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令嬢は生きるのがツライ  作者: 今谷香菜
~シャダーン国編Ⅰ ふたりの王子~
27/85

~妖精に嫌われるのはツライ?~

1/25ちょっと加筆修正しました

***


こちらの国に来て、早1週間が経った。


最近の私の1日はといえば。


AM5:00「起床」

AM5:30~6:00「ミラと朝の散歩、そのまま朝食へ」

AM7:00~「ミラ公務へ。見送る」

AM7:00~12:00「自由時間:主に筋トレ」

正午「昼食」

PM1:00~6:00「自由時間:主に筋トレ、お昼寝少々」

PM6:30~「夕食」

PM7:00~9:00「自由時間:主に仮眠」

PM9:00~「バイトへ出かける為の準備」

PM9:50~AM0:00「バイト」←今ここなう

AM1:00「入浴」

AM:2:00~「睡眠」

☆ミラは公務の合間を縫ってちょいちょい遊びに来るよ!☆


****


………。


あれ?私、ここに来てから筋トレと食事とバイトしかしてなくね?


どこの貧乏男子学生ですかって話ですよね。いや、女子ですけど。


というかですねぇ。この国に出稼ぎに来たわけではないのだけれども。


「ルリちゃーん、2番テーブルのお客さんにオーダー!」


私は呼ばれて現実世界に意識を戻した。

いかんいかん、今は仕事中だ。


「はあーい!」


「この国に何しに来たんだっけ?」というそもそもの目的が思い出せず一瞬意識が遠のきましたが。


私は2番テーブルなる客の元へオーダーを取りに向かう。


2番テーブルの客………


「アウル……さん」


「こんばんは。ルリちゃん」


柔らかい笑みをたたえながら、ひらひらと手を振る優男風の男が、そこにはいた。

彼はバイト初日に出会ってから毎日のようにこの店に来ている。

どんだけ家に居づらいんじゃ!といい加減ツッコミたくなる。


「呼び捨てで構わないよ。その方が親しい感じがしていいな」


「呼び捨てだろうと『さん付け』だろうと。偽名で呼んでいる時点で親しみやすさは限りなくゼロに近いと思いますけどね…」


「あれ?もう私の本当の名前、知りたくなっちゃった?」


「いいえぇ~?全然」


何といっても「対価」がでかすぎる。

それで得られる「対価」もこう言ったらなんだけど、しょぼい。

ここまで来たら「聞いてほしい」と言われても迷うレベルだ。


「そう、残念」


アウルはちっとも残念そうな素振りを見せないままふっと笑った。


この、どんな悪態をついてもスポンジのように吸収して受け止めてくれるだろうな、という安心感。

包容力ってやつかぁ~そうかもなぁ。そうともいえるよなぁ。


やはりおモテになる男性は違いますね。


女性にモテる男性というのは得てしてそれなりの理由があるんでしょうね。


私も彼のそんなところに甘えてつい、お客さんに関わらず軽口を叩いてしまうのだけれども。


なんてつらつら考えていたら、アウルがこちらをじっと見ていた。


「ルリちゃん?」


「…すいません、ご注文は?」


「林檎酒を貰おうかな」


「かしこまりました。少々お待ちください」


****


「私はもっとルリちゃんのことが知りたいな」


林檎酒をアウルに運んだ……ついでにまた彼の世間話につかまりそうになる。

これも毎度のことだ。


「アウル。私は仕事中ですから。困ります」


「うーん?敬語もやめようか。私と君の仲じゃないか」


「……」


聞いてない。

正直最初に出会った時から敬語が時々混じる程度の素で喋っていたので、その提案はありがたいのですが。


「そうだねぇ…まずは出身国はどこになるんだい?シャダーンじゃないよね?」


「……出身はサイラスだよ。アウル、悪いけど。他のお客さんの接客もしなくちゃ。私もう行くね」


私はちょっと申し訳ないな思いつつも彼に踵を返し、お客へ運ぶ料理を取りに行く為に厨房へ向かった。


それからは目まぐるしい位に忙しくて。


