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令嬢は生きるのがツライ  作者: 今谷香菜
~シャダーン国編Ⅰ ふたりの王子~
20/85

~【閑話】とある彼のひとりごと~

長文です。最近出番のない彼の為に……

――隣国に短期留学している義妹から手紙が来た。



****


「うーん……」


「お兄さま、どうしましたの?」


部屋の文机で唸っていると先ほどから様子を見ていたらしいシルヴィアが声を掛けた。

手にはティーセットを持っている。


「おねえさまからの手紙が届いてから、ずっとお部屋に閉じこもって。何をされていらっしゃるの?」


「いや……おまえ、これ読んでどう思う?」


オリヴィアからの手紙だ。

「読んでもいいのか?」という視線をこちらに送ったシルヴィアに軽く頷いて応える。

シルヴィアは持っていたティーセットをサイドテーブルに置き手紙を受け取る。


ざっと文面を目で追って後、一言。


「……おねえさまは相変わらずですね」


「だろう?相変わらず……」


「「鈍感」」


ハモった。


ふぅ、とシルヴィアは手紙に息を吹きかける。


「薔薇姫などと…。おねえさまを愛おしそうに呼んでいたあの王子が。おねえさまと今更お友達になりたいなんてこと。そんなことあり得ませんわ」


「だよなぁ。しかも交換日記……。今回はあいつの鈍感なところが功を弄したわけだが」


シルヴィアはつと、考える。

姉は昔からこと恋愛に関しては奥手であったし鈍感でもあった。

でも最近の彼女はそれに加えて――そういった色事を無意識に避けているきらいがある。

鈍感というより恋愛回避能力というべきか。


何となくだけど。彼女の自信のなさが原因だろう。シルヴィアはそう考えていた。


自分が恋愛的な意味で異性から好かれるわけがないとはなから決めてかかっているような気がする。

お陰で目の前の義兄は苦労しっぱなしだ。


そう、目の前の義兄――


「……お兄さまはどうして。おねえさまをシャダーンに行かせましたの?」


「別に俺が好きであいつを行かせたわけじゃない」


「そうですけど。最終的には見送ってましたわ」


無茶を言っているとシルヴィア自身そう思っている。

相手は自国より強大なシャダーンだ。妖精と竜に愛された国。

その王子に乞われたのだ。逆らうことは難しい。


しかしこの義兄ならもう少し粘るかと思ったのに。結構あっさり引き下がったのがずっと疑問だったのだ。


義兄は顔をうっすら赤らめて「それはリヴィと……」と呟いて口ごもる。


「おねえさまと?何ですの??」


「……」


これは何かあるな。

シルヴィアは義兄を羽交い絞めにした。


「お・に・い・さ・ま・?」


「シルヴィ―…、くるし……」


観念した様子で両手を上げたので拘束を緩める。

義兄は「げほ」とせき込みながら呆れたようにこちらを見た。うっすら涙目だ。


「おまえ……だんだんリヴィに似てきたな。どんどんガサツに……」


「私は元々こんな性格ですわ。それで?おねえさまと?何ですの??」


義兄はやはり顔を赤くして視線を逸らす。

シルヴィアはサイドテーブルでお茶の準備をした。


「……あいつと約束をしたんだ」


「約束?」


紅茶を淹れながら視線だけ寄越す。


「御前試合で俺が優勝したら、何でも好きなものをくれるって約束を……」


義兄に淹れた紅茶を手渡しつつ、嘆息した。


「お兄さまはその約束をしたから安心して送り出したわけですの」


