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令嬢は生きるのがツライ  作者: 今谷香菜
~シャダーン国編Ⅰ ふたりの王子~
26/85

〜悪夢がツライ〜

******


私は塔の最上階でその人の訪れを待っていた。

不安と希望が入り混じる。だけどただ待っていることしかできない。

それがもどかしい。


人々の悲鳴や怒号が入り混じる。私はそれをどこか遠くで聞いていた。

現実感がない。全くと言っていいほど。


赤い炎がまるで一体の大きな化け物のように地上を舐めてる。

地上は赤く、黒煙が空を覆い尽くす。


――私の愛したあの森も。


故郷が。そこに住まう人々の営みが。誰の嘆きも聞き入れられずに。

全てが無遠慮に、無慈悲に燃えていた。



カーン カーン


ふいに階を昇る足音が私の意識を現実に引き戻した。

軍靴の音だ。


私は部屋の扉を凝視した。

果たしてその扉を開けて訪れたのは――


「ミラ…?」


望んだ人ではない。あなたがここに来たということはあの人は――?


私はカーテンを身体に巻きつけしがみついた。何かに包まれていないと不安になる。

そんな様子の私に彼は出会った時のような笑顔を向ける。


「ああ薔薇姫。お土産ですよ」


そう言って彼は手に持っていた物を乱暴に放った。

ゴロゴロと私の足元にそれは転がってきた。


一瞬、何が起きたのか分からなかった。


「あ…ああああ…」


義兄の。

焦点が合っていない虚ろな瞳が空を見つめていた。


ほの暗い室内が血の赤の色を失わせていた。

ドス黒い液体が彼の首から滴り落ちている。

つんと鉄臭い匂いが鼻についた。


「こんな…っ!!馬鹿なことがっ!…馬鹿なことが!!」


口をはくはくとさせる。言葉が続かない。


めまいがした。

ガンガンと鈍器で頭を叩きつけられているような頭痛も。


――許されていいはずがない!起きていいはずがないのだ!こんなこと。


でも彼はそこにいる。

私が愛した、思いを交わしあったあの人が今ここに…っ!

物も言わず、転がっている!


「いやぁぁぁ――!!」


私が義兄に追いすがろうとした時、ミラはそれを阻むようにさっと私と義兄の前に立ちはだかる。

彼に肩を掴まれ思い切り壁に叩きつけられた。背中の痛みと衝撃で息が詰まった。


彼は義兄の髪を鷲掴み、ナイトテーブルにどんと置く。


むせて咳が止まらない私を横抱きに抱え、寝台へ押し倒す。

すぐ横には愛おしかったあの人のおびと。でも目が合わない。手を伸ばしても届かない。


彼に挟まれた頬が血でべっとり汚れた。

泥と血の味がした。仄かに火薬の匂いも。ミラが乱暴に口付けたのだ。


「義兄上が見守ってくださる。俺たちの新たな門出を」


あああ――


私が殺したんだ。


愛しい日々を。運命を授けてもらえると、ただその愛を享受し甘えていた。愚かにも夢を見ながら待つだけだった。だから守れなかった。


私の、罪だ。


彼に身体が揺さぶられ思考がまとまらない。

天井もにじんで何も見えない。何も考えられない。


どうすれば。どこで引き返せば。


あの時、私のこの手が刃を持っていれば。


――この未来は変えれた?



