~義兄は義妹が可愛くてツライ~
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「いやぁ、それにしても役得ですな。こんな麗しい女性と2人でお話できる機会が来ようとは」
「ああ、いえ。私の方こそ、ヨハンナムさんとお話したいと思ってました」
主にその肉体美について。
トレーニング方法とか熱く語り合いたい。
私はうっとりとしつつも、不躾に彼の肉体を舐め回すように見つめた。
外の灯りはぼんやりとオレンジ色。
彼の肉体を美しく照らしていた。いや、もちろん服は着ているんですけど。
その視線に気づいた彼は頭をガシガシ掻きながら笑う。
「わたしめは普段は全く女性と縁がありませんがな。このような無骨で粗野な者ですのでね。しかし…ある一定の層の女性には好かれるんですよ。妻もそうでした」
「まぁ、奥様の気持ちがとてもよくわかります」
こんなステキ筋肉を夫にするだなんて。見る目がある。
勝手に彼の奥さんに親近感を覚える。
「妻とは悪竜退治をする為に訪れた辺境の村で出会いましてね。わたしめには勿体無い程カワイイ妻です。勿論貴女の可憐さには叶いませんがな」
「奥様のこと、とても愛しているんですね」
ああ、羨ましいな。
こんなに愛されている。大事にされている。
一途に…想い想われている。
「ええ、そうですね。悪竜退治のついでにいつもその地の土産物屋に行っては細工物や甘物、名物を妻に買い漁ってしまうんです。殿下達も付き合わせてしまうんですがね、毎回呆れられてしまってますな。『よくもまぁ、毎回飽きもせずに妻に贈り物ができるな』と」
ああ、なるほどと、納得した。
両親と勇者の出会いが土産物屋――。
彼はこの人の買い物に付き合っていたんだな。
「ギュリ様とアミン様にも毎回叱られております。『尊き我が君をこんな下賤者が群がるような店に連れて行くな!』と」
彼女たちに「様」をつけてヨハンナムさんは呼んだ。
あのふたりの美女はヨハンナムさんより身分が高いのだろうか。
「そういえば、あのおふたりは今どちらに?」
影のお守り役に徹しているのだろうけど、先ほどから全く姿を見せない。
「殿下の影の中に。殿下は貴女とゆっくりお話したくて、彼女達を影に戻された」
影に?どういうこと?
「先ほども王子殿下からそのように伺いました。でもどういう意味でしょう?」
「そのままの意味ですな。ヒト型を取っている彼女達の守護を一旦解いて、ご自分の影につけた」
「ヒト型…?」
ヨハンナムさんはおや、と片眉をあげた。
「もしやお聞きではない?彼女達は人間ではありませんよ。殿下に守護と忠誠の誓いを立てた妖精です」
「ようせい…?」
「おかしいな。公爵夫妻には先に申し伝えておきましたが。出会いの場ではとても無礼な振る舞いをされたでしょう?彼女達に人の法や常識など通じない。妖精ゆえに自分の勝手気ままな行動をとる。こうなると分かっていたから混乱なきよう先にご連絡差し上げておりましたが」
ああ、また両親のホウレンソウが不足している!
なんでいつも情報を渡さないんだ!
「彼女たちが妖精…確かにとても美しかったですが…」
言外に信じられないと言っているようなものだった。
壮絶なまでに美しいふたりだったけれど、どう見ても人間のようだった。
「オリヴィア嬢は妖精をみたことが?」
「…前に一度だけ」
森で出会ったヘルハウンドという犬の妖精を思い出した。
あれ以来妖精というものを見ていない。
「そうですか。こちらの国は妖精や精霊の気配がひどく薄いですね。我が国は人間の数より妖精、精霊、竜など人外の方が多いのですが。もちろん見える人とそうでない人とおりますがね」
「すごい…隣国なのにサイラス国と全然違うのですね」
ヨハンナムさんはホットワインに口をつける。
私も紅茶を一口飲んでのどを潤した。
すっかり冷めてしまっていた。
「我が国は妖精や精霊、ドラゴンからの恩恵と守護を持っている国です。龍神を祀っているのと同時に精霊信仰も根強い。そのような信仰があるから妖精の気配がここより濃いのでしょう。彼らは人に忘れられたら姿を成せない性がありますから」
そうか、サイラス国はルドゥーダ一神教だ。
精霊信仰ももしかしたらあるのかもしれないが、妖精がそういった性質を持っているのなら、より信仰の根強い隣国に集中するのだろう。その中で彼らの守護を得るというのは一体どういう状況なんだろうか。
「ミラ王子殿下は…妖精に愛されているのですね」