「別に安心しきっているわけじゃない。1か月して帰ってこないようなら俺が迎えに行く」


「そうですわねぇ。ミラ王子でしたかしら?かなり曲者な気がしますもの」


「全くだ。一体いつタラシ込んだんだ、リヴィの奴」


紅茶を飲みつつ義兄はうんざりしたように言った。


タラシ込むとは人聞きが悪い。姉はきっと無自覚だ。

……だからこそたちが悪いと言ってしまえばそれまでだが。

シルヴィアはふと疑問に思っていたことを義兄に聞いた。


「お兄さまはいつ、お姉さまにタラシ込まれましたの?」


「んな…っ!?」


義兄はかろうじて飲みかけの紅茶を吹き出すことはしなかったが。かなりむせている。

陸でよくよく溺れる義兄である。


「私が物心つく頃にはお姉さまのこと好きだったのでしょう?お兄さま」


一体いつ彼は姉を好きになったのだろうか。

気づいたときは義兄は姉のことが好きで。自分はそれとなくフォローをしていたが。

彼が姉を懸想する契機を自分は知らないのだ。


「お・に・い・さ・ま・?」


「………」


義兄は無言のまま茶をすする。


これは断固徹底抗戦の構えだ。

シルヴィアは片眉をあげる。


「お兄さまがその気なら仕方がありませんわねぇ?お姉さまには内緒にしていたあんなことやこんなこと。言ってしまおうかしら……」


「ま、待て!一体何のことだ!?」


義兄は焦ったようにわたわたと椅子から立ち上がる。


「そうですわねぇ?つい最近の出来事で言えば。あの舞踏会の後、お姉さまへの求婚者やお見合い話、恋文など山のように来ていたはずなんですけど。お兄さまが求婚者をちぎっては投げ、ちぎっては投げで蹴散らして全て握りつぶしていることとか……」


「……」


「この前ドニ伯爵家の次男リオン様がお見えになったときも。『リヴィを嫁にしたいなら俺を倒してからにしろ』と剣を抜いて脅したとか」


「……シルヴィ―…」


「温室育ちのお坊ちゃまに対して。軍人の本物の殺気はいけませんわ、お兄さま。軽くトラウマですもの。お姉さまが知ったら『大人げない』と思われるんじゃありません?」


シオンは軽くこめかみを指で揉んでいた。

「ふぅぅぅ」と深呼吸代わりに深く息を吐く。


「ええとだな……リヴィのことは、別に大きなきっかけがあったわけでも何でもなくてだな……」


シルヴィアはにっこり笑ってみせた。

姉の前ではええ格好しいの義兄だ。彼は自分の余裕のない姿を彼女に知られることを嫌がる。

勿論、こんな話は昔っから腐る程あるし、その中でもカワイイものだとシルヴィアは思うのだが。


たどたどしく語り始める義兄の話を遮ることがないよう、シルヴィアは静かに寝台に腰を下ろし、そっと彼の話に耳を傾けた。




*****


――その年は、例年よりも雪が深い年だった。


忘れもしない13年前のその年。自分は一人きりになった。


視察の帰り、雪道の中無理に峠を越えようとして。両親は馬車ごと崖から転落したのだ。


一人息子を残し両親はあっけなくこの世を去った。


世界から置いてけぼりにされた。

自分も両親も神も。何もかもを恨んだ。


その突然すぎる喪失は8歳だった自分の幼い心をバラバラに砕くのには十分すぎる出来事だ。

両親はあの扉を開けただいまと帰ってくるはずだったのに。当たり前のように信じた日常が。明日が。自分にはやって来なかったのだ。


泣きも笑いもしない甥を不憫に想ったのだろう、父の実兄にあたるアーレン公爵はすぐさま自分を引き取ってくれたが、その頃の自分はやはり人と接することを嫌がり、与えられた室で一日中閉じこもっていた。


