そうか、リンゴ食べるんだな。
何となく微笑ましい気持ちになった。
「ねえ、ヨハンナムさん」
「なんでしょう、姫君」
「竜は大人しい性格なんだよね?どうしてミラとヨハンナムさんが倒すような悪竜がいるのかな?」
ミラは竜を賢く大人しい性格で、人を襲わないと言っていたのに。
「…血生臭い話になりますがね、よろしいですか?」
気持ち良い風が吹いてきて、私はそっと目を閉じる。竜の鳴き声がどこか遠くで聞こえるようだった。
そう言えばミラも前に散歩をした時にそんなことを言っていたな。
『血生臭い』と。
私は「大丈夫だよ」と笑う。ミラも目の前にいる彼も、私をたおやかな令嬢だと思っている節が、ほんの少しだけあるのだろう。
「…竜は、基本雑食です。木の実も果物も動物も食べます。でも人を食べることはしない」
「うん」
「しかし、時々そういう狂った竜が突如現れるのです。人を食らう竜が。異種や突然変異の竜の場合もあるかもしれませんが、大抵は違う。人為的にそうならざるを得ず成った竜です」
「どういうこと?」
ヨハンナムさんは顎を擦りながら「さて。どこから説明しましょうか。難しいですな」と考え込むこと数秒。
「我が国の辺境ではね、おかしな宗教があったのですよ」
「宗教…」
唐突に話が変わって混乱したが。私は彼の言うことを遮らないように努めた。
「左様です。竜妃が王を食らい天に昇る――その伝説が捻じ曲げられ伝わった教えです。
天に昇った王と竜妃は、天の都でそれぞれ1柱の神となりこの国を見守ってくださっている、と」
ひとつの神話が派生し、それぞれ違う受け止め方をされ教えとなり、複数の宗教になる。
それはまぁ、よくあることだろう。
私は頷いて続きを促す。
「そこからね、恐ろしい程に飛躍をするんです。辺境の村では、竜に人を差し出せば、その竜は生贄を食らい神となりて、贄を差し出した村に恩恵と豊穣をもたらしてくれる――と」
「バカな…!」
私は唖然として呟いた。
生贄を…差し出す?
竜に食べさせる…人を!!
「そう、バカな話です。人を食わぬ竜に人を無理に与える。人の味を覚えた竜なぞ後は狂うだけ。悪竜となり同族すら動くものは何でも見境なく食らう。…アイサもね、そうでした。彼女は本来竜の花嫁となるべくしてどこからか引き取られ村で育てられたそうです。我々の到着が遅ければ犠牲になっていたでしょう」
ヨハンナムさんは淡々と語る。でも瞳にはうっすらと怒気が見えた。
「アイサが…」
いつも明るく身の回りの世話をしてくれる彼女に、そんな辛い過去があったなんて。
茫然とした。健気に尽くしてくれる彼女。いつも優しく、時に夢見がちな。
彼女の悲哀を、苦悩を、きっと目の前にいる彼は受け入れ全てを愛したのだろう。
「本当に愚かなものです。強大な力を自分たちの意のままに――神を思い通りにしようなどと考える。人間の底知れぬ欲と業の深さ…悪竜を退治する時にいつも思いますよ。『悪』と呼ばれるのは果たして竜なのか、人なのか」
「ヨハンナムさん…」
彼は拳にぐっと力を込めた。
「ねえ姫君。妖精も同じです。殿下はふたりの守護妖精を操りますが、わたしめなどはね…そんな力、彼が手に入れなければ良かったといつも思うのです」
「どうして…」
「だってそうでしょう?大きすぎる力はいつか持て余す。あの頃の殿下にはなくてはならぬ力だったのかもしれません。あの王宮で生きるために。そう、全てはわたしめの力不足のせいです。殿下を色んな意味でおひとりにしてしまった…」
ヨハンナムさんは頭をうなだれた。
私はそっと彼の手に手を添えた。
「ヨハンナムさん、あなたが何を負い目に思って罪悪感を持っているのかは分からないけど。ミラはきっとそんなことであなたを責めていないよ」
彼は「ええ、そうでしょうとも」と言う。
「殿下はわたしめをお責めになどなりません。責める程、なじる程に最初からわたしめに期待などされておりませんから」
「どうしてそんなこと…」
言うのだろう。
そんなこと、ない、と言いたかったのに。彼は言わせてくれなかった。
