~義兄がモテすぎるのがツライ~
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あの勇者との出会いの後、自室で仮眠をとっていたら、母親と妹に叩き起こされました。
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「ねえ…これほんとに?これで皆の前で立つの?」
私はあからさまに動揺した。
「あら。おねえさまがおっしゃったんじゃありませんか。私たちが選ぶドレスを着るって」
「言ったけどさあ…これはちょっと」
メイドにコルセットを閉めてもらいながら、壁にかけてあるドレスを眺めた。
スカート襞にドレープをたっぷりとまとったそのドレスの色は赤だ。
自分の――ストロベリーベージュの髪色よりも濃い、真紅だ。
ボリュームがあるのにどこかエレガントなのはしっとりしたベロアの生地がそうさせているのかもしれない。
スカート部分には薔薇の透かしデザインが入っている。
そこまではいい。そこまでは。
「ちょっと露出しすぎじゃない?」
ドレスは鎖骨はおろか、肩部分も露わにするオフショルダー。
背中はぱっくりがっつり腰部分まで布がない。潔く露出。
お尻見えちゃうんじゃないかって冷や冷やするくらいだ。
これは…どうなんだ。痴女扱いされやしないか。
「そんなことありません。とってもお似合いです」
シルヴィアちゃんはクリーム色のドレスを着つけられつつきっぱり言った。
「そうかなぁ?」
私も着つけてもらいつつ姿見で確認する。
自分が普段着ないようなドレスだ。変にドキドキする。
「おねえさま。とてもおキレイです。肌の白さと真紅のコントラストがとても…大人っぽいですわ」
支度を終えた母も満足げにほほ笑む。
「やはり私たちの見立て通りねぇ。イヤリングはペリドット」
チャラと耳の近くで音がした。
大振りの薄黄緑の宝石が躍る。母がつけてくれたのだ。
「ネックレスは…鎖骨の美しさを強調するため、チョーカーにしましたの」
シルヴィアちゃんがドレスと同じ素材のシンプルなチョーカーを手渡してくれた。
「髪は低い位置でシニョンにしましょう。背中の美しさも見せれるし、落ち着いた大人の女性にみせてくれるわ」
メイドは母の言葉に頷き、慣れた手つきで髪を編んでいく。
「ドレスや髪型は大人っぽいんですもの。唇の色は桜色がいいですわ。ここで引き算をしてどこかあどけなさを作りたいですわね」
もうこの親子のしたいようにさせていた。
ふたり揃ってなんて女子力の高さだ。
「完成よ。ああ、わが娘ながらなんて素敵なの!」
「おねえさま、早くお兄さまに見せてあげましょう。外でやきもきしながらお待ちしておりますのよ」
母と妹が「ほう…」とため息をつき、大げさに感嘆した様子を見せる。
その姿を見て、なんとなく。ほんとちょっとだけ。
自分に自信が持てた気がした。
***
「遅いぞ。やっと終わった…か…」
扉が開く音で兄貴は反射的に声をかけたようだ。
その声が途切れる。目がばっちり合った。
「オリヴィア…?」
「…はい。オリヴィアです」
彼は目をまん丸にして食い入るようにこちらを見ていた。
「……」
「……」
い、居た堪れない。
「な、なにか言ってよ…兄貴。に、似合わないよね?やっぱり」
「いや…驚いただけだ」
「え…」
「よく、似合っている。その…キレイだ」
「うえ!?」
兄貴は耳まで真っ赤にしながら口元に手を当てていた。
「ああでも…だからこそ。…他の奴に見せたくない」
困ったな、と兄貴は苦笑した。
私は何か言わなきゃ、と焦った。
「あ、兄貴も。カッコいいよ…」
燕尾服を優雅に着こなしている彼はとても軍人には見えなかった。
髪型もきちんとセットしていた。いつもと全然雰囲気が違う。
兄貴は照れたようにはにかんだ。
私はもう恥ずかしてて居た堪れなくて。
何が何だか…もうこの頭は情報処理ができる状況ではなかった。
――なかった、が。
……何か聞こえる。
「そこで何でもっと気の利いたことが言えないのかしら。シオンったら」
「おかあさま。お兄さまにしてはかなり頑張った方ですわ、今のは」
「でもあんなんじゃ…」
ぼそぼそと。
部屋の扉をうっすら開けた出羽亀二人。
「母さん!シルヴィア!そこで何してんだっ!」
私は振り向いてカッとなって叫んだ。
