~風邪をひいてツライ~
むかしむかし、まだこの国が竜の国と精霊の国とに分かれていた時代。
ある竜の国に、とても正直な若者がおりました。
若者は大層美しい容貌をしており、村の娘は皆、若者に夢中でした。
2つの国の小さな諍いはあれど、辺境のこの村にまで戦火が及ぶことはなく、豊かな故郷での生活に若者は何の不満も抱かないまま、のんびりと日々を暮らしておりました。
そんなある日――、若者は狩りの帰りに、ある幼生の竜を拾います。
手負いだったので家に連れ帰り、ケガの手当てを施し、元気になるまでそれはよく面倒を見てあげました。
竜の傷がすっかり治ったところで、野生に戻してあげようと若者は竜を拾った場所まで連れて行きます。
野に放し、己が野生の赴くまま好きに生きよ――と、竜を手放そうとしましたが、竜は若者の傍を離れたがりません。何度その場に置いて立ち去ろうとしても、若者の後を追ってきてしまいます。
困り果てた若者は竜に聞きました。
「おまえは私と一緒に来たいのか?」
竜は頷きました。
「わたくしを、あなたの御傍に置いてくださいませ。わたくしはあなたにこの一生を懸けて御恩を返したく思います。見返りは何もいりません。……ただ御傍に」
そう言って竜は、若者が今まで見たことがないような、それはそれは目が覚めるような美しい娘の姿になりました。
若者はとても驚きましたが、やがてその美しい竜の娘を妻にとり、ふたりは幸せに暮らしました。
『シャダーン国ものがたり 竜妃の伝説』より抜粋
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「ふうーん。なるほど…この若者っていうのがシャダーン国の初代国王様ってことか…」
「そうですね、これが国民の間で親しまれている一般的な建国史――建国神話になります」
どこの国の神話・昔話も、どこかで聞いたことがあるような内容なのはお約束だな。
私はミラがこの王宮図書館で借りたという神話の本をパラパラとめくる。
「この建国神話の感じだと、初代国王様の最初の奥さんは竜妃なんだね」
ヨハンナムさんから前にちらっと聞いた話だと、妖精の妃も娶っている――妖精妃は2番目に迎えられる妻なのだろう。
ミラは私の手から臙脂色の本をそっと取り返すと、パタンと閉じてしまった。
「あまり字を追って目を酷使してはいけませんよ。熱が上がってしまいます」
「ミラ、おかんみたい」
彼は私のおでこに手を当てる。
手を当てながら、「なぜ性別まで超えるんですか」とツッコミを入れるのを忘れない。
「まだダルイですか?」
「うーん、そうだね…」
私は大人しくミラに熱を測られていた。
やがて彼の手は額から頬に降り、首筋を撫で、鎖骨に沿って指を滑らせた。
長い指が惜しむように私の肩に触れて、離れる。
「オイ」
「なんですか?」
「なんですか?じゃない。なんだ今の流れるようなセクハラは。見事すぎて手を払う暇がなかったぞ」
「熱を測っていただけです。やはり高いですね…」
彼はしれっとして、寝台の傍に置いてある簡易椅子に腰を下ろした。
こ、こいつ。
友人という立場を悪用してセクハラを忘れないところは、やはりクソタラシな性質が天性のものである証拠だろう。
こいつのセクハラに慣れたとはいえ、私は少々呆れてしまう。
慣れるのもどうかと思うけど。
ベッドの中で背伸びをしつつ、丸い天蓋を見つめる。
金の天蓋は明かりを反射し目がチカチカする。
「それにしてもなぁ。体調崩すなんてここ数年滅多になかったのに」
私は布団をかけなおしつつ、嘆息した。
こちらの国に来て2週間が過ぎようとしていた頃。
――そう。熱を出してしまった、のだった。
「慣れない国での生活ですからね。疲れが出たのでしょうか」
ミラは心配そうな顔をして私の顔を覗き込む。
「う、うーん。だろうね…」
微妙に視線を外す。
そうだな。『慣れない国での生活で疲れが』な。
ここに注釈もとい正しい文章に置き換えるとすれば。
『慣れない国での(労働)生活で疲れが』って感じ?
