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精霊界の崩落は亡国の魔術式を発動する  作者: きりま
二章 彷徨いの巡礼者

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八十九話 老獪どもの棲家

 僅かばかり歩の速度を抑えたまま、予定通り渓谷へ向けて街道を進む。

 何かあるとすれば、その渓谷だろう。

 嫌がらせのように干渉してくる精霊力も、その辺りから発せられているように感じられた。


 おかしい、こちらを窺い見るだけである遠見の魔術具だけにしては、やたら絡みつく。

 他にも何か、俺の知らない道具も使われていそうだった。



 渓谷に至ると、視界が徐々に開けた。

 待ち伏せるには、申し分ない場所だ。

 そして、この分では――予想通りだった。


「来るぞ」


 髭面が、木々の陰から人の動きを見て取ったのか、そう知らせる。

 皆が各々の武器を手に取る。

 何かに気付いたのか、女騎士は背後を見て短槍を構えた。


「見るからに怪しげな御一行ですな」


 背後の藪の向こうから、男が声を発した。

 その男は、忽然と、その場に現れたように見えた。

 断たれていた精霊力の流れが、突然その場に現れたような……精霊力の流れを阻害する、そんな道具があるのかもしれない。


 当然、開けた渓谷側を囲むようにも、大きな岩陰から男達が飛び出していた。

 十人は下らないようだ。

 待ち伏せてたのか。暇人だな。


 手勢はともかく、命令を下している男達の数人は、全身を包むような外套を纏っている。

 布のようだが、ただ巻いているといった風であり、行商人たちとは違って外を歩き回るには全く適しているようには見えない。

 歩く絨毯かよ。

 揃って同じ衣装なところは、制服のようだった。


「あなた方……その衣装は、元老院の者なのですか。それが何故、このようなことを」

「元老院の使者。そうですね。そう思っていただいて結構ですよ」


 曖昧な絨毯男の言葉に、気分を害したように髭面が語気を強める。


「では、こちらは帝国からの使者だ。我らに仇なすつもりか」


 しかし、悪びれもせず返ってきた言葉は――。


「おや、あなた方が知らせて下さったのではないですか。船上から連絡を頂いたことに感謝しますよ。お陰で、その後の足取りを追うのも容易でした」


 腹を立てたところで、この状況では遅い。

 怒りすら沸かず、見下すように髭面達へと視線を向けた。


「これは、どういうことだ」


 俺は、髭面と女騎士を睨む。


「ただお話をしたいだけですよ。元老院が、あなた方をお迎えしたいと申しているのです」


 話だと。

 まただ。

 話とは名ばかりの、押し付け。


「でしたら私も、理由をお伺いしたいわ」


 女騎士が、絨毯男へ問いかける。

 よくも抜け抜けと言えるな。


 絨毯男は、僅かに困った様子で微笑を浮かべた。


「お二方もご一緒されているとは、誤算でしたな。仮にも国の使者が、徒歩の旅に付き合うなど……ともかく、あなた方へどうこう言うつもりはない。ここは、何卒お引き願いたい」


 二手に分かれて陥れる算段のはずが、話が伝わっていなかったようだな。


「ついでだ、我々も話を聞こう。連れて行け」


「空々しい真似はやめろ」


 髭面の態度に、うんざりして声を上げていた。


「俺達はただの客だ。城に用はないし行く気はない、としたら?」


 女を下がらせ、前に出る。

 こちつらが、用があると言っているのは俺のはずだ。

 商人達には関係ないことだろう。


「ここは我ら直轄の領地。不法に侵入している賊として捕らえても、構わないのですよ」


 あからさまに脅してきたか。


「そこから出られる保証はないだろ」


 低い笑い声を漏らしながら、呆れたというのように絨毯男は首を振った。

 その笑いは唐突に打ち切られた。


 背後から、展開された複数の魔術円――嵐の符。

 咄嗟に振り返る。

 挑発としか取れない男達の言葉に業を煮やしたのか、女が符を片手に鉈を構え、今にも飛び出しそうに腰を落としている。


「止めろ!」


 この展開の滑らかさは、俺が渡した質の悪い符のものではない。

 商人に新しい符を作らせたのか。


 そんなやたら通りのいい符で、嵐の範囲術式なんて馬鹿かよ。

 俺達まで巻き込まれるだろうが!


