~王子の恋愛攻撃力が高すぎてツライ~
***
♪あーる晴れた昼下がり~
市場へつづーく道~
荷馬車がゴトゴト 仔牛を乗せてゆく~♪♪
「♪ドナドナドナ…♪」
「薔薇姫…」
「どな?」
「その歌、なんですか。やめてください。物悲しくなります」
前世で習った歌です。
名曲というものはいつの時代・どんな世界の人々の心でも打つことができるのですね。分かります。
「いやぁ、市場に連れていかれる仔牛の感傷が何となく分かったものですから」
「あなたは仔牛ではありませんよ。市場で売られることもありません」
金髪碧眼の美形王子(兼勇者サマ)・ミラは美しい片眉をひそめて言った。
「そうですよねぇぇ~?私、仔牛ではありませんけど。何でか市場に無理やり連れていかれる仔牛の気分が分かってしまうんですよぉ。なんでですかねぇぇ??」
「薔薇姫…怒っていますか?」
つーんとしてその質問には答えない。
当たり前だ。そんなこと。わざわざ聞くなっての。
この目の前の王子兼勇者様に半ば脅されるような形で、故郷サイラス国を出立して2日め。
彼の故郷はサイラス国の陸続きでお隣、シャダーン国。
私は短期留学という形で王都ヨハミゼミに向かって馬車に揺られているところだ。
向かいの席に座っていた彼の部下・ヨハンナムさんは忍び笑いを漏らした。
「殿下。これは尻に敷かれますな」
「ああ…そうですね」
ミラは楽しそうに笑っている。
私はというと窓の景色をぼんやり見ていた。
見渡す限り岩山ばっかだ。
味気ない。
唐突にミラはそんな私のお腹に手を回しそっと引き寄せる。
「な…に?べたべた触らないでよ」
「私の薔薇姫が仔牛の気持ちがよく分かると言うもので。もしかして仔牛になってしまったんじゃないかと心配になりました。確認が終わるまで大人しくしていて下さい」
背後からぎゅーっと抱きしめられる。
私の肩に彼は顎を乗っけて固定する。
「やーめーれー!!」
私はモガモガと彼の腕の中で抵抗をした。
「ああ、やっぱり貴女は仔牛なんかじゃないですね」
「分かったなら離してクダサイ」
「ダメですよ。貴女はもしかしたら小鳥かも。手を放したら飛んで行ってしまうかもしれません。離せません」
「……ちっ」
このクソエロ王子め!
こういったセクハラはこの道中何回も頻発して起きている。
何かに理由をつけて構いたがる。触りたがるのだ、このセクハラ王子は。
「ミラ王子殿下。わたし…」
「ミラでいいですよ。ヨハンナムのことはお気になさらず」
「…ミラ。わたし、御者台の方に移動したい…」
彼はにっこりした。
「ダメです」
「なんで」
「貴女の兄上に約束をしました。貴女に傷一つつけてはならないと。御者台なんて危ない場所、行かせられません」
私はぶーと不平を漏らす。
この三人だけの密閉空間はいい加減息がつまる。
どうせなら外の風に当たりながら移動したい。
「ミラは過保護だ」
「なんとでも」
「…兄貴なら行かせてくれるのに」
ぼそり。
別に彼に聞かせるつもりで呟いた発言じゃなかったのだけど、彼には聞こえていたようだ。
「貴女のお兄さん…シオンさんでしたか。元々は…従兄でしたっけ?」
「そうだけど?」
少し考え込むような仕草を見せた後、ミラはひとつ息をついた。
「いいでしょう。御者台に行きますか?」
「え。ほんと!?やった!」
何でミラが突然気を変えたのかは知らないけど。
ラッキー!
