七十一話 憂い
日が傾くと、あちこちから小さな煙が上がり始めた。
晩飯時だ。
俺達も隅で火を起こす。
女はまだ、腹をさすりながら気分悪そうにしている。
乾燥した果物とはいえ、馬鹿みたいに食い散らかすからだ。
それでもしっかり晩飯の保存食を取り出した。
どれだけ食い意地が張ってるんだよ。
商人も呆れて苦笑している。
「ご飯は生命の源!」
女は高らかに宣言し、穀物の固まりにかぶりついた。
少し減らして、謎の元気を抑えた方がいいと思うぞ。
食後の白湯もほどほどに切り上げる。
食い終えると、ここの常連達らしき集まりを覗いてみることにしたのだ。
三人で、そちらへ向かうと、大きめに火を起こして囲っている連中に混ざる。
昼間とは違い、商人も旅人も関係なく、気の合う奴らで集っているようだ。
俺は、精霊溜りの話が気懸かりだった。
どれだけの被害が広がっているのだろうか。
それとも、行商人達が話の種に大げさに吹いているのか。
さすがにそれはないと思いたい。
若い者ならともかく、年配の者達は過去にどんな被害があったか、よく知っているはずだからだ。
ただ、その分落ち着きすぎている節がある。
今までも、ふと話題に上った際の反応を思い返してみる。
年配の者は、また起こってもどうにかなるだろう。
若年層は、ぴんと来ないらしい。
一応、俺達はその中間だろうか。
最も、恐ろしい体験として、記憶に留めているように思える。
今まで俺の周りに居た者達だけのことだから、皆がそうではないだろうが。
西の国々、砂漠の方から取引をしているという連中に声をかけた。
「精霊溜りの被害がどんなもんかって? 今んところは、人里離れた場所らしいがねえ。ただ符の売り上げなんかを見てりゃ、増えてるだろうと思うんだよ。一つ見つかったってなもんなら、一度売れておしまいだろ? それが、ここんとこは行く度さ」
別の行商人も、うんうんと相槌を打っている。
話を聞いた限りでは、北の増え方と似てると思った。
ある日、人の生活圏に現れ始める。
気が付けば、数が増えている。
見たわけではないから聞いても分からないだろうが、一つ一つの規模も大きくなっているんじゃないか。
他の国々がどう対処しているか知らないが、ある程度は前回の大異変時に手順を定められているはずだった。
問題は、形骸化していないかどうか。
この十年で、国によっては精霊溜り自体、目にすることもない現象だろう。すでに憂いの一覧から取り除かれていてもおかしくない。
符自体に、需要がないわけでもないが、小国では重要視していないのではないか。生活に直接関わりがある物ではない。
「国で作ってないのか」
俺の質問に、苦い笑いが起こる。
彼らには当然のことを、聞いてるのだろうか。
「どこも、転話具なんかの魔術式具の方に力を入れてるよ。それに、この国のように鉱山を維持しているところも、そうはないな」
いつ起こるともしれない問題の為に、準備をしておける余力がどれだけあるのか。
それは、目の前の情報が答えのような気がした。
わざわざ、帝国の行商人から仕入れなければ、追いつかない程度なのだろう。
その後は、彼らの珍道中話に耳を傾けた。
聞けば聞くほど、帝国軍は現状の問題に対して、真摯に取り組んでいるように思えてくる。
実際そうなのかもしれない。
だからこそ、ますます不信感を拭えない。
俺に構っている余裕があるのか?
そういえば、鉱山町でのこと。
初めに、髭面一人で会いに来たな。
女騎士が翌日合流したってわけでもあるまい。
あの女騎士の言い分を真に受けるなら、会う時間を割いてもらった。
二人の目的は別にあり、必ずしも同じ行動を取っているわけではない。
そういうことなのだろうか。
あの女騎士に後ろ盾となる国は既にない。
ならば国が、保護していると取ってもいい。
もしそうなら、自由はそれほどないだろう。
しかし帝国側に、どんな益があるというのか。
残った集団を味方に加えたいとしても、話に聞く限りだと、海の向こう側のことだ。
国を再建したいなどと嘯いていたが、現状をどう考えているのだろう。
共に回廊を見た。
トルコロル跡地だって、同様のはずだ。
到底、住むどころか、人が近付ける状況ではないのだ。
それに加えて、行商人達の話。
コルディリーの周りもそうだが、またもや世界に被害が広がりつつある。
翌早朝、賑やかな野営地を後にして、変わらず街道を進み始める。
行商人達の話が頭に残っているのか、二人とも言葉少なだった。
軍の行動にしても、俺の話の裏付けが取れたようなもんだろう。
休憩時間も、各々過ごす。
符を作っている最中は無心そのものといった商人も、ふと見ると考え込んでいるような節がある。
気になっていたことが頭を過ぎり、声を掛けていた。
「聞いてなかったと思うが、工房はどこへ構えるんだ」
今まで話す気がなかったのか、機会がなかったのかは分からない。
つい聞いてしまった。
「それなんだが、決めかねている」
おい、この期に及んでどういうことだ。
考える時間はあっただろ。
「属していた工房のある町の側、生まれ育った村がある。海沿いの、漁で暮らしているような小さな村で、他に何もない」
商人は、しみじみと語りだした。
「何もないからこそ、ひっそり暮らしていくのもいいだろうと」
気が変わったのか。
「どうも、話を聞いてまわる内に、それどころではなさそうだと思ってな」
精霊溜りの拡大は、職人には直撃する問題だ。
ひたすら数を作らされることになる。
色々と試したいという者の自由を奪うだろう。
「こればかりは、いつ目処が付くかも分からない問題だが……しばらくは元居た工房を手伝うのもいいかもしれん」
大量生産なら、一つ所に集まった方が、そりゃ効率はいいだろう。
だが、せっかく工房を開く申請も通ったというのに、世知辛い話だ。
「そうか。状況が好転するのを祈ろう」
静かに、何事もなく歩き続け、次の町へと到着した。
小さな町のようだが、港町や幾つかの町への経由地なのもあり、狭さに反比例して人通りが多い。
まるで騒然としているようだった。
「ここには特に用もない。一晩宿を取って体を休めたいと思うが、あんたはどうする」
明朝出立なら、仕事をするどころではない。
「そうだな、俺も休むよ」
宿のことは商人にお任せだ。
やたらと妙な場所を知っているが、前の工房の親方が禄でもない、もとい、好奇心旺盛だったのだろう。
宿を取ると、組合はないかと出向いた。
一応存在したが、小規模だ。
つうか、何の小屋だよ。
片開き扉は、漬物石のようなもので開いたままにされ、入口脇の簾が日を遮っている。
壁沿いには木製の長椅子。上に並んだ幾つかのザルには、食材が積まれていた。
本当に、町によって様々だな。
半ば呆れながらも、軒をくぐった。




