~二重生活がツライ~
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バイトの時間が近くなった。
私はいそいそと街で買った紙袋をベッドの下から取り出す。
鏡の前で合わせてみる。
「ふっふっふ……これはいいぞ」
鏡の前で不敵に笑う自分。
ドレスは着ていない。王宮に来る前にヨハンナムさんが購入してくれた庶民的なワンピースだ。
何よりの違いは――あの目立つストロベリーベージュの髪ではないことだ。
緩いウエーブがかかった黒髪の見知らぬ少女が鏡にはいた。勿論、カツラである。
うんうん。中々いい感じじゃない?
髪色だけで人の印象って変わるよなぁ。
さすがに瞳の色はごまかせないけど…、あ、伊達メガネをそういえば買ったっけ。
ガサゴソと紙袋の底を漁る。黒縁のメガネをちゃっと掛ける。
すっかり女優気分で鏡の前でポーズを取っちゃったりする。
外は暗いし。門番の目くらいこれで誤魔化せるだろう。
私はひとりニヤニヤしながらくるんとその場で回ってみる。
その時、ドアの向こうから声がかかる。
「オリヴィア様、支度は整っておりますか?」
アイサだ。
「うん、今行くよー」
***
アイサに王宮の門まで見送ってもらい、私はこの国に来て初めて、ひとりで出歩くことになった。
夜の街は昼間と違う雰囲気に包まれていたが、相変わらず人が多い。
そして。やはり小妖精は昼間と変わらず夜もふわふわとそこらじゅうに浮いていた。
アイサに連れてきてもらった以来の街。
あの時は彼女を出し抜いてこのカツラを買ったり…バイト面接をしたり…とても心配をかけた。
バイトで王宮を抜け出す時は迷惑をかけないようにと考えていたのだが。
「結局アイサに迷惑かけちゃったな~」
彼女は王宮で約5年働いている。
門番にも顔見知りが多く、アイサに門まで見送ってもらうっていうことは、王宮での『ルリ』という架空の存在を確かなものにした。
王宮を出るときも何ら疑われることもなかったのだった。
しかも今日だけバイトが終わる頃にも門の前で待っていてくれるという。
スムーズに王宮への出入りができそうだ。
今回の件がなくても、アイサには良くしてもらっている。
――彼女にも何かお礼をしなきゃな。
そんなことをつらつら考えていると目的の場所に着いた。
店の前に樽のテーブルと中身が空の酒瓶が置いてある。
昼間にはなかったものだ。
夜はお酒を提供しているという意味だろうな。
私はひとつ呼吸を整え、『みみずく』と書かれている暖簾をくぐり店内に入った。
*****
店内はガヤガヤとして騒々しい。
アルコールの匂いと煙草の匂いが入り混じり、私はその紫煙の中を酒を持って行き来する。
足首まで丈のあるスカートはここの制服。その上から着たエプロンがひらりと翻る。
「ルリちゃーん、次これ3番テーブル!」
「はぁーい!ただいまー!」
ガコッとジョッキとおつまみを持ち、3番テーブルなるお客さんの元へ運ぶ。
「エールお待たせしました~!」
「新人の子?」
既に赤ら顔の3番テーブルお客が私ににやついた笑顔で話しかけてきた。
スキンヘッドにタンクトップを着た大柄な体格の男だ。
「ええ。今日からこちらで働かせていただいてます。よろしくお願いします」
「カワイイねえ。おぢさんドキドキしちゃうよぅ」
そう言ってお客は私のお尻をつるん、と触る。
両手が塞がっているため、何も抵抗ができなかった。
「おい、こらダメだぞー。やめろよぉ」
「おねーちゃん、こっち来てお酌しておくれよぉ」
周りのお客達がその様子を見てゲラゲラ笑っている。
……この酔っ払いめ。
どんっ!とジョッキをテーブルに置いて私は周りのお客さんをきつく睨んだ。
「ここはそういうサービスをするお店ではありません!今度私の身体触ったら、いくらお客さんといえど殴り飛ばしますからねっ」
私が睨んでも、おっさん共は「こわぁい」「おねーちゃんになら殴られたいぃ」とか言ってまたゲラゲラ笑う。
くっ…酔っ払いには何も言っても無駄だな。
前世は男だったのでこういったセクハラはされませんでしたが。
女将さんが心配していた理由も今更ながらわかりはじめた。
ま。こんなことで嫌になったりはしないけどね!