*****


はっとして私は飛び起きた。


ギシリ!とベッドがひときわ大きく軋む。


ゆ、ゆめ…か。

どうにか悲鳴を上げずに済んだようだ。


しかし額と背中は嫌な汗でぐっしょり濡れていた。


はっはっと浅い呼吸を繰り返すうちに、気分も落ち着いてきた。

それと同時に先ほどまで鮮明に覚えていた夢の内容が靄がかかったようにおぼろげになっていく。


私はナイトテーブルに置いてある水差しに手を伸ばした。

未だ微かに震える手でグラスに水をそそぎ、飲み干す。

輪切りのレモンが浮かんだ水は、ほのかな酸味が鼻を抜け、爽やかなのど越しだ。


ああ。何か。ひどく恐ろしい夢を見た気がする。


ぶるり、と震えた。


汗が冷えてしまったのだろう。


両親から貰った懐中時計を開ける。

カチコチと規則正しい秒針の音にほっと息をつく。


4時――ちょっと早いけど、もう起きてもいいかな。


もう一度寝たら、悪夢の続きを見てしまいそうで。


私は寝台をそっと降りた。



*****



「薔薇姫、どうしました?」


「なにが?」


ミラと私は王宮の庭を散歩していた。

王宮正面の大きな四角い池の周りをゆっくり歩く。

水面が朝日に反射してキラキラと目に眩しい。


私はその眩しさに思わず手をかざし目を庇った。


彼はその様子を気遣わし気に見ていた。


「顔色が良くないように見えますが…」


「あー…今日ちょっと夢見が悪かったからかな」


「夢見?」


「うん。起きた瞬間忘れちゃったんだけど。あ…でもミラは夢に出てきたよ!確か」


「俺が?」


彼はどことなく嬉しそうな顔をした。声が少しだけ弾んだのがわかった。


「うん。なんかミラにとても非人道的な行為をされた気がする。夢で」


「……そうですか」


瞬間彼はその嬉しそうな顔を引っ込めて、すぐさま渋面になった。


「ごめんごめん。でもたかが夢の話だよ?」


私は彼の肩をポンと叩き上目づかいでミラに謝った。

捨てられた子犬のようにしょんぼりした友人の様子に私はおかしくなったのだが。


「……」


軽く謝ったのだが、彼はむーんと黙っている。


あらら?彼ってば案外繊細なのか、これは傷つけてしまったのかな?それとも相当ご立腹?

私はちょっと焦った。

彼の手を掴み歩みを止まらせ、俯いてしまった顔を覗き込む。


「ミラ?もしかして怒ってる?」


彼は私の手を一旦振りほどく。「怒ってますよ」と言いながら。

そして指を絡ませるように、互いの手の平がより密着するように握り直した。ぎゅっと力を込める。


「…これから毎朝こうやって手を繋いで散策してくれるなら。許して差し上げます」


えーと。これはさほど怒っていらっしゃらないな……。


ではなくて。

きっと彼は友人と手を繋ぐ、その光景を夢見ていたのかもしれないが。

ここで友人と恋人との手の繋ぎ方の違いを教えてやらなくてなは。後々彼が困ってしまうかも。


「いや、あのですね、ミラさん。これはいわゆる恋人繋ぎと呼ばれるシロモノでして…」


「この繋ぎ方がいいんです」


きっぱり言い切られました。

私は言葉尻をすごすごと引っ込める。


というかですね。そもそも友人同士でも滅多に手を繋ぐことってない気がする。

うーん…。交換日記といい彼はやはり友人という存在に夢を見すぎなのではないだろうか。


それでも彼が上機嫌な様子であったので、まぁいいかと思いなおした。

減るもんじゃあるまいし。私ってばいい奴だ。


友人に握られた手。

視線を落とす。意識をすると少し気恥ずかしい。その気恥ずかしさを誤魔化すようにぎゅっと握った。


「ミラって手、大きいんだね」


「そうですか?貴女が小さいのでは」


空いた方の手をにぎにぎしながら自分の手の平を見る。


「そうかなぁ。私は普通だと思うんだけど」


「俺も男なのでこれくらい普通ですよ。……ヨハンナムは大きいと思いますが」


「ヨハンナムさんは手というより…全体的にイイ身体してるもんね。……ふふ」


ヨハンナムさんの筋肉美を思い出し、思わずじゅるりとヨダレが垂れそうになる……のを私は辛うじて抑える。ミラはそれを見てちょっと引いたようだった。彼に引かれたことってそういえばないな。これはかなり新鮮な友人の反応である。