「ただし」
「んあ?」
「私に抱かれて座るのが条件になりますね」
「は?」
「当然でしょう?危険ですから。貴女みたいな体重がない女性は、ちゃんと固定しておかなければ」
「あーじゃあもういいっす」
げんなりである。
これじゃあ御者台に出ても何の気分転換にもならないじゃないか。あほか。
ヨハンナムさんが苦笑しつつミラを諫める。
「殿下。あんまり猫可愛がりがすぎると嫌がりますよ。特に野生動物は」
「私は野生動物じゃない!」
私の反論を彼は笑って受け流す。
「ここらで宿でも取りましょう。姫君も馬車に揺られて疲れているようですし。馬も休ませたい。近くにカダの街があります。そこで当面の着替えや入用のものを揃えましょう」
「カダということは。…国境はもう超えましたか?」
「ええ。もうシャダーンに入っていますよ。ギリギリですけど」
短い逡巡の後、ミラは頷いた。
「そうですね。国境を超えたのならひとまず安心、か。宿の手配を頼めますか?」
「御意」とヨハンナムは恭しくこうべを垂れた。
***
「あうー極楽だぁ」
お湯が溜まったお風呂に入って汗を流す。
ヒノキ風呂みたいな。これ温泉かなぁ?泉質なんだろー
王子兼勇者という身分を隠して宿を取ったそうで。上等の。
とある地方豪族の息子とその婚約者。付き人1名。御者1名。そんなこんなで王都まで買い付けに来た。
…という設定らしい。
「ぐぬぬぬ…」
婚約者ってなんだ。婚約者って。
妹で十分じゃないか。ちょうど年回りも合っている。
彼は自分の2個上、19歳なんだから。
「はぁ」
――兄貴。
シルヴィアちゃん…父さん母さん。
何してるかなぁ。
まだ王宮にもついていないというのに。早速ホームシックに陥っていた。
昨日は近くに街や宿がないということで馬車で寝た。
身体があちこち痛かったのでお風呂は非常に助かるところだが。
ミラ…あのハゲエロ王子…
私はずっと疑問に思っていた。
なぜ、私は今、外国にいるのだろうか、と。
いや、それは第二王子兼勇者であるミラを足蹴にしたりリンゴ汁ぶしゃーしたり…
そういった愚行というか不敬のせいだってのは分かっているんですけどね?
しかし何故に1か月…1か月も短期留学の体で連れて来られたのだろう。
自分としてはミラとその両親に「息子さんの体に傷をつけてすいません!!」と土下座するために来たのだと思っていた…が。
なんというか。
「謝罪を要求している対応・態度ではない気がするんだよなぁ」
妙にベタベタしてくるし。
まぁ、自分もミラのご機嫌を取る接待旅行だというのに、ミラがそんな感じだから、つい雑――というかかなり乱暴に扱っているところがあるんだけど。
それとも「自分だけが悪いわけじゃない」という気持ちが、つい前面に出てしまっているのかもしれない。
「ううむ…?」
そう。
そもそもの原因は…それは彼によって乱暴に奪われたあのキスのせいなのだ。
「ああああ………」
思い出すだけでのぼせそうだ。
しかし。なんであいつ私にそんなことを…
あのキスの意味……。
も、もしかして。
あいつ、私のこと好きなんじゃ…?
私のこと本気で惚れているのでは…?
いやいやまさかそんな。ちょっとやだやだ。自意識過剰だよわたし!
私は湯船で「あー」とか「うー」とか唸りながら足をバシャバシャさせる。
考えてもラチがあかないよね!
ミラの気持ちは本人に確かめよう!