私は気を取り直しテーブルの上を布巾で拭きつつ、空いた皿を片付ける。
すると向かいのテーブルのお客さんがひらひらと手を振っているのが視界に入った。
「お待たせしました、ご注文ですか?」
急いでそのお客さんのところへ向かいオーダーを取る。
「うん。ねえ君なんて名前なの?」
「…はい?」
「名前が聞きたいんだけど」
ん?オーダーじゃないのか?
訝しがりながらも、オーダーを取る為のメモをポケットから取り出して答えた。
「ルリ、ですけど」
「そう。かわいい名前だね」
「はあ。どうも」
偽名ですけどね。
私はメモで口元を隠しながらまじまじとそのお客さんを見た。
肩につく位の赤銅色の髪をひとつに束ねているその彼の年は20代半ば~後半くらい?
きちんと皺が伸ばされたシャツに細身のスラックスといういで立ちだ。
すぐ横の椅子には剣が無造作に立てかけられていた。
シンプルな装いながらどこか品がある感じ。良いとこのお坊ちゃんかもしれない。
剣を刷いているのを見ると、もしかして騎士だったりするのだろうか。ただの護身用かもしれないけど。
切れ長で少々垂れ気味の目。
瞳の色は、金緑色――…ふと、違和感を覚えた。この瞳の色。どこかで見たことがあるぞ……しかも最近。
どこだっけ?
私がじーっと見ていたのが気になったのか、その男性はこちらを見てふわっと笑った。
「なに?」
「……いえ。どこかで見たことがある様な…」
その瞳。うーん思い出せない。
男性は私の発言に目元を震わせたように見えたけど。一瞬だったので気のせいかもしれない。
「ま、いいか。思い出せないんなら多分大したことじゃないだろうし!お客さん、オーダーはどうしますか?」
「……じゃあエールを貰おうかな」
「はーい」
***
「それでね。私の弟がさ、旅行から帰ってきたんだけど……」
「へぇー弟さんがいたんデスカー」
私はこの赤銅色の髪をした客にエールを運んだ……そのままの流れでこの客の世間話に付き合う羽目になっていた。
店内は忙しそうなのに。この客にだけ構っている暇はないのだけど。
私はちらっと女将さんの方を振り向く。それに対し女将さんは苦笑しながらも手を振って合図をした。
「ここはいいから客の相手をしなさい」という意味だろう。
申し訳なさそうに一礼してから客に向き合う。
なるべく早く会話を切り上げたいところだ。失礼がない程度に。
客はうっすらと赤みの差した顔で話を続けている。
「そう私には弟がいるんだけど。その弟が、旅行から帰っていたのだけれどね。なんと嫁を連れて帰ってきたんだよ」
「お嫁さんを!?旅先で!」
「そう…恋愛感情、もとい喜怒哀楽なんていう一切の感情を母親の腹の中に置き忘れて張り付いた笑顔で生まれて来たんだろうと思っていたあの弟が!あろうことか!嫁を!旅先で拾ってきたらしいんだ!」
お客は身振り手振りを交えながら大仰に言った。
それだけ自分の弟がとった行動が彼に衝撃を与えたんだろう。
とりあえずだ。
彼の言う、弟だという男性の人格は……あまり深く考えないとして。
「それはさぞかし運命的な出会いだったんでしょうね……すてき」
私はシルヴィアちゃんが持っている物語のような話に、我知らず心を弾ませた。
つい両手を合わせて目を輝かせてしまう。
「でね……。その弟が嫁を父上には会わせたらしいんだ」
「もうそれじゃあ結婚秒読みですね!?」
