~妖精に好かれる体質がツライ~
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身体的疲労か、それとも精神的ストレスのせいか、私は若干もたつきながらも、何とか膳を運ぶことができた。
部屋の前に来た。コンコンとノックをして室に入る。
「ああ、姫君。そんな侍女の真似事をしなくとも」
ヨハンナムさんは扉のところで私が持っていた膳を引き取ってくれた。
「あれ?ヨハンナムさんもいたんだ」
「ええ…おや。アミン様とギュリ様もお帰りでしたか。お疲れ様です」
ヨハンナムさんは私たちが一緒だったのに驚いた様子だ。
彼に労いの言葉をかけられても美女妖精は意に介した様子もなく。
部屋に入るなり一目散にミラの元へ飛び込む。
「我が君ぃ、私たち疲れましたわぁぁん。労わってくださいませぇ~」
ミラは美女ふたりに腕を取られ、すりすりされている。
何故かミラは私を見て慌てふためいていた。浮気の決定的瞬間を見られたみたいな?
うん、見慣れました。この光景。今自分は死んだ魚の目をしているに違いない。
頭を撫でつつ、ミラは「よくやってくれましたね」とお褒めの言葉をふたりに授けている。
それもそこそこに、彼は自分を守護しているふたりを見て微笑みつつ言った。
「おまえたち。宿でヒト型は目立ちますから。ここを出るまでは影に戻りなさい」
美女二人は少々不満気に口をとがらせ、こちらを振り向いた。
口を動かしている。「言え」と。
私は「あ!」と思い出し、ミラに声を掛ける。
「ミ…」
と呼びかけたところで、美女精霊ふたりに睨まれる。
ああ、そうでしたね。
「ご、ご主人様。おふたりを影に戻す前にご報告を」
ミラは眉をひそめて「ご主人様…?」と訝る。
が、それ以上は指摘をしなかったので、話の続きを促されたのだと判断した。
「実は…ええと。部屋に戻る途中、妖精たちに攫われそうになったのをこのお二人に助けていただきました」
「なんですって!?」
「おや…まぁ」
ミラとヨハンナムさんふたりはほぼ同時にそのような反応を示した。
美女妖精たちはミラから離れ、私の肩に手を回す。両手に花の状態ですね。
彼女たちは得意げな笑顔を見せて胸を反らす。
「ペットを守るのも飼い主の役割じゃろう?我が主」
「我が君の所有物ですもの。私たちもコレで遊びたいのですわ」
「コレと」ではなく「コレで」遊びたいそうです。はい。
ふたりはベタベタと私に触る。
ほっぺをつねったり、髪をつんつん引っ張ったりしてきゃっきゃっしていらっしゃる。
なすがままにされつつ、私は遠い目をした。
ミラも同じような…なんとも微妙な面持ちで「おまえたち…」と頭を抱えていた。
「よく…分かった。後で存分に褒めて差し上げる。……とりあえず影に戻りなさい」
思ったような反応を貰えなかったせいか、ふたりは多少不満気にしていようだったけど、大人しくミラの言に従うようだ。彼の影を踏む。
ちゃぽん、と音を立てて二人の体はミラの影に沈んだ。黒い波紋を起こしながら。
不思議な光景だった。
ふたりが消えたミラの影を触りながら、私は訊ねた。
「すごいな。妖精が影に戻るとどうなるの?」
「特に変わったことはありませんよ。ふたりにはこちらの会話は聞こえませんし。ただ俺の感情の波や痛覚は共有できているみたいですけど」
「ふうん」
サイラスでミラを足蹴にした時の光景を思い出した。彼の影がぼこぼこと沸騰していた様を。
あれは主の痛みに反応したのだろう。彼の命の危機だと感じていたのかもしれない。
「ところで。先ほどの話ですが…」
「ん?ああ。妖精に誘拐されそうになったこと?さっき話した通りだよ。アミンさんたちに助けてもらった」
朝餉の膳を運ぶ途中に妖精に話しかけられたこと。「長の元へ連れて行く」と言われ引っ張られたこと。
たまたまそこに居合わせたアミンさんとギュリさんに助けてもらったこと。
…ついでにペットに降格されて、彼女たちの前ではミラのことを「ご主人様」「飼い主様」と呼ばなくてはいけないこと。
私はミラとヨハンナムさんに簡潔に説明した。
話し終えたところで彼らは困惑気味に顔を見合わせる。
「姫君は…殿下と同じかもしれませんね」
ヨハンナムさんが神妙な面持ちでこちらを見た。