たった2時間とはいえ酒場でアルバイトをしたりと、2重生活での体力面・精神面にて疲れが一気に出たのだと思う。
勿論、目の前にいる彼にそんな話はできませんが。
とりあえずバイト先にはアイサに体調不良故に休む旨の言伝は頼んだ。
しかしもう3日も仕事を休んでいる。
共犯者であるアイサにも、忙しいお店の人達にも申し訳ない。
一刻も早く元気にならねば。
椅子に座って本をパラパラとめくる友人が、その長いおみ足を組み直す。
ハイハイ今日も今日とてイケメンデスネー
一挙一動全てがお美しいですわ。ほんと。
「ミラ、わざわざ本ありがとう。重かったんじゃない?」
しかもその美声での自動読み上げ機能付きとは。
病人とはいえ至れり尽くせりでした。
「いえ。それにこの本はどちらにしろ俺が借りていた本なので」
「ふうん」
建国記をわざわざ借りるなんて、愛国心溢るる勇者兼王子様ですなぁ。
やっぱりミラって王子なんだな、なんてなんとなく微笑ましい気持ちになりながら、ポスンと枕に頭を預けた。
ごろり、と寝転がりながらうつ伏せになる。
「ミラ、そういえば公務は?」
「今日は時間がありますから」
彼は控えめに言ってまた傍らで本を読み始めた。
いやいや。何居座ろうとしてるんだ。
「ダメだよミラ。もしたちの悪い風邪だったら…」
高貴なる王子サマにうつすわけにはいくまいよ。
「俺に構わず。薔薇姫は休んでください」
「ミラ…」
身を起こそうとする私を彼はベッドに押し留める。
うーん。
彼の身を心配している体の訴えでは聞き入れてもらえないのか。
というか王子様自ら看病されるなぞ前代未聞じゃないだろうか。いくら今ヒマといえど。
私は作戦を少し変えることにした。
「ミラ」
「はい」
彼は私の肩を未だ抑えたまま見下ろすようにして返事をした。
「えーとね、私、恥ずかしいな。寝てるとこ見られるの」
一応私だって貴族の令嬢なのですよ。お年頃の。
「? 一緒に寝たことあるじゃないですか」
「ご、誤解を招くような言い方はやめろ。あの時は酔っていたの!だからいいんだっ」
彼が言っているのはシャダーンへの道中一泊した宿の件だろう。
あれは仕方がない。不可抗力である。
「と、とにかく。髪もボサボサで汗臭いし。これ以上みっともないところを見られるのもイヤだし。ましてはミラが見ていたら緊張して眠れないの!」
まぁこれも。
宿で起き抜けそのままの恰好で朝ごはん取りに出歩いたり、しばらくそのままで過ごしていただろうが、と言われたらそれまでなんですが。
ミラは私のなけなしの恥じらいを感じ取ったのか(そんなものありませんが)、「わかりました」と引き下がってくれた。別れの挨拶とばかりにぎゅっと私を抱きしめつつ。
「こんな時くらい傍にいて差し上げたいところですが。何か欲しいものがあったら何でも言ってください」
「ん。大丈夫だよ……ちょっと退屈だけど。仕方ないし」
私の身体が熱を持って熱いせいか。ハグをされている彼の身体が冷たく感じて気持ちいい。
つい、彼の背中に手を回してしまった。より密着する様に力を込める。
ほぅ、と熱い吐息が自然と漏れてしまう。
冷やっこ~い……
そうして彼の冷たい身体を堪能する。
彼の肌に自分の熱を移すようにしてへばりつけば、彼と自分の体温が混ざり合った感覚に陥る。
あー……だんだんぬるくなってきてしまった…。
氷のうの氷が解けてぬるま湯になってしまったような残念な感じだ。
私は手前勝手な感想を抱きつつも、「まだ冷たい箇所があるんじゃね?」と無意識にまさぐりつつ彼の背中の上に手を滑らせる。
「……っ、薔薇姫?」
はっ!!
私は慌ててばっと腕を離した。さーっと血の気が引いた。我に返る。
うわあああ!
布団を頭から引っ被る。恥ずかしくて顔が見られないっ!
いくら熱に浮かれているとはいえ、こんな行動はまるで痴女だ!
これじゃあミラのことをセクハラ野郎と言えないっ!
「ごごごごめん。ミラの身体冷たくて気持ちよくて、つい…っ!」
ミラは布団の上に手を軽く置いたようだ。ベッドが少し沈む。
片膝を立て傍らにしゃがむ気配がした。
「やはり出て行った方が良いですね。こんなしどけない状態の貴女の傍にいたら俺も危ない」
思ったより近くで聞こえる彼の声に動揺した。
「うう……ごめん。もう襲わないから」
私はもぞもぞと布団から顔だけを出し謝罪をした。
恥ずかしい。穴があったら入りたい。
ミラはちょっと困った顔で笑いながら「逆ですよ」と言う。
何が逆なんだ…?
彼はベッドの上に広がる私の髪を撫でた。
「体調が良くなったら。薔薇姫が行きたがっていた竜を一緒に見に行きましょう。時間を取りますから」
「うん、行きたい……早く治す…」
「ああ、その前に。精霊祭もありますね」
「精霊祭?」
「お祭りですよ。初代国王の妖精妃を祀る神事です。街がいつも以上に賑やかになりますから。こちらも折角なので見学しましょう」
お祭りかぁ。
「いいな。楽しそう」
「では早く元気にならなければ」
そう言いながら彼は立ち上がり、「起きて退屈になったらアイサに読んでもらってください」と本をナイトテーブルに置いてくれた。
「ありがとう」
「お大事に」という言葉と共に、静かにドアが閉められた。
彼の気配が遠ざかるのを確認してから、私はそっと目を閉じた。
******
――……リヴィア、オリヴィア…
あぁ、懐かしい声がする。
ノイズ混じりで良く聞こえないけど。
懐かしい、という感覚が魂にまで染み付いている…そんな声。
でも誰の声だった?