私は決意を込めて、ざぱーっと湯船から出たのだった。
***
「殿下。そろそろ彼女達の押さえが効かないのでは?」
ベットに腰かけつつ水を飲んでいたミラはヨハンナムを見た。
「よくわかりましたね。確かにそろそろ限界に近い。シャダーンに入ってしまったからでしょうけど」
「そうでしょうね。妖精の気配が薄いサイラスではともかく。我が国ならば妖精は力を取り戻す。影に戻した彼女達も、そろそろご機嫌を取っておかねばまずいのでは?」
ミラは心底嫌そうな顔をした。
「……薔薇姫に見せたくない。また変な誤解をされる。ただでさえ私の印象は悪いのに」
「お気持ちは分かりますがねぇ…。彼女は分かっておるかと思いますよ?あの御二方が妖精であること、きちんとわたしめが説明しておりますから」
「それはそうだが…見ていて気分のいいものではないだろう?」
「大丈夫ですって。今んとこ殿下のことなんてこれっぽっちの好意もないでしょうし。今以上に印象が悪くなることもありませんでしょうとも」
「……ヨハンナム。フォローになっていませんよ」
ミラはふぅぅと深いため息をついた。
「仕方がありませんね。今のうちに彼女達を宥めておかなければ。薔薇姫の身の安全にもつながるでしょうし。妖精というのはどうしてこう…面倒くさいんでしょうかね」
「まぁそうでしょうね。彼女が入浴をしている間にちゃちゃっと終わらせてしまえばよろしいかと」
ヨハンナムの言葉にうなずき、ミラは自分の影に向かって詠唱を始めた。
****
一応設定上婚約者という立場なので、部屋は別でとってくれたらしい。
「えーと。ミラの部屋は…」
私はミラの部屋の前で立ち止まり、ノックをしようとして…
「~~~!!」
ん?話し声が。しかも女性の声も聞こえる…。
私はドアをそっと開けて、隙間から中を伺う…と。
そこには。
「我が君ぃ、ひどいですわぁぁ。私たちを影に閉じ込めるなんてっ!」
「妾、寂しかった~!!抱きしめてたもう、我が主人」
こ、これは。
なんと懐かしい光景。
豊満な身体をくねらせ、ミラに抱き着いている美女二人。
「すみませんね、ギュリ、アミン。サイラスでは貴女たちの力がうまく保てないでしょう?影でいてくれた方が力が温存しやすかったので」
「そうですけどぉ、我がきみぃ。どうしてあの小娘を連れ帰ってきたのです?」
「そうじゃ。あの生意気な小娘!」
こ、これは。
あれですね。
言わずもがな。私のことですね。
いやぁ、思った以上に嫌われておりますね。いっそ清々しいですが。
銀髪のサラサラの髪をかきあげて、アミンさんはふぅ、と息を漏らす。
い、色っぽい。
「確かに人間のメスにしては見れる顔をしておりましたけどぉ。我が君はあんな小娘がお気に召しましたのん?」
「そうかの?妾にとってはただのちんくしゃにしか見えぬ。我が主は女の趣味が相当に悪いのかえ?」
ミラは困ったように首を傾げた。
「サイラスとの外交の為と先ほども説明したでしょう?」
「だがっあの小娘は生意気じゃ!八つ裂きにしたい!」
「ギュリ」
「な、なんじゃ」
「キスしてもいいですか?」
「はう。我が主ぃ~!!」
さっきまでの夜叉のようなおっそろしい顔を引っ込めて、一瞬で蕩けるような笑顔になったギュリさんはミラの胸元に飛び込んだ。
額に。頬に。まぶたに。耳の裏に。
――そして唇に。
ミラはキスの雨を降らせた。
愛おしそうに。慈しむように。どこまでも優しく。
横でねだるアミンさんにも同様に。
「いいですか。薔薇…オリヴィア・アーレンに手出しをしたらいけませんよ?大事なお客様ですからね」
「「はぁい。我が君~」」
私はすごすごとその場を後にした。
部屋から少し離れたところで猛ダッシュだ。
****
「うおおおおお!!」
ガン、とジョッキをテーブルに叩きつけるような勢いで置く。
宿から少し離れた大衆食堂に来た。食堂というか酒場?
公爵令嬢としてはこんなところで食事をしたことがなかったけれども。
前世ではこんな感じでひとりで居酒屋で飲んでいたわけだし。全然戸惑うことはない。
どこの世界も大衆食堂・居酒屋は同じような雰囲気だな。
そんなことよりも。
私は大いに腹が立っていた。
「あのスケコマシがぁぁぁ!!!クソエロハゲ野郎ぉぉぉぉ!!!!」
誰彼構わず唇にもキスしてんのか―――い!!!