「ミラと同じ?」
「妖精に好かれる素養がおありのようだ。……いつの間にかギュリ様やアミン様が認めていらっしゃるのもその証拠でしょう…」
「私が認められているって?ペットとしてだと思うけど…」
人としては認められてないですよ。うん。
声を大にして主張したいです。
「それでも。本来は主人以外になつくものではないですよ。彼女達は妖精の中でも気位が高い方ですし」
「なつく…っていうのも違うと思いますけど」
「おもちゃ」にされているのはこっちだ。
しかし私の考えをよそに、ミラはヨハンナムさんの言葉に同意したようだ。
「あのふたりが、俺以外の人間に自ら触れるのも初めて見ました。正直驚いていますよ」
「珍しいペットを撫でくり回したいだけじゃないの?」
これは…ミラにも通じることかもしれない。
結局ご主人様と妖精は似てくるものですね。納得です。
私がここにいる理由というか原因に思いを馳せたとき、ミラは自分の首にかかっている装身具――ネックレスの留め具を外す仕草を見せた。
「薔薇姫。これを差し上げます。つけていてください」
シャラ、と涼やかな音がした。
ペンダントトップはついていない。華奢なチェーンだけのネックレスを手渡されたのだった。
「…これは?ていうかミラ。ネックレスなんてつけていたんだね」
「それは銀でできたネックレスです。妖精が嫌いなものは何かご存知ですか?」
「知らない」
「彼らは銀、鉄、塩水が苦手なんです。そのネックレスは妖精除けになります。力の弱い妖精ならばそれで十分でしょう」
私は鎖だけのペンダントをかざしつつミラに聞いた。
「これがないとミラが困るんじゃないの?貰っていいの?」
「俺には既に守護妖精がついている。滅多なことはありませんよ。それは俺が幼い頃に亡くなった母がお守り代わりとして持たせてくれたものだったので、何となくつけていただけです」
亡くなった!?それではこれは形見じゃないか。
私はその言葉にぎょっとして、慌ててミラにネックレスを返そうとした。
「お母さんから貰ったものなんて!お母さんはミラを守ろうとしてくれたんだ。私にあげちゃダメだよ。そんな大事なもの」
ミラは笑いながら私の差し出すネックレスを受け取った。
…と見せかけて。
肩に手を置き、私をくるんと回した。
「!?」
背後に立ったミラは私の髪の毛を持ち上げたようだ。
シャラっという音が耳をかすめる。それと同時に鎖骨に冷たい感触。
ミラがネックレスをつけたのだ。
「ミ、ミラ…」
私は戸惑い気味に首だけを動かし、ミラを見上げた。
「母も。大事な女性を守る為だったら手放すのを怒りはしないでしょう」
確かに自分は他国の公爵令嬢だ。
王子である彼にとっては大事な存在だろう。
でも、そう言ったミラの声音も。そのまなざしも。
何だかすごく真剣なように思えて。
私は言葉を失ってしまったのだった。
***
とりあえず着替えるためミラとヨハンナムさんは私の室から出て行ってくれた。
というか彼らの前でずっと寝衣のままでいたなんて。お嬢様どころか女失格だな、わたし。
ヨハンナムさんが宿の女将さんに手配をしてもらった、簡素なワンピースに身を包む。
レース襟がかわいい、水色のワンピースだ。
コルセットをつけるなら侍女の手が欲しいけど。これくらいの着替えならひとりでできる。
私は髪を梳かしながら服の下に隠れているネックレスに手を置いた。
自分が貰ってよいものだろうか。
ミラのお母さんが亡くなっていたなんて知らなかったけど、これはやはり彼の大事なものに違いない。
「銀のネックレス…。宝石商とかに依頼すれば手に入るのかな」
きっと混ぜ物をされていない純粋な銀製でないとダメなんだろう。
果たしてすぐに買えるモノなのか。
自分が妖精に好かれる体質なんてのは全く実感が沸かない話だけど。
さっきの出来事を考えれば、身を守る為の道具は必要だ。
「ああ、でもここにいるのは1カ月だけか」
妖精の気配が薄い自国ならこのネックレスは不要になる。
今までもこのようなものをつけずに普通に生活していたのだ。支障はないだろう。
サイラスに帰るとき、ミラに返せば問題ないか。
「このネックレスはここでの滞在期間中のみ借りたものと考えておこう」
私はぐっと伸びをして気軽に考えた。