そんな日々が続いた。これからもずっと続くと思っていたある日。



✳︎✳︎✳︎✳︎✳︎




コンコンと扉をノックする音を聞いた。


「シオン、今いいかしら?」


公爵夫人の声だ。


「はい…」


返事をしてゆるゆると寝台から起き上がる。


扉を開け顔を見せた自分に、夫人はどこかホッとしたような笑顔を見せた。


「あらあら、シオン。まだ寝間着のままでいたのね?それに寝癖もついているわ。折角カワイイ顔をしているのに台無しよ」


そう言って夫人は寝癖を直すように自分の頭を撫でつける。

その優しい仕草は生前の母を思い出す。


気づけば反射的に夫人の手を払ってしまっていた。


パシン、と軽い音が静かな空間に響く。


「あ、ごめんなさい…」


一瞬だけ惚けた顔になった夫人だったが、すぐに困ったように微笑みを浮かべた。


「シオン、今日は私の娘を紹介するわ。オリー、入ってきなさい」


夫人に手招きをされておずおずと彼女は室に入ってきた。


「シオン、この子はオリヴィアよ」


「はい…知っています。何度か会ったこと、あるから…」


最後に会ったのは両親の葬式だった。百合の花を両親の棺に手向けてくれた。

そこから自分は公爵夫妻以外の人間と話していない。

目の前の彼女とも。生まれたばかりだという女の子とも会っていないのだ。


「そうね。シオンは賢いから分かるわよね。オリー、この男の子はシオンよ」


「しおん?」


夫人のスカートの裾を掴みながら、オリヴィアは母の顔を見上げた。

舌足らずな口調で自分の名前を呟いた。不思議そうな顔をしている。

きっと何故シオンがこの屋敷にいるのかが分からないのだろう。


「そうよ。あなたのお兄さんになったのよ」


「おにいさんに?!」


途端にオリヴィアはぱぁぁと顔を輝かせ、夫人と自分を交互に見比べた。


「シオン、貴方を今日からオリヴィアの遊び相手に任命します」


夫人は胸を反らしながら、大げさにふんぞり返った。

まるで上官が部下に命令をするように重々しく。


「遊び相手ですか?でも……」


自分はそんな気分になれない。


夫人はにっこり笑った。


「異論は認めません!シルヴィ―が生まれたばかりで、オリ―の面倒を見切れないのよ。だから遊んであげてちょうだい。この子も寂しがっているから」




******



部屋にオリヴィアを残して夫人は去ってしまった。


公爵家にはお世話になっているのだから、子守くらいすべきなんだろう。


それは良いのだが…。


正直言って参った。女の子だ。しかも自分より年下の子。

どうやって遊べばいいのかなんてわからない。


オリヴィアを見れば、期待に満ち満ちた目でこちらを見ていた。

「何して遊んでくれるんだろう!?」という風に。


「オリヴィア……は何して遊びたい?」


素直にしたい遊びを聞いた方が無難だ。

女の子の期待するような遊びなんて自分の頭にはない。


オリヴィアは目を輝かせたままひとつ頷き、部屋を一旦飛び出した。


何しに行ったんだろう?と疑問に思ったのも一瞬で、オリヴィアはすぐに戻ってきた。


画用紙や絵の具。それに絵本などを両手いっぱいに抱え込んでいた。


「それで遊ぶの?」


「うん!」


オリヴィアは持っていた遊び道具を床にばっと放り投げて「にしし」と笑った。



****



彼女は床に寝そべり、いろいろな絵を描いた。


赤や黄色、青の物体。これは何だろう?