結局アウルに構っているヒマもなく、本日のバイトは終了しましたとさ。



***


ふぁ~!疲れたぁー


今日も働きましたなぁ。2時間だけだけど。

前世は8時間立ち作業も平気だったんだけどなぁ。


「ルリちゃん、今日もお疲れさまね」


そう労って女将さんは私に本日分の給料袋を渡す。


「ありがとうございます!」


ほっこりした。

振り込み…なんてのは今世にないけど。

やっぱり現金で貰うと働いた実感があって良いよね。


女将さんは手を頬に当て、少し考えた後、言った。


「そういえばルリちゃん、どうして髪を黒く染めてしまったんだい?」


「あ、えーと」


「面接の時の……あの見事なストロベリーベージュ。とてもキレイだったのに勿体ないと思っててね」


「イ、イメチェンです」


面接の時は何も考えていなかったが。

私が私の姿のままここで働いて、もし王宮で『オリヴィア・アーレン』を見たことがある人が、この酒場に来店したらひっじょーにまずい事態になるわけでして。

門番の彼らが言うには、自分は結構な有名人になっているそうだから。知らなかったけど。


女将さんは何ら含む様子もなく「そう、まぁ黒髪も似合っていてカワイイからいいんだけどね」と言った。


私が一礼してその場を後にしようとしたところで、女将さんは「あ、そうそう」と私を呼び止めた。


「あの、赤銅色の髪のお客さんなんだけどね…」


「はい?」


アウルのことだ。


「あのお客さん、ルリちゃんのことが気に入っているみたいだから。世間話、ちょっと付き合ってあげてくれないかい?」


「え。でも…」


「お店のことは気にしなくていいから。……とても良い家柄のご子息みたいでね。今後うちからお酒やら料理やら発注してくれるって言うんだよ。その、お貴族様のパーティとかそういった催しで、うちを使ってくれるっていうんだ」


「お、おおう…」


この自分の持てる権力を全力行使してくる感じ。

これまたどっかの悪徳腹黒勇者兼王子兼友人を彷彿とさせるぜぃ。


女将さんは申し訳なさそうな顔をしている。


「ごめんよ。せっかく楽しそうに働いているのに。ルリちゃんの無理のない範囲で付き合ってあげれば良いから」


「わ、わかりました……」


こう言う他ない。


自分の及びもしないところから外堀がどんどん埋められる感――なんというデジャヴか。


***


女将さんとの話が終わった後、私は従業員出口からひっそりと出た。


前方及び左右確認、よし。


店の灯りはまだついている。

お客の声もする。そう、お店はまだまだ閉店しないのだ。


そろそろと路上裏から大通りへ出ようと試みる。

その時も前方及び左右の確認を怠ることはしない。


――まだ彼は店にいるのだろうか?


女将さんに圧力をかけてくるあたり、私のシフトとか把握されている気がするんだが…。


私が仕事を上がる時には彼はまだ店内にいたはずだ。

きっと私が着替えている間に女将さんと話を付けたんだろうな。


若い女性店員がいないからって、なにも私に目をつけなくてもいいと思うんだけどな〜。

肉ばっかり食べてたら魚が食べたくなった、みたいな?

多分モテ男子の考えることだ。そんな感覚なんだろうな。


さて。このまま彼がお店を出て帰宅する姿を見届けてから、自分も帰った方が良いような…?


ここ最近はこの従業員出入り口からひっそり帰っているので彼と鉢合わせになることはなかったのだが。果たして…?


路地裏の角に設置されていたごみ箱から顔を出し、大通りの様子を伺う私にふと声がかかった。


「何をしているの?」


「いや、奴をやり過ごそうと思って…」


彼をどうやり過ごそうか。それともこのままダッシュで帰れば問題ない?

そんなことで頭がいっぱいになっていて、私は背後から聞こえた声に何も考えず応えていた。


「奴?奴って誰のことだい?」


「えーと。すごい女泣かせな…赤銅色の…猛禽類…もとい送り狼…」


くそ、こいつが話しかけてくるせいで考えがまとまらないな。


ん?『こいつ』……??


『こいつ』って誰だ…?


