八十二話 会談
「異変時、私達は帝国軍との交流のため赴いていたのです。急ぐからと、父は私を預けて行きました」
さてどうしたもんか。
聞くことは山ほどある。
聞けることと、聞くべきこと。
しかし時間は限られている。
話したかったことが積もってるだろうから、先に話させた。
まずは相手の鬱憤を晴らさせる。
そうすれば、少しは大人しくなってくれないかという希望もある。
それで、ほぼ時間はなくなった。
俺の方はこのまま終えてもいいが、それだとこの女騎士は納得しないだろう。
何か一つ、聞くとしたら。
ちょうど話題になったことを尋ねることにした。
話し辛いだろうと承知の上で。
また説得しようと、話す機会をもとうとしてくるだろう。
それが俺にとってどれだけ負担なのか。
同じ事を強いているのだと、分かってもらう必要がある。
「父は亡くなる前の異変時に……体調を崩した。あんたの方は」
印と言いかけて、すっかり、その他二人がいることを忘れていた。
体におかしな痣――印があることは伝えてあるが、それにまつわることは、女との目的に関すること以外は話していない。
二人だけではない。
この女騎士にも、印のことを意識させることになる。
それでも、あえて目を逸らさずに、返事を待った。
俺の言わんとすることに思い至ったのか、女は蒼白になった。
それだけで、答えは得たようなものだった。
「おっしゃる通りのことが、私の父にも起こりました」
それでも、旅立った。
異変後、父や多くの騎士がそうしたように、祖国へ戻ろうとした。
急ぐためと言ったが、身の安全の為に預けられた気がする。
それとも、死を予感したためだろうか。
その後音信不通か。
最も混乱した時期に旅立った。生きてはいないだろう。
アィビッドは、最も情報が交錯する地であり、正確に情報を掴んでいる国の筈だ。しかもその軍下にいる。
トルコロルの現状も耳にしている。
だが、それでも彼女は、もしかしたらと考えているように見える。
多分、既に生きてはいないと、分かってはいるんだろう。
ずっと元老院とも連絡を取り合っていたなら尚更。
頭では分かっていてさえ、皆が滅びるなど在り得ないと信じたい。その心情は、分からなくもない。
ただ、俺にとっては、既に遠い過去のことだった。
すっかり記憶の隅に追いやっていたことだ。
だが未だに、続いていることとして生きている者はいる。
そのことは念頭に置いておいたほうが良さそうだ。
十分だ。
俺は、静かに立ち上がった。
「お待ち下さい」
「悪いが、時間だ」
散々食い散らかして、茶を啜っていた両隣の二人にも出るように促す。
部屋の外へ出た。
通路を数歩進み、ふと足を止め振り返る。
俺達を、扉の側で見送る姿に声をかけた。
「また、時間が合う時に」
頷いた青白い顔は、やや力を取り戻したように見えた。
「こりゃいいね。またタダ飯にありつける」
商人の部屋へと戻る途中。
膨れた腹を撫でながら、女は意地汚いことを言っていた。
「もうないぞ」
そんなっ私の希望を奪うのかなどと、涙目で狼狽えつつ筋違いの抗議をしている。
それを、商人の方に押しやった。
「餌が足りてないようだぞ」
商人が困ったように眉尻を下げる。
「た、足りてる。量は足りてるよ」
女はそれを見て焦っていた。いい気味だ。
気分は重いだけの会談だった。
それでも、一つ、自身のわだかまりを乗り越えたことに違いは無い。
だからといって、特に気分爽快とはいかない。
本当に微々たる進歩だ。
気は進まないが、またあの女騎士の話も聞かなければならないだろう。
今まで、頑なに印の問題とトルコロルとの関係を、避けてきたのだから。
その夜の見回りは、うるさい相棒の存在がありがたかった。
「今度こそ、お前が話す番だからな。簡単に俺を唸らせられるとは思わないが、精々試してみろ」
そう挑発気味に言われても、素直に披露してみる気になった。
面白い話など、したことも考えたこともないが、眠気覚ましになるというなら試してみるまでだ。
相棒が燭台を手に先導する、暗い通路をゆっくりと進みつつ、俺は一つ咳払いして話し始めた。
「それは野営中のことだった。俺は見張りをしていたんだ。灯りといえば、ぼんやりと揺らめく焚き火だけ。ふと気付くと、黒い霧のようなものが辺りに絡みつくのが見えた……」
一瞬、相棒は驚いたように振り向いた。
「ほう、そう来たか。そ、それから、なんでえ」
なにが、そう来たかなんだ。
聞こうかと思ったが、また前を向いて進みだした相棒の背に、話を続けた。
「背中に、ひやりと冷たい感覚が走り、思わず振り向いてしまった……するとそこには」
ごくりと喉を鳴らす音が聞こえる。
「怨嗟渦巻く邪悪な双眸が、地面から見上げていた。その目はまるで果てのない暗闇のように、ぽっかりと開いて俺の様子を窺っていたんだ……じっと、身じろぎすらせず」
相棒が、緊張したように背筋を伸ばした。
「ふおお! 一体、なな何が始まるんだよ?」
小さな叫び声が前方から聞こえた。
笑い声、ではないよな。
「すると背後にいたそれは、人ならぬ音を発したんだ。……ガサ……ガサ……」
相棒は、広い背中を丸めて身を震わせている。
笑いを我慢しているのではなかった。
「ひよおおお……もう、や、やめろ!」
まだ、話し終わってないぞ。
別に大した終わりでもないけど。
女が、枯れ枝を投げつけて来たところを、木の杭を心臓目掛けて襲い掛かってきた、ということにしようと思っていた。
前を見ると、怯えているらしい。
「怖ええ……いや大丈夫だ怖くなんかない……大丈夫だ、呪われなければどうということはない……」
恐怖心を誤魔化そうと、そんな風によく分からないことを呟いている。
おかしいな。
事実を誇張して話せば、面白い話になるのではないのか。
しばらく、背を丸めてぶつくさ言っていた相棒が、背筋を伸ばした。
「いやあ、なかなかやるじゃねえか。だがな、俺ぁ面白い話ってのは笑える話のことを指してたんだ。怪談じゃあねえよ!」
怪談。
確かに、女の話していた伝説の怪物の話なら、怪談になりそうだと考えたが。
これは、あの女の日常的な行動を話しただけだ。
俺は怖かったが、そういった話を他人に話せば笑い話になるものだと思っていた。
「それはそれで面白いがよ……今晩眠れるかなー」
「作り話だぞ」
慰めになるかと、身も蓋もないことを言った。
「作り話でもなんでも、怖いもんは怖い。冗談だって作り話でも笑えるだろ」
感受性豊かだな。
「それに、作り話の割に、やけに実感こもってたじゃねえか」
俺にとっては体験談みたいなものだからな。
通路の曲がり角に差し掛かった。
暗い角から、ぬっと影が躍り出て。
「ふゃあああっ!」
相棒の魂の抜けかけたような叫びが響き渡った。
「うわっ! なんだよいきなり、驚かせるな」
曲がり角から顔を出したのは、他の見回り組だった。
擦れ違うことは常だというのに、運悪く曲がり角で出くわしてしまった。
相棒には悪いが、俺にとっては運が良かったかもな。
お陰さまで、その後は何か話せとせっつかれることもなかったのだから。