シオンはオリヴィアの描いている絵を覗き込みながら首を傾げた。


「これなに?」


「くるま」


「俥?俥なら人が引っ張っているんじゃ……」


オリヴィアの描かれている絵の『くるま』には人が描かれていない。


人力で人の乗る輿こしを動かす移動手段は確かにある。

自分の知識では道がきちんと舗装された王都や、人の往来が激しく馬車での移動が困難な街道ではなじみ深いものらしいが、しかしごく一部の都市だけだ。

この国での大抵の移動手段は馬車が一般的だ。


しかもオリヴィアが描いた『くるま』と自分の知っている『俥』は形が全然違う。


ますます首を傾げて見ていると、オリヴィアも自分が描いたものの正体はよく分かっていないようだ。

きっと彼女の創造上の物体なんだろう。


他にも「けいたい」「すし」「ふじさん」なるものを絵に描いて楽しんでいた。


そのどれも、彼女はうまく説明ができなかったが。


何となく、異国の文化――というのも大げさだけど。

彼女の頭の中にもうひとつ別の世界を垣間見たような気がして、不思議と面白かったのをよく覚えている。


――シオンの部屋の絨毯に絵の具を盛大にこぼし、夫人の雷が落ちたのは、また別の話だったりする。



*****


――その次の日も。次の日も。一週間、一カ月後も。半年後も。

彼女は自分の部屋に遊び道具を持ち込み、日がな一日遊んだ。


絵本を読み聞かせた日はそのままベットで一緒に眠ってしまった。

なぞなぞを出し合いっこしたり、塗り絵をしたり。

字の読み書きを教えてあげたりもした。



そんな風に毎日を彼女と過ごし、気づけば彼女が自室を訪れる時を。そのノックの音を心待ちにしている自分がいるのに気付いた。


――そんなある日。


いつも通り彼女が自分の部屋を訪れた。

でも手には何も持っていない。

疑問に思いながらも彼女に聞いた。最初彼女に聞いたように。そしていつも通りに。


「オリヴィア、何して遊びたい?」


このセリフが遊びをスタートする決まり文句のようなものだった。


問われたオリヴィアは元気よく挙手をした。


「今日は木登りをしたい!」



*****


――女の子との遊びで。

まさか木登りを提案されるとは思わなかった。


シオンはオリヴィアを連れて邸宅の前に広がる森に来た。


はしゃいだ様子でオリヴィアは駆け出す。

その後ろ姿を見つめながらシオンはぼんやり考えていた。


――木登りといってもまだ4、5歳だ。できるわけがないだろうに。


不思議に思っていたら、オリヴィアは目当ての木の前で止まる。

どんぐりが地面に落ちている。かしの木だ。


オリヴィアが何かを指差して、自分を手招きした。


駆け寄り木に近づくと、その一番低い枝に手製の縄梯子が括り付けてあった。


きっと屋敷の家令か、庭師にでも頼んで作ってもらったのだろう。

オリヴィアはその縄梯子を指差して笑った。


「シオン。先登って」


「え?」


「上からあたしを引っ張って」


恐らくいつも大人にそうしてもらっているのだろう。

シオンは了解して縄梯子に足を掛け、木に登った。


枝にまたがり、縄梯子を1段、2段と恐る恐る登っている彼女の手をぐいと掴み、木上へ引っ張ってやった。

そうして隣に座らせ、落ちないように腰に手を回す。


オリヴィアはおっかなびっくりといった面持ちで、シオンにしがみついていた。

その様子に笑いがこみ上げる。


「怖い?」


「……いつもじいやが一緒だから。こどもだけで木に登っちゃいけないって」


「そう。じゃあもう降りる?」


オリヴィアはふるふると首を横に振った。


「だめ。まだ……だもん」


「どうしたの?何かあるの?」


何が「まだ」なんだろう?


そういえば、どうして今日は外で遊んでいるんだろう。

ふと疑問が浮かんだ。

いつも彼女と遊ぶ時は部屋の中でできる遊びだったのに。


いや、違う。

そうじゃない。


どうして――今まで部屋の中で遊んでいたんだろう?


これまでの交流の中でわかった彼女の性格は……とってもお転婆だ。それに尽きる。


木登りをするために手製の縄梯子を作ってもらったくらいだ。


元々が活発な性格なんだろう。外での遊びが好きなはずだ。


なのにどうして今まで……?


「オリヴィア」


「なあに」


「どうして今まで部屋の中で遊んでいたの?」


「シオンのお顔が真っ青だったからよ」


「え?」


オリヴィアは歯を見せて笑う。


心がじんわりと温まったのを感じた。

彼女は自分の体調を気にして、外で遊びたいのを我慢していたのだ。


「もう、青くないの?だから今日は外で遊ぶの?」


「うん。もうだいじょうぶ。それに今日はとくべつなの」


「とくべつ?そういえば何が『まだ』なの?」


「…お星さまが見たいの」


オリヴィアは空を仰いだ。

まだまだ日は高い。


「星が見たいって……どうして急に?」


「シオンのおとうさまとおかあさまが、そろそろお空に帰る頃だって聞いたのよ」


「え?」


「庭師のおじちゃんが言っていたもの。死んじゃったひとはね、残していったひとのことが心残りなんだって。そのひとが笑うのを見て、安心してお空に帰るんだって。それでお星さまになってずっと見守ってくれるって」