私はギチギチと機械が軋むような音を立てつつ、首だけで背後を振り返った。


ふくろうのような金緑の瞳がこちらを面白そうに見下ろしていた。


「ひぃっ!アウル!!」


「お疲れさま、ルリちゃん。ここが従業員出入り口なんだねぇ。どうりで最近鉢合わせにならなかったわけだ」


ええ。鉢合わせないように細心の注意を払っていたのもありますけどね。


しかしやばいな、明日からここで出待ちされそうなら勢いだ。


彼は従業員出入り口を発見できたので上機嫌なご様子。


「さて。帰ろっか?送ってくよ、ルリちゃん」


「けけけ結構ですっ!」


「いいからいいから。私と帰る方向一緒みたいだし。危ないから送っていくよ」


1番危なさそうなのは、あなた様と帰ることだと思うんです。


「あ、えーとぉ?私お店に忘れ物してしまったので…」


先帰ってて下さい…そう言おうとした言葉を彼が引き取る。


「そ?じゃあ取っておいで。…待ってるから」


「……」


私はすごすごと従業員出入り口へ戻り店内に入った。

勿論、忘れ物なんてない。


パタン、と扉を閉めて……


「ふっ…」


私は不敵に笑う。


かかったな!バカめ!


そのまま店のホールに出て、一目散に店の――客用出入り口に向かう。


ガララーッ


意気揚々と店の引き戸を開ける。


そこには。


「忘れ物、見つかった?」


「アウル……なぜここに」


「ん?」と小首をかしげニコニコしているアウルが立っていた。


あああっ!その仕草も!


どっかの寂しがり屋金髪を思い出す。


しかし従業員出口に待たせていたはずなのに。

超スピードで回り込んできたのか。


「私、最近になってやっと君の行動が読めるようになってきたんだよ」


アウルは上機嫌に胸を張って答えた。


「…そっすか流石ですね」


「帰ろっか。ねえ君?」


「……ハイ」



*****


私は初日のように彼と帰り道を共にした。


ちらちらと脇の細道を気にする様子の私に、半歩前を進むアウルは振り返って笑う。


「逃げようとしてもダメだよ、ルリちゃん。初日は油断しちゃったけど、私も一応身体は鍛えているからね。今度は追いつけるよ」


私は歯噛みした。

やはりモテ男には喪女の考えていることなぞお見通しなのか。

どのタイミングで路地へ入ろうか算段していたところだったのだ。

確かに先ほど店の入り口へ先回りされてしまったことを思えば。

きっと今度こそ逃げきれないだろうな。


「いやぁ。私体力には自信あるんだよ?よく激しい運動で身体を鍛えているからね。持続力とか抜群だから。良かったら今度試してみる?」


「持続力ってなんの。てか何を試すんだ」


そこは『持久力』だろ。


私は半眼になってツッコミを入れた。


こいつが言うとどんな単語でも全てがいかがわしく聞こえるな。

歩く猥褻物わいせつぶつである。


こんなペラッペラのかっるーいモテ男の思い通りに事が進んでいるのが面白くないのだが。


ブー垂れつつ大人しく彼の後をついていく。


頭上では夜の闇ですっかり色彩を失った布織物がはためいていた。


私の周りは相変わらず、小妖精がまとわりついて飛んでいる。ちかちかと眩しい。

前に遭遇した小人のような姿を取っている妖精も中にはいた。

羽から出る鱗粉がチラチラと輝きを放ちながら降って来る。


ミラから借りた銀のネックレスのお陰か、ある一定の距離以上は近づいて来なかったが。


パタパタという音を聞きながら、果たしてこれは頭上の布織物のはためく音か。妖精の羽ばたきの音か。


アウルと一定の距離を保ちつつ広くて薄い背中をぼんやりと見る。


何もかも考えるのも億劫だな、そう思っていたのだが。


あれ?


ふと疑問に思った。


「アウルの周りには妖精がいない…?」


うっとおしい位にベタベタと飛んでいる妖精が彼の周囲にはいなかった。

うるさげに頭上の妖精を払う――街道ですれ違う人がよくする仕草。それも彼がしているところを見たことがない。


彼は私の発言に、ぴくりと肩を揺らしたようだ。

私は見逃さなかった。


思わず彼に駆け寄って顔を覗き込む。


「ねえどうして?アウルの周りには妖精の気配がないんだけど。あ、もしかして私と一緒で妖精除けをしているとか!?」


それにしてもだ。

私は妖精除けをしていても群がってはくるんだけど。

アウルには全然近寄ってくる気配もない。


彼はちょっと息をついて、私をか細く見つめた。

金緑の瞳にははっきりと動揺の色が見られた。


「あ、ごめん。もしかして聞かれたくなかったことかな?」


彼はゆっくり首を横に振る。


「いいや…、隠していても仕方がないことだしね。……隠すつもりもなかったんだけどね」


彼はふぅとため息交じりに笑った。


「アウル…?」


「私にはね、妖精が見えないんだ」


「え?」


「彼らは人に忘れられると姿を保てない性があるのは知っているよね?彼らが見えない、気配を感じることもできない私のような人間は、彼らにとって毒にも薬にもならぬ、いないも同然の存在なんだよ。私も妖精も。お互いが空気なんだ」


