~【閑話もどき?】某国第二王子兼勇者の心のうち~
ややミラよりの視点です
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ミラは王宮の――王族の居室がある棟、その上階の回廊を歩いていた。
ふと顔を上げると、向こう側からこちらへ向かって歩いてくる人物が見えた。
赤銅色の髪に金緑の瞳――異母兄だ。
ミラは反射的に身構える。
というのも。この女好きの異母兄は、ここ最近自分の顔を見る度に「『彼女』に会わせろ」とうるさいのだ。
『彼女』――ミラが『薔薇姫』と称し焦がれる唯一の少女、オリヴィア・アーレンのことだ。
無論、紹介はおろか、一瞬たりとて会わせるつもりは毛ほどにもない。
彼は顔を上げてふっと柔らかく笑った。
ミラに気づいたのだろう。
「こんばんは、ミラ。良い夜だね?」
「こんばんは、兄上。……またお忍びですか?」
この異母兄は警備の者や近習の目をかいくぐり、よくひとりで街へ忍び、遊び歩いているのをミラは知っている。
女の元か、行きつけの酒場があるのか。行き先までは知らないが。
「そう。今日はとても面白い女性に会ったんだよ」
「そうですか…」
ミラは呆れたように異母兄を見た。
かなり上機嫌な様子だ。面白い玩具を見つけた子供のような顔をしている。
「しばらくは彼女に夢中になるだろうな。……黒髪がミステリアスで月の女神のように美しい女性なんだよ」
「そうですか…」
聞いてもいないのに彼はペラペラと喋りだす。
「ああ違うかな。かなり武闘派な子でね、今日もゴロツキを相手に怯むことなくあっという間に1人でのしてしまったんだよ。私が手を出すまでもなかった。あれはたおやかな月の女神というよりもっと情熱的な――そう炎の女神のようだった。久しぶりに女性に惚れ惚れしてしまったな」
「そうですか…」
自分はさっきから「そうですか」しか言っていない気がする。
正直相づちも面倒になってきた。
異母兄は艶っぽい笑みを浮かべた。その女性を思い出しているのだろう。
「おまけに男慣れしていない様子でね。……色々と教えたくなる」
思わず半眼になる。彼の悪い癖がまた出たのだとミラは思う。
この異母兄の餌食になる女性が増えるのか、とも。
だが他の女性に興味が移ったのならありがたいことだろう。
彼は女性にすぐにうつつを抜かすが、得てして飽きっぽい。
今回は彼のそんな悪癖に救われた形になった。
いい加減、彼のしつこさには辟易していたところだったわけだし。
「程ほどに。兄上」
ミラはそれだけを言ってその場を去ろうとした。
その背に声がかかる。
「ミラ」
「はい?」
「今度、君の子猫ちゃんと。私の彼女とを引き会わせてみないか?」
「――は?」
「ああ、勿論。私が彼女を口説き落としてからの話なんだけど。君の子猫ちゃんも活発な女性なんだろう?私の彼女と気が合いそうだ」
「お断りします」
いくら他の女性が一緒にいる席とはいえ、『彼女』を異母兄に一瞬たりとも引き会わせたくない。
異母兄はミラのすげない返事に肩をすくめる。
「あまり束縛するのもどうかと思うけどね、私は。息が詰まっちゃうよ?ここらで女の子の友達を作ってあげた方がいい。……多分、私の彼女もこの国出身じゃないだろうからね。話が合うんじゃないかな」
「その女性も外国の方ですか?多分とは?」
異母兄は顎に手を当てつつ「それなんだよねぇ」とひとりごちる。
この仕草も彼の癖だ。
「ゴロツキをのしたのが、この国では見たことがない武術の技だったから。見事なものだったよ。自分より体格が数段上の男を倒してしまうんだから。多分、どこかの国の伝統的な武術なのかもしれないんだけど。どこの国かまでは分からなくてね」