「シャダーン初代国王はドラゴンの娘と妖精を娶ったと伝えられております。殿下は妖精妃の血筋なんでしょうか。妖精に愛され、竜を滅する――ああ、失礼。女性の前でこのような血なまぐさい話をしてはいけませんな」
「いいえ、構いません。殿下を守護している彼女達はどういった妖精なのでしょうか?」
しぃと人差し指を口につけてヨハンナムさんは険しい顔をした。
「だめですよ。妖精の正体は契約に関わること。彼女たちは自分の正体を主人以外に知られるのをひどく嫌がります。もし彼女達の精が分かっても、見て見ぬふり。知らぬふりをせねばならんのです」
「そう…なんですか」
「公爵夫妻と初めてお会いした際に彼女達もおりましたから、あえてヒト型を取らせて挨拶をさせましたが。殿下はね、それをちょっぴり後悔しておりましたよ。あなたとの出会いの場で『印象が悪かった。影に戻しておけば良かった』と悔しがっておりました。…これも内緒ですよ?」
ヨハンナムさんは悪戯めいた顔をして私に笑いかけた。
私はそれにぎこちない笑顔を返した。
殿下はタラシではないのだろうけど。
うーん、やっぱりちょっと苦手なんだよね。何でだろ。
私が小首をかしげていると、ヨハンナムさんはちらりと屋敷の中を見た。
「ああ、やはり貴女をわたしめが独占することはできないようですな。殿下には命ぜられておりましたが。男も精霊も単純なものです、美しい人に弱い」
何を言っているのだろう、と私も彼と同じように部屋を伺う。
…見なきゃよかった。
野郎共がガラスにびっっしりと張り付いてこちらを睨んでいたのだ。
うへえ。
あからさまに嫌そうな顔をした私にヨハンナムさんは苦笑した。
「殿下もそうですが、お美しい人も大変だ。しかしこのまま外に出れば風邪を召してしまいますな。かといって屋内に入れば皆が貴女を放っておかないでしょう。困ったものです」
「ああ、いいんです。夜会が終わるまでどこかでサボります」
慣れない恰好で肩も凝った。
疲れたし、人酔いだろうか。
とにかくひとりになりたかった。
もう会場へ戻る気にはならないのだ。
パーティの締めの挨拶にさえ出れば問題ないだろう。
「どちらまで?」
ヨハンナムさんは何気なく聞いた。
彼のその自然な問いについ、答えてしまった。
「庭の温室まで。あそこなら時間もつぶせるし、いくぶんか温かいでしょう」
そうですか、と彼は私の手の甲に口づけて別れの挨拶をした。
――私は彼に自分の行き先を告げたことを、後程後悔することになったのだった。
***
おねえさまがあの筋肉ゴリラ様とテラスに行かれたそのすぐ後。
「おい、あれは何だ?」
義兄がムスっとした様子で話しかけてきた。
どうやら令嬢方を振り切ってこちらに来たらしい。
「あれ…とは?」
わざと素知らぬふりをする。
扇をパッと口元にあてて義兄に視線だけ寄越した。
そろそろ来る頃かと思ったのだ。
「とぼけるな。なんだあのオリヴィアのドレスは?」
「お気に召さなくて?」
「大いにだ。あんな…は、肌をさらして」
「古い考え方ですわ、お兄さま。旧時代ならともかく今の時代、若い女性ならあれ位ふつうです」
「しかしだな…」
口元で扇を弄びながら、吐息を漏らす。
「おねえさまはいまだ、自分の美しさに無頓着ですわ。あのドレスはだからこそ今のおねえさまの幼い美しさ、稚さを存分に引き立ててくださるの」
それは、とシオンもうなった。
確かにオリヴィアはあの真紅のドレスを着ていても――胸元や肩が大きく開いたデザインを着ていても不思議とイヤラしさがないと思っていた。
ただ彼女の可憐な可愛らしさ、女性としての丸みがやや足りていない身体。
あの煽情的なドレスは彼女のそういった魅力とは正反対だ。
とてもアンバランスで危うい。だからこそ――そのギャップに変な色気はあった。
「あのドレスは未完の美ですわ。おねえさまが女性としてこれから香り立つ為にふさわしい一着。でも…そうおねえさまが自分の魅力に気づかなくとも――もはや周りは気づいてしまったわ」
ざわざわと周囲の男の反応を見る。
男たちはテラスの方を気にしている様子だ。
彼との談笑が終わったら次は自分が彼女を連れ出そうと――ざわめているのだ。
「ねえお兄さま」とシルヴィアは微笑む。
「あのドレスをおねえさまが本当の意味で着こなす時が来たとき――その時隣にはもう特別な男性がいてよ。それは次にあのドレスに袖を通すときかも…いつか分かりませんわ」
オリヴィアが自分の美しさを自覚したとき。
彼女にそれを教えた男が隣にいるはずだ。
「それは…」
それは――自分の役目でありたい。