兄貴は私の振り向き様を見てびっくりしたように叫んだ。
「お、おま…なんだその背中!」
あ、そうか。
そういえば後ろ姿は見せてなかったなぁ。
兄貴はあからさまに狼狽していた。
「オリヴィア、そんな恰好で…」
「はいはーい。シオンは頭でっかちなんだから」
「義母上…しかしこれは…」
「もう支度は済んだんですもの。時間もないですし。勇者様及びお客様たちをこれ以上お待たせするわけにはいきませんわ」
「シルヴィー、だが…」
兄貴は母と妹に背をぐいぐい押され、押し切られていた。
うーん。
うちはほんと女が強いなぁ。
私はそんな家族の後をのんびり歩いて追った。
***
勇者との再会を果たした時。
ミラ王子もヨハンナムさんも驚いたように目を見張ったが、一瞬だった。
ミラ王子はすぐにあの、人を食わないような笑みをたたえ、恭しく私の手の甲に口づけた。
「とても美しいです。オリヴィア譲、まるで薔薇の精だ」
「…どうも」
自分よりおキレイな人に褒められてもなぁ。
というかイケメンという人種は、女を何かの妖精に例えないと落ち着かない病気でも患っているのか。
「私があなたをエスコートしても?その栄誉を私に与えてくれませんか?」
「えーと。はい、じゃあお願いします」
「至上の喜びです。姫君」
ダンスを断ったので、ちょっとした罪悪感と義務感で応じたのだったけど。
本当に宝物を得たように胸に手を当て礼を取る王子様。
なんというか大げさな人だよなぁ。イケメンに限るってやつですがね。
こういうのに女子は弱いんだろうなぁ。
つっと手を取りミラ王子は歩を進めた。
私の足を庇っているのだろうか。ゆっくりと歩いてくれた。
うーん、やっぱりいくら苦手な相手とはいえ。
騙しているのは気が引けるなぁ。
ん?というかこの状況…なにか忘れている。
は!!
そうだ。王子とこんな状況になっていたらもれなくうるさいだろうあの御二方がいない。
「ミラ王子殿下。ギュリさんとアミンさんはどこにいるんですか?」
「ああ、彼女たちは大丈夫。――今は私の影の中にいますから」
「かげ…?」
どういうことだろう?
影のお守り役に徹するってこと?
うーんあの二人がそんな殊勝な態度を取るように思えないんだけどな。
王子はよくわかっていない様子の私を見て薄く笑っていた。
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ホストである父の開催の挨拶と、主賓である王子の紹介も終えた会場はわいわいと賑やかだ。
豪奢なシャンデリアが会場を明るく照らし、白い壁の清潔さを浮き彫りにさせていた。
この日の為に呼んだのだろう音楽隊の演奏が会場を包み込む。チェロだろうか。繊細な音色が耳に心地よい。
結構自由な感じで、隅に置いてある軽食やドリンクを飲んだり、談笑したり、演奏に合わせて早速中央でダンスを踊っている人もいた。
みんな華やかな衣装だ。
「ここにいる人たちってどんな人たち?」
足をケガしているテイを装っているので、壁の花に徹する。
シルヴィアちゃんは、どこかの貴族の子息だろうお坊ちゃんと踊り終えてこちらに向かってきた。
私の差し出したオレンジジュースを受け取りつつ答えた。
「色々ですわ。陛下はいらっしゃいませんけど、王族の方や親交のある方。お父様お母様の親族の方もお招きしているとお聞きしましたわ」
「ふうん」
遠くにいる兄貴と王子に視線を移す。
令嬢方にお囲まれになっていらっしゃる。なんとも華やかだ。
「兄貴はモテるなぁ」
「あら、おねえさまこそ。さっきからひっきりなしにお誘いを受けてますわ」
「あー…まぁそうだけど」
この露出のせいで変な男が勘違いして寄って来るんじゃないだろうか…。
とは、ドレスを選んでくれた妹には言えません。
「お兄さまはさっきからそんなおねえさまを気にしてらっしゃいますよ。気が気じゃないってお顔されてますわ。令嬢方を振り切れないようですけど」
「…前から思ってたんだけどさ」
「はい」
「兄貴って結構なシスコンだよな?」
「シス…コンですか。確かに家族は大切にされておりますけれど」
「それだけじゃない気がする。ただ家族を大切にするっていうよりはもっと特別な感じ」
「おねえさま…」
シルヴィアちゃんは少し驚いて私を見つめた。
「…だから超のつくシスコンなんじゃないかって思うんだよね」
