八十七話 甘い道のり
そういや、すっかり忘れていたが、こんな町に本当に組合はあるのか。
以前通った町の一つに、支部長と副支部長だけなんて組合も存在はした。
ああいうのかもな。
あっちは、結構な人通りのある経由地だったから、仕事はありそうだった。ここは、そういう点でも組合の存在意義を感じない状況に見えることは疑問だが。
もともとは、地理などの情報を仕入れるためだったのだから、無理に行く必要はない。癪に障るが、今は髭面の地図を当てにしている。
それでも、依頼の内容などで漠然とはいえ得られる情報もある。
なによりも、旅人としては見てみたいじゃないか。
出かける準備を済ませて居間へ下りると、台所へ案内された。
十人は囲めそうな大きな食卓のある、広い部屋だ。
既に白黒組は席に着いて、食事を摂っていた。
離れた場所に陣取ると、後に続いて商人と女もやってきた。
粉夫婦が、作りたての朝食を運んでくれる。
店もないようだし、宿で用意してくれるのはありがたい。
しかし、食費も含まれていたのか。
客も滅多に来ないからだろうか、それを考えるとかなり安い。
「朝は冷え込むでしょう」
粉女将が言いながら渡してくれた朝飯も、ほかほかと湯気を立てている。
俺にとっては涼しく爽やかな朝だったのだが……黙って、熱い椀を手に取った。
透明な汁に、小麦を練ったものだろう、白く平べったい丸い固まりが幾つも浮いていた。僅かに乗った緑の香草が、彩を添えている。それを木の匙で掬い口に運ぶと、塩気と魚の風味が広がった。
食い終わって、粉女将に組合はあるのか尋ねてみた。
びっくりしたような顔が、全てを物語っていた。
「そんな大層な仕事量は、こんな町にありゃしませんよ」
あの野郎。
港の事務係は、隣町としか言わなかった。
隣町が、ここだけとは限らない。
確かに、どの隣町かは言及してないが、色々尋ねすぎてうんざりしてたし適当に答えられた可能性もある。
そこは、やっぱ組合の職員とは違うな。
聞かれることが主な仕事ではない。
代わりに、髭面が答えた。
「元老院の直轄領に入るまでは、存在しないようだ」
そうかよ。
「じゃあ港の隣町ってのは、ここだけなのか」
粉夫婦は困ったような顔をした。
それを受け、髭面は懐から地図を取り出し、食卓に広げた。
皆で頭を付き合わせるように囲んで覗き込む。
何故か、地元民である筈の粉夫婦も一緒だ。
「どこを隣とするかで、その答えは変わるな」
皆は同時に頷くと、頭を離した。
結論で言うと、あの事務野郎が全くの嘘出鱈目を言ったわけではないと分かった。
ここは、港からやや北側の隣。
髭面の言った組合のある元老院の領内とやらは、東側の隣ということになる。
徒歩とはいえ数日の距離を隣というのは強引な気もするが、俺の聞き方が曖昧だったのがよくなかったんだろう。多分。
わずかばかり、干し肉などの保存食を売ってもらい、水筒に水を汲むと出発の準備は整った。
「急なもてなしに感謝する」
髭面の挨拶に、粉夫婦は深々とお辞儀をし、俺達の姿が見えなくなるまで見送っていた。
木々に囲まれているから、あっという間に姿は見えなくなったのだが。
街道へ続く表通りへ出ると、到着したときは人を見かけなかったが、今は仕事の準備を始めているらしい住民達を目にした。
彼らの視線を受けつつ、町を後にする。
来た時とは逆の出入り口へ来ると、緩やかに下る道を進む。
開けた視界に、段々になった田畑が見えた。
こちら側で仕事してたのか。
すっかり日は昇っている。働いている者の姿が、各田畑の上に見える。
俺達を見て駆け出し、両手を振り回す子供達の姿が見えた。
苦笑しつつも、手を振り返す。
両親に呼ばれたのか、飛び跳ねて走り去っていく後姿も、すぐに木々でかき消されていく。