「殿下はね、わたしめに失望したのですよ。殿下を通してティルダ様ばかりを見ていたわたしめに。殿下のことを見ようとしなかった。だから彼が、妖精と契約をしなければならぬ事態に気づかなかった。わたしめが気づいた時には、妖精との血の契約で苦しむ殿下の姿がそこにありました」
「ティルダ様…?妖精の血の契約…?」
私は知らない単語が出て困惑した。
ティルダ様というのは人名だろう。きっと女性の。
血の契約とは――ああ、妖精妃の神話に出て来たな。
「ティルダ様は、殿下の母君のことですよ。妖精妃のように美しくたおやかで。無垢な少女のような方でした」
ヨハンナムさんがティルダというミラのお母さんのことを語る口調は、どこか懐かしさと憧憬。思いの外、淡い恋心のようなものを含んでいた。
「ヨハンナムさんはミラのお母さんのことを…?」
「はは、そうじゃないですよ。恋と呼ぶには未熟で幼い気持ちでした。憧れと敬慕と言った感情に近いのでしょうな。誰にでも優しく、疑いの気持ちなど持ち合わせぬ……純粋な方でした」
ミラはお母さんに似ているだろうな、と私は考えていた。
綺麗な女性だったんだろう。想像に難くない。
「そんな彼女がね、王宮のように汚い場所で長く生きることはできませんでした。彼女が亡くなった時、わたしめは彼女に生き写しの殿下を見るのが辛かったのです。殿下が一番傍にいてほしかった時に、わたしめは殿下の傍を離れてしまった。今考えても愚かな話です」
彼は昔を悔いるようにぎゅっと目を瞑り、また訥々と語りだす。
「そうして彼はある日妖精と…おふたりと契約をしたんですよ。あのお二人は、確かに殿下の心を温め、その命を救ってくれたんです。…その当時殿下に必要なものを与えてくださったんです」
妖精の愛情。それがどんな歪なものであっても。
自分を真っすぐ見てくれる存在が欲しかったのか、彼は。
「…その小さな頃のミラに会いたかったな」
できることならば、頭を撫でて抱きしめてあげたかった。
私はぽつりと漏らした。
ヨハンナムさんは片眉をあげて、ちょっと意地悪な顔をする。
「姫君。殿下はね、ああ見えて根はかなりのワガママなお人ですよ。隠していますけどね。もういけません」
「うん?」
「貴女に出会ってからタガが外れたようです。そう…諦めかけたものが思いの外手に入りそうになったから。もう必死です」
「?うーん??」
どういう意味だ?
確かにあいつはワガママプリンスだと思うけど。
「覚悟なされた方がいいですよ。殿下は欲しいと思ったものはどんな犠牲を払ってでも手に入れる。1番欲しいもの以外は全て捨てることができる。そういうことができるお方ですし、そういう風にしか生きられないお方だ」
「なんか…面倒臭そうなやつだな、改めて」
正直な感想はこれだ。
私はつい本音を漏らした。
ヨハンナムさんは私の発言に吹き出す。
「そういう姫君だからこそ。自分にそのまなざしを向けたいのでしょうな。その真っすぐな心根を、わたしめも好ましいと思っていますよ。欲を言えばもっと殿下と早くお会いしていただければよかったと思いましたがね。でもわたしめは、殿下以上に神に感謝をしているのです。――この出会いをね」
私は何だか面はゆくなって俯いてしまった。
まさかミラ本人からではなく、彼からそんな言葉を貰えるとは思ってもいなかったのだから。
ああ、でも。
「私もミラに出会えて良かったと思っている。もうちょっとで帰国しちゃうけどさ、帰国した後も密に連絡を取り合いたいな」
私は邪心なくそう素直に言った。
ところで。
ヨハンナムさんは微妙な面持ちになった。
「帰国ですか…うーん。そう上手くいきますかねぇ…」
「え?なにが?」
「姫君が帰国なされる時は、殿下が全ての段取りを終えてそうですけどねぇ…」
「だから、何の話だ?」
「いいえ。殿下は欲しいものを手に入れるときは徹底しているって話です」
ヨハンナムさんはそう言って話題をきってしまった。
何だか自分に関係のある話のようだし。私はもうちょっと食い掛かろうと口を開きかけた。その時。
「遅くなりましたね、薔薇姫。ヨハンナム」
「ミラ。お帰り」
「ああ、殿下。お疲れ様です」
ミラが帰って来た。
ちょっとくたびれた顔をしている。
私の隣に腰をおろして、ほっと息をついたようだった。
手を伸ばし、彼の頭をそっと撫でる。