「そういえば…初めて会った時も。薔薇姫はヨハンナムには見惚れていましたよね。……俺の前ではずっとつまらなさそうにしていたのに」


「見惚れてだなんて…っ!えっミラにもバレていたんだ!?恥ずかしい……」


私は恥じらいつつも身をよじり悶える。

ミラは決して否定をしない私に「なんだその乙女な反応は」みたいなことを言いたげな目をした。


「……俺は貴女の好みの男性像も聞いたことがなかったですね。今度の日記で質問します」


「好みの男性……?」


そういえば交換日記を読むのを忘れた。

早速止めてしまったな。

というか。


「何で今聞かないんだ?」


わざわざ日記に書いて質問しなくともいいのでは?


「…なんとなく。今聞いても答えが得られそうにないかなと」


ふうむ。なるほど。

私はちらっとミラに言われ考えた。


好みのタイプかぁー。

確かにヨハンナムさんの筋肉とかうっとりしてしまうけど。

それとこれとは別だよなぁ。


……。


うん。


「ミラ、すごい。良くわかったね。今聞かれても正直答えられないや。考えたこともなかったことだし」


私は彼の考えていることをイマイチ把握できていないのに、彼は私の性格を徐々に掴みかけていらっしゃるようだ。さすがです。


「そうでしょう?貴女はとても純粋で清らかな生活を送っていそうでしたから。だからじっくり考えて日記に書いてみて下さい」


確かに前世から意図せず純潔を守って生活していましたが。そんなことまで彼にはお見通しなのか。恐ろしい。


私は次に日記で質問されるだろう好みの男性について、もうちょっと深く考えてみようと試みる。


…うーん。


「難しいな。結構時間がかかるかも。つい最近まで自分は修道女になるもんだと思っていたから」


「修道女に!?」


聞いていないと言わんばかりにミラは驚いた。

確かに彼に話したことはないが。


「あーうん。前ほどじゃないけど、今でも嫁き遅れたら修道女になろうと思っているよ。ミラが言う通り、私今まで男の人をそういう風に見たことなかったし。恋愛も結婚も縁遠いものだよなぁ~って」


