九十四話 夜道
商人の荷車は、乗り入れたままといった体で、厩に放置されていた。
緊急会議とやらで人が集められたし、荷物に触れる時間はなかったのだろう。
「無くなってる物はないか、細工された形跡はないか。よく調べてくれ」
念のためだ。
商人は寝そべって土台の下を見始めた。
特殊な荷車だ。本体に何か出来るとは思えない。
俺は荷台の方を見る。ガラクタの詰まった木箱には、怪しいところはない。
符関係の道具やらは、俺が見ても分からないから調べてもらう。
妙な精霊力も感じない。
「問題なさそうだ」
商人の言葉に頷き、出る準備を始める。
俺は行灯に火を点け、荷車の取っ手に吊り下げた。
夜道でも空から降る光のお陰で、俺と女は、街中を歩く程度なら支障はない。 精霊力の弱い商人は、あれがよく見えないらしいからな。
「まずは、城門を抜けるか」
城下町というくらいだから、ここから出れば、町のどこかってことだ。
とりあえずは道なりに進めばいい。
商人が荷車に手をかける。
一人足りない。
俺と商人に引きずられてきた女は、藁に埋もれて、ぶつくさと呪いの言葉を吐いていた。
嫌ないじけ方するな。
「置いていくぞ」
口を尖らせてすっ飛んできた女も揃い、俺達は移動を始めた。
厩の外へ出ると、会議でも見かけたような、元老院の中では若手の壮年の男が、足早に近付いてきた。
警備係への通行許可を伝えるための連絡係らしい。
頷くだけにして、勝手に進む。
もう何を言われても、聞かれても、返す気はない。
城門で、通すよう命じられた係りの者は、すぐに門を開いた。
門の外で、頭を垂れ続ける連絡係と、それに釣られ慌てて頭を下げる門番達を尻目に、俺達は出来る限りの早足で出て行った。
皆のためと言いながら、利己的な感情の吹き溜まりだったな。
ここまで面倒臭い場所だとは、思ってもみなかった。
中央城と呼ばれていた元老院の敷地は高台にあり、今は町へ向けて緩やかに下っている。
四辻に灯りを置いているのか、一定間隔で灯りが目に入った。
面倒な場所を抜け出せたことで、ひとまずの安心を得たと思った矢先のことだった。
後から、人の近付く気配して振り向く。
暫くは見ることもないだろと思っていた、髭面だった。
軽く手を挙げ、挨拶してくる。
まだ領内だ、安心といっても気を抜いたつもりはなかったが、気が付かなかった。
無視だ。
髭面は、静かな身のこなしで、間を置かず俺達に並んだ。
「街に入る気か。騒がれるぞ」
二人も髭面に気付いて、様子を窺う。
その忠告は尤もだった。
「布でも、頭に巻いておく」
組合で登録する予定もない。
名が知られることはないだろう。
「情報が伝わっていないと、本気で思っているのか」
髭面は、馬鹿に言い聞かせるように、念を押した。
「それは……」
言い返したかったが、言えることは何もなかった。
見知った者の集まりの中だ。訪問者があったとだけでも情報が伝わっていれば、知らん奴が通れば確認されるよな。
「なら、お前らだけで」
二人に言いかけたが、止める。
住人に、詰め寄られるだろうか。
参ったな……二人の旅を、邪魔するつもりはなかったというのに。
「本当に、すまない」
結局、それしか言えなかった。
商人と女を見る。
俺の言葉に、二人はただ頷いた。
そして商人は、町の外へ続く道へと、方向を変えた。
しかし結果的に、拉致されて来たのは良かったってことか。
まさか、あそこまで王がどうのと拘っていたとは。
知らずに町に入っていたら、大変な騒ぎになっていただろう。
それも考慮して、あの人攫いは馬車にしたのだろうか。
女騎士の報告で、説得に応じなかったと知っていた俺を、どうも民側勢力へは隠しておきたかったように見える。
理由は知りたくもないが、こっそり洗脳でもしようかと企んでいたし。
ただ、あの爺代表に対しては、それなりに忠誠心があったようで助かった。
成果自慢のつもりだったのだろうが、初めに面会して止めてもらえなければ、今頃は幽閉されてそうだ。
いや、実際に男の動きを止めたのは、髭面だったな。
とはいえ、秘密裏に引っ立てた筈が、すぐに緊急会議と相成った。
あの男の手勢の中に、口を噤んではいられなかった者がいたのか、他勢力の者が混ざっていたのだろう。
内部のことは、もうどうでもいいか。
横目に髭面を見る。
こいつ、何のつもりだろうな。
元老院との交渉事、それに、女騎士を連れてくるのが主な役目だと思っていた。
まだ着いたばかりだ。
忠告までしてきたが、町を出るまでの安全を、確かめるための見送りか。
俺が、自国民を蔑ろにしたと皮肉ったことへの、あてつけだろうか。
なるべく気にしないことにして、黙って街道へと進む。
帝国側の動きも、話の合間に含まれていた。
人攫いも、使者への制限がとか文句言ってたな。
あれは言い掛かりにしか聞こえなかった。
他国の人間に、好き勝手に動かれても困るだろう。
大体、あれだけ王の生き残りがどうのとやっていたなら、もっと早く女騎士を手元に戻していても良さそうなものだ。
いや戻ったのか。
小僧と再会したとき、女騎士は久しぶりだと言っていた。
そういや女騎士も、恩を返すために帝国側に滞在して手伝ったと言ってはいた。それが一段落したから、元老院へ向かう許可が下りた。
あれが制限の一つかもしれない。
それも帝国側からしたら、何も不自然なことではない。
手を貸せと言うならば、お互いにだ。
それすら、手を貸すために形ばかりの義理を作った、帝国側の譲歩にすら見える。
住んでる町が属しているからって、身贔屓な考えだろうか。
表に見えることはともかくとして、内情は元老院の会議のように大荒れな可能性は十分にある。
そんなことは、知らないほうがいいな。
では、元老院の方はどうだろう。
結果として、帝国は真摯に対処している。
元老院も、避難民を受けいれ、今後の対策を講じている最中だ。
それは確かだった。
ここは、人の動きが乏しいせいだろう。
凝り固まった考えに、自分達の首を絞めている。
その事に、気付きつつある者と気付かない者との対立だったのかもしれない。
それに加えて、トルコロルが残した妄執か。
関わると碌なことにならないだろう。
ああいう手合いが、放っておいてくれるとは思わない。
消極的な解決方法しか、残されていない。
そんなことを気にしているほどの余裕がなくなるほどに、回廊の動きが活発化すること。
そうすれば、混乱が起きようがどうしようが、あの小僧と女騎士が率いていくしかないだろう。
回廊の問題は、コルディリーにも降りかかる問題だから、そんなことは起こって欲しくはない。
後は、俺以外の生き残りが、見つかってくれるよう願うしかなかった。
黙々と考え込んでいる内に、町外れを歩いていた。
僅かに、意識を外へ向けつつも、そのまま歩く。
町を抜け、森へと続く街道に乗る。
葉が生い茂り、ほとんど真っ暗な中だ。
灯りは、先頭を進む商人の手元だけ。
速度を落とし、ゆっくりと移動していた。
俺の側を、黒い人影が規則的な歩調で進んでいる。
「おい、どこまで付いて来るんだよ」
僅かな灯りを受け、こちらを向いた髭面の目を光らせた。
「地図もなしに移動するのは、お勧めしない」
そう言って髭面は、これ見よがしに地図をひらひらと翳した。