彼はエールをくっと飲み喉を潤す。
「実家では家令やらメイドやら門番やら全員が浮き足立っちゃっていてね。どうにも居づらい。私の周りの者はそれを聞いて私をせっつくし…」
家令やらメイドやら門番がいる……。
やはりこのお客は大きな家に住む……貴族の息子なんだろう。
こんな大衆的な酒場に来るとは。よっぽど家に居づらいのか。
「そうなんですか。……それでそのお嫁さんはどんな女性なんですか?」
正直彼の婚活事情には興味が沸かなかったので、さらっと流して話題を変えてしまった。
きっとその、人格に少々問題ありの、今まで恋愛に興味がなかったらしい弟なる人物のハートを射止めた女性だ。私は俄然そちらの彼女に興味が沸いていたのだ。
お客さんは私の質問にダンッとテーブルに拳を叩きつけて、悔しそうな顔を作る。
「それなんだよ!私には会わせてくれないんだ!!」
「ええっ!どうして!?」
「言ってみたんだよ、私も。会わせてくれって。そうしたら『兄上のような男性に会わせたら彼女が妊娠してしまうかもしれませんから』とか言っちゃってさ!ひどくない!?私が避妊に失敗するわけないのにっ!!」
「……ソウデスネ」
もうどこにツッコミを入れるべきか。
多分、この目の前の男性は相当女遊びが激しい人なんだろうな…。うん。
確かに自分も。最初の変な警戒感も解かれて、今ではすっかり彼と打ち解けて話している気がする。
人の心にするりと入っていくのが上手い人だ。
お顔立ちも整っていらっしゃるし。さぞかしおモテになるのでしょうね。
弟さんが警戒する理由、ちょっとだけ分かる。
「おうきゅ……屋敷の奥深くに彼女はいるらしいんだけど。弟の従者やメイドが何かにつけて私を渡らせてくれないんだ…くそ、あの筋肉ゴリラめ…」
「彼女は出歩かないのですか?ばったり庭で偶然会ったりとか」
「残念ながら。噂を聞く限り活発な女性らしいんだけど。屋敷の敷地が広くてね、すれ違ってばかりだ。……まぁそれも、弟の陰謀なんだろうね。私のスケジュールを把握して、彼女に会わせないように仕組まれているような気がする。奴ならやりかねない……」
「す、すごいですね……」
そこまでこの目の前にいる男性を信用していないのか。
そして徹底的にそれを実行してしまう弟さんの行動力。
若干この客が可哀想に思えてきた。
「本当にすごい入れ込みようだよ。だからこそとっても会ってみたかったんだよね」
彼はやれやれといったような仕草でぼやく。
「きっと素晴らしい女性なんでしょうね。私もお会いしてみたいです」
彼はふふっと喉を震わせるようにして笑った。
色気たっぷりな流し目でこちらを見る。
「ルリちゃんの方が絶対カワイイと思うな。弟の嫁を見たい会いたいって思っていたけど、ルリちゃんに今日会えたからもうどうでも良くなっちゃったかも」
「ははは。そっすかー」
つい、テキトーな返事を返してしまう。
彼はそんな私の態度に気分を害した様子もなく、お酒の追加を頼んだ。
私はお酒を取りに調理場に戻ろうと立ち上がった瞬間。
「だから、次来た時に払うっていってんだよ!!」
――罵声が聞こえた。
さっきの3番テーブルのお客が店主の親父さんの胸倉を掴んでガクガクと揺さぶっている姿が視界に飛び込んできた。
女将さんは毅然とした態度で「やめてちょうだい!」と叫ぶ。
私は急いでその場に駆け寄る。