「修道女だなんて…。貴女を神の妻にするわけにはいきません。俺が貰いますよ」


ミラは彼らしくなく慌てた様子だ。私が今すぐに修道女になると思っているのか。


それにしても…彼は神様にまで嫉妬をするのか。

どこまでぼっちをこじらせているんだ。


「ミラ。貰うって言ったってな、犬猫の仔を貰うんじゃないんだからな、そんな気軽なものじゃないぞ。いくら友人といえど一生の面倒を見てもらう気はさらさらないぞ、私は」


そもそも実家で嫁き遅れがニート生活するのが申し訳ないと思い、修道女を目指していたのだ。

友人と言えど血のつながりのない彼に養ってもらうなんていただけない。なんの冗談だ。


「だから友人で終わらすつもりは……」と彼は言っている。いや、親友でもご厄介になるつもりはないぞ。


「そもそも。なんでミラは私の好みなんて知りたいんだ?」


ミラは「何言ってんだこいつ」みたいな顔で小首をかしげ、私を見下ろした。


「知りたいと思うのは自然のことでは?」


「そういうもんか?…はっ!もしかして私に男を紹介しようとしているとか!?」


私の清らかすぎる生活を彼は心配しているのだろうか。


そういや、前世の友人にもそんな世話焼きがひとりいたぞ。

前世の彼が巨乳好きなのを知って、とても肉感的な女性ばかりを集めて合コンを開いてくださいました。

その節はお世話になりました。実ったことはありませんでしたが。


ミラは呆れたような、怒ったような。何とも形容しがたい顔をして私を見ていた。


「何故、俺が貴女に男性の口利きをするんですか。これ以上敵を増やす真似をするわけないでしょう」


「むむ、そうなのか。良かった」


そうだよなぁ。ぼっち生活が長くて人恋しい彼のことだ。

私に恋人なんかできたら寂しがるよなぁ~。

一緒に暮らせるからって兄貴にも嫉妬をしたり、神様に焼もちを焼くという、筋金入りの寂しがり屋だしな。


交換日記といい、朝の散歩といい。

こんな寂しがりの彼に必要なのは、友人ではなくて、むしろ……


「嫁だな!」


結論はコレ。

交換日記は、普通の夫婦はしないかもしれないが。

朝の散歩なんてもはや老夫婦の行為っぽいよね。


「…はい?」


ミラはまた「何言ってんだこいつ」顔をしている。

どうツッコミを入れればいいのか判断しかねているようだった。


だんだん私の性格を掴み始めているとはいえ、まだまだだな。


一応私の中では思考が繋がっていた上での「嫁」発言だけど。

まぁ、仕方がないか。理解されたら逆に怖いしな。


「いや。ミラはどんな女性が好きなのかなって思って」


「……俺の好きな女性?」


「そうそう」


まずは現状調査だ。もし私やシルヴィアちゃんの知り合いにミラの好みに合いそうな令嬢がいれば紹介もやぶさかではない。国が違うのはネックだけど。しかしだな、愛の力というやつがあれば障害はむしろスパイスだ。乗り越えられるのだろう。多分。


私はこれまたシルヴィアちゃんが持っているような恋物語を想像して、一人胸を熱くした。


こいつはクソタラシで。女なら誰でもいいだろ位に私は考えていたのだが。

それでも一応タイプとかあるのだろう。これは是非とも把握しておきたい。そしてイイ人がいればあてがいたい。


私の考えを見通しているわけではないだろうが、彼はじっと目を細め私を見つめる。

やがて繋いでいる手を持ち上げ、私の手の甲に唇を当てた。


「俺の好きな女性はね、薔薇姫。お転婆で生命力に溢れていて、どこまでも生き汚い。そのくせちょっとドジで目が離せなくて、超がつくお人好し。痩せた身体を貧相だとコンプレックスに感じているけど。壊れそうな位華奢で繊細な身体も、柳のように細い腰も。女性らしい豊かさでなくとも十分に優美でとても綺麗な人……俺が好きなのはそんな女性ですよ」