シオンは持っていたグラスを傾ける。
シャンパンの泡がふつふつとグラスの中を踊る。
「わたくし、じれっ恋も嫌いではありませんわ。でも…急いだ方が良いのでは?」
「…分かっている」
シオンはしかめ面をして義妹を見た。
わざとだ。
この義妹は自分に発破をかけるためにあのドレスを彼女に見繕ったのだ。
黙り込んでしまった義兄の様子を見て、ちょっと虐めすぎたかなとシルヴィアは反省した。
「そういえば…」
「なんだ」
――これ以上何かあるのか。
シオンはややげっそりしたように聞き返した。
「いえ。おねえさまがお兄さまの女性関係について大いに気にされておりましたわ」
「――え?」
シルヴィアは、虚をつかれたような、それでいて嬉しそうな義兄の様子に笑みを深くする。
分かりやすいお兄さまだこと。
「そうですわね…おねえさまは、お兄さまが…」
「俺が?」
「…童貞かどうか、いたく気にされていましたわ」
「ど……!?」
かろうじて大声を出さないでいることができた。
予想外の単語に義兄はあからさまに脱力した。持っていた酒杯をあやうく取りこぼしそうになる。
手のひらで顔を覆い、頭を悩ませている様子だ。
「そ、そこは…『今好きな人がいるのか』とか『付き合っている人がいるのか』とか気にするんじゃないのか、ふつう」
「そんなの。知りませんわ。その1点のみとても気にされていましたもの」
相変わらず想像の斜め上を行く彼女である。
何で俺あいつが好きなんだろう…シオンは頭を抱えた。
「…それで。おまえは何て答えたんだ?」
「…人並程度には経験がおありなんじゃないの、と答えましたわ。そうしたら―――」
「そうしたら?」
「――とっっっても悔しそうにしていましたわ。先を越された、私も負けてられないって」
「はあああ?」
今度こそシオンは素っ頓狂な声を上げた。
幸い音楽と会場のざわめきで注目を浴びずに済んだが。
…何でよりによって惚れた女とそんなことで競わなければならない。御免こうむりたい。
「何を考えているんだ…あいつは」
大体オリヴィアが抱かせてくれるっていうんだったら俺だって――
という言葉はかろうじて飲み込んだ。危ない。いくら本音だからといってこんな発言をシルヴィーにしてしまったら恥ずか死ねる。むしろ腹を切って死にたい。
「これに懲りたらもうあまりオイタをしない方が良いのでは?おにいさま。おねえさまが躍起になってどこぞの馬の骨と付き合おうとしてしまうかも」
「う…」
「おにいさまも遊ぶ女性は選んでいるでしょうけども。相手の女性にもいい迷惑ですわ。誰かの代わりなんて」
返す言葉もない。13…今年で14歳の義妹にこんなことを説教されるなどと、もはや居た堪れない。
なんか変な汗も出てきた。
シオンは微妙に視線を逸らしながら、それでも最後にはこれだけは、と聞いた。我ながら情けないが。
「もしあいつにその質問をされたら…俺はなんて答えるのが正解なんだ?」
シルヴィアは扇でパタパタと自分を仰ぎつつ一瞬思案した。
「そのままオイタした女性の人数をおっしゃったら、恐らくおねえさまは軽蔑なさるでしょうね」
「あ、ああ…」
シオンは勇者との出会いの場を思い出していた。
彼女は美女ふたりを侍らせているような格好の勇者を見て、ひどく不快そうな、それはもう軽蔑をあらわな顔をしていた。
初心でまだ少女らしい潔癖なところがあるオリヴィアだ。それだけは避けたい。
「かといって…童貞と答えるのもいかがかと」
「いいんじゃありませんか?『おまえを悦ばすためだ』とかおっしゃって誤魔化しておけば」
「そんな歯が浮くセリフ言えるか」
大体そんなセリフが言えていれば今更こんなことで悩んでいないだろう。
「だったらご自身でお考えくださいませ。ご自分で蒔いた種ですもの。ほんとうに、殿方は愚かで可愛らしいこと」
シルヴィアはこの話はこれで終わりだとばかり、自分を仰いでいた扇をパチンとわざとらしく音を立て閉じた。
ダンスの輪へ戻っていく義妹の背を見送り、シオンはオリヴィアを探した。
先ほどの筋肉男との世間話はもう終わっただろうか。
さっきの話の後でなんとなく彼女の顔を見るのはやりにくいが。
今の姿のオリヴィアをあまり人目にさらしたくないという気持ちの方が上回った。
――変な虫を寄せ付けてたまるか!
しかしテラスを、会場を、一通り見渡しても。
――彼女の姿はどこにもいなかった。
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