「何をしているんですか?!やめてください、親父さんを離して!!」
「ルリちゃん、危ないからダメだよ」
女将さんは私の行動を制するように言った。
その言葉を聞いてガラの悪い3番テーブルのお客は女将さんを睨む。
「危ないだぁ?人を危険人物呼ばわりかよ、お客に対してそりゃあないんじゃねえか?」
「お金を払わない人はお客とは呼ばないよ!店主を離しておくれ!」
「今度来たとき払うって言ってんだろうがよ!このクソアマ!!」
店主をぽいっと放り投げ、ばちん、と女将さんの頬を男は平手で打った。
店内にどよめきが走った。
床に倒れた店主と女将さんを周りの店員が支え起こす。
男はそれを見て、けっと唾を吐く。
「不味い酒になっちまったぜ!おい、見せもんじゃねーぞ!!」
そう言って男は周りの客を蹴散らせながら店の出口へ向かった――…ところを。
ぽん、と私は彼の肩を叩いて呼び止めた。
「ねえ。次はお金払いに来てくれるんだよね?あんた次はいつこの店に来てくれるの?」
呼び止められて彼は「あー?」と私を振り向いた。
「さぁな。こんな気分を悪くする店に次はねえかもなぁ。ああでも…おねーちゃんがサービスしてくれるってんなら来てやってもいいぜ?イロイロなサービスをよぅ」
彼は下卑た笑顔で私の体を嘗め回すように見つめる。
私はその視線を払いのけるように男を見上げた。
「次がないんだったら、お金払っていってよ。あと女性に手を上げるなんてサイテーだ。謝って」
「ルリちゃん、おやめ!」
小声で女将さんや他の店員が私を諫める声を聞いた。
私は構わず続けた。
「聞いてんの?金払って謝罪しろって言ってんの。このハゲ」
ハゲというキーワードはどうやら彼にとってタブーだったらしい。
瞬間、男はカッと目を見開いて私の胸倉を掴み持ち上げる。私の足がふわっと宙に浮く。
店内に悲鳴が上がった。
「てめえ……生意気な小娘だな。がたがたに犯してやろうか」
どうやらこいつのスキンヘッドは、ハゲを隠す為になされた髪型のようだな。うむ。
この髪型しか選択肢がなかった哀れな奴だろうけど。同情する気持ちは微塵もない。
剣の柄に手をかけようとする人物がちらりと視界の隅に映る。
真っ赤な顔をして怒るハゲタンクトップを見下ろしながら、私は吐き捨てるように叫んだ。
視界の隅にいる彼を牽制する意味も込めて。
「うっせーんだよ、このクソハゲ!おまえなんぞに誰が処女をくれてやるもんか!」
胸倉を掴んでいるハゲの手――その小指を掴み、体重をかけて思いっきり逆方向に捩じる。
彼はたまらず私をばっと離し、痛みで悶絶する様に前屈みになる。ぎろりと血走った眼が私を睨む。
「このぉ……!!」
ハゲはヨロヨロと足を踏み出しつつも、やがて私に勢いよく殴りかかる。
私は左手でその軌道をビシっと叩いてずらし殴りかかった腕を掴む。同時に身を反転させ殴りかかった勢いを殺さないまま彼の身体を腰に乗せる。右手で胸倉を掴み、そのまま彼の身体を回転させ地面に叩きつけた。
びったーん、といい音がした。技がきれいに決まったのだ。
受け身なんてものを知らない男は背中をしたたかに叩きつけられて息が詰まったようだ。
げほげほと空咳をしむせていた。
前世の体育の時間に習った柔道の投げ技です。まさか役立つとは。
柔よく剛を制す――とはよくいったものだな。
というか身体は覚えているものですね。前世と身体違うけどねっ!