むしろ女の形しているんなら人外でもいいんか―――い!!!
やっぱりあのファーストキスは犬に噛まれたと思って忘れよう。うん。
なんかアレ見る限り大した意味なさそうだしなぁ。
愛おしむように妖精にキスをしていた彼を思い出す。
私のときはあんなんじゃなかった!
もっと乱暴だった!通り魔的暴行にちかい!
舌も入れられた!
美女妖精にしたキスとは違う。あんな貪るようなキス!全然愛を感じなかった!!
好きな女には優しくしたいもんだよね?うん。
前世の彼はそう思っていただろうし。結局思っていただけだったけど。
出会ってからの常時セクハラも。多分アレだな。
あいつは相当なタラシだってことだ。
なんてこった。
結局ファーストインプレッションに舞い戻ってきたんですね。
第一印象侮りがたし、である。
「女とみれば人外者にも手を出すゲテモノ食い勇者サマめ…」
こ、こいつもしかして私に本気で惚れて(略)……なんて一瞬でも甘酸っぱく悩んでしまったなんて。
なんて馬鹿なんだ!わたし!!
ああっくそ!はずかしー!!恥ずか死ねる!!
うああよかったよ。先走ってミラに気持ちを確かめなくて。
『ミラって私のこと好きなの?マジ惚れ?』なんて聞いてしまった日には、
『は?ちょwウケルww遊びだしwww』ってなっちゃってたとこだよね。
なんなら『は?なに1回ヤッタだけで彼女ヅラしてんの?』位言われてしまうかもしれない。
前世女泣かせの友人はそんなこと言ってたわ。
うあーめっちゃ痛い子じゃないか。わたし。
もうこれだから!前世から恋愛経験のない人間はこんなんですぐ勘違いしちゃうんだって!
「あれ…でもそうなるとだよ?」
ミラは私に土下座旅行を強いる為に強制的に連行したわけではない。
(一応大穴として可能性を排除しないが)
彼のほんの気まぐれで私はこの国に連れて来られちゃったわけだよね。
多分あのタラシのことだ。
ちょっと交流したら情が湧いちゃった程度だろう?
え。じゃあ。
このまま私が宿に戻らなければ捨てられてもおかしくないよね?
えーそうなったらどうやってサイラスに帰ろう?
全然お金持ってないよ!
いや待て待て。落ち着くんだ。
さすがに腐っても他国の公爵令嬢だな、わたしは。
捨ておかれることなんてそうそう滅多に…。
野良令嬢になるなんて。
そんなこと……ないよね?うん…。
通常ならこんなバカな思考を持たないだろう。
まともな判断ができないのはお酒のせいなのか。
それとも知り合いもいない他国に、たったひとりで来てしまったという孤独感が、そんな暗い考えを連れてくるのか。
「ええいっ酒がまずくなる!うじうじするな、自分!」
不安に思った気持ちを抑え込むように、手を腰に置き、ぐっとジョキの中のお酒を一気に飲み干す。
しかし…グビグビグビ……ぷはっ!
しかしだよ。
ごくごくごく…ふぃー。
ミラってば。
あんなにキレイな人達がそばにいたら、大抵の人間の女は、女として見られなくなるだろうなぁ~。
不憫!ミラ!!あははは。
前世童貞今世処女を罪にも勘違いさせるような行動を取ったあのスケコマシハゲエロ王子の毛根に呪いをかけてやるー!!
あははは!!
「あえ~?なんかちょー楽しい。テンションおかしひ」
私は枝豆を片手にぐいぐいとお酒を飲んだ。
あれ?そういや私って成人してたっけ?
なんかつい、お酒頼んじゃったけど。
グビクビクビ…ぷはぁっ!