何となく。
異母兄の言っている女性と、『彼女』は気が合いそうだと思う。
異母兄は艶やかに笑って、ミラの肩をポンと叩いた。
「何なら私はその場に同席しなくていいから。……心の狭いカワイイ弟に配慮して、ね」
「……」
「私はこれから毎晩彼女が働く酒場に通って、彼女を口説き落とすつもり。それまでに、まぁ、考えておいてみて」
「……検討しておきます」
先ほどより前向きな返答に多少満足した様子で、異母兄は「良い夢を。ミラ」と手をひらひらさせて暗い回廊の奥へ消えていった。
――ミラはひとり歩きながら考える。
先ほどの異母兄の提案は検討する価値があるかもしれない。
『彼女』は侍女のアイサと親しくしてはいるが……アイサは根が大人しく淑やかな性格だ。
正直アイサひとりでは彼女の元気さは手に余るのではないだろうか。
『彼女』と同じくらい活発な女性がいれば会話も弾むだろう。
それに。
――『彼女』がこちらの国に留まる為の理由が少しでも欲しいと思っていたところだ。
シャダーンを離れがたくなるような、足枷が増えるならば。
何でも利用したいと思う。友情だろうと同情だろうと。
恋情に訴えることができないのは。少々情けないと自分でも思っているが。
勿論異母兄に紹介された女性と友愛を深めたところで。
彼女の里心――故郷の家族には到底足元にも及ばないのは頭の隅で分かっている。
――それでも今はまだ、時間が欲しい。猶予といってもいい。少しでもいいから。
『彼女』が自主的にこの国に残っているうちは――優しくしてあげられる。
おままごとのような友情ごっこにも付き合ってあげられる。
ミラとて『彼女』に無理強いをしたいわけではないのだけど。
もう一方で心は後から手に入れれば良いという考えがくすぶっている。今すぐ『彼女』を手に入れろ、と。
「親愛のキスでは足りない…」
切実に。困ったものだと思う。
どんどん欲深になっていく自分。
涼し気な風を装った皮の下で、ドロドロとした醜い劣情がマグマのように溢れだす。
『彼女』の柔らかな笑顔を見る度に。
その清らを優しく守り慈しみたいという自分と。
ぐちゃぐちゃに泣かせて聖域を汚したいと思う自分。相反する心と心がせめぎ合う。
――これでは妖精と変わらない。
理性や倫理観が極めて低い、人外の者たち。
果たして自分は今、人と妖精のどちらに近いのだろうか、と考える。
ギリギリのところで踏み留まっているのだから。
まだ自分は人なのだろうと自嘲にも似た苦い笑いがこみ上げてくる。
それとも恋をすれば誰しもが心に棲まわせてしまうのだろうか。
制御がとても難しい、この魔たるもうひとりの自分を。
自室に戻ってもそのまま窓辺でぼうっとしていた主人を不思議に思ったのだろう。
銀髪の美女はそろっとミラに寄り添い、彼の膝に手を置く。
「我が君ぃ~まだ寝ませんの?」
「アミン」
守護妖精に話しかけれ、思考を中断する。
物思いに耽っていたら。結構な時間が過ぎてしまったようだ。
「あの垂れ目。妾たちのことを無視しておったぞ。生意気じゃな」
「……おまえたちも知っているでしょう?仕方のないことです」
「ああ、そうじゃったか…」
本当に忘れていたのか。
ギュリは欠伸を噛み殺し、その話題に興味が失ったように生返事をした。
ミラは窓辺を降り、ベッドに身を沈める。
すすすっと妖精たちが彼の両傍らにはべる。
「我が君ぃ、明日はペットのお世話をしたいわぁ」
ペットとは。『彼女』のことだ。
妖精たちは『彼女』を愛玩動物と見なし、(彼女達としては)可愛がっているつもりなんだろう。
このことも悩みの種だ。
ミラはため息をついた。
「世話とは、何をするつもりです?」