私はパンパンと手を叩いて埃を落とす。
カツラの位置を手で触って確かめる。……よし、ズレていないな。
それを見て茫然としていた女将さんが、はっと我に返りこちらに駆けて来た。
「ルリちゃん、大丈夫?!」
「ああ、はい。平気ですー。それより何か縛るモノ……」
「そ、そうね。とりあえず、警邏隊にこいつをしょっ引いて貰いましょう」
店のスタッフが男をぐるぐる巻きにする。
男は「ちきしょー」などと映画に出てくる小悪党そのもののセリフを吐いている。
私はその男の前にツカツカと進み出て、縛られている彼の前に座り込んだ。
ふてくされた男の顔を覗き込む。
「……んだよ」
「ねえ。今度はちゃんとお金持って食べに来てくんない?」
「はぁ?」
「警邏隊に今からこっぴどく叱られるかもしんないけど。でも今度お金持って、謝りに来てくれたら。うんとおっさんにサービスしちゃうからさ、わたし!」
スキンヘッドのおっさんは完全に酔いが冷めたのか、ポカンとしてこちらを見ていた。
私はその表情を見てはっとして言い募る。
「あ、ちがうよ!エッチなサービスのことじゃないからね!?」
おっさんは毒気を抜かれた顔で脱力した。
「期待してねえよ。そんな貧相な体…」
彼は周りの人に腕を掴まれ乱暴に立ち上がらせられた。
店を出るときに、ぼそっと「悪かったな…」と呟いた。
私はそのすっかりしょげて小さくなってしまった背中に向かい、「また来てねー」と声をかけた。
ちなみに。後からさんざん女将さんに怒られたのは言うまでもない。
もちろんそれ以上に感謝もされたんだけど。
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「感心しないねぇ……」
「何がデスカ?」
バイトの帰り道。王宮へと続く街道を私は歩いていた。店にいた赤銅色の髪の客と何故か一緒に。
「女の子がゴロツキに向かっていくなんてさ。私は冷や冷やしたよ。君っておバカさん?」
「ハイハイ。私はおバカさんデスヨー」
私は彼の言葉を適当に受け流しながら、先ほどの情景を思い出す。
スキンヘッドのおっさんに胸倉を掴まれたとき、この男は確かに帯刀していた剣を抜こうとしていたのだ。
それで慌てておっさんの小指を捻じ曲げたんだけど。
「多分、あのお客はお酒の力で気が大きくなってしまったんじゃないかなって思って。それまでは本当に陽気にお酒を楽しんでいたみたいだから。根は悪い人じゃないよ、うん。多分」
なんて。一応弁護してみる。
「君を殴ろうとしたのに?」
「そうだけど。だからそこはほらお酒の魔力というか。酒乱ではあると思うけど。酔いが冷めた後はちゃんと反省していたようだし、最後に謝っていたし。それでいんじゃない?」
酒は飲んでも吞まれるなってやつですかね。
「君はおバカさんなだけじゃなくて、超がつくお人好しなんだねぇ」
彼はやれやれと言ったように首を横に振る。
「ハイハイ。私は馬鹿でお人好しデスヨー」
これもまた軽く流す。
「おバカさんでお人好しな処女なんだねぇ」
「ハイハイ。私は馬鹿でお人好しなしょじょ……ぶふっ!」
勢いよく吹き出した。
「年頃の女の子が。公衆の面前であんなこと叫ぶからさ。衝撃だったよ。いや笑撃?」
彼はその時の光景を思い出したのか肩をぷるぷる震わせて笑っていた。
「いや、あれは……ただの勢いというか」
ごにょごにょ。
続く言葉が出てこない。
今更ながら。焦っていたとはいえ何て恥ずかしいことを叫んだんだろう。
絶対裏で「処女店員」とか「喪女バイト」とか。
客と店員の間で変なあだ名がつけられているに決まってる。
「ふうん?」
彼は相変わらず楽しそうに笑っていた。
その、人をからかうような笑みは――どっかの第二王子兼勇者サマを何故か彷彿とさせた。
私は急に目の前の彼のことを知りたくなった。
「そういえば、お客さん。名前はなんていうの?」
彼は顎に手を置いて、一瞬考えた。
「?」
「……アウル」
「アウル?……って」
偽名でショ、それ。
分かりやすいウソついちゃってさ。店の名前から連想したに違いない。
今日初めて会った人だ。もしかしたら次に会うこともないかもしれない。