虚を突かれた。


彼女は少し俯いていた。

オリヴィアの年齢で『死』という概念はもう漠然と理解できているのだろう。


自分は。


自分は彼女と遊ぶ日々の中で、段々と両親の死を思い出す時が短く、頻度も少なくなっていった。


それを唐突に思い知らされたようだった。

金づちで頭をガン、と殴られたような衝撃だ。


それと同時に、恐ろしい、と感じてしまった。


「ぼくも。……ぼくも死んじゃいたい」


「シオン?」


「父さんと母さんを思い出さなくなっていた。忘れちゃいけないのに。あんなに、あんなに悲しかったのに」


気づけば食欲も戻り、ごはんを食べていた。

生理現象でトイレにだって行き、用を足す。


両親という自分にとって大きな存在を失くしてなお、自分はふつうに生きている。


なんて浅ましいんだろう。

この呼吸いきをしている自分。この笑っている自分。


――生きて、一瞬でも幸福を感じている。のうのうと暮らしているこの自分。


汚い。汚い。汚い。汚い。


「死んじゃいたい!父さんと母さんとお星さまになれるんだったら、ぼくも死んじゃいたい!」


気づけば涙がぼろり、と溢れこぼれた。


「父さん!どうして!あんなに身体を鍛えていたじゃないか!あんなに強かったのにどうして死んじゃったの!?」


どうして!どうして!どうして!!


「かあさん!帰ったらミートパイを焼いてくれるって言った!!約束したのにどうして死んじゃったの!?」


「うわあああああ!!」と声をあげていた。

泣き声なんて可愛いものじゃない。獣のような腹の底から。身を絞るような叫びだ。

涙がとめどなく流れ、頬を濡らし、枝上から地面へ雨のように落ちる。


「あなたたちが僕の世界の全てだった!!」


全てだったのに!!


「お星さまになんかならないで!ずっと傍にいて!……ちがう!僕も傍に行きたい。一緒にいたい!!」


「死んじゃいたい!!!」今までで一番大きな声で叫んだ。


その時。


隣にいたオリヴィアが。


ぺちっと両手で自分の頬を優しく叩いた。


「そんなに泣いたら目が溶けちゃうよ?」


優しく微笑んだ。4.5歳の女の子だと思えないような。慈愛に満ちた目で。


「オリヴィア……」


「シオンは死んじゃだめだよ。あたしのおにいさまになったんだから」


「……」


「あたしは。シオンは髪の毛の一本までも大切だよ。簡単に死んじゃいたいなんて思っちゃダメ」


「髪の毛の一本まで?」


大げさだ。

自分にそんな価値はない。


オリヴィアは「うん」と言って自分の髪を撫でた。


「シオンの髪も瞳もキレイ。黒い宝石みたいだから。とっても大切。あたしにはきっとお星さまよりキレイだから」


「だからお星さまになりたいなんて言わないで」オリヴィアは真剣な顔でそう言った。


彼女のもみじのような温かくて柔らかい手を頬に感じた。

ああ、ひとの体温だ。


最後に両親の身体を触ったときは、とても冷たくて。


気づけばその身体を。木の上でぎゅううっと抱きしめていた。


ぬくもりを確かめるように。


「オリヴィアは温かい……」


「シオンも温かいよ」


――生きているから。


「おとうさまとおかあさまにはいつか会えるよ」


「え?」


「天国で会えるって庭師のおじちゃんが言っていたもの。いつか会えるんだったら、もっとずっと後の方がいいよ。おとうさまとおかあさまにたくさんお話しすることがある方がいいよ」


「そう……だね」


「もしまた泣きたかったら、ツラかったらあたしが隣にいるよ。これからずっと」


「ずっと?」


「そうだよ。シオンを置いていかないよ。あたしのおにいさまだもん」


「約束だよ」と彼女は小指を差し出した。その小さな小指で。彼女と最初の指切りをした。


この時。自分は途方もなく、どうしようもなく。生きていきたいと思った。――彼女の隣で。


「あ、一番星!!」


夕闇と夜の間。

宵闇の中で一つの星が輝きを放っていた。


彼女はすううっと息を大きく吸って、その星に向かって叫んだ。


「シオンのおとうさま、おかあさま――!シオンはわたしのおにいさまになりました!!」


「オリヴィア……」


「シオンは今日、すっごく泣きました!聞こえましたか!?それだけおとうさまとおかあさまが大好きだったんです!!」


手をぶんぶんと大きく振る。

きっと空の上の自分の両親にその姿をよく見せるためなんだろう。


「でも、明日は泣いた分だけ笑うよ!明後日も、明々後日も!!たくさん笑うから、心配しないでください――!!」


「オリヴィア、ありがとう……」


――父さん、母さん。どうか見守っていてください。


大声を出して叫ぶことはしなかった。


――馬車ごと崖に落ちたとき。痛かったですか?辛かったですか?