ま。いっか。
そんな感じでひとりご機嫌にお酒を楽しんでいたところ。
私は背後から来た人にぽんぽん、と肩を叩かれたのだった。
****
すっかりご機嫌になった妖精ふたりはミラに終始べたべたまとわりついている。
――そろそろ姫君が戻って来る頃ではないだろうか。
ヨハンナムはやれやれと、窓の欄干に手をかける。
「んー?」
猛ダッシュで往来を突っ走る令嬢がひとり。
ストロベリーベージュの見事な髪を揺らし、器用に通行人を除け全速力で駆け抜けている。
素晴らしい健脚だ。
というか。間違いなく、彼女だ。
―――あーららら。
これはもう遅かったか。
アレを見られたな。
「でんかぁ」
「なんですか?」
美女ふたりにサンドイッチのように挟まれ、抱きしめられているような恰好になっているミラは振り向いた。
ヨハンナムは片眉をあげた。ちょっと主人をからかってやろうって顔である。
「殿下、予言しますよ。殿下はわたしめの気持ちがもうすぐよーくお分かりになると思うんですよね」
「……おまえの気持ち?」
「妻に何でも買い与えたくなる気持ちです」
「ああ、それは…。以前よりわかる気がしますが」
「――特に。後ろめたいことを妻にしてしまった時!」
ビシッと人差し指を立てる。
「?」
「それがバレた日にはもう…。購買意欲なんてうなぎ登りですよ?殿下」
ちらりと、含みを待たせた流し目を送る。
「!!」
言わんとしたことがどうやら正確に伝わったようだ。
ミラは妖精ふたりを置いて部屋を飛び出していった。
「我がきみぃ?」
「殿下は急用ですよ。大丈夫、すぐ戻ってきますでしょう。この街は治安も比較的良いですし。殿下の身にも滅多なことは起きないはずですよ」
「ふうん?」
「あのように焦る殿下もそうそうは見られますまい。これはどうして、なかなか本気のようでいらっしゃる」
ヨハンナムはくくくっと喉を鳴らして笑った。外を見やる。
――ああ、もう宿を飛び出されたんですね。お早いことだ。ところで姫君がどちらに向かったかお分かりになるのだろうか?
「いつ帰るのじゃ、我が主は」
ヨハンナムはさて、この妖精相手に時間を稼がなければならないのか。
骨が折れることだ。
「せいぜい進展させてくださいよ?殿下」
✳︎✳︎✳︎
「そーそーそーなの。わらしもぉ、初めてお酒飲んだんだけどね?こっち来てからぁ」
「ねえちゃん、カダは初めてかい?」
「うーん。そう言う意味での『こっち』じゃあないおぉ。でもカダ?は、はじめれぇー」
「ねえちゃんいい飲みっぷりだよなぁ。おいら惚れ惚れしちまって。つい声をかけちまったよ」
「えへへー。ひっく」
「おまけに別嬪さんだし」
「いやぁだぁ~あははは。おにーさんも良い筋肉してるおー?」
私がそう言いながらつい先ほど飲み仲間に認定されたマチビトAの背中をばしばしと叩く。
彼は嬉しそうに笑った。
ちなみにこの人の名前は…多分聞いたけど忘れた。
「ねーちゃんとの出会いにかんぱーい!」
「うえーい!かんぱぁーい!!」
ガコン、とジョッキをぶつけて一気に飲み干す。
きゃああ~
おいしーい。
と、そこに。
「薔薇姫」
聞き慣れた声が。
「んあ?あーミラだあ!わあい」
背後にミラが立っていた。心なしか呼吸が荒い。
ミラは私が空けた酒瓶の山を見て、どこか遠い目をした。
「薔薇姫、貴女お酒が強かったんですね…」
「えへへーそうみらいー。お酒おいしひー」
「あんちゃんもえらく美形だな。この別嬪さんの知り合いかい?」
マチビトAの存在に今初めて気づいたかのようにミラは彼を見た。
「あ、ええ。…私の妻です。すみませんご迷惑でも?」
