【閑話】~とあるモブの悲劇~
今回かなりふざけた内容の閑話となっています…。
僕の名前はリオン。
サイラス国ドニ伯爵家次男だ。年齢は17歳。
唐突であるが僕は今、とある女性に恋をしている。
あぁ!彼女の顔を頭に浮かべるだけで僕の心は切なさでいっぱいになる。
美しいストロベリーベージュの髪。白い陶器のような滑らかな肌。はしばみ色のくるくると表情が変わる瞳。
まるで1枚の花弁のような赤い唇は瑞々しく僕を誘惑する。
そんな妖精のような女性に僕が出会ったのは、彼女の屋敷で行われたとある舞踏会の場だった。
真紅のドレスをその身にまとい、優雅に微笑む彼女――オリヴィア嬢を見た時。
僕は全身に雷を受けたかのような衝撃に見舞われた。
あなたから受けた愛の雷で僕はすっかりあなたにまいってしまった!
あぁ、オリヴィア嬢!
貴女の名前を叫びたい。そうでもしないと僕のこの熱き想いの行き場がどこにもないのだ。
あぁ、オリヴィア嬢!愛しいあなた!僕のフェアリー!
会いたくて会いたくて震える!
そんな僕を見てあなたはどう思うでしょか。
恋に溺れた愚か者と罵ってくれても構わない、それで貴女の声が聞けるなら――!!
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「……と。そのような趣旨が書かれた手紙でしたわ。おにいさま」
今朝届いた手紙を朗々と読み上げるシルヴィアに対し、彼女の義兄――シオンは机に突っ伏して「うあああ」だとか「ぐぅぅぅ」だとか獣じみた呻き声を上げていた。
「おにいさま?」
突っ伏したままピクリともしなくなってしまった義兄をシルヴィアはツンツンと指で突く。
へんじがない、ただのしかばねのようだ。
やがて息を吹き返したのだろう、ガターンと勢い良く立ち上がった彼だったが、呼吸は未だ荒い。
「愛の雷……?会いたくて会いたくて震える…?」
とブツブツ言っては「うあああ…」と呻くを繰り返し――…しばらくして落ち着いたのだろう。
またドカッと椅子に腰を下ろし、長く長く息を吐いた。
「発作は治まりましたか?おにいさま」
「おまえな…」
満身創痍といった風に彼は背もたれに体を預け、目だけ動かしてシルヴィアを睨んだ。
「毎日のようにリヴィ宛に届く恋文を、何故俺の前で朗読するんだ」
「あら?おにいさまが中身を読まずに全て捨てようとなさるからですわ」
あの舞踏会の後――、オリヴィアには毎日のように恋文や見合い話がどっちゃり山のように届いていた。
それを、この目の前の彼は全て握り潰していた。
「お可哀想だと思いませんか?この手紙を書いた殿方は皆、おねえさまに読んでもらえると思って一生懸命に書いたのです」
「……」
「それをおにいさまは。差出人が殿方だったらすぐに捨ててしまうんですもの。苦しい胸の内をおねえさまに知って貰いたかったでしょうに、ねぇ?だからせめてもの罪滅ぼしですわ。おねえさまが知らない代わりに、私とおにいさまが彼等の切なさを知っていてあげるのです。それが1番の供養になると思いますもの」
「…いや。そいつらもそんな恥ずかしい手紙を他人に読まれたくないんじゃないか?」
「ええと、次は…。ドゥイン様ですわね。あら?お名前を何処かで聞いたことあるような…?」
「オイ」
「タイトル、『乱れ赤髪』」
「聞け!あとタイトルって何だ!手紙じゃないのか!?」
シルヴィアはギャースカ喚く義兄を無視して、これまた感情をたっぷり乗せて次々と手紙を読みあげていったのだった。
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手元の手紙を全て読み終えたあと、シルヴィアは義兄をちらりと見た。
彼は浅い呼吸を繰り返していた。瀕死状態である。
軍の訓練帰りであってもこんな疲労した彼を見たことがない。情けない義兄だ。
「何でこいつらは砂糖に砂糖をまぶしたような甘ったるい言葉を使いやがるんだ…」
顔を手で覆い嘆く。本当に泣き出しそうな勢いで打ちひしがれているのがよく分かった。
シルヴィアはリオンなる男性からの手紙を、ペシペシと指ではたきながら口を尖らせた。
「おにいさまも彼等を見習って下さいませ。少しは甘い言葉を覚えておねえさまを口説いて下さいな。特にこのリオン様は毎日のように手紙を書いていらっしゃるのよ」