ズルっとシルヴィアちゃんはよろめいた。
「そこまでわかっていながら…ニブイですわ、おねえさま」
「なんかいった?」
彼女は気を取り直したように咳払いをひとつ。
「いいえ、なんでも。まだもう少しだけ私だけのおねえさまでいてくださるのかしら」
「?」
シルヴィアちゃんの言葉は「まだもう少しだけこうして話せるのね」というもうひとりの自分の声を思い出した。あの時から彼女とあんまり話せていない気がする。
視線の先では、兄貴を囲うひとりの令嬢がよろめいた。
兄貴は咄嗟にその人の体を受け止め、抱き締めるような形でその身を支える。
なんというか。
「慣れてるよなぁ、女の扱い」
その光景に、なぜか人知れず傷つく自分がいた。
胸に覚えたざわつきを押し殺すかのようにひとりごちる。
「おねえさま…?」
前世の自分は20歳で死んだ。女の人を知らないまま。
兄貴は今21だ。前世の自分よりひとつ上。
「兄貴ってさ…」
「はい」
「童貞かなぁ?」
「…はい?」
「いや、なんか女の人に慣れている感じがすごくするからさ」
「さ、さあ。それでは、人並み程度には経験がおありなんじゃありませんか?」
「そうか、そうだよなぁ。」
1歳のアドバンテージを抜きにしても。前世の自分はあんな風にはなれなかっただろう。
ああ、なんだかとても。
「悔しいなぁ…」
「お、おねえさま?」
前世童貞、今世処女。
自分はどんだけ清らかな身体をしているのだろう。
「私も負けてられないな…」
「え…?」
だって悔しいじゃないか。それにおもしろくない。
自分は男の人の温もりを知らないのに。
兄貴はこんなに妹を可愛がりつつ、そのくせ違う女の人と…。
そんなのズルい。兄貴ばっかりズルい。
「とりあえず手始めに、男の人と遊ばなきゃいけないな。ああ、だったらさっきからのお誘い、断らなきゃ良かったかな」
前世では清らかすぎる自分だったのだ。
今世は、悪女と呼ばれるくらい、奔放に生きても面白いかもしれない。
昨日まで修道女を最終目標地点として定めていたくせに。自分は何言ってんだか。支離滅裂だ。
わかってる。なんでか分からないけど、自分は今ヤケになっているんだってことくらい。
そんな私に、妹は慌てているようだ。
「お、おねえさま。そんな男遊びなんて!お、お兄さまに教えてもらえば良いじゃありませんか」
「…なんで私が。兄貴のあっはんうっふん話を教えてもらわなきゃいけないんだよ」
そんな話を聞くだけで前世の彼のコンプレックスが昇華されるとは思えない。
大体エロ話なら前世の友人から聞いていた気がするし。
「――!! ちがいます!そういうことではなくてっ!おねえさまが男を漁るくらいなら、お兄さまは協力を惜しまない…と思ってですね」
シルヴィアちゃんは顔が真っ赤だ。
私は唐突に後悔した。
いくら彼女が大人の話題についていける子だろうとも、10代の女の子に聞かせるような話なんかじゃなかったのだ。
自分だけ気まずい思いをしながら、ちょびちょびとグラスのジュースに口をつけていると、ぬっと大きな影が視界に入った。
「ヨハンナムさん…」
「オリヴィア嬢、殿下があなたのお相手をするまで、その間わたしめとお話しをしてくださらんか?」
彼は窮屈そうな襟元に指を掛けながら苦笑した。
きっとこういった雰囲気が苦手な人なんだろう。私は笑った。
このちょっと気まずい空間での彼の申し出は渡りに船だ。
「王子殿下はきっと私の相手をする暇はないと思います。ずっと私と話をする羽目になるかもしれませんよ?」
「それは王子に怒られてしまうやも」と彼は豪快に笑って私の手を取った。
「シルヴィアちゃん、ちょっと外でヨハンナムさんと世間話してくるね」
「はい、おねえさま。…お気をつけて」
シルヴィアちゃんの疑惑に満ちた顔がありありとそこに浮かんでいた。
これはさっきの男漁り云々のくだりを気にしているな。
私はぽんぽんと彼女の頭を撫でた。安心させるように。
「変な心配しないように。大丈夫だから」
シルヴィアちゃんは「はい」とやっとほっとしたように頷いた。
「いくら私でも、奥さんのいる男性に手を出したりしないよ」
――そういう問題ではありませんわ、という彼女のツッコミを受けつつ、私は彼とテラスへ出たのだった。
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