立ち止まった彼はそっと地面に視線を落とす。

彼の顔を見る私と目を合わせようとしなかった。


「ちょっと前までは。彼らの姿が見えない私を逆に面白がり、ちょっかいを出してくる妖精もいたんだけどね。やがて興味を失ったのだろう。私ではなく今では弟にべったりとしているそうだよ。まぁ元々弟の妖精だったんだけどね」


「弟さんには妖精が見えるんだ?」


彼は「ははは」と自嘲気味に笑った。乾いた笑いだった。


「弟だけでなく!この国の民ならば、妖精の姿が見れて当たり前なんだ。他国から来た君でさえも。それなのに私ときたら…!」


こんな感情的な彼を見るのは初めてだ。

私はちょっと戸惑う。


「私は外国人だからこの国のことは詳しくないけど。妖精が見れないからって何かマズイの?」


私の故郷・サイラスなんかは妖精なんてものは身近な存在じゃない。

いてもいなくても変わらない。ルドゥーダ一神教の我が国では良くも悪くも妖精というのは重きを置いていない存在だ。


アウルは少し、本当に少しだけ怒ったように私を見た。

無神経な発言だったのだろうか。

申し訳ないと思うが、無知だから、彼がどうして怒っているのかさえも分からない。


「私の家はね、この国では結構な家柄なんだ。私はその家を継ぐ長子なんだよ」


「うん…アウルがいいとこのお坊ちゃんだっていうのは知っているよ」


「そう…そんな私が妖精に愛されるどころか、見放されている。竜と精霊の恩恵を受けたこの国の民を導かなければいけない存在であるこの私が。あろうことかその妖精の恩恵を授かっていない。ねえ、そんな半端者――いいや異端といってもいい。そんな統治者で民は納得ができるかな?名門の家にとっては私みたいな存在は結構な醜聞なんだよ」


私は彼の嘆きを耳にしても「なるほどな」という感想しか持たなかった。

国が違えば事情が違うのだな、という誠に他人事な感想だ。


「私は本当は父の子ではない、母の不義の子だと事情を知る口さがない者は言う。不義の子だから妖精に嫌われるのだと。妖精に愛されこの国の恩恵を、豊かさをその身に体現している弟こそに跡を継がせよ、という者もいる。まあ私は王…位……いや、家の相続権なんてどうでもいいと思っているんだけどね。ただ幼い頃は、自分は周りと違うとずっと悩んでいた」


「悩んでいた」なんて過去形で言っているが現実問題、彼はまだその幼心についた傷が癒えていない。

癒えないどころか、大人になって周りと自分の置かれている状況を理解して、さらにまた傷を深くしているようにも思えた。

生まれながらの彼の性質を、20数年経った今でも受け入れ切れていない。

大層なコンプレックスだ。


私は地面に視線を落とし、すっかりしょげている彼のつむじを――その頭頂部をビシッと叩いた。


アウルは頭を押さえながら「君ね…」と視線を上げた。


「私はこの国の人間じゃないから…ってさっきも言ったけど。アウルの本当の辛さも痛みも正直よく分からない。想像でしかモノを言えないんだけどさ」


「……」


「あんたは良い領主になると思うよ。あんたの実家がどこの領地を任されているか知らないけど」


「それはまた。なんでそう思うんだい?」


少数派マイノリティーの苦しみをあんたは知っているんだろ?月並みだけど、あんたは人の痛みを知っている。この国の多くの人が知らない貴重な傷を負っているんだ。だからきっと誰よりも優しい領主になれる」


この国のイケメンは、どうにも自分の価値を下げて考えている奴が多いよな。

それは勿体ないことだと感じるんだけど。


「あんたにはあんたにしかない、価値がある。妖精なんて目に見えない者、どうでもいいじゃないか。実生活に支障はないんだろ?それよりあんたはもっと、目に見える者を大事にしたらどうだ?」