そんな人の名前。気にしても仕方がないのだけど。
おちゃらけているだけか。もしかして何か事情があって名前を伏せたいのかもしれない。
私も彼に本当の名前を教えていないし。お互いさまだろう。
でも意趣返しってわけじゃないけど。ちょっと意地の悪い気持ちがちらりと覗いた。
「そうか、フクロウさん。またお店に来てね?」
彼はちょっと舌を出してバツが悪そうに笑った。
「やっぱりちょっと安直だったかな?私の本当の名前、知りたい?」
色っぽい視線をこちらに寄越すので、私は反射的に首を横に振る。
「いんや。さほど興味はないかな」
彼は口の端をひくつかせる。
あ。しまった。
店のお客に対して。また失言をしてしまった。
私ってば一言も二言も多い。
彼は金緑の瞳を猫のように細めて私を見る。
あ、なんかこの表情も。どこかで見たことある。
これまたどっかの国の第二王子がよくする顔だ。
「目標捕捉!」みたいな……。
「こんなに女性につれなくされたのは初めてだね。ねえ、これから君があの店にいる時は毎日通おうかな」
「はあ。そりゃどうも」
お金を落としていってくれるのはありがたいです。
「もしも私の名前を知りたくなったら言ってね?……君の初めてを貰う代わりにベッドの中で教えてあげる」
「……」
私はジト目で彼を見た後、黙って歩き始めた。無視だ。無視。
こういう輩はまともに相手しない方がいいな。うん。
万年常春なことしか頭にないんだろう。
彼の弟さんとやらの人物の気持ちがとても良く分かる。
頑張って婚約者を守り切っていただきたい。
彼は私の後をのんびりと歩いてついてきていた。
細身のブーツの音が、歩くたびに石畳をカツーンカツーンと反響させていた。
――ふと、気になった。
ここから先は……まだちょっと歩くけど。王宮くらいしかないんじゃないかな。
( ゜д゜)ハッ!
こ、これは……!
俗にいうアレか!ストーカーってやつ?私の現住所及び所在地を把握しようとして!?
いや、待てよ。そこまで粘着質な性格には見えないな…。
じゃあアレか。これは合コンの帰りによく出没するという……
――送り狼ってやつか!!
私はばっと後ろを勢いよく振り返る。
アウル(仮)は「うん?」と顔を上げる。金緑の瞳とぶつかる。
くそ……疑い出したらもはやソレにしか思えなくなってしまったぜぃ…。
にじりにじり……と2.3歩後ずさる。
首をかしげて不思議そうな顔をした彼に、私は何も告げず、突然、踵を返す、と同時にダッと猛然と走り出した。
急に脱兎のごとく猛ダッシュした私の背中に向かって「ええっ?ちょっと君…っ!!」と慌てたような戸惑いの声がかかった。
そんな彼の困惑を振り切り、私は前世体育の先生兼陸上部顧問に褒められた美しいフォームを保ち王宮へと続く坂を駆け上る。
アウル(仮)は最初こそ追いかけようとする気配を見せたものの、やがて諦めたのか。
――気づけば彼の姿は私の背後から完全に消えていた。
持久力も自信がある私だけど、男性の体力に叶うかは心配ですんで、瞬発力で勝負させていただきました。
スタートダッシュってその瞬間の勝負を決する程、大事な一瞬だよね!
改めてそう実感しました。
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王宮の庭では、そわそわと気遣わし気にアイサが待っていた。
「ルリ!おかえりなさい!」
初出勤を終えて帰ってきた私を彼女はほっとした様子で迎えてくれた。
門番もすんなり通してくれる。
「た、ただいま。アイサ」
「……どうかしましたか?」
門番に聞こえないようにひそめた声で敬語を使い、アイサは訊ねた。
息切れをしている私を心配そうに見つめている。
「いや、ちょっと狼が……ううん何でもないよ」
私は戸惑うアイサの背中を押して、王宮に向かいがてら「大丈夫。楽しく働けたよ」と報告した。
彼女は安心したのか、少し眠たげな眼をこすりつつ、「それは良かったです」と微笑んでくれた。
――こうして私の初出勤日は幕を閉じたのだった。
英語や日本語が使われたり使われなかったり…
そんなテキトーな異世界です。ゴメンナサイ。