オリヴィアが言った。彼らはもうお空に帰ったのだと。


きっともう痛みも苦しみもない。至福と平和と喜びの多き地へ。彼らは迎い入れられたのだ。


――それなら。どうか安らかに。



気づけば自然と祈るような姿勢になっていた。


そういえば、大きな声で泣いたのも。両親の為に祈りを捧げたのも。


両親を亡くしてから初めてのことだった。


「オリヴィア、帰ろう」


なんとなく、すっきりした。

憑き物が落ちたような顔を今、自分はしていることだろう。

きっとこれは一時的なもので、これから先も両親の死を思い出しては泣くことだろう。


それでも。ちゃんと生きて、毎日を送ることができる。


そんな風に考えられるようになった。きっと彼女が背中を押してくれたから。

髪の毛一本さえも価値があると言ってくれたから。その価値に恥じないように日々を丁寧に生きよう。


オリヴィアを枝にしがみつかせたまま、自分が先に降りる。


地上に足をつけたら、枝の上からジャンプした彼女を抱きとめる。


子供が登る為の配慮だろう、地上からそんなに離れた木枝ではない。

仮に落っこちても擦り傷程度のものだろう。骨折をする高さではなかった。


「僕たちの姿がよく見えるように、木に登ろうって言ったの?」


「そうだよ」


「そっか…」


手を繋ぎ、屋敷へと帰る。


あの木の高さより、自室の部屋からの方が空に近い――とは思うのだが。わざわざ外に出てあの木に登らなくとも。


ぷにぷにした彼女の手の感触を感じながら思った。


もしかしたら人目を憚らず泣けるように配慮してくれたのか、と。


まさか。きっとそこまでは考えていないだろう。きっと。


大人びた発言も多いし、時々年相応に見えない、陰りのある表情をするオリヴィアだったけど。

それでも彼女はまだ子供なんだから。



それから帰宅後――

いつも部屋で遊んでいるのに、屋敷の何処にもいない。誰も行方を知らない。庭にもいない。

一番星が輝いている頃合いになっても帰ってこない。


そんなこんなで屋敷のひとたちは随分気を揉んだそうだ。


二人揃ってこっぴどく夫人に叱られたのも、また別の話だ。



*****


「……思うだに。あれってリヴィからのプロポーズだと思うんだが」


ずっと隣にいると約束をしてくれた彼女。

彼女は覚えているだろうか?

時効という概念は無論自分にはない。


「そうですわねぇ。おねえさまったら。その頃から人タラシだったんですわね」


シルヴィアはしみじみした。

姉は幼い頃から姉だ。ブレない。


「それで。お兄さまは落とされたというわけですのね」


「いや、まぁ……。ほだされはしたんだろうが……」


正直、彼女への気持ちが親愛から恋情へいつ変化したのか。定かではない。


ただ彼女と過ごすうち、どんどんと隣で美しく成長する彼女を見て。

何故だか落ち着かず焦ってしまった時。


以前自分の髪と瞳を宝石だと称してくれたように、彼女の瞳が。笑顔が。宝石のように輝いて見えるようになったのはいつだったか。


髪の一筋さえも大切で。彼女の身体を流れる血の一滴すら価値があるように思えてしまったのは?


そうやって彼女の存在自体を愛おしみ、恋しがるようになったのは?


「だから言っただろう?特にこれといったきっかけがあったわけじゃないって」


探るように自分を見つめるシルヴィアに苦笑を漏らした。


彼女と過ごした穏やかな日々。そのゆったりした日常のように、時が自分をゆっくりと変えたのだろう。


これからも変わっていく。自分も、彼女も。その関係性も。


「とりあえず脱兄妹だな」


そう独りごちるとシルヴィアは、「お頑張りなさいませ」とひっそりと笑い室を出た。


ああ、昔を思い出したら。無性に彼女に会いたくなった。


早く1カ月が過ぎぬものだろうか。


ここに彼女がいない現実にちょっと切なさを覚えつつも、返事の手紙をしたためようと文机に向き直る。


柔らかい日差しが窓辺に差し込む。

窓の隙間からそっと風が入り、彼の頬を撫でていく。



――まるで彼の思い出の日々のように。どこまでも優しく。温かく。





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