「そうだな…俺は毎日それを聞いているんだが」
「毎日おねえさまに会いたくて会いたくて震えていらっしゃるそうですわよ。私も毎回のように朗読していたら、中々キャッチーな言葉だと思うようになりましたから不思議ですわね」
シオンはげんなりして義妹を見た。
「…俺の心には何にも響かないんだが」
シルヴィアは鼻で笑う。
「おにいさまが古い人間だからですわ」
「俺はまだ21だ!」
「感性が古いと言っているんですの」とシルヴィアは手紙をそっと折り畳み便箋に仕舞う。
燃やす前にとりあえず手を合わせる。
「成仏して下さいませ」
「……死んでないだろ」
すかさずツッコミを入れた義兄だったが、いつものキレがない。大分お疲れのようだ。
仕方がない。まだ残っている手紙は明日に回してあげよう。
シルヴィアは大人げなくライバルを蹴散らす義兄に、ちょっとだけ慈悲を見せたのだった。
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――翌日。
「『ああ、私の赤の女王!私はあなたに跪かずにはいられない。そう、私は貴女の恋の虜囚になってしまったのだから』」
「うぉぉぉ……」
「これは昨日に引き続きドゥイン様から届いた手紙ですわ。……聞いてますか?おにいさま」
シオンの室で兄妹はここ最近のお決まりのやりとりを行っていた。
扉の外から漏れたシオンのうめき声を聞いたのだろう。
迷いなくまっすぐ部屋に近づいてくる足音が聞こえたと思ったら、ノックの音と共に声がかかった。
「シオン様、シルヴィア様。いらっしゃいますか?」
またも机に突っ伏して悶絶している様子の義兄を尻目に、シルヴィアは扉を開けて応じる。
そこにいたのは顔なじみのメイド・ルリだった。
「ルリ?どうかしましたの?」
「オリヴィア様にお客様がお見えなんですが…」
「客?」
それに反応したのはシオンだった。
「はい。新人のメイドが受けたようなんですが…。オリヴィア様が不在の旨お伝えしたらしいのですが、どうもお返事をいただくまで動かないとおっしゃってるそうで……玄関ホールでお待ちですの」
「返事?一体何の返事だ?」
ルリは「さあ…」と首を傾げ困っている様子である。
この困りようからして、ただの客というわけでなく、相手の身分が高いのかもしれない。
シオンは眉を顰めた。
何だか不穏な空気だ。
「わかった。義父上も義母上も出掛けているしな。……俺が出よう」
ルリは少しほっとしたような様子で頷き、「お願いします」と頭を下げた。
「あ、待っておにいさま。私も行きますわ!」
シルヴィアも急いで兄の後を追いかけた。
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階段ホールへ続く両開きの扉を開けると、吹き抜けの高い天井に豪華なシャンデリアが出迎えてくれた。
そのシャンデリアの下にぽつんと一人佇んでいる若者がいる。
所在なさげにそわそわしている、小柄な若者だ。従者の姿はない。
シオンは一体誰だろうと訝しみながらも、その若者に声を掛けた。
「遅れて申し訳ありません。オリヴィアに用があるとお聞きしたのですが」
若者はぱっと振り返り、シオンの姿を認めると慌ててペコリと頭を下げた。
着ているものは上等のものだ。
やはり貴族の子息だろうとシオンは踏んだが、この態度だと中々礼儀正しそうな若者だと好感を覚えたその時――
「突然押しかけて申し訳ありません。そ、そうなんです…オ、オリヴィア様にひとめお会いしたくて…お留守とはお伺いしたのですが、お戻りになるまでこちらで待っていたいと思い…」
若者は男にしてはやや高めの声で、上ずりながらもそう訴えた。
新人メイドはオリヴィアが短期留学でしばらく戻らないとは伝えなかったのだろう。目の前の若者は彼女がすぐに帰宅すると勘違いしているようだ。
しかしだ。
――オリヴィア様にひとめお会いしたくて?
シオンは先ほど覚えた彼に対する好感が、瞬時に波にさらわれ行方不明になったのを自覚した。
自分でも刺々しい言い方にならないように慎重に訊ねる。
「オリヴィアに?失礼ですが……?」
「は。申し遅れました。僕はドニ伯爵家次男で、名前はリオンと申しますっ」
「ドニ伯爵家の……リオン……様……?」
どこかで聞いたことがあるような……?