 飛び出そうと、一足出しかけた女に手を伸ばす。


「っ……展開!」


 絨毯男は、泡を食って後方へ応戦しろと叫ぶ。


 同時に、女を商人の方へ突き飛ばした。

 展開された円が、掻き消えるのを見て、また振り返って叫ぶ。


「待った、攻撃はしない!」


 全方位に、魔術円が展開されていた。

 さすがに元老院ってところか。

 扱いに慣れてる。


 それらを見ると、女に向き直る。

 商人にも、女を抑えろと目配せする。


 切れると見境がないな。


「攻撃はするな」


 さすがに、相手も場所も悪い。


 用件は分からないが、俺はともかく二人は解放されるだろう。

 手を出せば、それも出来なくなる。

 牙をむいて絨毯男を睨みつけ、俺の腕を振り払おうともがいている、その女の首根っこを掴んで囁いた。


「雇い主を守りたいなら、手を出すな」


 その言葉で我に返ったのか――そうだといいが、ともかく女は動きを止めた。

 渋々とだが後退し、商人を庇うように立つ。

 それを見届け、改めて絨毯男へ目を向ける。


 あいつらの目的は俺だろ。

 だったら、ごね続けるよりは、


「なんの用か、聞こう」


 絨毯男は、企みでもあるのかと僅かに逡巡した後、渓谷を先へ進めと促した。




 怖れていたことが、現実になりつつある。


 及びうる被害について、考えはしたが、実際に目の当たりにすると身が竦む。

 頭が拒絶するのだ。

 ただの考えすぎだった。そんなことが本当に起こる筈はない。


 どこまで、深刻なのか。

 こんな血筋だけで、人を攫うまでのことをする。

 悪い方にばかり考えすぎると思っていた。


 その癖、甘く見ていたのか。

 人の内に潜む狂気を。

 傍から見ればいかにも平和に暮らしているからといって、人の営みに、業に、変わりはない。大昔から、ずっと。



 大岩に遮られて見えなかったが、橋を渡った先の川原には馬が並んでいた。

 わざわざ待ち伏せていた理由の一つが、これだったようだ。

 大人数の手勢と、俺達を運ぶための馬車や馬らの置き場が必要だったのか。




 俺達は、幌馬車ではない、人を運ぶためのその馬車に詰め込まれた。

 道幅に合わせて大きなものではなく、窮屈だが五人は乗れた。

 後ろに俺と商人達三人、向かいに白黒二人が座る。

 結局、髭面たちも強引に押しかけた。

 商人の荷車は、他の馬に繋がれ、後方に続いていた。


「俺の荷車……」


 商人が気もそぞろに後部の小窓から、覗き見ている。


 おい、そっちより自分の身を心配をしろ。


 馬車は飛ばしているし、道も悪い。商人の肩に手をかけ、座るようにと目で指示する。

 不意に転がるとまずい。

 何より、揺れる度に肘が当って痛いんだよ。


 名残惜しそうに目配せした後、前を向いて腰を落ち着けてくれた。


「巻き込んで、すまない」


 大人しく座るのを確認すると、謝った。

 礼のつもりの護衛の筈が、厄介事を持ち込んじまった。


「いいさ」


 いつものように、短い答えだった。





 馬を休ませつつ、丸一日は走っただろうか。

 町の中を抜けていた。


 小奇麗な街並みが窓の外を通り過ぎていく。

 何処かで、見覚えのあるような雰囲気の人々も。

 あてつらが、みんな、トルコロルから避難してきたのだろうか。

 小さな棘が胸を刺すようだった。




 やがて町の中心、そう高くない壁に囲まれている場所へ辿りついた。

 城壁なのか。馬車に乗ったまま門をくぐる。

 見渡せる限りでは、壁の範囲はそう広くなさそうだ。

 この中一帯を指して、元老院と呼んでいるのだろうか。


「ここが、中央城ですよ」


 馬車を降ろされた側から、絨毯男が寄ってきて自慢げに言った。

 城と言っても、帝都のように高さのある建物はなかった。

 代わりに横には広そうな建物が連なっている。


 その一つの前へ、俺達は立っていた。

 石を積んだ基礎に、赤茶けたような土の壁。枠のように組まれた太い木の柱が、壁を黒く縁取る。

 帝国の砦のような城とは違い、領主の住まいといった方が似合う佇まいだった。


 横幅の方が長そうな、両開きのある入口。

 その脇の壁には、黒ずんだ濃緑の金属板が打ち付けられている。

 東屋にでも置かれそうな、木製の長椅子を思わせる意匠と、名が彫られている。


『ミッヒ・ノッヘンキィエ研究院』


 元老はどこへ行った。

 そんなことを思ったが、この建物が魔術式研究の中心地ってことなのだろう。




 重々しく軋む扉が開かれると、背後から傲岸な男に押されて、足を踏み入れた。

 加工も施されていない石の通路は、やたらと足音を反響させる。

 不審者対策にはもってこいだろう。



 だだっ広い、長方形の広間。

 壁には、至る所に見覚えのない魔術式が刻まれた、道具が飾られている。

 床は、滑らかに加工されていたが、これもまた何かしらの魔術式が区画毎に刻まれていた。


 その奥に、数段の階段を設けた壇上に立ち、ひっそりと待ち受けている者があった。

 壁に掛けられた式だか絵画だかの壁掛けを、両手を後ろ手に組んで見上げながら、今は背を向けている。体付きや、立ち方からして男だろう。

 身にまとっているのは、俺達を攫ってきた男達と同様のものだ。

 ただ、その襟元あたりを縁取る帯のような模様には、一際豪華な刺繍が施されていた。

 それが、立場の違いを明確にしている。



「代表閣下殿。お連れしました」



 背をやや丸めた男は、ゆっくりと振り返った。

 頭まで覆っている布の間からは、深い皺を刻んだ顔が覗いている。

 老いによる白く豊かな眉の下には、理知的な奥まった瞳が、状況をつぶさに観察しているようだった。

 それ以外の表情は、口元も口髭と顎鬚に隠され分からない。


 一同を見渡しながら、溜息をつく。

 憂いのためか、皺を一層深くした。

 やがて一言、呟いた。


「愚かな真似を」


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