七十九話 闇の舟歌
話をしたからって、どうにかなるもんでもない。
念のために、また面倒な奴らが絡んできそうだと伝えておくだけだ。
それとも、単に話を聞いて欲しかったのだろうか。
今までの俺自身では考えられないことだな。
干からびて捩れた妙な魚の足を、口の端から覗かせて、悦に入っている女の顔と、それを若干引き気味に見ている商人を眺める。
そうだった……元から、あまり人の話を聞く奴らでもなかったな。
一人でぼやいているのと、そう違いはないのがいいのかもしれない。
少し空しくなってきた。
食して満足したのか、伝説の怪物の呪縛から解かれたらしい。
女は我に返ったように言った。
「あ、そうだ。あの髭さんと話したよ」
早く言え!
「そう睨まなくとも、怪物のお礼は返す。あなたが落としたのは、この金の怪物ですか、それと、」
「いいから」
食べ終えた串を掲げて、女は無駄話をしようとしていたが、話を遮った俺に、ぷうと頬を膨らませて反論する。
諦めたのか、眉を顰めて、上目遣いに中空を見つめた。
昼間の様子を思い浮かべているのだろうが、ありもしない何かを見ているようで不気味だ。
「あなたの体調はどうかって、聞かれた」
それは、お優しいこった。
挨拶だろう。
早く内容に移れ。
「面白みのない、うじうじ虫だけど、食い意地張ってるし健康そのもの! って答えておいたよ」
言うに事欠いて、食い意地張ってるはないだろう。
お前よりはましだ。
「聞かれたのは、それだけかな」
本当だろうな。
無駄話をするようには見えない。
その言葉の裏には、何かが潜んでいるのか。
「それに、なんというか、すごい人だったよ」
期待を込めて見る。
「ほう」
軍では見ないだろうし、こいつの突飛さに、何かを漏らしている可能性もある。
「伝説の怪物の話をしたら、喜んでくれたの。作り話だろうにね」
女は目をぎらつかせながら、嘲笑っている。
「お前が言うな!」
さっきまで「旅人の女、伝説を喰らう!」とか、はしゃいで食っていただろうが。
髭面も可哀相に。
きっと、生暖かい気持ちで頷いてくれたんだと思うぞ。
「大きな溜息なんかついてると、爺むさいよ」
微かにでも期待した俺が馬鹿だった。
ふと狭い部屋の隅を見ると、商人は既に聞くことを切り上げて、符作りに励んでいた。
「そろそろ時間だ」
そういうことにして、俺も切り上げることにした。
仕事は夜もある。
少し早いが、集合場所へ向かった。
従業員控室、という名の物置兼井戸端会議所。
従業員とはあるが、俺達のように操業に関わりのない作業員達のための部屋だった。
連絡事項などはここで伝えられるはずだが、どうやら、ほとんどはお喋りの場と化しているようだ。
長く働いている者ばかりなんだろう。
俺は両腕を組み、その狭い部屋の壁に背をもたせかけていた。
人の輪の端で、やり取りをながめる。
「おうい聞いてくれよ。今回の相棒なんだけどよお」
相棒の声だった。
俺のことだよな。
皆の前で扱き下ろされるのか。
確かに、注意を何度か受けた。
今後、やり辛くなるかもしれないが仕方がないだろう。
所詮俺は臨時雇いだ。
組んだ腕をほどき、お小言を聞こうと僅かに身構えた。
「俺が渾身の冗談を飛ばしてんのに、無視するならまだしも! 可哀相なもんを見るような目で、相槌打ってくるんだぜ」
は?