「……」


ず、随分具体的な女性像だな。

すらすらと話す彼の言葉はぶっちゃけ半分も覚えきれなかったぞ。


ここまで自分のガッチガッチに固まっている理想の女性像があるんだったら、確かにどの女性も遊びで終わってしまうのも頷けるような…。しかしだよ。


「ミラ。なんか話を聞く限り、おまえって趣味悪そうだな」


「……」


生き汚くて痩せた令嬢が好みだなんて。


前世の彼――鈴木勇太の『おっとり巨乳』好きとは正反対だ。


私はちらりと彼の横顔を盗み見る。

薄いブルーの仕立ての良いシャツ、白いスラックス。

これほど嫌味なく爽やかに着こなせる男性もそうそういないだろう。

朝から嫌味な位カッコいいと思う。

結局嫌味なのか嫌味じゃないのかよく分からないが。

とにかく、カッコいい。美形だ。

どんな女性だってきっと彼を好きになる。


――早く、心の底から愛し愛されるような恋人でも奥さんでもできればいいと思う。


彼にもっともっと大切なものが増えてほしいと思う。


ミラに大切な人がたくさんできたなら……きっと彼は悪竜退治に行かなくなるのかな。

自身を大事にするのかな。


「ミラ…」


「はい」


「悪竜ってよく出るの?次はいつ……」


退治しに行くのだろう。


私は彼の手をぎゅっと握った。


「薔薇姫は随分話題が飛びますね……」


すいません。これでも私の中では話題と話題は繋がっておりますです。はい。


私の不安そうな顔を見たのだろうか。彼はそっと立ち止まり、私と向き合う。


「昔は……俺が10代前半の頃はよく出ました。でも最近は…全くといっていいほど、出現しなくなったんですよ。1年に1頭出るか出ないか位のものです」


私の両親と彼との出会いのきっかけは、悪竜退治だった。

こちらの国に旅行に来ていた両親と、たまたま付近に出現した悪竜を退治し終えた彼が、帰る際に立ち寄った土産屋で鉢合わせたのだという。


悪竜が滅多に出現しないのならば。その出会いは本当に奇跡的な確率のものだったのだろう。


「どうして悪竜は減ったの?」


「……正しい教えが広まったから、でしょうか…」


「どういうこと?」


「血生臭い話になりますから。……朝から貴女の耳には入れたくないかな」


「また…悪竜が出現したら…。ミラは行くの?」


「……」


風が一陣、びゅうぅっと吹いた。

私の髪もドレスもふわっと一瞬浮いて…また元に戻る。


彼の返答がない。

ざらりとした言いようのない不安感が心を覆う。


「行かないで欲しい、とミラに言う権利が私にはあるのかな」


彼にかけがえのない、一番大切な存在ができるまで。

私が彼を引き留まらせることはできないだろうか。


「薔薇姫…」


「悪竜が出れば、被害に合っている人たちが必ずいるから……ミラを引き留めたら、その人達を見捨てることになる…。それは嫌だ、でも私は……おまえに行って欲しくない。もっと自分を大事にしてほしい」


矛盾していると自分でも思う。

悪竜の被害に合っている人々を見捨てたくないのに、彼が悪竜退治に行くのはイヤだなんて。

子供みたいなワガママだ。


「……」


「私はおまえの友人だから。言う権利はある?旅立とうとするその背中にしがみついて離さないで…引き留めてもいい?」


ミラは私の髪を撫で、かきあげ、耳にかけた。


「そんなことされたら困ってしまいますね。俺はどこにも行けない…」


「ミラ……」


「では貴女は国に帰らないで、ずっとここにいて――、俺が悪竜退治に赴かないか見張ってくれますか?貴女がそうしてくれるのなら、俺はどこにも行きませんよ」


「それは…」


思わず押し黙ってしまった私に「ほらね」と彼はふっと笑う。私の髪に手を埋めたまま、肩に手を回す。片手で彼の胸に引き寄せられた。


「俺を置いて遠くに行こうとするのは貴女の方」


私は頭上から降る彼の言葉を聞く。


ぎゅっと目を瞑る。

朝日に反射した王宮の壁が、疑いようもなく白くて。目に染みる。

その白さが閉じた瞼に浮かんだ。


――彼を置いて国に帰ろうとする薄情な友人には、何も言う権利はないのだろうか。


「ミラ、私……」


それでも私は。

おまえを大事に想っているんだ。


冷たい友人の言うことなんて、説得力皆無?


彼の心には何も届かないのだろうか。


どうしたら伝わるのだろう。


手は繋いだまま、私は彼のシャツにおでこを擦った。ぐいぐい押し付ける様に。


「ミラの、ばか」


「……薔薇姫?」


彼はそっと私の様子を伺う。

私はぐい、と体重をかけて繋がれた方の手を自分の方へ引き寄せた。


引っ張られて彼の顔が間近に迫る。


困惑気味の彼の目をあえて見ないように。


私は彼の頬に軽く唇を押し当てた。


親愛の、キスだ。


以前彼から乞われても、決して自分からはできなかった。でも今はそんなこと気にしてもいられない。


彼は弾かれたように身を反らす。頬に手を当てて茫然とこちらを見ていた。


その驚き顔はちょっと痛快だ。

私はそっと笑ってもう一度彼の胸に額を押し付ける。


「おまえが、大事だよ。……それがどうすれば伝わるのか考えていた」


「薔薇姫…」


「ミラにとっては私なんて友達甲斐のない奴だと思われても仕方ないのかもしれないんだけど。それでも私はおまえが大切だ。傷ついてほしくないし、まして死んで欲しくなんてない」