「目に見える者?」


「その、治める予定だろう領地の人達とかさ。後、今私の目の前にいるアウル自身とかかな。妖精の声よりも大事な声なんじゃないのか」


「……」


「それとも皆と同じものを見ないと不安?皆と同じ方向を向いていないとイヤ?」


私は頭の上にいる小妖精を手で払う。

うざったい。


「見えないんだったら、それはあんたにとって必要じゃないんだ。きっとこれからも。あんたの心を温めるのは、寄り添ってくれるのは、目に見えない不確かな存在の者じゃないんだってことだよ。妖精に固執しないでもっと自分の力になってくれる人を見た方がイイ。一部のアホが言うことはほっとけ。きっとその体質だからこそ気づくことも多いはずだ」


私は彼を思い出す。

妖精に愛された彼――2人の妖精が傍にいるのに関わらず、彼はいつもさみしい、人恋しいと思っている。

人の体温を求めている。妖精が見えたって孤独な人は孤独なんだ。大差ない。ないものねだりは虚しい。


「人の一生のうちで受ける愛情の量が決まっているのなら。多くの妖精に愛されなかった分、きっと他の多くの人があんたを愛してくれるよ」


――たくさんの領民に慕われる、良い領主に。


私は口の端だけで笑って言った。


アウルはじいっと私を見ていた。

今宵の満月よりもまん丸の目をしている。

月と一緒に落っこちてきそう。


「…君は私の悩みをくだらないって一蹴してくれるね…。これでも私、とても繊細なんだよ」


「くだらないって言うつもりじゃないんだけど。気分を害したなら悪かったよ」


私は頭をぼりぼり掻いた。

年上に偉そうに説教してしまった後ろめたさというか気まずさがあった。


「気分は悪くないよ。爽快な位だ」


彼はゆっくり歩きだした。

止まっていた時間が動き出すように。


私も彼の背を追う。

影が月明りで棒のように伸びている。


こんな月夜は故郷の彼を思い出す。

月明りの下、一緒にダンスを踊った彼。


ああ、私は随分。遠くに来てしまったんだな。


――皆と同じものが見えないと不安? 皆と同じ方向を向いていないとイヤ?


それは私のことだ。


そう。随分、遠くまで来てしまった。


いつも考える。皆が、今生きているこの人達が覚えていない前の生。


どうして自分だけ前世を思い出したのだろう。これには何の意味があるのだろう、と。


「君?」


呼ばれてはっとした。

怪訝そうな顔をして彼は私を首だけで振り返っていた。

気づけば初日に彼と別れた――というか逃げ出した場所まで来ていた。


「ここからどうやって行けば君の家に着くのかな?」


「あ、えーと。もうここらでいいよ。ひとりで帰るから」


王宮に帰るところは見られてはいけないな。

身分を偽っている以上、どこでボロが出るか分からない。


「もしかして私のこと警戒している?」


彼はくすりと笑った。


「いや、うーんと…」


まさか本人を目の前にして「めっちゃしていまっす!」とは言えるはずもない。

彼はゆっくり私に向き合う。


「ねえ、私の本当の名前聞いてほしいな」


「……え、唐突になに」


「君に聞いてほしくなったんだけど。あと、君の本当の名前も知りたいな」


「!?」


私は思わず後ずさった。

同時に後悔した。こんな過剰な反応、彼の言っていることが当たっているといっているようなものだ。


彼は離れた分の距離を埋めるように、その長い脚で一歩踏み出す。私の肩をガシっと掴む。


「ここ数日君を見ていて、君は『ルリ』と呼ばれても反応しなかったり、反応が遅れたりすることがしばしばあったから。本当の名前じゃないのかなって」


私は心の中で舌を巻いた。

抜け目ないやつだ。さすがモテ男。女を見る観察眼に長けているな。


多分引きつっている顔をしているだろう私に、彼はずいっと顔を寄せる。

内緒話をするように耳元で囁く。


「本当の名前を教えて。私の妖精。君を真実の名前で呼びたいな…君にも私の名前を呼んでほしい」


「…えーと」


「ベッドで」


「…は?」


私はビシッッと固まった。石化。


彼は私の黒髪――カツラの一房を指で掬い、絡ませる。

何かを抑えているような切なげな金緑が私を真摯に見つめていた。


「この見事な黒髪がベッドで乱れるのを見てみたいな。……私はもっと君と仲良く・・・なりたい」


私はブルブルと自分が震えているのが分かった。主に拳が。


こ、こいつ……っ!!