マチビトAはぶんぶんと手を振った。気のいい笑顔を見せながら。
「いや全然。楽しい酒が飲めたよ。なぁんかこの別嬪さんすこぶる荒れてたからね、気になって。いい飲みっぷりだったし、つい声をかけちまったんだ。悪かったな、あんちゃん」
「荒れて…?」
「あー、そうだよ。『このクソエロハゲ野郎がぁぁ!!!』ってドキツイ事言っていたかなぁ?ま、あんちゃんのことじゃないだろうけど。ハゲてないし」
「………」
「うりゃっ!」
私はふたりだけで会話をしているミラにどーんと体当たりした。
「…っ薔薇姫?」
「わらしを除け者にしないれー」
ぎゅーっとミラに抱きつく。
「いつもミラからセクハラされてるからぁー。おかえしー。えへへーどうだー困るだろぉー?」
顔を上げてにっこりする。
ちょっと戸惑い顔のミラと目が合う。
「……確かに。……これは困りますね。色々」
そうだろー?痴女だぞぉーと私はミラをぎゅうぎゅう抱きしめた。
ミラは私の手を優しく振りほどき、そのまま握った。
「お代はこれで。妻が申し訳ない。貴方の紳士的な行動に感謝します」
「あ、ああ」
「ではこれで失礼させていただきます」
そう言ってお金が入った麻袋をガチャンと机に置き、私たちは店を後にした。
***
「薔薇姫……なにか俺に言いたいことはないですか?」
私の手を引いて前を歩いているミラは突然そんなことを聞いた。
「? ないおー……あ!」
「…なんですか?」
「お金払ってくれてあいがとー。わらしの手持ち金じゃぜんぜーん!足りなかったみらいー」
「……そういうことじゃなくて」
「? もういいたいことないおー?」
「……では何か欲しいものはありませんか?」
「? ほしいもの?ないおー?着替えがほしひけどぉー」
でもそれはヨハンナムさんが宿のおかみさんに言って手配してくれたようだし。
ミラはちらっと振り向いてこちらを伺った。
「お酒を飲んでいるにしても…。いつも通りに俺に接してくれますね?むしろいつもより好意的だ」
「???」
「『このクソエロハゲ野郎がぁぁぁ!!!』って俺のことでしょう?何か俺に対して怒っていたんじゃないですか?」
「んーもうおこってないれす。わらしが自意識過剰だっただけれすから」
「どういう意味です?」
「恥ずかしいからいえないおー」
本人を目の前にして自分の恥ずかしい勘違いなど言えるはずもなく。
私は握られた手を振りほどいて、ミラの前に躍り出た。
振り返えり、ミラに向かってへにゃへにゃと笑う。
「ミラ」
「なんです?」
「迎えに来てくれてありがとう」
「…え?」
「言いたいこと。もう1個だけあったから言っただけぇー。あはははは!」
彼の一歩前をスキップをしながら進んでいた私に、ミラは声を掛ける。
「薔薇姫。もう俺の前以外ではお酒を飲んじゃだめですよ」
「なんれー?」
「可愛すぎるから」
あーはいはい。
あんたにとって女の人はぜーんぶ『カワイイ』のよね。りょうしょーりょうしょー。
このタラシめ。ハゲれ!
「……笑っていないで。ちゃんとわかってますか?」
「うんうん。ダイジョウブダー」
「でも俺の前でなら。お酒はいくら飲んでも構いませんよ。落ち着いたら是非ふたりで晩酌しましょう」
「わあい」
良かった。先の約束をしてくれる。
気まぐれで連れて来られたのだろうけど、気まぐれで捨てられることもなさそうだ。
うん、取り急ぎ路上ポイの心配はしなくて済みそうだ。
この様子なら物珍しさがなくなった1か月後にはちゃんと故郷へ送り届けてくれるだろう。
私は何だかそのことにホッとしてルンルン気分のまま宿に戻ったのだった。