とそこに先ほどサイドテーブルに置いたものが目に入る。
ああそうだ。朝ごはん、置きっぱなしだった。
ミラに届けなきゃな。
私は室を出た。支度も終わったし。ミラの部屋へ膳を持っていくことにしたのだ。
***
「殿下、よろしかったので?」
「何がです?」
彼女の室を退出した後、宿の自室に戻ってきた。
結局ここでは寝ることはなかったのだが。
「ネックレスですよ。ティルダ様の形見だったじゃありませんか」
ティルダとは亡くなった母の名前だ。
「彼女もおまえも妙に気にしますね。死んだ人間の気持ちを慮るより今生きている人間を優先するのは当然でしょう」
しかも自分が愛する女性の安否だ。
最優先事項に決まっている。
おめおめ妖精の世界に連れて行かれるわけにはいかない。
「まぁ、それはそうなんですけどね」
「大体、母もあのネックレスを手放したところで怒りませんよ」
先ほど彼女に語ったのはミラの本音だ。
幼い頃の記憶しかないが、母は儚げで優しい女性だった。
王妃としてはむしろ気弱なくらいだ。ネックレスを手放したところで悪感情を抱くとは考えられない。
「それに母が遺したものはあのネックレスだけではありませんし」
ミラは腰に差してある小さな銃を取り出す。ちゃき…と音を立てながら。
銀でできた銃だ。中身の弾丸も銀製のものが込められている。
母が自分の成人祝いにと生前特別に作らせたものだという。結局彼女から直接貰うことはできなかったが。
蔦が絡み合うような意匠が施されたその銃を撫でる。
文明の利器と呼ばれるものと妖精は相性が悪い。
さっきは言わなかったが銃も彼らが苦手とするもののひとつだ。
これは実際に使わずとも持っているだけで妖精避けになるシロモノであるが、銃として使用すれば高等な妖精に対峙もでき、優れた武器となる。
自分にはアミンとギュリがついているせいか、未だ銃として使ったことはないが。
「まぁ、姫君の方もあのお二方が愛玩動物としているならば、ネックレスがなくとも大抵の妖精は大丈夫だと思いますがね」
「そうですね」
「さしものアレは姫君への首輪でしょうな」
ヨハンナムは冗談混じりに主人を一瞥する。
ミラは彼女にネックレスをつけてあげた状況を思い出していた。細い首。白いうなじ。
戸惑うように自分を見つめていたハシバミ色の瞳。
自分が贈ったものを相手が身につけている。
喜びとひそかな優越感を確かにあの時自分は感じていたのだろう。
首輪とは言い得て妙だ。
妻に何でも買い与えたくなる気持ち、ね。
「おまえの気持ちがここへ来てよく分かるとはね」
「なんのことです?」
にやにやしている。多分分かっていて、この状況を楽しんでいるに違いない。
「いいえ。とりあえず薔薇姫に贈り物をしたいと思っただけです」
自分が贈ったもので、今度は笑った顔が見たい。
「何をあげれば喜ぶのでしょうか?」
そういえば自分は彼女がどんなものを好むのか知らない。
好きな色も、食べ物も。どんな宝石が好きなのかも。
あの出会いの日に着ていた深紅のドレス…確かに美しかったが。
果たして彼女が好んで着ていたかといえばそんな様子はなかった。
むしろ居た堪れないような、そわそわと恥ずかし気にしていたのは印象深い。
「女性のツボをよく心得ている殿下が。女性への贈り物に悩む日が来るなんて驚きですねぇ。いやはや感慨深い」
「…大抵の女性が好むものは分かりますが。何となく彼女の琴線に触れなさそうですね」
思いつくのはドレスや靴。宝石や日傘だが。
果たして彼女は喜ぶだろうか。
「殿下ってば。女性は勝手に自分に寄って来る生き物だと思っていらしゃったから。自ら何かして差し上げようとしたことありませんし。ここは素直に彼女に何が欲しいか聞いたらいかがです?」
「……そうですね」
昨夜酒場からの帰り道に同じことを聞いて、その時は欲しいものは特にないと答えていたが。
あの時は彼女もお酒が入っていたことだし、今、再度同じことを聞いてみたら違う答えが返ってくるかもしれない。
そう考えていると、扉を叩くノックの音が聞こえた。
と同時に可憐な声が響く。
「ミラー、朝ごはん忘れてるよー」
何となく緩む頬を押さえきれないまま、ミラは扉を開け少女を迎え入れたのだった。
妖精が銀を苦手とするのはオリジナル設定です