ふたりとも座っている姿勢だったので、ちょっと無理な姿勢だったが。何とか彼の頭に手は届いた。
「……薔薇姫、何ですか?」
「いや。ミラはいつも頑張っているなと思って」
「…?」
「小さいときのミラに会いたかったな」
ミラは訳が分からないという顔をしつつも大人しく頭を撫でられている。
「何故か聞いてもいいですか?」
「いや。抱きしめてあげたかったな、と」
「? 良く分かりませんが。今抱きしめてくれれば良いで…」
「はぅ!腕つった!!痛いっ!!」
「……」
ムリな角度で頭を撫でていたのが悪かったらしい。
びーんとつった腕を私は揉みほぐす。
ヨハンナムさんはそよ風に気持ちよさそうにしながら「平和ですねぇ」としみじみしていた。
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帰りの馬車に揺られ、私は疲れてうとうとしていた。
前日あまり寝れていなかったのも堪えているのだろう。我ながら情けない。
ミラは、こっくりこっくりと舟を漕ぎ出す私を見かねたのか。
「薔薇姫、横になったらいかがですか?」
「い、いや…全然眠くないから。ばっちり…起…きているから……」
「…無理がありますよ、それ」
なぜ人は眠い時、他人に指摘されると「眠くない」と意地を張ってしまうのだろう。
不思議だ、うん。
ミラは呆れたように私の頭に優しく手を回し、自分の肩に置いた。
私も意地を張ることをやめて、彼の肩を借りることにした。
昔を思い出した。
「ミラ…ふふっ、兄貴みたい…」
「シオンさん?」
彼の肩が少し揺れるのを感じる。
「そう…よく一緒に寝るときは、こうして肩貸してくれたり…腕枕をしてくれた…」
幼い頃は彼の部屋に毎日のように遊びに行って…遊び疲れたらベッドで一緒に眠った。
懐かしいな…。
「え、それはいつの話ですか…?」
私は彼の問いに答える気力もなく、まどろみ始める。
夢と現の間の空間で。
私はふわふわと大きな流れに身を任せていた。
もう少し深い意識の底へ沈めば、夢が見られるという確信が持てたその時。
――みぁ、みあ、みぁぁ…
鳴き声がした、のだ。
私はバチッと目を覚ました。
ぱっと借りていた肩から顔を離す。
突然の行動にミラとヨハンナムさんは驚いたようだ。
「姫君…?」
「薔薇姫、どうかしましたか?」
「声が…した。鳴き声…」
ミラはきょとんした。
向かいに座っているヨハンナムさんもだ。
「我々には聞こえませんでしたが…」
「え、そう…幻聴か…?」
今日子竜にたくさん触れ合ったせいだろうか。
私がそう思った時。
――みぁ、みぁ、みぁぁ……
まただ!
私の耳に微かに、だけど先ほどよりもはっきりと声が聞こえた。
「馬車を止めて!」
思わず御者にそう叫んでいた。
「薔薇姫!?」
「姫君!」
馬車が止まるや否や、私は飛び降り駆けだしていた。
――声がする方へ。
どうして自分にだけ聞こえたのか分からない。
私は馬車が急停止した横手に広がる森の中を駆けていた。
衝動のまま。心が突き動かされた。そのままに走る。
馬車から随分遠く、森の奥まで走った。
こんな距離で自分にだけ届く声なんてあるわけがない。でも!
何故かこの方角で良い、近づいている。そう確信できたのだ。不思議なことに。
――私はあの時聞こえた。彼の悲痛な叫びを。
――そうして出会った。彼に。
「竜…?」
私は立ち止った。視線の先に、私が聞いた声の主がいたからだ。
さっきまで見ていた子供の竜と同じくらいの竜。
木漏れ日が差す光の中。
全身黒い体躯の小さな竜。紅玉のように赤い瞳でこちらを見ていた。
大きな瞳には涙が溜まっている。今にも溢れ零れ落ちてしまいそう。
必死に助けてと泣いていた。彼に会いたかったのだ。
だから私はこんなにも息巻いて走って来た。
――そう、あなたに。私はあなたに出会いたかったのだ。
その確信に私は笑った。
血と泥で汚れた彼を抱き上げた。
抱き上げた瞬間、私の顔にぼたり、と涙が落ちた。
「おまえ、何を泣いているの」
――それが私とルークの出会いだった。
私と彼。ふたつの運命の歯車が今、嚙み合った。
カチリ、と音を立てて。