その場はどっと沸いた。
「新人君よ、なかなか分かってるじゃねえか」
「こいつの話は薄ら寒いからなあ」
「なんだと? 今までのてめえの笑顔は嘘だったのかよ!」
え、いや、そんなつもりは微塵も。
あれ? 俺が注意されていたと思ったのは、なんだったんだ。
それとも、これは嫌味というやつなのだろうか。
俺の困惑を他所に、その場は和んで見えるし話は弾んでいるようだ。
まさか、冗談を言ったつもりが、俺の反応が薄いから拗ねていたのか。
もしそうなら、物凄く悪いことをした気がするな。
「あっほら、また憐れまれてるぞお!」
「うるせえ!」
道理で、俺の態度を良く見ていたはずだな。
「よっし、夜はお前の面白話を聞かせろ。俺を唸らせる事ができたら、秘蔵の酒をくれてやる!」
「お前の負け確定だな」
「なら新人君に晩飯賭けるぞ」
「賭けになるもんか。なんでも笑い転げるヤツに誰が賭けるんだよ」
勝手に相棒は、鼻息を荒くしている。
「ちっ、見てろよ。笑いを抑えるコツを掴んだからな!」
そんなもんにコツがあるのが驚きだ。
野次の応酬に、そろそろ解散だなと背を壁から離す。
悪いが、俺は気の利いたことなど言えない男だ。
期待されても困る。
相棒に花を持たせてやることになるだろう。
「それじゃ、出るか」
合図の言葉に頷き、夜中の見回りへ向かうべく控室を後にした。
暗い通路を、相棒の後についてゆっくりと進む。
相棒が手に持つ灯りが、揺らめいて壁に反射する。
持ち運べるように、硝子のコップの中に蝋燭を置いたような小型の燭台だ。
船体が重々しく軋むような音以外は、静かな通路にお調子者の声が響く。
本人は声を抑えているつもりらしいが、地声がでかいんだろう。
「面白い話ってのは、眠気を覚ますのにちょうどいいんだよ。感覚もぱあっと冴えるしよ。遊びじゃねえぞ? ほんとだぞ?」
持論を展開する相棒に頷きつつ、辺りを点検する。
初日は、夜まで続く最も辛い勤務時間らしい。
これを新人を含む組に任せるそうだ。
「明日から楽になるはずだ。今だけは気合いれろ。だが腹には力を入れるなよ、漏らされても困るからな」
初日の休憩組から、順次交代していくということだった。
明日からは、普通に睡眠休憩を挟むとはいえ、それでも生活時間は通常とは異なってくる。
これは、単に力仕事を続けるよりも、人によっては辛いだろう。
相棒が話しているように、急に催しても困る。
水は、取りすぎてないよな。
「おおい頼むよ!」
何か、聞き逃していただろうか。
「一人で呟いてたら、恥ずかしくなるだろお」
すまなかった。
まだそこまで気が回らない。
「分かり易い説明だと、感心していたんだ」
「そうだろうそうだろう」
嬉しそうに、また話しだした。
今度は、適度に合いの手を入れた。
控室での話を思い出すと、もしかして、笑って欲しかったのだろうか。
本気とも冗談ともつかない言い方ではあるが、そんな枝葉の中に要点は述べられていた。
言い方など関係ない。仕事熱心な男だと思ったから、笑えるような内容ではないと、こちらも真面目に受け取っただけだった。
言い方に囚われずに考える。
女が髭面と交わしたという話を思い返した。
いや、あの女の場合は……どうかな。
挨拶しただけって本当だろうか。
本心では、もっと探りたかったが、この女やばいと思って逃げただけじゃないか。
そうだった。何も、体調を尋ねるのが挨拶とは限らない。
なんで、忘れていたのか――ついでなんだろうと、思ったからだ。
初対面から体調を尋ねてきたのだ。
それは二度目で確認していたから、気が済んだのだろうと勝手に思っていた。
どちらかといえば、俺の体調が良くなったなら、北の仕事に手を貸さないのは何故かと問い質したいのだろうと。
そのことは、俺も言う気はないし、まだなんとも言えないから避けていた。
それが、そもそも勘違いだったのか。
女にとはいえ、今回も俺の体調を聞いた。
それ自体が、知りたいことなのか?
いや、本当に体調が良くなったのか、人の口からも確かめておきたかっただけかもしれない。
それにしても、大して興味がありそうにも見えないんだよな。
気が重いが、髭面の言うように、話を聞いたほうがいいのだろうか。
あの、女騎士。
話したくない理由に、苦手な性格そうだというのがある。
話を聞くのはうんざりだ。
それよりも、こちらから尋ねるほうがましだ。
問題は、こちらには確かな情報がこれといってないことだった。
準備もなく、対峙するのは避けたかった。