なんっにも変わっていない。

出会った時の軽薄さにさらに磨きがかかっているような気もする。


「何てことだろうね。……私としたことが本気で惹かれ始めているなんて…」


そう言って彼は私に口づけようとしたのだろう。


そっと顔を近づけ――たところをガッと左手で覆う。アイアンクロー状態である。


「これ以上…『ノーカン』を増やしてたまるかぁ!」


指にありったけの力を込める。みしり、と音がしそうなくらい。


「ノーカン?……君?……ぐふっ!」


冷たい怒りと衝動に身を任せ、私は右の拳を彼の身体にドスッとめり込ませた。


彼はみぞおちを押さえながらその場にゆっくり崩れ落ちる。

スローモーションを見ているかのよう。


「君……なんて重たいパンチを…」


「うるさい、このロリコン野郎」


身体を二つに折ってその場でうずくまっている彼を見下ろしながら、私はパンパンとドレスの埃を払う仕草をした。


「ロリ……」


アウルは顔を引きつらせる。


「今度私に妙な真似をしてみろ。男の急所を蹴り飛ばす」


私は冷ややかに宣言して、振り向きもせずその場を立ち去った。


ああなんか。


前にもこんなことがあった気がする。


私は妙な既視感を覚えたまま、とりあえず全力であいつの毛根も呪っておくことを忘れない。


世に蔓延はびこる女泣かせは全てハゲ散らかせ!


アウルが回復して追いかけて来ないうちに、私は王宮への道を急いだ。


――明日からのバイトであいつが来ても。世間話なんぞしてやるもんかと、決意を固めながら。



*****



ミラは王宮の回廊を歩いていた。

手には数冊の本を持っている。

歩く度に王宮図書館の鍵がチャラチャラと音を立てる。


窓から差し込む月明りが明るいことに気づいて、ふと立ち止まる。


――今日は満月か。


少し見入ってから視線を前方の回廊に戻す――と、そこに。


何かうごめく物体が。

くぐもった声を上げながら、壁伝いに何かが動いている。


月明りに慣れた目で見た所為で、闇にうごめくその物体が一瞬何か分からなかった。

目を細めてじいっと観察する。

次第に目が闇に慣れてきて、その謎物体の全貌が明らかとなった。


「兄上……?そこで何をしているのです?」


その不審物体は――壁に手をつきながら「ぜえぜえ」と移動する異母兄であった。

何故か片方の手で腹部をさすっている。


声をかけられ異母兄はこちらを見た。

月明りの所為なのか良く分からないが、心なしか顔色が悪い。


「ああ、ミラ…丁度良い所に……」


手招きされたので、仕方がなく近寄る。


「どうされたんですか?」


「いや……彼女が……」


「彼女?ああ、例の…またお忍びですか?」


話すのも億劫な様子で異母兄は、口の端を引きつらせる。


「くそ……どこでこんな重たいパンチを覚えて来たんだ、あの子は。しかも的確にみぞおち部分を抉ってくるなんて……」


「……その、例の彼女にされたんですか。その状態に…」


ミラはちょっと引いた。

そんな凶暴な女性……『彼女』と引き合わせて良いのだろうか。

やはりよくよく検討しなければならないだろう。


異母兄は、ふっと笑う。


「しかし私は絶対諦めないよ。こうなれば何としても落としてみせる…!」


ミラはまた引いた。

そこまで満身創痍にされてまで不敵にほほ笑む意味も分からない。


彼はミラの引いている様子なぞお構いもなしに、みぞおち部分のシャツをぎゅっと握りしめる。


「ふふふ…私をあんな冷たい――まるで虫けらを見るような目で見た女性は初めてだよ……これはどうして中々そそられるね…」


「……」


彼の変な闘争心に火がついたのは確かだろうが、正直言ってあまり関わりたくないと思う。


しかし…


「ミラ…ちょっと肩を貸してくれないかい?……階段を登るのも正直きつくてね……」


「……分かりました、手伝いましょう」


本を持ち直し、異母兄の腕を自分の肩に回す。


そうして彼に肩を貸し歩きながらミラは考える。



――前向きな変質者は厄介だな、と。



そして見も知らない異母兄の想い人のことも。



――哀れだな、と。



ひとりそんな感想を持ったのだった。


シャダーン編も中盤~後半へ。

物語も徐々に進めていきたいところです。

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