私は彼の腰あたりの布生地をぎゅっと掴む。


「だから。私がそう思っているってことは。それだけは覚えていてほしい。おまえが自分の命を気安く考えるのは、おまえを大事に想っている人のこともないがしろにすることなんだからな」


あえて強い口調でミラに含める様に言った。

そろそろと彼から身体を離し様子を伺えば、彼は手で口を押えながらうつむいている。

表情が見えない。

素直な愛情表現に戸惑っている様子だ。慣れていないのだろうか。


でもうつむいた彼の耳が赤く染まっているのを見て、私はつい吹き出してしまった。

どうやらちゃんと伝わったのかな?と思えた。

恥ずかしい思いを我慢した甲斐があった。


私が吹き出したのに彼はちょっとムッとした様子だ。


「本当に貴女って人は……」


朝日に照らされた、まだ赤みの残る顔で彼はこちらを見ていた。


「ミラ?」


「どんな魔法で俺を惹きつけているのですか?」


「え?さ、さあ……」


魔法を使った覚えはないのだが。


「すぐに俺は舞い上がってしまう。……俺がただ単純なだけ?」


「単純?ミラはどちらかというと複雑だと思うけど…」


「ああそう……そんなことはどうでもいいことでしたね。それより。……もう一度キスをしてくれませんか?」


「うえ…!?」


さっきのだって私の渾身の一発なんですがっ!


私がタジタジしているとミラは笑った。黒いオーラが出ていない、純粋な笑顔。


「もうしてくれないんですか?」


彼は私の髪を指で弄びつつ「ん?」と小首をかしげる。


そのジェスチャーの意味するところは……知っている、けど!


私の脳内・親愛のキス許可庁もいっぱいいっぱいだ。

稟議書にハンコを押すのが追いついていないようで。

書類の山に埋まっている長官が今、頭の中で窒息死寸前の状態。


「いい」とも「悪い」とも言えず、口をぱくぱくとさせる。


気力を全て注ぎ込んだ1発だったんだ。我慢してほしい。

恋愛経験値ゼロの者が異性に、親愛のキスとはいえ、自分からキスをしたんだ。

正直憤死ものである。


「も、もう無理です…」


とりあえずそれだけは訴える。


「じゃあ俺がキスしても?」


「うえ!?……今日はちょっと」


「じゃあ今日は我慢します」


「今日は」って。「は」ってなんだ。


彼は私の肩に頭をぽんと置いた。


「俺は結構純情なのかもしれません。頬にキスされただけなのに。昨日まで親愛のキスでは足りないと思っていたのに。……貴女とこれ以上のことをしたら死んでしまうかも……したいけど」


「これ以上って……」


なんだ一体。友人同士のスキンシップでこれ以上のことが思い浮かばないんだが。


でもこの様子なら、なんやかんやで彼に私の親愛の情が伝わったようだし。

まぁ細かいことはどうでもいいか。


だが、おまえが純情というのは猛烈に抗議したいところだけれども。

天性のタラシのくせに。


「そういえばギュリさんとアミンさんは……?」


飼い主様なるミラサマの頬にキスしようものなら。

主人に尻尾をようやっと振ったか、このアホペットめ――位、罵られているような良く分からないお褒め言葉をいただけそうなものなのだが。


「ああ、寝坊ですよ。貴女と散歩をするのを昨晩楽しみにしていたんですけどね。気持ちよさそうに寝ていたのでそのままにして来ました」


起きたらうるさそうだな……


私は彼女達が起きた後のことを考えるとちょっと頭が痛くなった。



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