「明日は妾たちがペットの身体を洗ってやるのじゃ。この前し損ねたからの」
「……いけませんよ」
「なんでじゃ」
ギュリは不服そうに唇を尖らせる。
彼女達は妖精だ。
今はミラが契約主であるから、陰陽に則り主人と違う性別――女性の姿を取っているだけの。
その気になれば男性の姿を取ることもできる。
――つまり、性別があってないようなものだ。
『彼女』はこの妖精たちを女性として信じて疑っていないようなので、あえて否定をしたことはないが。
しかも。この前のちょっとした事件のこともあり、彼女達に性別がないことを知ったら複雑な思いをするだろうから、益々打ち明けることができなくなってしまったのだった。
未だに不満そうにこちらをじとーっと見ているギュリに向かい、ミラは苦笑を漏らす。
本当に。『彼女』は厄介なモノばかり惹きつける体質のようだ。…自分を含め。
「世話をするのは構いませんが。あまり甘やかしてはいけません。入浴も着替えもひとりでさせなさい」
ギュリとアミンは顔を見合わせ、「ふむ。甘やかしたらペットの教育に悪いのじゃな」と神妙な顔をした。
どうやら納得したようなので助かった。
この妖精たちの好意――例えペットに向ける類の愛情とはいえ、水を差すわけにはいかないだろう。
『彼女』の身の安全に繋がるものだから。
面倒なことも多少はあるが。
妖精たちが『彼女』をミラのペットとして考えているお陰で、妖精たちの嫉妬が『彼女』に降りかかることもなく『彼女』に触れることができるのは僥倖だとも思う。
変な恩恵も同時に授かっている――このこともあってやはり『彼女』のペット扱いを否定ができないでいた。
「我がきみぃ、明日はペットと朝の散歩でしょうぅ?」
「そうですね。そろそろ休まねば」
「ペットを散歩させるなら。妾はペットにつけるリードが欲しいぞ。人間はそのようにペットと散歩を楽しむものじゃろう?」
「……考えておきます」
妖精はすぐに人間の真似をしたがるところがある。彼女達も外で妙な知識を拾ってくるから油断できない。
ヒト型の形態を好んでとっているのも。妖精たちのそういった性質の一端だと思う。
というよりも。朝から『彼女』を紐で縛って連れ回そうとしたら。かなり不名誉な噂が流れる気がする。
そもそもが、『彼女』にも誤解されるような言動はいい加減勘弁してほしい。
そんな提案をしたら『彼女』は即帰国の準備を始めるに違いない。
ちらりと両隣を見れば。妖精たちはうとうとと微睡む仕草を見せた。
影に戻らずこのままミラのベッドで眠るつもりか。
睡眠も本来なら彼女達には必要のない時間だろうが、こういったところも、彼女達が人の真似をしている道楽な部分だろう。
ミラは思わず嘆息をつく。
こうやって隣に寝ているのが。『彼女』だったらどんなに良いか。
――早く、明日が来れば良い。朝になればまた、『彼女』に会える。
明日を待ち遠しいと思う自分がいるなんて。「あの頃」には思い描くことのできなかった未来の自分。
明日へ希望を託すことができるのも。彼女が手を伸ばせばこの触れられる距離にいるという安堵感から来るものが大きい。
だから手放すわけにはいかない。
彼女が目の前から消えれば、自分の「明日」はまた、「死んだような日常を繰り返す未来」に戻ってしまう。
ミラは天井に手を伸ばし、何かを掴むような仕草を見せた。
何かの決意を固めるかのように。ぎゅっと拳を握る。
――そう、何としても。
「……ごめんね。貴女を国に帰すことができない俺で」
直接はできない謝罪を、同じ王宮にいる彼女に向かってひとりごちる。
いつでも傍に。自分の手中に。
――逃がしてなんか、やらない。絶対に。