また、人気の無い街道をひたすら歩く日々が始まるのか。
わずかに、高揚する気分に気付いた。
ただ歩くだけなら船の上でも歩き回っていたとはいえ、自分の足で進めるってのは気分がいい。
これで煩わしいもんさえなければ、最高だった。
やや前方を歩いていた、白黒組の背を見ると溜息がこぼれる。
やはり、こいつらと話をしても碌なことはないという、俺の勘は正しかった。
余計なことなど知りたくもない。
昨晩、聞いてしまったことを思い返す。
二人の行動に不審は拭えない。
腕に自信はあるのだろうが、それにしても二人きりで出て、その身に何事か起これば問題だ。
そういえば、海を渡るまでは、一隊分の護衛がいたようなもんだったな。
忍んでいる護衛でもいるのかと思ったが、離れて後ろから様子を窺うような、魔道具の気配はない。
道具を使わないなら、あまり距離を取っては護衛の意味もないだろうし。
やっぱ、初めから俺達と合流する気でいたんだろうか。
俺達を含めれば、頭数としては足りている。
しかし、そんな信用の置けない旅人風情に大事な身柄を預けるか。
王の、個人的な企みとする。
幾らそれなりの身分の保証はされてようが、たかが共に育っただけの乳兄弟。
失っても、国への損害は無いだろう。
信頼する部下を失うことは多少は痛いかもしれないが、うまく立ち回れないような人材なら、庇ういわれもない。
女騎士の方は、国民ですらない。
投資した分はあるにしろ、失って困ることはない。
都合の良い国を作るための布石なら、もう一人、元老院にいたな。
考えすぎだとは、思っている。
別に、あくどいことをして成りあがってきたような国ではない。
今だって、特に悪い噂を聞くわけでもないな。
少し強引なところがあるとか、地方の隅々まで気が回ってないようだとか、そんな不満はある。そんなことなら、どこの国でもありそうなことだ。
俺が漠然と不審と不安を覚えるのは、個人的な問題なんだろう。
無理に仕事を手伝わされそうになり、付きまとわれ、そのくせ隠し事満載ときている。
もし、そんな色眼鏡を無しに見れば、どうだろうか。
祖国をなくした少女を立派に育て上げ、懐刀を付けてまで国へ返す助力をしている素晴らしい王様の話に見えなくもない。
俺が不安なのは、悪い方の想像に近いほど、この身も安泰とは言えなくなるからだ。
ほとんど関係ないほど、遠いと言い張っても、主王の血筋だと知られているんだ。
結局のところ、何が真実かなど分かりはしない。
考えを払い、暇つぶしも兼ねて、頭で光の式を復習する。
意識して練習するよう心がけなければ、すぐに後回しとなってしまう。
予定外の余計なことが、度々起こるからだ。
忌々しげに、再び白黒組の背を一睨みした。
各々の考え事があったのか、昼まで黙々と歩いた。
たまに「手合わせしよう」と、髭面と女騎士へとにじり寄る姿が見えたな。
軽くあしらわれていたが。
昼休憩となり、街道の端へ寄ると、適当に腰を下ろした。
自然の音だけが響く、木々の合間で食事を摂りながら、改めて今後の道のりを確認したいと頼んだ。
もっと厳密に言うと、元老院の城下町へ入るまで。
頭には入っているんだろうが、髭面は俺の要請に地図を取り出して答えた。
「二日、いや三日はみるといい」
本来なら二日の行軍なのだろう。
髭面は一瞬荷車に目をやり、日程を言い換えた。
特別限定仕様車なお陰で悪路に困ることはないが、それでも速度は落ちる。
商人が、のんびりした性格だからというのもあるな。
一人だけ馬鹿みたいに張り切っているやつがいる。
「甘い甘ーい、芋への道!」
そんな道はない。
その元気はどこから来るんだよ。
見ているだけで、力を奪われるようだった。