背後で控えていたシルヴィアは「あー!」と声を出しリオンと名乗る若者を指差した。
「おにいさまっ!ほらっ!『会いたくて会いたくて震えて』いらっしゃる方ですわ!」
それを聞いてシオンは目を見開いた。
「なんだと!?あの、『会いたくて会いたくて震えて』いる奴か!おまえが!!」
「ええっ!?なぜそれを…っ!?」
ふたりの驚いた様子以上に少年――リオンの方が驚いた。それはそうだろう。
何せ自分のしたためた愛の言葉が知られているのだ。
しかし――彼はすぐに切り替え、自分の良い方に捉えたようだ。
ぽっと顔を赤らめ人差し指同士をつんつんとさせた。
「も、もしかしてオリヴィア様が僕の手紙を読んで…それで…、そのことを皆さんにご相談していらっしゃるとか…?」
「……」
言えない、とシルヴィアは思った。
姉の目に触れる前に、この目の前の義兄が全てを燃やし尽くしている、などとは。
この純情そうな少年には言えるはずもない。
義兄の横顔を盗み見る。表情が伺えない、が。
ふいに彼はカツカツと軍靴の音を大理石の床に響かせながらリオンに歩み寄る。
彼の肩をぽんと軽く叩き――
「……? いっ!?痛い、痛いです!」
…――肩をぎゅうっと絞るように掴んだ。
「ここで会ったが百年目……」
「ええっ?まともにお話ししたの今日が初めてですよ!?」
リオンは目の前の彼が発する不穏な空気に驚いて、思わず反射的にそう言い返していた。
「おにいさま!?」
地の底を這うような彼の低い声に、シルヴィアもまた思わず義兄にしがみついた。
しかも彼は腰の剣に手を掛けたのだ。
シオンはゆらり、と身体を柳のように揺らす。
その流れる動作の中ですらりと剣を抜いた。シャンデリアの光がその美しい刀身をギラギラと光らせた。
リオンは何が何だか分からないといった風に後ずさる。
気の毒な位顔が真っ青だ。
「いいや俺はお前に毎朝会っている……おまえの…『フェアリー』だの『僕の甘い果実』だのと甘ったるい言葉を延々聞かされ続け…俺の中の何かが毎日少しずつ摩耗しすり減っている……っ!!しかもリヴィへの手紙を書くときに、俺もつられて砂糖菓子のような甘ったるい言葉を無意識に……ッ!!まるで洗脳だ!!」
「それ一体なんのことですか!?僕の所為じゃないでしょう!?」
ゆっくりシオンはリオンに近づく。シルヴィアを引きずりながら。
シルヴィアは引きずられながら「この手紙の読み聞かせ行為は朴念仁の義兄に多少効果があったのだな」と冷静に分析した。
やがて玄関扉までリオンを追いつめた義兄は、ガンと扉を足で蹴るようにして彼を閉じ込めた。リオンは身動きができないまま、あんぐりとシオンの一挙一動を見守るしかできない状態だ。
哀れなことに彼は歯の根も合わない程ガチガチと震えている。
シオンは剣の刀身でペチペチと彼の白い頬を叩いた。
「いいか?リヴィを嫁にしたければ、まず俺を倒してからにしろ」
刀身以上にギラギラした――触れるものを全て切り裂いてしまうような恐ろしい目をしている義兄に、少年はこくこくと頷くことしか許されない。
「否」の動作をしたらば最後、どんな地獄を見るか分からない。
そんな本気の殺気を彼は感じていたのだ。
シオンは震えてぺたりと座り込んでしまったリオンの襟首をむんずと掴む。
そのままぽーいっと庭に放り投げ締め出してしまった。
シルヴィアは、パンパンと手を叩き埃を落とすような仕草をしている義兄を見て、呆れつつもそっと人知れず息をついた。
半分――いやそれ以上かもしれない。
ともかく自分の責任も多分にあるだろうと思ったので、彼女は外で未だ震えているだろう少年にそっと心の中で詫びたのだった。
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――そのまた翌日。
「シオン様、こちらを」
朝食の席でメイドのルリがシオンに今朝届いた手紙を見せた。
両手では持ちきれない量なので、バスケットに入れてあるものをそのまま手渡す。
「また…こんなにたくさん。なかなか減らないな」
シオンは萎えた様子で差出人の名前を一通一通確認する。見事に全て男からばかりだった。
宛名はもちろん、オリヴィアだ。
シルヴィアは紅茶を飲みながら、少々呆れたように義兄を眺めた。
「リオン様ひとり減ったところで、ですわ。おにいさま」
「そうだな…まぁ、時期に飽きるだろう」
「どうでしょうか…」
そんな会話の中で、家令のひとりがシオンにそっと耳打ちをした。
「は?こんな朝っぱらから客?しかもリヴィに?」
「はい…なんでも『恋の虜囚』だとか。そんな風に名乗っている方でございます」
義兄はあからさまに嫌そうな顔をして、「シルヴィー」と自分の名前を呼んだ。
意図を察したシルヴィアはこくんと頷き、記憶をさらった。
「その例えを手紙でされていた方はドゥイン様かしら?調べてみましたら王宮のサロンでは結構有名な詩人だそうですの。他国でも詩集が飛ぶように売れている方なんですって。道理でお名前を聞いたことがあると思いましたわ」
両親は才能ある芸術家との交流を好んでするところがある。
ドゥインと呼ばれる詩人の彼も舞踏会に呼ばれたのだろう。
シオンは頭を抱え、「これはまた…俺の苦手な人種だ…」と呻く。
「おにいさま。ご自身の恋を守りたいなら戦わなければ。――皆、そうしてらっしゃいますもの」
シルヴィアは忍び笑いを漏らしながら義兄を鼓舞しようと努める。
義兄はやがて苦い顔をしてに立ち上がり、渋々玄関ホールへ向かう。
その背を見送りながら、やはりまたシルヴィアはくすくすと笑うのだった。
「おにいさまも立派な『恋の虜囚』ですわよねぇ?」
いつも『彼女』が座っている席――今はその主がいない空の席に向かいながら、シルヴィアは話しかける。
――さて。彼の想いが『女王様』に届くのは一体いつのことになるかしら?と。
時系列的には「【閑話】~とある彼のひとりごと~」より前に起こった話です。
オリヴィアが旅立ってすぐ起きた出来事になります。
義兄は某国王子兄弟のクサさを知らない…