思い出せない。
――あなたを見ている。あなたの魂の輝きを、ずっと。……私にはそれができるから。
私を?
――そう。ほんとバカな子ほど可愛いとはよく言ったものね。
あなたは、だれ?
――いつでもかわいいあなた。どんな時が経っても。どんな姿になっても……。
――そう、あなたは私の……
ぶつり、とそこでノイズ混じりの声が途切れた。
シャボン玉が弾けるように、私の目はぱちっと覚めた。
ゆっくりと瞬きをする。
金色の天蓋付きベッドの天井に映る自分と目が合う。
そんな自分を見つめながら気だるげに身を起こす。
うーん。最近変な夢ばかり見るなぁ。
窓辺から差し込む光は既に朝日ではない。
一瞬の間に夢を見た、そう思っていたのに数時間は寝ていたらしい。
もう一寝入りしようか、とふと首を動かす。…と。
自分の寝ていたすぐ隣の布団が異様に盛り上がっていた。
「んんん?」
なんだこれ?
不思議に思い、私は布団をめくる。
ガバッ!
……。
そこに飛び込んできたのは。
ボンッ キュッ ボンッ のワガママボディ✖️2
その美術絵画のような完璧な肢体を無防備に晒して寝息を立てているフェアリーさん達がおりました。
「ギュリさん、アミンさん…」
なにゆえここに…
布団をめくられたせいで目を覚ましたのだろう。
ギュリさんとアミンさんはむくりと起き上がる。
目をこすりながら「ふあぁぁ」と大きなあくびをされてらっしゃる。
「む、ちんくしゃも起きたのか」
「おはようござます…ギュリさん、アミンさん」
「うむ」
「あのですね、御二方。なにゆえ私……そのペットの寝床にいらっしゃるのでしょうか……」
「あらぁ、ペットが熱を出したと言うから顔を見に来てあげたのよぉ〜?」
アミンさんは乱れた銀髪を手櫛で整えつつ言った。
「妾達はペット思いの主人ゆえ。どうだ嬉しかろう?」
「ああ、はい。ありがとうございます…」
結構自由に出歩いてるよな、このおふたり。
ミラの守護妖精のわりにはそばを離れている時間も多いような。
本当に気ままな妖精さん達である。
「時にちんくしゃ」
「はい?」
ギュリさんに呼ばれた私は彼女の方を見た。
ところが。視線が合わない。
ギュリさんは私ではなく、私の背後をじいーっと見ていた。
「お主、姉か妹がおるか?」
「? いますけど。妹が」
今更何を聞くのだろう。
というか初めてお会いしたその場に兄貴もシルヴィアちゃんも同席していたかと思うのデスガ。
あ、覚えてらっしゃいませんかね。そんな些末な事。すいません。
アミンさんも「ふうん?」と面白そうな顔をして私の背後を見ている。
「?」
私は振り返る……特に何もない。壁だ。
「その妹は死んでおるのか?」
「は?いやいや、元気ですよ!」
つい昨日も手紙が届いたばかりである。
何を縁起でもないことをおっしゃるやらですよ、このお方は。
ギュリさんは「ほぅ」とアミンさんの顔を見る。
「やはり巡りを許されぬ魂ですわねぇ?」
「最初からちんくしゃについていたようだがの。最近になって気配が濃くなってきておる。さて……かくりよの民から助力を得たのじゃろうな」
ふたりはお互い示し合わせたかのように頷き合う。
「なかなかに業が深いわぁ。ヒトの魂が輪廻の輪から外されるとはねぇ」
アミンさんは神妙な顔で、やはり私の背後を見やる。
「巡りを許されぬとは……妾たちも似たようなものじゃがのぅ?」
彼女達は勝手に話を進めて勝手に納得されている。
どうやら私のことを話しているらしいのだが、当の私は訳が分からない。
「あのぅ、一体何の話ですか?」
「まあ、妾たちのペットに悪さしなければ何でも良いかの」
「そうですわね」
「……」
聞いていらっしゃらない。
彼女達はこの、よく分からない話題にはもう飽きたようで。
というよりも『ペットに添い寝』という行為にも飽きてしまわれたようで。
茫然とする私をベッドに残し、「我が君の御傍に行きたくなりましたわぁ~」「む。妾もいくぞ」と二人してきゃっきゃっと部屋を出ていかれました。
いやぁ……?
ほんと。
自由人デスネ。フェアリーさんたちは。
残された私は特にやることもないので、二度寝を決め込みました。
マイペースでお美しいご主人様ふたりの相手をしていたら、ペットたる私の熱はまた上がったような気がしましたが。ええ。まあいいんですけどね。
もう一度寝て、次に起きた時にはアイサに本でも読んでもらおう。
そう思いながらウトウトと私はまた目を閉じた。




